アクトレス 女たちの舞台のレビュー・感想・評価
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『この作品は男の空想よ』そして『ゴシップには影響を受けない!』
『若さを望まなければ、老人扱いされないわけ?』
『最初から二人の関係は知っていた。』
『私の解釈はあなたを混乱させるの。ここには居づらいの』『残って。あなたが必要なの』
どこからどこまでが、劇中劇であるか分からなくなる。そこがこの映画のねらいと理解出来た。
結論
なぜヘレナ役を引き受ける事に躊躇するか?マリアはヘレナの役を引き受ける事には躊躇しているのではなく、自分が若い時に自信を持ってやったシグレット役を小娘にやられるのが嫌なだけで、暫くすると自分もそう見られていたと気付く。
『シグレットの野心と暴力性をかんじたでしょ?』と秘書に言われる。
そして『この本は立場によって見方が変わるのよ』
さて、そう言った結論と全てが妄想って見方もある。
『私は記憶の中をさまよっているのね。断ち切らないと。忘れたつもりでいたのにすべてが蘇った。断ち切らないと』
『そうすべきね』
凄いと思う。
パッヘルベルのカノンとマローヤの蛇。蛇をCG合成していない。
二人の女性同士の愛かもしれない。少なくとも、女優の話だけでは無いと最後に理解できて、この映画は終る。
ナショナル・シアター・ライブでやってるのかなぁ?『マローヤの蛇』は。この舞台設定のシアターライブは見た事がある。
傑作だ。最後の彼女はACTORだ。
ビノシュの中でサイコーではないかと思う。女優としての人生のすべて...
クリステン・スチュワートが良い。
クロエが出演してるから視聴
ベテラン女優マリアと初めて会ったシーンにジョアン役クロエが来ていたジャガード織の衣装が素敵。その後のレストランで着用していた黒のジャケットにアクセもゴージャス感を出しながらミニスカートとのコーデも良かった。様々なシーンでのインテリアや家具も素敵。スタイリストが凄い。
女優
例えば、往年の名作がリメイクされる。主演は新進の女優。オリジナル主演の今や名女優も出演。
映画ファンならワクワクだろう。
が、当事者はどうだろう。
いつまでもトップと若さとその役であり続けたい女優なら。
名女優のマリア。
ある日、出世作のリメイク出演をオファーされるも、無論主演ではなく、出演を頑なに拒否。
リメイク主演の新進女優の度重なるマスコミお騒がせに幻滅。
昨今のスーパーヒーロー映画をチクリ。
映画業界の舞台裏も。
劇中の名女優に、カンヌ、ヴェネチア、ベルリン、オスカー、セザール受賞の本物の名女優、ジュリエット・ビノシュ。さすがの名演。
クロエ・グレース・モレッツが新進女優のワガママぶりを見せ、これが素だったら…?
会心の好演を見せたのは、ジュリエット演じるマリアのマネージャー役のクリステン・スチュワート。若いながら仕事が出来、仕事の面でもプライベートでも良き理解者、相談相手。時には苦言も呈す。見てると、単なるパートナー以上の関係も感じられ…。クリステンにとってはキャリアベスト級といっていいのでは?
ストーリーは平坦。
風景は絶景。
映画業界の舞台裏と言うより、女のドラマ。
若い女優なんかに負けたくない。
リメイクなんかされて、私の役を取られてなるもんですか。
一人の女優にとっても映画ファンにとっても譲れない役もある。
『風と共に去りぬ』のスカーレットはヴィヴィアン・リー。『ローマの休日』のアンはオードリー・ヘプバーン。『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアはジュリー・アンドリュース…。
悲しいかな、老いは確実にやってくる。
幕は自分で下ろす。
新しい幕が上がる。
女優から女優へ。
人間が生きていく上での普遍的なテーマでもありましたね
老いは人間生きていれば誰にでも訪れるもので、それを避けて通ることは不可能な訳ですが、分かってはいてもどこで線引きをしていいのか、どう折り合いを付けていけばいいのか、誰しもが一度は悩む問題だろうなと、ある種共感する部分もありつつ思わず見入ってしまった作品でした。
人は歳を重ねても、意外と傍から見るよりも自分がそんなに歳をとった感覚は持ってなかったりする生き物だと思うので、尚更どこか分かるなぁ~と言った感じで、興味深く見させてもらいました。
現実にあなたはいい歳ですよと突きつけられた瞬間って、本当にゾッとしたりしますよね・・・そうだ、子供から見たらもう自分はおじさん(又はおばさん)なんだと、いくら平静を装ってもどこか釈然としない気持ちもあったりで・・・。
特に女優と言う職業なら、我々が想像もできないほど顕著な問題だったりするのでしょう。
