2013年製作のアメリカ版SF作品
この時代のアメリカ人が考えるSFに興味があった。
一部の陰謀論で囁かれるのが、映画によって予告されている未来だ。
この作品にそれを感じるかどうか知りたいと思った。
しかし、
実に見事に近未来社会を描いている。
外の世界と中の世界、つまりバーチャル世界
外に出る必要のなくなった主人公コーエン
かつて結婚し、離婚した経験がある。
そして、
1度見ただけでは理解できないことがたくさん隠されている。
謎も多い。難しい。
さりげなく近未来を予想している不気味な点も多い。
監視社会 今や犯罪抑止から学校やすべての場所に広がってしまっている。
デジタルサイネージ 人々の興味に関することをあれこれ提案することで、国家がしようとしている大きなことに興味を持たせなくさせている暗示
エンティティ(存在) 存在理由 この作品のテーマのひとつ
ゼロ定理の証明 それ自体存在しないことの証明…
コーエンが待ち続けている電話 自分の存在意義を教えてくれるもの
これらがすべて昔の哲学者や小説家や科学的理論を背景に、ひとつひとつ設定されている点が複雑さにつながるのだが、逆に奥行きを持たせ、この近未来世界のリアリティを演出している。
アメリカ人のこのSF感覚は、日本のアニメ世界の感覚以上に優れている。
さて、
第1回目で感じた私の最大の謎
それはコーエンが自分のことを「我ら」と呼ぶことだ。
コーエンはかなり重度の精神疾患だと思われる。
それは他人との違いという特長にも表れるが、彼の考え方に面白いプログラミングが可能だと考えた「マネジメント」は、コーエンに「ゼロの定理」の答えを出すことを命じる。
コーエンはほぼ会社に支配されていた。
会社の道具の一部が「私」であるにもかかわらず、他人との会話ではすべてが会社関係なので「我ら」というのだろうか?
上司は彼を「クイーン」と呼ぶたびに彼は「コーエンです」と答える。
それは彼が皆を「ボブ」と呼ぶのと同じで、最終的に支配したい表れだったのかもしれない。
「電話」を必死で待ち続けている間は、コーエンは病みながらも自分自身を保っていたのだろう。
ベインズリーの存在も謎だ。
彼女は父に捨てられたことが原因で心に大きな傷を抱えているようだ。
彼女には会社に支配されていないコーエンに「希望」のようなものを感じたのかもしれない。
彼女はコーエンと一緒に外の世界に逃げようと懇願するが、彼はそれを断った。
マネジメントの息子のボブがコーエンの尻を叩くが、もう彼女は去った。
ボブの発熱と偶然発見した鏡の中に隠されたカメラに我慢できなくなったコーエンはすべての監視カメラを破壊する。
これが原因で上司も彼もクビ
コーエンはシステムを破壊するが自動復旧したシステムは自爆する。
その中に見た彼の中にあったブラックホール
彼はもう一度ベインズリーに会いたかったのだろう。
その中へと落ちていく。
「楽園」に降り立っても彼女はいない。
しかしエンドロールで「コーエン」と何度も呼びかける声。
これがハッピーエンドだったのかバッドエンドだったのかさえわからない。
まさに「カオス」だった。
1回見ただけでは到底わからないことだらけの作品
しかし、恐ろしく凄いものだった。