シン・ゴジラのレビュー・感想・評価
全1633件中、1421~1440件目を表示
金と時間の無駄。大掛かりなゴジラの葬式。
ゴミ映画。ゴジラ映画にこんな評価をするのは本当に悲しいですが、こんなものは無くていいです。予告編の段階で全く期待はできませんでしたが、それでも二時間あってゴジラなのだから見所はあるはず、と考えたのが間違いでした。この監督はゴジラを全く理解していず、60年間という時間の重みも感じ取れない不感症です。
シン・ゴジラは理由も悲劇も怒りも無く現れて、ただ移動し駆除対象となりバンカーバスターで出血、電車に満載した程度の爆薬とビルの瓦礫の直撃で転倒気絶し、ホースを口に突っ込まれてなすすべも無く凍らされる、怪獣というよりただの害獣。
人類社会の罪に対する怒りの権化であるが故に人類社会では太刀打ちできず、しかし人間の心魂によってのみ対抗しうる強烈なキャラクター性がゴジラの魅力であり、初代から平成まで受け継がれてきた基本構造であるはずです。この監督の作るゴジラであれば、これまで作られてきたゴジラをここまで馬鹿にしても許されるのでしょうか?他人が作り、育ててきたものに対するリスペクトは、エヴァを作ったから持たなくてもいいのでしょうか?
私はあんなナマズの化け物なんか見たくありませんでした。どこかの高校の何とか研究会でもやっていたほうがお似合いの対策本部も見たくなかったし、無能しかいない官僚集団が適当で他力本願で見切り発車の作戦を強行して勝つ陳腐極まる人類陣営も見たくなかった。私はせめて、ゴジラが見たかった。欲を言えば、ゴジラにきちんと立ち向かう人間個人が見たかった。権力と集団に裏打ちされた無能の理想など最悪です。
エヴァが作りたいならエヴァを作ればいいし、エヴァが見たいならエヴァを見ればいい。なぜたのみもしないのにゴジラの葬式を上げてくれたのか本当にわかりませんし、そのつもりではなく、本当にゴジラを作るつもりでこの程度のものしか出来ないのであれば、全く救いようもないと思います。
以下追記
私がゴジラを、特に1954版『ゴジラ』を意識する上で忘れてはいけないと考えていることは、現実世界において人間が起こしてしまった取り返しのつかない災害です。1954年のそれとは原子爆弾と無差別爆撃であり、だからこそあのときゴジラの進路は東京大空襲のそれをなぞり、ゴジラは原子爆弾によってこの世に引きずり出され、怒り狂っているのだと。本多猪四郎は明らかにそのメッセージを込めた上で最高のエンターテイメントとして『ゴジラ』を生み出し、世に送り出した。そしてそうした人類の業のようなものを、最も効果的に映像作品に盛り込むとしたら、それは特撮映画を置いて他にはありません。荒唐無稽でありえないからこそ、普通の映像作品では描くことのできない問題を提起出来るのです。その意味では、シン・ゴジラは福島第一原発の地下以外の場所から出てきた時点で作品として失敗です。どんなメディアも、ドラマもニュースも、新聞も書籍も、ゲームや漫画でも、あの地震と原発をキャラクターとしてこの世に送り出すことは出来ない。敗戦から9年で原爆を腹に収めてやってきたゴジラにしか、それは出来ない離れ業なのです。天災の悲劇と、人災への憤怒を両立した上でエンターテイメントに出来るのは。
そして1954年当時の人々はゴジラを観て、2016年現在までゴジラは存在した。日本人はそんなに弱くもないし狭量でもなく、『ゴジラ』が持つメッセージを感じ取り、あるいは理解したからこそ、『ゴジラ』は金字塔になり、いまや海外で映像作品が作られるようになった。
なぜ日本人を信じなかったか。なぜ日本人を、弱々しく、エンタメごときから庇護する必要があるほど幼稚であると思っているのか。
2016年のゴジラは福島第一原発の地下で目覚め、人災によって流出した核燃料と放射性物質をそっくり飲み込んで、日本中の原発を襲って灰にしながら首都を目指すべきだったでしょう。そしてそんなゴジラに対抗し得るのは、それでもなお生きようと、生かそうとする人間の意志でしかない。昭和シリーズでもvsでもミレニアムでもハリウッドでもない、しかしそれでも『ゴジラ』を作ろうというのなら、2016年現在の日本でそれ以外の選択肢があるとは思えない。『ゴジラ』にしか出来ないことを、今やる。その意志が、オリジナリティが、プライドが無いのであれば、この作品には存在する意味がありません。
実際のところ、あのナマズの化け物から進化した怪獣と、無敵の怪獣王ゴジラとが力の限りに戦うvs的な作品であれば、心からの絶賛を惜しみませんでした。私はシリーズ通してゴジラが大好きだし、頭の中を軽くして楽しく見られる特撮も大好きだから。