それを体現したジュリエット・ビノシュVSクロエ・グレース・モレッツは、直接対峙するシーンは少なかったものの、なかなかのインパクト、2人とも役と思いっ切りリンクしているようなリアルさを醸し出すから、余計に見入ってしまいましたよ。
若さに溢れ輝きを放つ怖いもの知らずな様子は、クロエだからこそ放てるもので、大女優が嫉妬するのも物凄く納得、これはナイスキャスティングだったと思いました。
一方の主役ジュリエット・ビノシュは、劇中では40歳の役でしたっけ、さすがにそれは無理があるなと正直思ってしまいましたが、いら立ったり、焦燥感に苛まされ、皮肉交じりに嫉妬する様子は、さすがの演技、やや傲慢さがいまだ垣間見れる様子を見ると、彼女もまた以前はクロエが演じたジョアンのような存在だったのだろうなと、思わず想像出来てしまうよう持って来る演技、そして演出はお見事の一言、時の流れは本当に残酷なものですねぇ。
クリステン・スチュワートが演じたマネージャーとの劇の読み合わせや、劇中劇が二重三重に現実とリンクしてくるストーリー構成も、なかなか見応えがあって面白かった、何度も読み合わせなのか言い争っているのか分からなくなりましたもんね。
こんなにクリステン・スチュワートの演技に引き込まれたのは初めてかも、マリアとの愛憎渦巻く微妙な距離感を見事に表現していたと思いましたし、オーラを消したマネージャー感も素晴らしいの一言。
三者三様の緊張感溢れる掛け合いを経て辿り着いたラストもまた印象的でした、監督のジュリエット・ビノシュへの尊敬の念も垣間見れたラストだったかな。
女優の世界を描いた作品としては勿論のこと、人間が生きていく上での普遍的なテーマを描いた作品としても、なかなか見応えのある作品でしたね。
いい作品
過去の自分と若き自分からの解放
原題の「Clouds of Sils Maria」(シリス・マリアの雲)は作中に登場する劇中劇のタイトル「マローヤのヘビ」と重なっている。同様に、映画本編と劇中劇とが重なり合って物語は進む。
劇中劇「マローヤのヘビ」は若い女シグリッドが年上の女ヘレナを翻弄し自殺に追い込む話だという。かつて女優マリアはシグリッドを演じ、成功のキャリアを手に入れた実績がある。そのリメイクを上演するに際し、今度はヘレナを演じてほしいと言われることから物語は動き出す。
一方の本編でも、若い女と年上の女が登場する。ジュリエット・ビノシュ演じる女優マリアとクリステン・スチュワート演じる若きアシスタント。アシスタントのヴァレンティンは片時もマリアの元を離れず、彼女の仕事も私生活もサポートしている。2人の関係は女優とアシスタントというよりも、まるで親友同士のような親密さを感じさせる。親子ほど年の離れた女同士とは思えない対等な立場でものを言い合い、信頼関係があるのがよく分かる。後にセリフで出てくる「シグリッドとヘレナはある種、同一人物だ」という文句はそのまま、マリアとヴァレンティンのことかもしれないと思う。
マリアの前に立ちはだかるのは20年という月日と、若さへの羨望、そして時間との対峙だ。20年前に演じたシグリッドに固執し、そこから得たもの失ったもの流れ去った時間というものに囚われ、マリアは思うように演技ができない。その様子を、舞台の「本読み」を通じて描いていくのが、この映画の特徴的な部分だ。
映画の中で、ヘレナのセリフをマリアが吐き、ヘレナとマリアが徐々に一体化するのは理解できる。一方、シグリッドのセリフを吐くのがアシスタントのヴァレンティンであるところがユニークだ。ヴァレンティンとシグリッドとを重ねながら、マリアと向き合わせる。実際に舞台に立つ新人女優ではないところがミソ。常に行動を共にするアシスタントだからこそ、直面させられる過去と現実とが如実に浮き彫りになる。これはうまいやり方だった。
マリアとヴァレンティンが、舞台のセリフを発し合うだけのシーンも少なくない。しかしそのセリフの端々に、マリアが浮かんだりヘレナが強く出たり、ヴァレンティンがシグリッドとしてマリアを脅かしたり・・・という2人の女優だけで4人分のパワーバランスを魅せる。これは演じる女優2人の力量に見ごたえを感じる。
本読みとマローヤのヘビを見に行く旅を通じて、マリアは過去と若さと時の流れとを受け入れ、手放し、達観するまでの心の旅をする。
しかし、そんな長い旅も無意味なほど簡単なきっかけでマリアは腹を括る。エンディングで、クロエ・グレース・モレッツ演じる新人女優から平手打ちのような言葉をかけられるのだ。そしてビノシュが見せる、目が覚めたような揺るぎない決断の目が印象的だった。
