トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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ポリコレストーリー
ステレオタイプを嫌いすぎるとこうなるんだな、って映画でした。
いまは女性は強く戦う時代だし、男性にもか弱さが認められているし、おもちゃだって与えられた役割を全うする必要なんかない、ってことなんでしょう。
強く自立した女性ボー、自己認識と他者評価が乖離したフォーキーなど、「そういうの」を描きたいんだというのはわかります。これくらいならアクセントとしてまだ評価できますが、結末は流石に酷すぎるでしょう。あまりに前作までのシリーズを無視しすぎている。
「子どもがおもちゃを必要としなくなったとき、おもちゃはどうなるか」というテーマは3で回答してるし完結してるんです。
「ボニーに必要とされなくなったからこどものおもちゃでいることをやめる」なんてそんなアンサーが今回出てくるとは思いませんでした。このシリーズが何を言いたいのか全くわからなくなってしまった。
いつでもそばにいるよ、と優しく子どもを見守ってくれていたウッディはもういないんですね。そういう関係性も永遠じゃないんだぜと言いたかったのでしょうか。
今回提示された考え方やテーマを否定する気はありません。所有者からの解放、自由というのも悪いアイデアでは無いと思います。ですが人気シリーズの新作でやる必要はなかった。これがトイストーリーの外伝やキャラクターを一新した新シリーズでなら違和感なく受け入れることができたのではないでしょうか。
制作側には続編映画の真の価値を理解してほしいです。制作側の主義主張というのは、消費者が続編に望むものよりも前に出てきてはいけないんです。
消費者は、愛した映画のキャラクターや世界観が壊れることなく、その後の物語が紡がれることを続編に望みます。制作側の方針転換とか、挑戦に期待しているわけじゃないんですよ。
本当に、今回の4は残念でなりません。
面白い事は面白かったのだが
個人的には2の意外性が面白く、あれは傑作だったと思う。
に比べたら、どうも微妙な4。
ボーピープはアンパンマンやマチルダ少尉の戸田さんなんのだが、戸田さん60越えとは思えない綺麗な声。
戸田さんとっても素敵です。
バズの唐沢、ウッディの所ジョージも
相変わらず良かったです。
吹替最高。
ウッディがバズ達から最後は離れちゃうんだけど、
ディズニーも続ける気満々だよね。
段々とマンネリ化してくる予感。
おもちゃとしての幸福
まずトイストーリーという1~3においてある種完成された作品の続編をやるにあたって、何を描くのか
同じテーマで、同じ作風で描くのなら続編をやる意義自体がないとすら言える
そんな中で生まれた今作。賛否はあるものの、この作品を作る意義は強く感じられた
おもちゃの幸せはどこにあるのか、何をもって幸せとするのか
あくまでおもちゃとしての問いを投げかけられるウッディではあるものの、鑑賞しているこちら側にも自己のアイデンティティを訴えかけられるようで深く考えさせられる
3においてもアンディの成長と必要とされなくなるおもちゃの運命というものは描かれていたが、ウッディはあくまで特別な存在だった。しかし今作ではボニーにとってのベストフレンドではなく、クローゼットの中でホコリを被った存在であるウッディ
3以上によりウッディという個の視点から描き、またトイストーリーという作品を通して描いてきたキャラクター性も加味されることでより見る側としてその現実の痛みを痛感してしまう
フォーキーという自らをゴミと卑下し、おもちゃではないと言い張る存在に対して、お前は愛されている ボニーは君がいると安心できるんだ と諭す場面はかつてのアンディとの関係をウッディ自身が思い返しているようで、その対比も見る側の心情に訴えかけてくるものがある
全編を通していつもの面々 バズやレックスなどの登場機会も控えめで、今作ではあくまでウッディに焦点を当て続けていた。
トイストーリーの大きな魅力の一つでもあるキャラクター達であるだけに、その点は物足りなさや寂しさに繋がる部分ではあったものの、今作を描く上では避けられない点でもあったと思う
むしろ構造としてそう描くことで結末への過程の示唆にも繋がっている
最終的に必ずしも必要ではなくなったおもちゃとして 自らの幸せを模索し、旅立ちを決心したウッディ
しかしそれは決して自らのエゴではなく、
ギャビーのように愛されることを望み持ち主を求めるおもちゃ達に、自らが受けた愛情を味わってもらいたい という伝道師としての役割を担う決心でもあったと思う
正直に言えば個人的な思いとして仲間たちと別れ、子供に寄り添うおもちゃではなくなったウッディを見てある種喪失感は覚えてしまった
しかしそれでもその決断を間違いだとは思えなかった
3の様に誰しもが満たされるわけではない。ただだからこそ今作のメッセージ性や続編を作った意義があるのだと思う。
分からんでもない決断だけど、でもやっぱり寂しいよ…
『トイ・ストーリー』に第4弾が作られると聞いた時、正直驚いた。
だって、前作『3』でウッディたちがアンディからボニーに譲り渡され、新しい幸せを見つけ、素晴らしいまでの有終の美を飾ったから。
あれ以上語れるものがあるのだろうか…?