今は、『ゴジラ』どころか特撮である必要も無い単なる自己表現と自己満足、自分の過去作品からの流用でつくられた同人的映像作品が、東宝によって正式に『ゴジラ』最新作として公開されたことがただ悲しくてなりません。
平成ガメラの時と同じような感動を受けました。
現代の日本に怪獣が現れたらどう対峙するかをリアリティに描いた作品でよかったです。平成ガメラの時と同じような感動を受けました。
武蔵小杉での自衛隊の対戦車ヘリのコブラやロングボウ、10式戦車の砲撃や99式自走155mm榴弾砲の弾着までのリアリティのある攻撃もシビレました。突っ込み何処は色々ありますが、あれだけ大きな尻尾ならもう少し前かがみの姿勢の方が自然ではないかと思った次第です。
IMAXで見ましたので、今度は4DXで見に行きます。
なにがしたいのか分からない
今までのゴジラと比べて可愛いさが無いし、口から光線出すわ、背中から光線出すわ、尻尾から光線出すわでただの化け物になっている。「ゴジラだよ」って言われても初代から観ているゴジラファンにとっては「どこがだよ」ってなる。尻尾にもう一つの頭が付いてる時点でおかしい。
それに、第一形態とかイモムシみたくめっちゃすごいウネウネした動き+突然の出血に驚いた。首元から出血なんてグロくて子ども気持ち悪くなるんじゃないかと思った。子どもも観るんだからそういうグロさとかは無くすべきだしR12とかにしたりして配慮するべきだと思う。
最終形態に短時間でするなんてエヴァンゲリオンの敵(?)と同じようにして欲しくない。
ゴジラだって言わないと分からないゴジラになっていて、ゴジラだって言われなかったからただの化け物が暴れてるようにしか見えないかと…。動きとかエヴァンゲリオンみたいだし、そこから離れて欲しい。
CG頼りすぎ、字幕多すぎ、キャストは多すぎだし早口、憲法の話とかいらない、石原さとみの英語が下手、ヤシオリ作戦の口に注入する場面なんて無理矢理感がありすぎる。
そして、印象に残った場面なんてほぼ無いし、一番伝えたい部分がどこなのかよく分からない。
ただの庵野さんのゴジラ発表会になってる。
クソ面白い!!絶対見るべき!!
最初に出てくる奴がとりあえずキモイ
再上陸の時のゴジラカッコいい
この国の有事の際の初動の遅さと海外えの弱腰はひどい
自衛隊がこんなに協力してるのも珍しいべ!10式戦車がありみたいに潰されるのかと思ったら以外と2輌が中破しただけだったw
最後のクライマックスの方にはエバンゲリオンっぽい感じがすごいな、新幹線が無人爆弾とか在来線無人爆弾とか、攻撃を受けた舞台は必ず全滅!ってなるところも
ちょっと中だるみみたいな感じがあったので星4.5で!!
傑作。ありがとうございました。
子供向けではありません
ひとことReview
こんな映画も面白い
面白かった
庵野大爆発
ぼくのかんがえたさいこうのゴジラ
庵野映画。それだけ。
キャラクターたちが台詞を喋る度に顔がアップになり、一言毎にそれがパパパと切り替わる早い画面回し。
無表情、微動だにせずに早口で喋るインテリ、
無駄にリアクションが激しいオタク、
マヌケな言動を繰り返す首相代理。
まるでアニメのようなキャラクターたちとカメラワーク。そう、庵野さんは人間を描くのは下手くそなのだ。ナウシカで作画に参加したとき宮崎駿から指摘されていた事実。
アニメなら許されても実写でこれは許されない。マヌケな描写は事の重大さを忘れさせる事態を生んでいる。
そんなマヌケなキャラクター描写が効果的に働いてる部分もある。まるで伝言ゲームかのように対策を決める政府会議は非常に皮肉が効いており、先の震災で起きた事態を彷彿とさせる怖さがあった。
だがそれが効果的だったのは最初まで。途中から同監督作品のエヴァンゲリオンのBGMを使い出してから、政府のマヌケ描写は皮肉から単なる受け狙いと呼べるほど無意味な台詞が繰り返される。
よく言われる「ゴジラは災害」とか「原発そのもの」とかいう意見だが、そんなものこの映画には微塵たりとも存在しない。
災害と準えてるなら、自殺したと思われる博士はいらない。ラストのシーンで人を彷彿とさせてる時点で災害でもない。
原発と準える人は、この映画のラストシーンの状況をわかっていない。
半減期間近で除染すれば復興可能となる状況が福島原発と重なる?何百年しなければ半減期が訪れない福島の現状を知らないのか?30年過ぎたチェルノブイリ見ても、本当にこの映画、ゴジラが原発をイメージしていると言っているのか?
