夏をゆく人々 : 映画評論・批評
2015年8月18日更新
2015年8月22日より岩波ホールほかにてロードショー
少女映画と社会的視野を軽やかに両立させた新鋭監督の長編第二作
新鋭アリーチェ・ロルバケルの2本目の長編「夏をゆく人々」にグランプリを授けた14年カンヌ国際映画祭。その審査員にジェーン・カンピオン、ソフィア・コッポラの名を見出してああ、と腑に落ちるものがあった。作風は違ってもそれぞれに少女という特別の時空を映画作りの核心とする先達ふたり。彼女たちが、新鋭の映画に同様のしぶとくやわらかな芯をみつけたのだと、要は“少女映画の輪”と呼びたいような共感で監督たちが結ばれたのだと確信したくなったからだ。
イタリア中部トスカーナ地方のはずれ、昔ながらの方法で父が営む養蜂業を手助けする長女ジェルソミーナ。おしゃまで要領のいい妹と対照的に彼女は、寡黙で責任感にあふれ、見知らぬ世界への憧れを不器用にもて余している。そんなひとりの思春期の夏をみつめるロルバケルの映画は実際、歓喜と不安と不機嫌が揺らめく光の覚束なさにも似て刻々と交錯する少女の時空の甘苦さを親密にすくい取る。ジェルソミーナにはミツバチを顔に這わせる特技がある。そこで彼女がかいくぐる緊張とこそばゆさ、胸騒ぎ。それらを静謐に包んだジェルソミーナの透明な恍惚の表情が、少女の居場所の肌触りを鮮やかに指し示す。
興味深いのは監督が自らの映画に世界の今への眼差しもまた食い込ませている点だ。伝統を売り物にするテレビ・ショー、観光の餌食になる地方色。それでも「金で買えないものがある」と頑なに家族と信念を守る父。彼の向こうに68年、革命を夢見て散った世代のその後が重なり、21世紀の子供たちとの齟齬がさりげなくあぶり出される。父が娘の心を繋ぎ止めようと散財したラクダはもうジェルソミーナの胸をときめかしはしないけれど、愛という買えないものの重みを知って彼女は家族の場所に帰っていくだろう。そうやってささやかな物語を語りながらヨーロッパの歴史や伝統と対峙してもいる新鋭。少女映画と社会的視野を軽やかに両立させて頼もしい。
(川口敦子)