しかしいち早く公開されたアメリカでは、そんな不安を払拭する大ヒット&大絶賛!
やはりこのシリーズは特別!
日本でも公開が始まり、9年振りのおもちゃの世界は…
開幕はある仲間との別れ。今回のメインストーリーの一つの伏線となり、思わぬドラマチックな形で始まるが、変わらぬ縦横無尽な彼らの世界へスッと。
9年のブランクを全く感じさせない。
『トイ・ストーリー』の何がいいかと言うと、話。いつも話が魅力的。
今回もたっぷりと!
まずは、新キャラクターのフォーキー。
ボニーがゴミから作った先割れフォークのゴミ…いやいや、おもちゃ。
ボニーはとってもお気に入り。片時も離さない。
でもフォーキー、自分の事をゴミと思っている。
ウッディはそんなフォーキーの面倒見る事になるが、これが大変! 目を離すとすぐゴミ箱に戻ろうとする。
お惚け天然なフォーキーのキャラが面白可愛い。
確かに傍目にはゴミ同然のフォーキー。
でも、誰にだってあった筈。下手くそだけど、特別お気に入りのお手製のおもちゃが。
自分もよく、紙とか粘土とかブロックでお手製の怪獣おもちゃ作ったなぁ…。
買って貰ったおもちゃであろうと、下手くそなお手製おもちゃであろうと、子供にとって大切な“おもちゃ”なのだ。
おもちゃたちも一緒に家族旅行。
その最中、逃げ出してしまうフォーキー。
仲間と離れ、連れ戻そうとするウッディ。
何とか目的地の移動遊園地に到着。
ボニーや仲間の元へ戻ろうとするウッディがそこで“再会”したのは…
ボー。
かつての持ち主アンディの元に一緒に居た、陶器製の飾り人形。
『3』では登場しなかった為、『2』以来20年振りの登場となる。
開幕シーンで別れた仲間というのが、このボー。
ご承知の通り、ウッディとボーは“いい関係”。
そういや『4』が作られると聞いた時、今度はラブストーリーになるとの事だったが、相思相愛ながらも離れ離れになった二人が再会して…と、なるほどね。
しかしボー、随分とキャラが変わった印象。
以前も杖でウッディをグイと引き寄せる積極的な面はあったが、どちらかと言うとレディーの印象だったのに、持ち主はおらず、何処かの店に飾られてもおらず、自由に生きる“はぐれおもちゃ”。
この自立した勇ましい女性像は、如何にも今のハリウッドらしい。
ボーとの再会や自由な生き方が、ウッディの大きな決断を左右する事に…。
園内のアンティークおもちゃ店に迷い込む。
ここがメイン舞台の一つで、新キャラもたくさん陳列。
アンティーク人形のギャビー・ギャビー。可愛らしい女の子人形だが、一応今回のヴィラン。
その右腕である腹話術人形のベンソン。顔や仕草や登場の仕方がちょいホラー!