ポンプ車で冷やしてれば原発イメージか?そういう貼り付けただけのイメージしかないんだこの映画は。
石原さとみの無理矢理な設定は言わずもがな。キャスティングの時点でもうこれはそういう緩い映画なのだ。
そもそも300人もの俳優を使う理由がわからない。それぐらい有名俳優がエキストラ的な立ち位置にしている。当然出すからには金がかかる。つまり金の大半がそのエキストラ的な部分に費やされているのだ。
ゴジラというネームバリューを使って、庵野秀明という人間が思い描いた最高の画作りをしただけだ。キャスティングやBGMの輸入をした意味はつまり「ぼくがかんがえたさいこうのかいじゅうえいが」ということだ。
それもそのはず、エヴァンゲリオンは庵野秀明自身を自己評価した、極めて映画的手法で締め括られた怪作で、つまりはエヴァンゲリオンで描かれたものは庵野秀明自身そのもの。だから今回エヴァンゲリオンのBGMを使ったのは怪獣映画大好きな自分の夢を実現させた一種の印のようなもの。
終盤のご都合主義的な作戦もそうだ。全ては怪獣映画的画作りのために用意されたものに過ぎない。だからツッコみを入れるのも野暮な話というもの。
許せないのは20年も経っていまだにエヴァンゲリオンから離れられてない製作スタンスで作品を作ってる点だ
何回同じものを見させるつもりだ?氏の破壊描写や独自の空気感は大好きなのに、作品の芯の部分にエヴァンゲリオンを持ってきてどうする
ゴジラというネームバリューを利用したかっただけか?そんな奴が特撮好きと語るなんて片腹痛い
いい加減エヴァンゲリオンから離れてくれ。新しい庵野秀明作品を見せてくれ
"神"ゴジラ
久しぶりとなる日本版ゴジラ。
今までに散々繰り返してきた怪獣プロレスとは違い、ニッポン対ゴジラという原点回帰ともいえる構図。
豪華キャストがズラリと並ぶ中に伝説のスターもその名を連ねる。
ゴジラは戦争の化身。天災の化身。その両方の側面を持ち合わせる。
平和ボケした我々日本人をもう一度戒めるためにやってきたのであれば、ゴジラは戦争の虚構である。
戦争というものは街を破壊しては、いとも簡単に火の海に変えてしまう。同時に科学を発展させ暴走させる力があり、それは良くも悪くも人類において大きな進化となる。戦争は進化し続ける。それと同じようにゴジラも初期形態から最終形態まで急速に進化を遂げていく。戦争をなくそう。ゴジラを駆逐しようと考えるのが一般的ではあるものの、後にそれは不可能なのだと思い知らされる。つまり共存を余儀なくされるのだ。しかし、共存という意味ではゴジラは天災の虚構と考える方がしっくりくる。なぜなら、地震や落雷や台風などの自然災害は神出鬼没な存在であり、予期せず突如現れ襲いかかる。これはまさにゴジラそのものである。人類は常に天災=ゴジラと共存し向き合っていかなければならない。戦争に立ち向かわなければならない。ゴジラとはそれらの象徴なのかもしれない。人知をはるかに超えた存在。
「シン・ゴジラ」でもその象徴的シーンをしっかりと捉えてはいる。だが、やたらと生物だと強調したり、日本のプライドがために凍結に至ったものの、連合軍が核を使っていればやっつけられたみたいな終わり方… (石原さとみのぶっ飛んだキャラ設定…)
それはともかく破天荒な「ゴジラ無双」を観れただけでも大満足。自衛隊にもヤシオリ作戦にも思わず熱くなる。劇中に涙が出ることもあり、心を打つシーンもあった。日本の特撮も捨てたもんじゃない。
この国はまだやれる
微妙
割と人を選ぶ映画。
私は公務員と政治家パートがなんとも薄っぺらく感じて乗り切れなかった。
あの辺に感情移入できないと、延々と退屈なシーンを見せられることになる。
怪獣パートは出し惜しみしてなくて良かった。
ただ、最後のコンクリート圧送車のくだりは何だかなーという感じ。
決死隊と言っていいと思うけど、第一班が軽く全滅させられたあと、第二班突っ込ませるのに躊躇無さすぎて、その前の士気を鼓舞する演説シーンと相まってドン引きした。
あの辺をもう少し丁寧に描いたら見終わったあとの印象は違ったと思う。
シンゴジラ
全1633件中、1421~1440件目を表示