彼は秘密の女ともだちのレビュー・感想・評価
全39件中、21~39件目を表示
3.4
なんとなくモヤモヤが残る映画だった。難しい題材で現代にあったテーマであるために、考えさせられることもあった。
しかしこの映画は少し特殊だと思う。同性愛というより、一個人としての個性や感情、つまりは人間の本質を問う映画ではなかったのかなあ、と思った。一人ひとりに個性があって、誰もそれを干渉してはならない。でもそれが害を有した場合、規制を認めていいのか。そんなことを伝えたかったんじゃないのか。
映画のテーマはこんなことじゃなかったかも知れないけど、最近こういったことで考えたことがあったので、見ていて関連づけてしまった。モヤモヤが残ったのはこのせい。
映像はとてもすきだった。フランス映画は何もかもが綺麗。「サンドラの週末」でもそうだが、服とかだけじゃなくて、家具や町並みなど、映画全体色彩とか雰囲気がとても美しかった。フランスに住んでフランス語とか話せたらいいなあ、と思った。
音楽もセンスも終始よかった。
オゾンには
なかなか興味深い話
親友が赤ちゃんを残して死んでしまい、面倒を見ると約束した旦那さんと...
実に醜悪
妻を失った男が女装癖を甦らせる。そして亡き妻の親友である女性との間に友情とも愛情ともつかぬ感情を抱く。
ロマン・デュリスの女装した姿が醜悪だと言いたいのではない。
かと言って美しいとも思わないが。
ゲイ、女装する男、女装癖を持つ男があこがれる女性のスタイル。これらのセクシャリティの描き方があまりにもステレオタイプなのだ。観ていて息が詰まりそうなほどに。ゲイが夜の道端に立って客を誘うシーン、バーで寄り添うカップルへの視線など、ゲイのアプローチってこんなもんだろうと言わんばかりの描写が続く。
フランソワ・オゾン自身が同性愛者であると公言しているくらいだから、そこにゲイへの蔑視があるとは思いたくない。しかし、これはどうやら、ゲイであることと、セクシャリティの多様性に自覚的なこととは別のことらしいことが伺える。
この映画は、セックスとは男と女である。男とは。女らしさとは。云々というセックス観の固定化と同様に、ゲイとはこうである。ゲイらしさとは。というゲイに関しての固定観念を増幅させているに過ぎない。
だから、女装癖を持ちながらも同性愛者であることを否定する主人公に幸せをつかませることが出来ないはずなのだ。事故で意識不明となり、そこから回復した主人公のとってつけたようなエピローグは、この物語が結局彼の幸福を認めていないことを示唆している。本来は植物状態のままで主人公の人生は終わっているのだろう。
現在、日本で公開されるフランス映画は減っている。その中で、毎年確実に公開されるフランスの映画作家はフランソワ・オゾンただ一人と言ってもよい事態が辛い。
フランスの美しさ
La vie est belle
女装者として思うこと
私自身が女装者なので、大変興味深くこの映画を観ました。
おそらく大多数の女装者が望んでいるのはジルの存在です。
女装者は理解してくれる人もほとんどいなく、自分一人で悩んでいる人が大多数だと思います。
女装者は決して性的興奮を得るために女装しているわけではなく、おそらく自分の中にある女性的な部分を公共の場にオープンにしてみたいという気持ちが強いと思います(それが難しいんですけどね)。
私は月に一回くらい女装して新宿を歩くのですが、女性用のアパレルショップで試着しながら洋服を買うのが何よりの楽しみです。特に伊勢丹の接客姿勢は素晴らしく、女装の私にも何着もの試着をまるで女性のように対応していただいています(プロです)。でも本当にジルの存在が欲しいです。
映画に戻ります。日本での女装の取り扱いは面白おかしいトーンですが、この映画はしっかりと真面目に正捉えているところに感銘を受けました。私は今後ダヴィッドのようにパブリックにオープンに、女性として生きてはいけないと思いますが、一月に一、二回女装して女性の気持ちで新宿を歩けたらいいなと思っています。
武蔵野館は女性ばかりでしたが、私も女装して観賞させていただきました。気づいた人がいるかもしれませんね。
流石にフランス映画
自分に正直に。
誰でもいいんじゃない、君じゃなきゃダメなんだ
これ、どういえばいいのか、ちょっと戸惑うのだけれど、ファム・ファタール(宿命の女)に絡めとられた男女ふたりのハナシなんだろう。
絡めとられた、というのが不適切なら、魅入られた、とでもいうべきか。
もしくは、男女ふたりの方が、ファム・ファタールを視つづけているというところか。
ダヴィッドは、ローラが死んだ後、自分の女性に気づいていき、女装までするが、好きなのはローラ。
クレールはクレールで、ローラが好きなのだ。
ダヴィッドもクレールも、ローラの身代わりで互いで互いを愛していく。
愛を深めるうちに、互いが互いの肉体を求め合うようになるのであるが、ローラの身代わりとして相手を愛しているので、どうにもこうにももどかしく、アンビバレンスな状態に陥ってしまう。
しかし、ダヴィッドの事故をきっかけに互いが互いでなければならない、ローラの身代わりでない、ということに気づく。
そんな映画だと解釈した。
同性愛だからといって、自分を受け容れてくれるなら誰でもいい、というわけではない。
あなたに、きみに、受け容れてほしいのだ。
誰でもいいんじゃない、君じゃなきゃダメなんだ。
クレールとダヴィッド(女性に生まれ変わってヴィルジニア)は、観た目は奇妙だけれど、愛情はどこもヘンじゃない。
まぁ、そんな映画です。
演技陣ではロマン・デュリスがとにかく上手い。
フランソワ・オゾンが好みとするタイプではないはずなので、一度組んでみたかったのでしょうね。
当初は、女装した大柄な男性にしかみえないのが、徐々に女性にみえてくるのですから。
ただし、ファム・ファタール、ローラ役の女優さんには、いまひとつ魅力を感じませんでした。
斬新なストーリー
やはりオゾン
全39件中、21~39件目を表示