ボーと行動を共にするスモールサイズの女性警官おもちゃやバズが出会った射撃景品のぬいぐるみコンビも愉快だが、メチャ気に入ったのが、バイク・スタントのおもちゃ、デューク・カブーン! このキャラ、最高!(オリジナルの声はキアヌ・リーヴスで、レンタルになったら字幕で是非見よう)
舞台となるアンティークおもちゃ店や遊園地内で、ウッディらお馴染みの面々や新キャラたちが繰り広げるスリルやアクションは、これぞ『トイ・ストーリー』!
そんな楽しさだけではなく、
フォーキーを捕らえ、ウッディのある物を狙い、確かにヴィランであるギャビー・ギャビーだが、根っからの悪役キャラではない。
彼女にも悲しい面が。あるシーンからは同情を禁じ得なかった。そんな彼女に遂に訪れた“幸せ”…。
おもちゃ一つ一つのドラマもそつなく。
話の展開としては、
フォーキーを連れ戻し、新たな仲間と出会い、ボニーや仲間の元に果たして戻れるか?…なのだが、
ラストでウッディが、まさかまさかの驚きの決断。
ここが、アメリカでの絶賛とは裏腹に日本では賛否分かれている。
かく言う自分も考え込んでしまった。
それに触れる前にまず、今回ちと感じた難点不満点や違和感を。
話やキャラは今回もいい。
が、自分の事をゴミと思っていたフォーキーが、自分もおもちゃであると自覚する描写が、途中から急におざなりになった気がする。これまでだったら一本の話が出来るくらい、丁寧に描く事も出来た筈。
ボニーの元で幸せに暮らしているウッディだが、最近あまり遊ばれなくなったのが寂しい…。
と言うかボニー、ウッディに対してちと冷たい気が…。
アンディから譲り渡され、アンディの一番のお気に入りなのに、何かほとんど関心無いような…。ラストにも触れるが、ウッディが居なくなった事に対しての描写も無い。
それでもボニーの幸せを願うウッディは一途で健気だが、ウッディが可哀想…。
そして、最大の賛否のポイント。
ネタバレチェックを付けるので触れるが、
ウッディはラスト、ボニーや仲間の元に戻らず、別れを告げ、ボーらと自由に生きる道を選ぶ。
擬人化されたおもちゃたちは、我々人間そのもの。
だから、我々人間が人それぞれの考えや生き方があるように、おもちゃにだってそれぞれの考えや生き方がある。
それは分かる。
でも…
おもちゃはずっと子供たちの傍に。持ち主が大人になっても新しい持ち主に譲り渡され、おもちゃたちは子供たちとずっと遊ばれていく…。
そんなメッセージのシリーズ、感動的だった前作『3』を、全てひっくり返してはいないだろうか…?
自由意思のアメリカ的な考え、物を大事にする日本的な考えの違いとでも言うべきか。
どっちがいい悪いなんて付けられない。
それだけに…。
感動的でもあるし、違和感も感じるし…。
見終わった後のモヤモヤ感。
だけど、こう考えたら…?
朝起きて、大事なおもちゃの一つが突然居なくなっていたら…?
