キャロルのレビュー・感想・評価
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男とは観ない方がいい。笑
ストーリーに関しては、道徳的な観点でみたりすると、。。。な人が沢山いると思うのですが。
そういった角度ではなく、、ルーニー・マーラとケイト・ブランシェットが見事に映画の世界観にマッチしていて、そこがいい映画なので。どっぷりとその美しい世界にはまって観て欲しい映画です。
ケイトの行動には色々問題があると思いますが、親権をめぐっての話し合いの際、堪えながら夫に訴える場面は自然と涙がでました。ケイトの名演にも感銘を受けて。。
本当に人に与えるパワーが凄い女性です。
結構男性には理解しがたい繊細かつ複雑な心情を描いているし、男性を全然立てていない映画なので笑。オトコとは観ない方がいいですよ!
私は危うく旦那と観なくて良かったです。笑
憧れ美しく燃え
1950年代、うら若きデパートガールとミステリアスな人妻の愛を描き、カンヌ国際映画祭女優賞受賞、アカデミー賞主演女優・助演女優ノミネートの話題作。
非常に気になる作品であったのだが…、自分には合わなかった!(>_<)
高水準の秀作である事には全く異論無い。
映像は美しいし、50年代を再現した衣装、美術、車や小物…隅々まで画面に映え、目を奪われる。
ハンサムウーマンなケイト・ブランシェット、瑞々しいルーニー・マーラ、二人の女優の名演に誰が文句を付けられようか!
ケイトの煙草を吸う佇まいが男性から見てもしびれる。
デパートで、ほんの一瞬視線を交わしただけの“出会い”の演出が秀逸。
情感たっぷりのムードに酔いしれる。
だけど、どうしても最後まで話に入り込めなかった。
多分、本作はあくまで女性主観の作品であるから。
キスシーンやラブシーンはあるにせよ、二人の関係は“恋慕”じゃなく、“愛”。
もっとよく言うと、ルーニー演じるテレーズのケイト演じるキャロルへの憧れ。“憧愛”とでも言うべきか。(造語だけど)
若い女性は年上のかっこいい女性に憧れを持ったりするようだけど、男はおっさんにそんな感情持ったりしないからなぁ…。
キャロルから見たテレーズはどうだろうか。
夫と離婚調停中はまだしも、幼い子も居るのに、若い女性にうつつを抜かすのは解せない。
男目線、夫からしてみれば、何とも複雑。
愛の形は様々、別に女性同士の愛を否定するつもりは全く無いが、夫の反応は真っ当だと思った。
テレーズのキャロルへの愛は、彼女が大人になった時振り返れば、ほんの一時の憧れ。
キャロルのテレーズへの愛も、ほんの一時燃え上がった感情。
時代背景も含め、決して成就しないのは分かっているが、刹那的な愛の形は哀しくも美しく。
上品で素敵なロードムービー
古き良き50年代の細かい描写にデパートの商品の小物や家具など映像を観ているだけで楽しめる。
素敵でゴージャスで華やかで純真さと可愛らしさと両極端な二人の上品な愛の形がとても綺麗で物語の中盤からのロードムービーに変化する所も意外性があって良かった。
が、何か物足りなく....感じるのも!?
友だち以上
同性と友だち以上になるという事が、もひとつ理解できないのですが、そんな私にも説得力を持って見せてくれた映画でした。
異性からも同性から見ても魅力的なキャロル、最初は少し優柔不断だったテレーズ、表情や演技が自然で繊細で素晴らしかった。男性の描かれ方は残念でしたが。
原作が読みたくなりました。
時代が時代なら
キャロルの提案に対してテレーズの進路はなにか受身の様な気がするが、徐々にその引力の働きかけに能動的な面を見せる。
最後にケイト・ブランシェットが見せる笑顔は見るものに奥ゆかしさと想像を換気させる。
私的にはテレーズが纏う衣服のチェック柄に時代感とタイムレス感の相反する要素を覚える。
演技力に高評価。
ストーリーや予告などチェックせずに観賞しました。かなり早い段階で「同性愛?」ピンときた。表情とか仕草でその辺りが醸し出されてました。さすが演技派女優達。けどストーリー自体は、意外性はほとんどなかったですね。
普遍的な愛のスタンダードは、悲しいから美しい。
美しく切なく悲しくも神々しい。「キャロル」はそんな映画だ。美しいからと言って求め合う二人の愛のエネルギーや、悲しみの深さや、痛みの切実さが美しく偽られているかいうとそんなことは全くない。出会う瞬間の昂揚感、恋に落ちる瞬間の情熱、初めて肌が触れる火照り。愛の高まりに重ねて二人の体温が上がり、鼓動が激しくなっていく様がありありと伝わる。こちらまで息が上がるほど熱を帯びた愛を目撃する。
時代背景は50年代のアメリカ。当時、同性愛がどう見られていたかを考えれば、あまりにデリケートな題材だ。それをトッド・ヘインズ監督は2人の愛の物語を「同性愛」という飾りに寄りかかることなく、どこにでもいる「求め合う者たち」の愛のスタンダードとして成立させた。二人が、出会い、惹かれ、求め、受け入れ、理解し、共有し、愛し、愛され、傷つき、別れ、苦しみ、痛み、泣き、悔やみ、蘇り、諦め、諦めきれず、そして最後にもう一度だけ小さく微笑む。恋のはじまりから終わり、そしてその先。愛のはじまりから終わり、そしてその先まで、すべてがこの映画には描かれている。これはキャロルとテレーズの物語だ。けれどとてつもなく普遍的な愛のスタンダードだった。
