セルのレビュー・感想・評価
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パットしないかなぁ...。
家族に会うため空港に赴く主人公、
そこで突然周りの群衆が暴れだし、
襲いかかり、噛みちぎり、殺し会う暴徒と化していく。
人々の共通点は携帯電話を使用していたこと。
主人公のスマホはタイミングよくバッテリーが切れていたため、感染?は免れたようだった。
逃げ惑いながら他の生存者たちと出会い、行動を共にしながらも、主人公は離れている元妻と息子に会いに行こうとする。
家族で暮らしていた家には『ママは感染した。僕は隣町へ行って見るよ。』と息子のメッセージが残されていた。
町には感染者が多く、仲間の生存者たちは反対したが、主人公の決意は固く、独りで向かうと言い、仲間と別れた。
大量の爆弾を積んだトレーラーで町へ向かう途中、感染者の群衆に遭遇する。
中央に感染者のリーダーのような男がいた。(なんどか過去のシーンにも登場している)主人公は、そのリーダーにトレーラーで突撃し、ショットガンで撃ち殺すが、感染者の群衆は動きを止めず、息子も見つからず、主人公は途方にくれる。すると突然、息子が目の前に現れたと思いきや、すでに感染しており、先ほど殺したはずのリーダーも立っていた。主人公はトレーラーに積んだ爆弾を作動され、感染者の群衆もろとも吹き飛ばした...ように思えた。
息子と仲良く歩いているシーンが流される。
先ほどのシーンに戻り、トレーラーの爆弾は作動しておらず、感染者の群衆には、感染した主人公の姿が...。
結局何もかも解決出来ず、物語の謎も全て明らかにされずバットエンドな内容でした笑
わざわざ映画館で見るもんでも無かったと思いました。
TSUTAYAで借りて家族と軽く見るホラーですね。
あまりパットしない感じでした。
見たことがあるネタ
携帯から脳がハッキングされるネタは昔みたことがあります。
最後は解決するかなと思ったけど、残念ながらバットエンディング。
エンドクレジットの最後に劇中の信号音声が、次回作あるかも。
ラストが...
スティーブンキング原作とイザベルファーマンが出ているというので期待して鑑賞。序盤から中盤まではよかったけど...
お目当のイザベルファーマンが比較的早く死んじゃって少し肩透かし。
もっとインバクトある演技が見れると思っていたのに...
まぁ賛否両論ありそうなラストはあんなもんでしょう...
色々と…
スティーブン・キング原作、脚本ということで期待を持って観に行ったが、まあ満足できたと思う。
音楽がなかなかストーリーとマッチしていて良かった。
ゾンビ(正確には人間か)が存在するだけでさえ恐ろしいのに、それが集団行動するとは驚かさるとともに末恐ろしく感じた。”携帯人”たちには棟梁がいて、彼等は自分の意思ではなくパルスで動いていた。そんな奇怪とも言える生物にはなりたくもなかったクレイも結局は”携帯人”に…というラスト。
ここには人それぞれの捉え方があるように思うが、声をあげず、集団に従うだけの人々の運命をキングが風刺しているように自分は感じた。
自分の意思で動くとは何かと考えさせられた。
メインテーマにもサブテーマにもホラー性を感じる作品だった。
締まらない
原作未読
飛行機が墜ちたり、襲う対象見分けたり、正常でいられる人といられない人の差とか電気のこととか、設定のいい加減さや曖昧さや都合の良さが強烈だけど、なかなかスリルがあった。
マンガの主人公のこととか、どうなるものかと期待が膨らんだけど…
「その時」で終わっておけばまだ良かったのに、余計なものをつけないでいただきたい。
ゾンビの様式美を基本踏襲したニューウェーブ
原題は、あの「ザ・セル」(2001)の"Cell = 独房"ではなく、"Cell=cellular phone(携帯電話)"である。
スティーヴン・キング最新作にして、ジャンルとしては"ゾンビもの"。公開された各国での評価が悪いので、日本公開はされないのかと思っていたら、限定スクリーン数での公開。これもゾンビの出世頭「バイオハザード ザ・ファイナル」のおこぼれのような、オトナの事情の匂いがプンプンする。
そもそもゾンビ映画はB級であるべきで、ゾンビ映画に過度な期待をするほうが間違っているし、その"様式美"を楽しむものだ。そういう意味で本作はゾンビマニアにはかなり楽しめる。
ゾンビ発生には、古典的な呪術から、科学実験やウィルス感染とバリエーションがあるが、本作は携帯電話に出ることでゾンビ化するという、珍しい設定の"ニューウェーブ"である。おそらく着想は、"携帯電話の電波が脳波に影響する"という学説から生まれたものだろう。
電波によって脳が混乱させられ、コントロールされるゾンビ携帯人(Phoney)と健常者(Normy)の闘いである。まるで現代人のケータイ依存を揶揄したような設定になっていて、Phoney≒phony(偽りの)と掛けているのがシャレている。昆虫の集団行動のように動くゾンビたちの様子がモッシュっぽくて、集団で怒りが増幅していく。このあたりはメタルをバカにしたようなキングの意図が感じられる。
ゾンビに襲われた人間がゾンビ化するというのは、吸血鬼の亜流であるが、本作ではゾンビの口から発する電子音で脳が乱され、ゾンビ化する。夜、ゾンビたちが集団で眠るというのは、昼夜逆だが吸血鬼っぽい。その間に通信ダウンロードでバージョンアップされるというのが、とても今どき。
原作とはテイストが違うようだが、原作者スティーヴン・キング自らの脚本なので、そのまま受け取るしかない。エンディングの未決着さ加減は、"様式美"としては、実にまっとうである。フツウの映画ファンは観てはいけない、ゾンビファンのための余興である。
(2017/2/17 TOHOシネマズ六本木ヒルズ/シネスコ)
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