内なる声はこう言ってる。
やはり、寂しいよ…。
酷評意見は、「見なきゃよかった」「作るべきではなかった」とまで…。
さすがにそこまでは言わない。今回も充分楽しいし、面白い。
採点は4か3・5で悩んだが、『3』は4・5、『1』『2』はレビューは書いていないが採点付けるとしたら4~4・5。
今回はシリーズワーストとは言わないが、以上色々の感想踏まえ、ちと前3作より控え目に3・5。
これでウッディたちの物語を終わりにするか、
これを受けて『5』を作るか、
これまた考えてしまう。
トイ・ストーリー4で「人類の営み」を知る
トイ・ストーリー4は「人類の営み」がテーマだと個人的には感じた。
『優しさの循環』
ウッディの優しさは過去にアンディから受けた「優しさ」のお陰だと思う。4にはアンディの姿はないが「優しいウッディ」の中には間違いなくアンディがいる。優しさは決して自分1人で構築できるものではなく、今まで出会い関わった人たちから受けた優しさで構築されているのだ。他の人に優しくされた経験のある人は、優しさという存在を知り、また他の人に優しくできる。アンディは個人レベルではなくもっと大きくて広い「優しさ」をウッディに託した。私は自分に優しくしてくれた人達の顔を思い出した。今の私は、その人たちから受けた優しさを周りの人に渡せているのだろうか。そう自分に問いかけた。
『人の想いで人は変われる』
人は自分でしか変わることができず、他人が人を変えるのは不可能だと思っている。フォーキーは当初、自分を「ゴミ」だと言った。ウッディは「ゴミではない。おもちゃだ。」と言い続け、しつこくフォーキーを追いかけては救い続けた。その結果、ウッディがいないラストシーンで、フォーキーはボニーの工作に対して「君はゴミではなくておもちゃだ。そして僕もおもちゃなんだ。」というようなことを言う。その心境の変化のきっかけになったのは間違いなくウッディの想いだ。他人の気持ちや性格を直接変えることはできないが、想いは人を変えるきっかけになり得る。私は自分の考えが変わるきっかけをくれた人達の顔を思い浮かべた。今の自分の内面があるのは自分に影響を与えてくれた人達のお陰だ。いずれ自分も誰かにそんなきっかけを与えられるような人間になりたいと思った。
『世代交代』
時間が流れ人間が老いて必ず死ぬ以上、世代交代は避けては通れない。ウッディはボニーの興味の対象ではなくなっている。しかしそこで不貞腐れず、ボニーとフォーキーが離れないようにアシストし続ける。もう自分の時代は終わったと理解し、認め、受け入れているからこそできる行動だと思った。最終的にウッディは、フォーキーをずっとボニーのそばにいさせることに成功する。そうなった以上、自分はボニーの元から離れる。純粋で美しい世代交代だ。私はまだ退く側の年齢ではなくむしろ引き継ぐ側の年齢だが、何十年後にそのようなことを考えるべき時が来た時は「自分の引き際の理想像」だけは確立していたいと思った。
『変わらないのは みんな変わっていくということ』
「変化を恐れ現状維持を好む」のが日本人の国民性だ。しかし、変わっていくことは恐れるべきことなのか。1995年から2019年の24年間、人類が前を向き情熱を灯し夢や希望を抱き一歩ずつ歩んできたという紛れもない証明がこの時代の変化なのだ。ただ一貫して変わらないのは人々の「想い」だ。人間が人間を想い続け、想いを次の世代へ繋ぐということは変わらない。トイストーリーにおいてもたった一つの「想い」は確実に引き継がれている。アンディからボニーへ。ウッディからフォーキーへ。ウッディは1の時、新入りのバズが邪魔だった。アンディの自分への興味が薄れるのを恐れバズを追い出そうとしていた。そんなウッディが4では、自ら退き別のおもちゃと持ち主の幸せのため奔走する。ウッディの心境も行動も確実に変わった。ウッディとバズの関係も変化した。今までは同じ場所で、二人一組のバディだったのが「物理的に離れてもずっと心は繋がっている関係」に変化した。二人の想いは物理的に離れていても決して変わらない。時代が変わって、人が変わっても「想い」だけは変わらずに引き継がれる。だから私は本当に安心した。それだけで十分だ。今後どこかの機会で自分も誰かに何かしらの想いを引き継げればいいなと思う。
