「新・ゴジラ」シン・ゴジラ 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
新・ゴジラ
2017年3月。ブルーレイで観た時のメモを参考に捕捉してみます。
直近で「シン・ウルトラマン」を観たばかりです。
総監督と脚本を庵野秀明さんが、監督・特技監督を樋口真嗣さんが
努めているのはほぼ同じです。
「シン・ウルトラマン」はやや非現実的でSF。
ユーモアも感じられる楽しさで感動と言うより「良くやったな!!」
の感想でした。
2016年公開の『シンゴジラ』
これは、3・11を体験してしまった日本人が作り、観て、感じられる映画です。
ゴジラ映画であり、ゴジラ映画でない。
確かに画面では存在しているが、描かれていることは巨大な「天災」だ。
第二形態が呑川を遡上するサマは、3・11で東北の海を襲った「津波」の
姿そのものだし、都心に放射能を撒き散らすサマは、あの時のように、
線量マップで表される。
ヤシオリ作戦に投入されるのは、あの時の
「コンクリートポンプ車」だ。
そこにゴジラはいるが、実際にはいない。
それを表すように、このゴジラはどこまでも無表情で無機質だ。
自衛隊の飽和攻撃にも身じろぎひとつせず、生物的でない。
だが、怪獣はモンスターではない。
“怪獣“なんだ。
『パシフィック・リム』のカイジュウがKAIJUであって怪獣では
無いのと同様に。
さて初代ゴジラは度重なる水爆実験と、それによって蘇る戦争の恐怖の
象徴だった。
ゴジラ上陸の軌跡が、東京大空襲時のB-29のコースに沿っていると
資料で読んだ。
遠くから聞こえて来る足音は爆撃音であり戦争経験者にとってはリアルに
戦争の記憶を掘り起こすものだろう。
シンゴジラで徹底的に描かれるのはゴジラそのものより、それへの政府の
対応だ。
意見が衝突し方針が定まらないトップ。
これは同時にあの3・11の時のおかしな対応を繰り返した政府の批判でもある。
愚かしいトップの対応と、それに意見できない取り巻きの引き起こした二次災害で、
東日本は壊滅的な痛手を追う所だった。
その検証もされず、誰も責任を取らないままに物事が進んでしまっていることへの
苛立ちがこの映画では、その危険に対して冷静に判断して、知性を束ねて、
この国を守ろうとする人々の存在を描いてくれる。
ハリウッドあれば必然の“俺が倒してやるぜ“的なヒーローは現れない。
ただ無私の人々の地道な力の結集を見せてくれるのだ。
もちろん怪獣映画としての奇想天外さ、少年の魂を燃え立たせる事を
忘れられてはいない。
変化するゴジラ、自衛隊との攻防・・・アニメ的な手法やカットを駆使しながら
それが実写の画面に上手く落とし込まれ、これまでの怪獣映画になかった映像を
作り出している。
庵野作品のセルフオマージュであり集大成だ。
そして日本の底力、
「スクラップ・アンド•ビルド」
立ち上がる力を信じさせてくれる。
「シン・ウルトラマン」より訴えてくるものは大きかった。
まさに今、戦争で焦土と化している「ウクライナの人々」の現実と重なり、
《カイジュウはいつ倒されるのか?》
…………戦争の終息を強く願った。
フォローありがとうございました♪
私は「映画館至上主義」ですが、色々な都合も理解はしているつもりなので、何よりも大事な「映画好き」という共通点を抱きしめつつ宜しくお願い致します。
本作は怪獣映画ではありません。
ゴジラは未曽有の危機のモデルであり、未曽有の危機が起きた時の、
日本及び日本政府の対応への問題提起をした作品でした。
設定が斬新な作品でした。
では、また共感作で。
-以上-
『ゴジラ』第一作目は、立派なディザスターパニック映画でした。
水爆実験への批判が込められてました。
『シン・ゴジラ』はその原点に戻りつつ、あれから我々が経験したことを踏まえた新たなメッセージが込められていますね。
原点回帰に新たな視点と手法。正に『シン』でした。
私が映画好きになったのはゴジラシリーズでした。
骨の髄にまで染み込んでます。
マンネリ化していたゴジラシリーズを、オマージュやリスペクトしつつ、全く新しいゴジラを創り上げた庵野監督らの手腕には感激しました。
来年は山崎貴監督で新作ゴジラの公開が決まっており、非常に楽しみにしています(^^)
> ゴジラ映画であり、ゴジラ映画でない。
確かに画面では存在しているが、描かれていることは巨大な「天災」だ
なるほど。川を上り、放射線を撒き散らし、コンクリートポンプ車で注水する…なるほど。たしかに。自分は恥ずかしながら気づいていませんでしたが、そうなのかもしれないですね。鋭い。