その上で、同性愛であるという事実が、少しずつ歯車を狂わせてしまう様がさりげなく着々と描かれるのもいい。そこは、原作のパトリシア・ハイスミスの筆力を感じずにいられないし、原作を映画に再構築したフィリス・ナジーもまた然り。
更にこの映画が美しいのは、主演女優二人の名演の美しさに所以する。キャロルを演じるケイト・ブランシェット、そしてテレーズを演じるルーニー・マーラ。いずれもその容姿や存在感だけでなく、その演技までもが美しく華やかで荘厳だ。ブランシェットは整えられたヘアスタイルと、見事に着付けられたドレス姿がなんともよく似合う女優で、その彼女自身が持つ優雅さが役柄を雅に彩り、だからこそ、彼女が壊してしまった家庭の悲しみが色濃く滲む皮肉を体現する。思わずテレーズを引き寄せてしまった圧倒的な美しさと気品と知性と凛々しさ。悲しければ悲しいほどに優雅で美しくて痛々しい「キャロル」をブランシェットは見事に演じ切る。そしてそんなキャロルを愛してしまうテレーズ演じるルーニー・マーラがまたとてもいい。キャロルを通じて、愛することと愛されることの喜びと痛みを、肉体と精神で感じ表現する。マーラはまたその表現を決して大げさに誇張することはせず、内面に広げて溢れさせ、静かに瞳の奥からこぼすような演技をする。大きな瞳から、彼女の愛の悦びと痛みが溢れてこぼれる瞬間に目が釘付けになる。
またこの映画はファッションも目に楽しい。ブランシェットが纏う豪華で上品なローブも煌びやかで美しいし、マーラが纏う小粒で愛らしくもセンスのいい遊びのあるファッションも美しい。特にマーラが主に着用する、カラフルな編み込みの帽子と、同じ色合いの縁取りを配した紺のコートの組み合わせや、白いブラウスに黒のワンピースを重ねたさりげなくも品のいいコーディネートも可愛らしい。物語、演出、演技、美術、ファッション、音楽・・・。なにからなにまで美しい映画であり、美しいが故に尚悲しく、悲しさを含めてまた美しい。そんな映画だった。
40代半ばの子持ち既婚者が若くてNoと言えない女の子を引っ掻けて旅するお話
同性愛という要素を取り払えば「40代半ばの子持ち既婚者が若い女を引っ掻けて旅するお話。」いい大人なのにまるで責任感のない行動。不倫を純愛だって言われてもなぁ。個人的には合いませんでした。
映像はキレイだし、ケイト・ブランシェットは妖艶だし、ルーニー・マーラも可愛かったけど、ストーリーには全く共感できず・・・確かに演技は良かったです。特にルーニー・マーラ。アカデミー賞は取れなかったものの、心の動きの移り変わりをちょっとした表情で表現してました。ケイト・ブランシェットに一歩も引けを取らない演技でした。
そういった良かった点を加味しても内容が苦手でした。例えば自分がパートナーに不倫や浮気された時に、許されぬ恋愛をした相手とは純愛なんだからOKよーって言えるものなんですかね?私は無理でしたが。
愛とは?
ただ好きになった。人が同姓だった。
それだけの映画です
ただそれだけがすごく難しくて、切なくて美しい。
誰にでも起こりうることなのではないでしょうか。心から好きになってしまったら、そこには性別なんてものが入る隙はあるのかな
普遍的テーマを美しすぎるラブストーリーで
観たのは少し前ですが、遅ればせながら。
けど今でも余韻が残ってる、
不思議な映画です。
ルーニー・マーラがオスカーを獲って、
評判もいいので劇場へ。
原作の作者は
アランドロンの名作「太陽がいっぱい」や
「アメリカの友人」「リプリー」の
作者なんですね。
1952年に100万部を超える大ベストセラーになった、
彼女の実体験だそう。
当時は同性愛自体に法規制があって、
30年後にカミングアウトしたとか。
その時代には創られることのなかった、
今の時代の必然なのですね。
決して自分らしく生きられなかった二人が、
運命的な出会いで惹かれあい、
自分を見つけていく成長のお話。
表情やセリフの一つ一つがヒリヒリしてて、
禁断の愛を出口に向けて揺れ動く女たちの心情が、
実にスリリング。
見えない引力の行間がせつない。
こんな恋愛映画は、あまり出会ったことがない。
衣装やメイクも完璧。
その時代背景で対照的な
二人のキャラクターを表現する装置として、
計算され尽くされています。
満たされてる女キャロルは、
ミンクのコートやしなやかなドレスに、
金髪と真っ赤なルージュ。
対して抜け出せない凡人女テレーズは、
ボンボンのついた帽子に、
黒髪とネイビー。
そんな対比が続き、
作品を奥深いものにしてますね。
僕は1950年代が好きなので、
まず舞台設計や完璧な美術にため息。
映像も美しすぎる!