3は確かに素晴らしい作品だった。しかし3と4と比べることに何の意味があるのだろう。3は3で、4は4。全く別の作品だ。例えるなら、同じ親から生まれた兄と弟を全く同じ物差しで測り比較するようなものだ。兄弟でも人間としては全く別の個体だ。それぞれ唯一無二のチャームポイントや才能がある。それを比べるなんて不毛でしかないと思う。それぞれにそれぞれの良い所と悪い所がある。それでいいのではないか。
私は、3という大傑作の後に4を製作し公開しようとしたピクサーの心意気にまず敬意を表したい。そのおかげで2019年に「自分の知らない新しいトイストーリー」を自分にインプットできる機会を得られた。それだけでもう十分すぎるくらいに満足だ。同じ時代を生きられていることに感謝したい。
私は4から「今まで途切れることなく続いてきた人類の営みの尊さ」を思い知らされた。また、作品に詰まっている「想い」の総量は4が圧倒的だと感じた。
4を観て批判ばかりしている人に対して聞きたい。
「あなたは一体4に何を求めていて、4にどうなって欲しかったんですか?」
おもちゃ達と人間の世界を重ね合わせてるよう
トイストーリーは毎回子供の付き添いでみますが、そこまで思いいれはありません。
最後、ウッディは仲間達と別れて、ボニーはウッディが居なくなって悲しむかな、、て思ってました。
けど、もう最後の頃のボニーはゴミから自分で作ったフォーキーが一番の友達になっていて、そのフォーキーにも彼女?らしきものもできて。
ウッディがフォーキーに教えたことが伝えられていくんだろうな、、て安心しました。
ストレス社会で無理して人間付き合いしてる人には新しい世界はいくらでもあるんだよ、
友達が出来なくても自分が好きな物があればやっていけるよ、みたいな事を重ね合わせて伝えたりしてるのかな、、?とも感じました。
子供にはただ、面白い。
大人には深いものを伝えてる。
ような、親子で楽しめる映画でした。
ギャビーギャビーのお別れの時は泣けました、、。
低評価は嫉妬
賛否の分かれる結末であることは確かだ。
ただし、ここまで完璧に紡ぎあげられたストーリーライン、見事な映像・音楽を備えた本作に星ひとつはあり得ない。
個人的に低評価は自分の内なる心の声に従った行動をとったウッディへの嫉妬ではないかと思う。
自分は、過去に様々な選択(仕事・恋愛含めて)を行ってきた中で、「あの時に自分の心に従っておけば・・・」という経験が山ほどある。自分の心に従えなかった理由は、仕事での人間関係であったり、家族・友人からの期待であったり、世間体であったりと様々だ。正直、ウッディの自分の心に従った選択はとても羨ましい。
過去作から完璧に繋がれてきたバズとウッディの信頼関係と友情、特に、ラストシーンの「She will be alright (彼女は大丈夫だから )」には泣かされた。
二人の長い歴史があるからこそ、作中を通して心の声に突き動かされてきたバズは、ウッディの心の声を、言葉交わさずとも巧みに聞き取り、自分の希望と社会からの期待の間で揺らぐウッディの背中を押す。
こんな美しい話がありますか。
思うに、低評価はウッディの社会的期待を裏切っても自らの気持ちを優先した選択、そうした選択を肯定する素晴らしい知己・友情への嫉妬だろう。私も嫉妬してしまう。
ウッディの最後の選択をどうか軽く見ないでほしい。
まず初めに。トイストーリー、どのシリーズも大好きです。
あくまで私個人の感想でございます。
先日、トイストーリー4を鑑賞させていただきました。
今作のボニーはとてもリアルな子供でしたね。
子供特有の “その時これが欲しい” “今だから欲しい” っていう気持ちと、“飽きっぽい” がよく描かれていたと思います。
よくショッピングモールで耳にする
『買ってもすぐ飽きちゃうでしょ!』
『飽きないもん!』
という母子の言葉が頭を過ぎり、あれはこういう事かと実感する程に。
