恋人たち : 映画評論・批評
2015年11月10日更新
2015年11月14日よりテアトル新宿ほかにてロードショー
無名俳優たちが圧倒的な存在感を発揮 定石を果敢に逸脱した橋口監督の最新作
人生で初めて自分の価値を認めてくれた妻との幸せな日々に、人知れず思いを馳せる青年がいる。だが、薄暗い部屋は目を覆いたくなるほど雑然としていて、過去と現在の間には壮絶な乖離があることを伺わせる。
職場の仲間たちと一緒に皇太子妃の追っかけをやっているミーハー主婦がいる。しかし、夫や姑を送り出した居間でタバコを吹かすその目はどす黒く澱んでいて、底知れぬ虚無が家中に渦巻いている。
レスポンスの早さを謳う弁護士事務所に属する気鋭の若手弁護士がいる。彼にとって実績こそが最優先事項であり、顧客に対する誠意や人としての倫理などはなきに均しい。
冒頭から、登場人物たちの生活空間へと一気に引き込む橋口亮輔監督7年ぶりの長編映画は、そんな3人が社会に蔓延る理不尽を全身で被り、のたうつ姿を容赦なく抉り出す。通り魔殺人の被害者家族を待ち受ける言われなき差別と、法制度や保険制度の不備、何かに貢献したいと願う主婦の尊厳を踏みにじる殺伐とした日常、ゲイと異性愛者の純愛を無残にも遮断する根強い偏見etc。一見、平和と平等を維持しているようでいて、実は、深層では何かが確実に傷んでいる今の日本社会の実態が、各々のドラマから浮かび上がってくるのだ。妻を殺された橋梁点検技師が柱の表面をかなづちで叩くと、内部から劣化の度合いを示す反響音が聞こえてくるように。
橋口監督の下、ワークショップで即興演技の訓練を積んでから本番に臨んだ、ほぼ素人に近い無名俳優たちが、圧倒的な存在感を発揮している。喪失感と怒りの間を往復する技師役の篠塚篤、ゲイとしての孤独を笑顔で誤魔化す弁護士役の池田良、そして、すべてをさらけ出して女性の生理を体現する成嶋瞳子。彼らが我々に気づかせるものは何かと言えば、それは、所詮タイプキャストで構成された鮮度のない物語の虚しさと、そこから生み出される深層まで手が届かない映画たちの限界点に他ならない。橋口亮輔の最新作は、視点も方法論も定石を果敢に逸脱している。
(清藤秀人)