光線が詩的な映像で紡ぐ、
まるでアート作品のよう。
16ミリフィルムで撮影されているので、
粒子の空気感がまるで
当時の銀幕を観ているよう。
それだけでも、劇場でみたほうがいいです。
「ブルー・ジャスミン」で主演女優賞受賞の
ケイト・ブランシェットは、
すごい存在感。
社会からスポイルされる同性愛者の不安と苦しみを、
天才女優が見事な表現力で演じています。
彼女以外に、この役は想像できない。
けど確かにルーニー・マーラは、
助演として素晴らしい仕事をしていた。
自分を見つけられない不安や心の闇、
そして強い意志まで、
眼差しだけで演技する力量はさすが。
葛藤を抜け出して生き方を見つけていく女性を、
息を飲む演技で真摯に向き合っている。
オスカーも納得です。
後半はルーニー・マーラが、
ヘップパーンに見えて仕方なかったのです。
この二人が出会ったケミストリーは、
映画史に残るでしょうね。
自分に正直にいきるという普遍的なテーマが、
ドキドキさせる至高の愛を通して
胸に響いてくる。
マイノリティな同性愛が題材だけど、
先に踏み出せない女性は、
とてつもない勇気が
もらえるんじゃないかな。
恋で痛い目にあった男性の鑑賞は危険。
「顔力(含む眼力)」のある俳優が二人画面を埋めると、こんなに圧倒的なんだと驚いた一本。
ただただそこに尽きる。
二人の演技は言わずもがな、指先に多くを語らせる演出、画面の色調など良い所も多々あり。
ただ肝心の「話」がつまらないのには参った、それはもう。
要は「自分可愛がり」同士のエゴのぶつけ合い。
「相手のため」と口では言いながら、その実自分のためでしかない行動の応酬。
それを延々と観せられるのは、自分には拷問でしかなかった。
女性ならばこの映画に、登場人物たちに共感できるのであろうか。
劇中の男性陣が滑稽で、そしてただひたすらに哀れに映るばかりだった。
怪物を相手にする勇気は、もはや自分には微塵も無いのだな…
デートで観に行ったら、険悪になって帰られること請け合いの作品。
難しい
最近の映画は受け身で、自分からキャラクターの心理状態や行動・言動の意味を探らなくても、全部キャラクターがセリフで説明してくれる。そんな映画が増えている中「キャロル」はそうはいかなかった。
能動的に自分から映画の本筋を掴んでいかないと、何がしたくて何を伝えたいのかがサッパリわからない。
男の自分にとって、女性同士の同性愛を理解することさえも難しいのにそれを細かい目の動きなどで表現しているのだから、より複雑で分かりづらい。
単純に百合メロドラマと一言で片付けることもできるのだが…
ところどころ惜しい
この映画が目指したものをまず考えたい。
この映画が目指したものは、古きよきアメリカ映画のリメイクみたいなことだったんじゃないだろうか?
それはケイト・ブランシェットがどこだかのシーンは逢引きのオマージュといっていることからも想像できる。
そしてこの映画はそれが成功した映画といえる。
この映画全体を包む空気は古きよきアメリカ映画そのものじゃないか。
そこに70年代の映画のテイストを入れて見た位まではいいのだが、ちょっとこれは違うんじゃないかと思える場面がいくつかあった。
これは入れたら台無しになる。
あと、ラスト3分。
これは、分かれるところだと思うのだが、個人的には必要ないと思う。ラストシーン、ラストカットはサンセット大通りのオマージュではないかと思うしいいカットだと思ったが、入れなくてもいい。
全体通すといい映画なので、残念な部分がとても残念。
ホントに厄介
突然、降ってくる豪雨のように、その世界を一変させてしまう。
この病はホントに厄介だ。
ある種の呪縛のように、心を捉えて離さない。
そういう痛みを伴う愛の形を、この作品に感じた。
切ないとか悲しいとかじゃない。
断崖の絶壁に立ち、飛ぶか飛ばないかを選択するような…。
その後の人生を犠牲にしても良いと、捨てる事によって得られる唯一のもの。
酷く危険で、だからこそ手にする価値があるとでも言うような危うさを孕んだ作品だった。
なんていうか、彼女たちの求め合う形が、自分のものにしたいとかされたいじゃなくて、一つになりたいと思ってるように思えた。
そして、
男同士とかだと、絶対こんな感想には至らない!
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