その子供の飽き性をボニーで描く必要はない、と言う声もありますが、
それは視聴者がボニーを特別視しすぎなのでは?と感じました。
1~3まで、アンディとウッディの物語を追ってきたからこそ、そのウッディを受け継いだボニーを特別視したい気持ちもわかります。
ですが、彼女はたくさんいる子供の中の1人。
幼稚園になったばかりの子供に、そこまでの分別はつきません。
昔の自分を思い出せば気付きます。
言ってしまえば、ボニーがウッディと遊ばないことに理由はありません。嫌いという訳でもないと思います。
あえて言うなら、子供だからです。
さて、ラストの選択についてですが
ウッディはボーピープと一緒にいることを選んだ、というよりも。
子供と出会えていないオモチャ達を子供に巡り合わせる役目を選んだ、そこにボーピープがいた。
という方が個人的にはしっくりきました。
では何故、ウッディがその役目を選んだのか。
それは単純にウッディはもうアンディと出会い、アンディの特別なオモチャになれた絆があったから、ではないかと。
ギャビーギャビーにボイスボックスをあげ、背中を押してあげた時、ウッディにその想いが生まれたのではないか、と感じました。
ウッディはアンディの特別です。
ウッディ自身もそれを1番実感し、ボニーをアンディと呼び、未練すら覚えるほど、特別なオモチャです。
アンディの次はボニーの特別になる、という事ではないかと。
ギャビーギャビーや、ダッキーとバニーのように、特別どころか、子供と出会えてすらいないオモチャの存在。そのオモチャ達をサポート出来るのは、アンディの特別だったウッディだけだと思います。
『ウッディは愛するボーピープを選んだ』
その考え方はあまりにも陳腐。
これはそんな軽い恋愛の話しではなく
本質はもっと深いところにあるように感じます。
ボーピープの性格が言及されていますが
ボーピープはメインメンバーの中では誰よりも早く、アンディの家から引き取られています。
更にはアンティークショップに売られ、腕も折れた事を考えれば、様々な環境や経験がボーピープを変えたんだと思います。
星を4個にした理由としましては、単純に、もっと昔からのメンバーの活躍を見せて欲しかったからです笑
とても奥深い、考えさせられる映画でした。同時に自分の幼少期を思い出し、あの時飽きてしまったオモチャは、あの時捨ててしまったオモチャは、と罪悪感を覚えるほど…。
賛否両論別れておりますが、私は支持致します。
ウッディは呪いの人形じゃない
過去作の記憶はかなり曖昧ですが、とにかくウッディが、仲間のためであったり、持ち主のアンディのために、様々な困難を乗り越えていくストーリーだったと思います。
今作も、大筋はまさにそれでした。
ウッディの最後の決断に賛否あるようですが、自分はこれでよかったと思います。
もし、ウッディがあのままボニーの元に残ろうと考えてしまうと、「メリーさんの電話」のように、自分を相手にしなくなった持ち主へ執着する、呪いの人形のような存在になってしまうからです。
別れ際のシーンでは、9年ぶりに再会したボーと一緒に居たいから、というだけの印象に見えてしまいがちですが、他にも、「迷子のおもちゃ」たちに、持ち主を得るという「おもちゃの幸せ」を与えたい、と願っての決意でもあると思います。
つまり、今回のウッディの決断は、昔と変わらず、仲間や、持ち主を幸せにしたい、という想いからくるものだったと、自分は感じました。決して、身勝手な、自分の幸せを求めての決断ではなかったのだと強く思います。
みんな幸せになれて(もちろん仲間との別れはつらいでしょうが)、とても感動しました。
ギャビー・ギャビー、よかったね。
3が名作。4は受け入れられませんでした
トイストーリーは1~3まで見ていて大好きな作品です。
期待していた4は、序盤から受け付けないシーンが多く……
終盤は「嘘でしょ?」「これで終わり?」という喪失感しかありませんでした。
こんなエンディングになるなら、ウッディは3の時に
アンディと大学へ行った方が幸せだったのではと思うレベル。
ウッディが今まで「いつか捨てられる」という周りの考えを否定して、
