劇場公開日 2016年2月11日

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キャロル : 映画評論・批評

2016年2月2日更新

2016年2月11日よりTOHOシネマズみゆき座ほかにてロードショー

眼差しや控えめな身のこなしに秘められた、ふつふつとした思い

トッド・ヘインズの作品はしばしば、外観と中身のギャップというか、上辺からは想像もつかない、その奥で静かに進行しているドラマを描いている。平凡な郊外の主婦が薬に溺れ神経を病んでいく「SAFE」(1995)、華やかなロック・ミュージシャンの屈折と孤独を描いた「ベルベット・ゴールドマイン」(1998)、50年代のブルジョワの主婦が夫の秘密を知ったことで、黒人の庭師と禁じられた恋愛に踏み込む「エデンより彼方に」(2002)。彼(彼女)らは、社会やコミュニティの足枷のなかで感情を押し殺し、内側から徐々に崩壊していく。パトリシア・ハイスミスが50年代を舞台に書いた原作をもとにした「キャロル」も例外ではない。ケイト・ブランシェットルーニー・マーラという二大演技派を起用し、当時はタブーだった女性同士の恋愛を語る。

デパートのおもちゃ売り場に勤めるテレーズ(ルーニー・マーラ)の前に、クリスマスのギフトを探すキャロル(ケイト・ブランシェット)が現れる。あでやかな金髪、すらりとした体躯にゴージャスな毛皮を纏った彼女に、テレーズはたちまち目を奪われる。だがその奥にわき起こった気持ちが何なのか、すぐにはわからない。ただこの人に再び会いたい、と彼女はキャロルの後ろ姿を見つめて思う。キャロルが忘れていった手袋を自宅に返送したことで、テレーズはキャロルから昼食に誘われる。

こうしてふたりの逢瀬が始まる。キャロルは夫と離婚調停中なのを語り、その謎めいた視線でじっとテレーズを見つめる。その興奮はテレーズにとって、結婚を迫るボーイフレンドからは得られないものだった。だが同性同士の付き合いはもちろんおおっぴらにできず、特に上流社会に身を置くキャロルにとってそれは、娘の親権を剥奪されかねない危険なことだ。だからすべては内に秘めたまま、その思いの丈が眼差しや控えめな身のこなしによって伝えられる。こうした繊細な感情を捕らえることにおいて、トッド・ヘインズほど相応しい監督もいないかもしれない。たとえばキャロルがテレーズの肩にそっと手を置く、それだけのことがなんと熱っぽく、エモーションを喚起することか。

もっとも、「エデンより彼方に」がダグラス・サーク的総天然色の世界だったのに引き換え、今回の50年代はもう少しくすんだ、緑がかった色調がベースになっている(撮影監督はヘインズの盟友エド・ラックマン)。それはソフトフォーカスを多用したショットと相まって、詩情に富み、まるでおとぎの国に迷い込んだアリスさながら、異世界に足を踏み入れたテレーズの夢心地を表現するかのようだ。

カメラマンを目指すテレーズはキャロルと出会ったことで初めて、人間を被写体として撮りたいという欲求が生まれる。つまりこれはテレーズが愛を知り、人間としてもアーティストとしても成熟する物語でもあるのだ。

「心に従って生きなければ人生は無意味よ」と、キャロルは言う。それを実践することがいかに困難を伴うか。だが、だからこそ得難い境地に至るのだということを、時代を超えてこの映画は訴えかけてくる。

佐藤久理子

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