正直なところ、抽象的な暗喩表現が多くて読み解きが難しい。またモレッツを通じて描くハリウッド業界を揶揄するエピソードは、映画のタッチを崩すだけで余分な贅肉だったように思う。
三層
ジュリエット・ビノシュ主演。
ビノシュが「女優」を演じた『コード・アンノウン』と『マリー もうひとりのマリア』は、有無を言わせぬ神演技でホント凄かったなあと個人的には思う。それらほどの迫力はないものの、本作でも女優を演じるビノシュを堪能。大変楽しかった。
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中年女優がある舞台にキャスティングされるが、主役は別の若い女優だった、というストーリー。
舞台戯曲の登場人物「ヘレナ」と、それを演じる中年女優「マリア」と、マリアを演じる「ビノシュ」。
この三層構造が、面白い。ヘレナとマリアの境目が溶けていく感じがいい。
そして、文芸からブロックバスターまでオファーが来る女優マリアと、同じく単館系からゴジラまで幅広いビノシュ自身。なにやら重なる部分も多い。
共演の若手女優、『キックアス』クロエ・モレッツと『トワイライト』クリステン・スチュワート。超エンタメ映画で名を売った彼女らが、アサイヤス監督のカンヌ出品作に出る。これも、劇中のアクション映画で鳴らした若手女優が地味な舞台に挑戦という設定と重なる部分がある。
あえて重ねた設定・キャスティングであるが、違う点も。
劇中の中年女優は、若手に主役を奪われてキーッ、くやしい!となる訳だが。
現実のビノシュは、新進気鋭のクロエ、クリステンを従えて、まごうことなき主役を張っている。
現実の中年女はしぶとい。(というか、ビノシュがしぶとい。)
若手に攻めの演技をさせて、それを受けて立つ余裕。
クリステンがもの凄く良かった(素晴らしかった!)が、まだまだビノシュまでの道は遠い。
観終った感想としては、中年の悲哀というよりは、若手頑張れ!というエールの方が個人的には強く残った。
重鎮演出家や先輩女優のエピソードなど、死の匂いが所々漂う映画だったが、死に足をかけた中年女優のしぶとさが漂う映画でもあった。
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追記1:クロエも良かった。クロエは、ベタな役ドコロをわかりやすく熱演。自分が求められているものを賢く把握出来る女優さんなんだなあと思った。あっぱれ。
追記2:女優だけでなく、雲(風景)も良かった。この映画、主役は雲だろう。
追記3:上記のような事を知人に言ったら、アサイヤスだからビノシュだから日本で公開が決まった訳ではなく、クロエだからクリステンだから公開出来たんでしょと、シビアな反応だった。そうか、世間はBBAに冷たいなあ。
セリフの応酬が退屈
字幕を読むのが面倒になった
ちりばめられたメタファー
ジュリエット・ビノシュがベテラン女優役という、等身大の役を演じた作品。
ストーリーにたくみに隠されたいくつかのメタファーが、見ごたえと余韻を残す魅力を生み出していた。
映画中の舞台のタイトルの「マローヤの蛇」とは、映画中に出てくるスイスの地、シルス・マリアの自然現象のことらしい。
イタリア側から谷間を這うように流れてくる雲が蛇のように見えることからついた名前だとか。
この現象は天候が崩れる兆候らしいが、「マローヤの蛇」が暗示するものは、忍び寄る不安か、それとも嵐の前兆か。
シルス・マリアという地名と、ビノシュ演じるマリアという女優の名前も無関係ではないだろう。
ちなみに、マリアと個人秘書バレンティンのやり取りを見ている限り、「マローヤの蛇」という舞台は「冷酷で現代的なシグリットに利用され、捨てられる哀れで平凡な中年女性ヘレナの悲劇」という
単純なメロドラマで終わるものではないと感じた。
(そもそも女社長になれる人物が平凡なわけはないと思うが…)
マリア、あるいはヘレナは世間から取り残される不安から心を閉ざしてかたくなになり、バレンティン、あるいはシグリットは狭い関係性に閉塞感を感じはじめ、たびたび相手の目線を外に向けようと忠告する。
マローヤの蛇のように忍び寄った不安や警告を見逃し、結局嵐から逃れられなかったヘレナに対し、マリアは無事遭難せずにすんだのか。
結局答えは明らかにされないまま、映画は終わる。
最後にちょっとだけ登場した若い映画監督の言葉がヒントになるか。
若者の勢いが時代を創っていくものだけれど、年月を経ても変わらぬ雄大なシルス・マリアの地のように、時代を超えてあり続ける存在になることこそ真のスターである条件なのかもしれない、と思った。
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