名もなき塀の中の王 : 映画評論・批評
2015年10月6日更新
2015年10月10日より新宿K's cinemaほかにてロードショー
剥き出しで生々しく、目の前で展開するドラマのシンプルな力強さに圧倒される
どなたさまも漏れなく否応なしに全裸にされる局面がある。刑務所である。
まず入所時にすべての所持品を取り上げられる。不審な点がないかマッパにされて確認され、お仕着せの囚人服を与えられる。高倉健の「網走番外地」では囚人たちが家畜の群れのように行列で湯船に入れられていたし、海外モノでは強姦の危険に身をさらしつつ集団でシャワーを浴びるのが定番だ。
要するに刑務所とは、人間から一旦尊厳と文化を奪い取ることで罰を課す場所。全編が刑務所の中だけで展開するゴリゴリの監獄映画「名もなき塀の中の王」でも、主人公の不良少年エリックは入所早々マッパにされる。
物理的に服を奪われるだけではない。生皮を剥がれて放り出されるウサギのように、エリックは身体ひとつで弱肉強食の世界に放り込まれるのだ。素行が悪すぎるという理由で少年院から移送されてきたエリックが、そんなことは百も承知とばかりに野生を研ぎ澄ませる冒頭からして凄まじい。
監獄の部屋に入るや、まずエリックは歯ブラシと剃刀の刃で武器を作り、照明の中に隠す。危険を察知した時は即座に拳で攻撃に出る。一度舐められたら終わり。一瞬でもたじろげば猿山の最下層へと突き落とされるギリギリ感が、映画が始まってわずか数分で観ている側にまで伝染してくる。
手負いの獣がヤケを起こしているのではない。暴力上等のムショ暮らしを生き抜くために、全身の毛という毛をセンサーのように逆立てているのだ。
映画が閉塞空間を描く場合は大抵がなにかの隠喩だし、「名もなき塀の中の王」も例外ではない。しかし、エリックのいる刑務所に現実社会の縮図を見出そうだなんて冷静な思考はとてもじゃないが働かない。それくらいに本作の描写も俳優たちの演技も剥き出しで生々しく、目の前で展開するドラマのシンプルな力強さに圧倒されるばかりだ。
ストーリーの二本柱は、獄中で再会した犯罪者の父との衝突と、暴力以外のコミュニケーションを教え込もうとする元ヤンカウンセラーとの交流なのだが、ハードな語り口はメロドラマに陥ることを決して許さない。「イースタン・プロミス」のビゴ・モーテンセン以来であろうシャワールームでのフルチン開陳バトルも、なにもかもが剥き出しな本作には必須だったと納得。106分間の監獄体験、どうか心して飛び込んでいただきたい!
(村山章)