ヒトラー暗殺、13分の誤算のレビュー・感想・評価
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ヒトラーやナチス関連の映画を何本か観ましたが、拷問シーンで私の苦手...
ヒトラーやナチス関連の映画を何本か観ましたが、拷問シーンで私の苦手な拷問が登場し涙が出ました。
そんな拷問に耐え、自分の意志を貫いていた主人公ゲオルクは強い。
13分の誤算によって8人もの犠牲者を出し、その犠牲者への罪の意識を持ちながら収容施設に収容され、殺された彼を闘士として認めることに時間がかかったという。
時代に流されず戦った彼は誰よりも強いと思う。
「エルザーが反体制の闘士と認められるまでに数十年を要した」という事...
ヒトラー暗殺、13分の誤算
単独犯の失敗だけど・・・意味ある行動。
ドイツがナチスによって全体主義に傾き、ユダヤ人を根絶する社会へと変貌していく時代に生きた一人の男の半生。
主人公は音楽と女を生きがいとするような、ある意味チャラい男だけど、ナチスによって感化されていく村の人々と隔する思想を持ち続け、やがてはその才能をいかんなく発揮して、自作時限爆弾によるヒトラー暗殺を実行する。
映画タイトルにあるように残念ながら失敗に終わり、捉えられ尋問されていくが、その尋問と回想シーンで物語が進んでいく。
全体主義に流されていく様は、いつ見ても不気味だ。実際そんな場面になった時、自分は男のように正気を保てるのだろうか。自問しながら観てしまう。
それと反するように人妻との刹那な逢瀬はエロティックであり、悲しくもあり。安全な側から見れば滑稽化もしれない。
記憶に刻まれる映画であることに間違いは無い。
「エルザーが反体制の闘士と認められるまでに数十年を要した」という事...
真面目 史実
考えろ!
人間はいつでも『自分で』考える必要がある。今回の主人公はヒトラーが歴史上で悪役とされているがためにある意味たまたま英雄となったわけで、やっていることは、米リンカーン、ケネディ大統領を暗殺した犯人と同じである。どちらも(米大統領の方は推測であるけども)自分の周りで起こったことに対して不満を持ち、自分の正義の上でとった行動であり、それが正しかったのかは結果論でしかない。同じ行動をとっても結果は全く逆になるのであれば、行動する段階で何が、正しいのか分からない。ただ、それでも自分で考えて行動した今回の主人公に人間として惹きつけられる、劇中でも、周囲の人間の心を動かしていた。意志を持ち、行動する。魅力的な人間の条件だなあと。まとまらないけどそんな風に感じた。
●知られざる史実。
これが、今からわずか70年ほど前の現実、ということが信じられなかっ...
事実は小説よりも奇なり
本質を見た人に問いたくなる映画。
誰の言葉だったか定かではないが…「大衆は豚だ」と言う一言を思い返さずに入られなかった一本。
体制に、社会(この言葉が曲者)の流れに噛み付き一人戦った男の物語。
映画的には効果的な時勢の交差、主人公の描き方と演じる俳優の巧みさでかなりのめり込んで観られたのが上手い。
サスペンスと、人道的恐怖と、主人公の信念。
でも本当に恐ろしいのは。
ナチを持ち出すまでも無いことだが、そこに描かれるいわゆる「大衆」の醜さ。
劇中で主人公は…というのは観て頂くとして。
昨日までの隣人の首に「ユダヤ人と付き合う豚」と言う札を付けさせさらし者にする、自分の頭を使わない人々の怖さ。
まったく人ゴトではないし。
時代を越えた今の日本でも、例えば学校でも間々友の間でも規模は違えど同じことをしているこの虚しさ。
この映画を観た感想を、比べるとたぶん浮き彫りになる「人事体質」の試金石なのではないだろうか。
主人公の方は、かのドイツでも尊厳を回復するのは死後50年弱を要したと言うラストの一文…
自由が当たり前になり、義務と道徳と大儀がおろそかにされる今の時代。
人間て何だろう、と本気で考えさせられた作品。
感動・人道一辺倒の邦画も、奇麗事ばかりじゃ不味いのではないだろうか?
「進め一億」の中に杉原千畝が1/10いたら。。
自国民の恥を反省できるドイツの戦後の社会体質は本当に尊敬したい。
内容がある作品
エルザーの信念というのか、芯の強さはすごいと思います。映画の最後にゲシュタポに銃殺されてしまい、『どうしてこうなるんだ!』とやはり、悲しいというか、不条理を感じました。
ヒトラー政治を許さない男のハナシ
1939年11月8日、ドイツ・ミュンヘン。
毎年恒例のヒトラーの演説が行われていたが、ヒトラー退席後にその演説会場で爆破が起こった。
実行犯として捕えられたのは家具職人のゲオルク・エルザー(クリスティアン・フリーデル)。
過酷で執拗な尋問の結果、単独犯行と彼の口から告白がされるが、上層部は大掛かりな組織がいると信じて疑わない・・・というハナシ。
映画は、捕えられたゲオルクの尋問シーンと、彼の過去のエピソードが交互が描かれる。
映画の見どころは、その過去のシーン。
左派寄りであるが共産党員ではなく、音楽家として(それなりの)自由を謳歌していたゲオルクの生活から、ナチスが台頭してくることによって、束縛され自由が失われていく。
ゲオルクにはエルザ(カタリーナ・シュットラー)という恋人はいるが、彼女は人妻。
いわば、人間的には立派なひとというには、かなり遠い。
そんな彼だからなのか、時代の悪化を敏感に察する。
殖産興業の名のもとに国家的に事業を推し進めているが、それは軍需産業。
一部の人間には景気は良くなったが、多くの民が良くなったわけではない。
また、ユダヤ人を迫害することで、ナショナリズムを高め、他人の自由を認めない風潮が蔓延している。
嗚呼、遣り切れない、ここままではどんどん悪くなっていく。
ナチスドイツは9月にポーランドに侵攻し、ポーランドの同盟国のイギリスとフランスがドイツに宣戦布告してきた。
まだドイツは勝ち続けているが、戦争で得たものが幸せであるはずはなく、この先、どんどんと自由が失われていく、それが1939年11月。
「ヒトラー政治を許さない」
それが根底にあってのエルザーの決断だった。
この暗殺が失敗に終わって、その後のドイツがどうなったのか、そしてエルザーがどうなったのかは簡潔に描かれていて、それはやはり遣り切れないものだ。
ゲオルク・エルザー演じるクリスティアン・フリーデルが、英雄然としておらず、平凡な男なところがこの映画に深みを与えている。
エルザ役のカタリーナ・シュットラーは、麻生久美子似でなかなかいい雰囲気を持った女優さんでした。
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