ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ) : 映画評論・批評
2015年11月17日更新
2015年11月21日より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
荒々しくも美しく、劇的な飛躍に圧倒される“犬パニック映画”の決定打
映画史上にはかつて地球上のあらゆる動物が凶暴化し、人類に牙を剥いた時代があった。1970年代のアニマルパニック映画ブームである。このジャンルはそれ以降も根強い需要を保ち、サメ、ワニ、サル、クマ、ヘビ、クモといった人気動物たちはそれぞれ代表作たる作品をモノにしてきた。ところが犬には決定打がない。“人類最良の友”たる人懐こくて賢いこの動物は、もっぱら人間との情愛を謳った感動作に駆り出されてきたからだ。
そんな映画史の長い空白を埋めて余りある驚愕の快作が、東欧ハンガリーからやってきた。過去にも「ドッグ」「クジョー」「ホワイト・ドッグ」のように犬が人間を襲った例はあるが、本作は実にシンプルな発想で別次元のパニック映画となった。一匹や二匹ではなく何と250匹の犬を起用し、ヒッチコックの「鳥」方式で圧倒的な“群れ”を成して迫りくる犬たちのキラーショットを完璧に撮ってみせたのだ。
赤ずきんならぬ青いパーカーのフードを被った美少女リリと愛くるしい茶色の雑種犬ハーゲンの絆が、無理解な父親に引き裂かれたことから波瀾万丈の物語が動き出す。映画の視点は中盤、リリからハーゲンへと切り替わり、彼の悪夢のような流転の運命を追う。やがて裏社会のドッグトレーナーに買われた気弱な飼い犬は、愛犬家ならずとも胸が痛む特殊調教を施され、怒りと憎悪の権化へと変貌を遂げていく。このシークエンスを入念に描きつつ、わざわざハリウッドからドッグトレーナーを招聘し、ハーゲンの表情や仕種の劇的な変化をカメラに収めたコーネル・ムンドルッツォ監督の演出には凄みすら感じられる。カンヌでパルムドッグ賞を獲ったのも納得だ。
人間キャラがみんな孤独で心が荒んでいたり、犬という弱者の反乱のドラマから多様な寓意が読み取れたりと、いろいろ意味深な作品ではあるが、まずはCGなしで実現した犬たちの荒々しくも美しい疾走に息を飲んでほしい。「鳥」のように動物の数を徐々に増やすサスペンスを省略し、一匹からいきなりバーンと250匹に飛躍させたショック効果抜群のクライマックス。そして静寂と神秘に包まれたラスト・シーンが脳裏に焼きついて離れない。
(高橋諭治)