「子供はオモチャを大切にしてくれる」という主張をしていた筈。
それが今回のオチだと私は「成長」と受け入れられず、
1~3まで作り上げてきたものを全否定された気持ちでした。
私がトイストーリーを通じて見たかった話ではなかったです。
・ウッディの扱いがとにかく酷い
・今までの仲間達も活躍が少なく、特にバズやジェシー以外は登場シーンすらほぼ無いくらい。
・登場するバズも、心の声を聞く~で自分のボタンを押すの一辺倒。
・初期不良のギャビーは、「声が出ない状態でも誰かに愛される」という結果であってほしかった。
声が出る(ウッディがギャビーにパーツをあげる)流れなら、代わりにウッディが
「声なしでもウッディなら愛される」という流れならアリでしたがそういう訳でもなく…。
・今まで一緒にやってきた仲間達とのアッサリとした別れ。
ウッディの幸せを後押ししたのでしょうが、皆の察しが良過ぎる印象しかない。
・ギャビーの取り巻きは結局どうなったのか。
・展開としてもかなりムリな部分が多く、車のシーン(特にカーナビのシーン)は厳し過ぎる。
・ギャビーのオチの付け方が目先の幸せ過ぎて、ギャビーも本当の幸せに辿り着けるのか見ていて怪しい。
・子供の所に行くギャビーの背中を押した後で、自分はボーというキャラの元に行くウッディの行動にも違和感。
内容の細かい部分も登場したキャラの結末も、今までのシリーズはキレイに回収していた筈。
そのくらいトイストーリーシリーズには信頼があった分、本当に4はガッカリという気持ちです。
否定的な意見ばかり書きましたが、ダッキー&バニーという新キャラは可愛いですし、笑えるシーンも泣けるシーンもありました。
それでも今までのトイストーリーに強い思い入れがある分受け入れられませんでした。
4をチャラに出来るくらいの内容のトイストーリー5を製作してほしい。
そういう5が出ない限り、私の好きなトイストーリーシリーズは3で完結したと思っています。
トイストーリーにする意味あった?
これ単体で見れば、決して悪い作品ではないです。
笑いあり、アクションあり、涙ありで楽しめる映画だと思います。
が、これをトイストーリーのタイトルを冠してやる意味が分からなかったです。
トイストーリーシリーズとしてみたときにはこの低評価にせざるを得ませんでした。
一番賛否が別れているラストについては個人的には理解できるものでしたが、それでもこの低評価です。
以下、その理由を書いていきます。
1.ウッディの扱いがひどい
子供は移り気ですから、ウッディで遊ぶ機会が減ったことは理解できます。
でも、お父さんに踏まれ、無くしたことにすら気づかれない、なんて扱いがひどすぎです。
大事にしてくれると思ったからこそ、アンディはウッディたちを託したはずなのにこれはあんまりです。3のラストをぶち壊しにされましたした。
他にも、ボイスボックスを自ら差し出し、雑に縫い合わされる痛々しいウッディの姿を見たかったファンなんているんですかね?
2.ウッディ以外のキャラクターも扱いがひどい
たとえばバズ。内なる声とやらに従う頭のおかしいおもちゃになっていました。バズは、自分で考えて行動できるウッディの頼れる相棒だったはずでは?
他の旧キャラクターは出番ほぼなし、せいぜい賑やかしくらいにしかなっていないです。
3.アクションが雑
おもちゃたちがそれぞれの個性や特性を活かしたアクションが旧作での見どころの1つでした。
ところが、今作では便利な個性を持つキャラクターを出して、楽々突破してる感が強かったです。もっと創意工夫をこらしたアクションを見たかったです。
4.おもちゃたちが派手に動きすぎ
人間にバレないようにこっそり動くという原則はどこいったんだ。最後の車はもちろんですが、それ以外の部分でも人目をあまり気にしないで派手に動きすぎ。
一個一個は理由付けしようと思えばできることだと思います。
でも、少なくとも劇中ではこれらの変化を納得できるだけの描写はされていませんでした。
そのせいで、どうして?なぜ?のオンパレードで常に疑問符がつきまといながらの鑑賞となりました。
トイストーリーとタイトルがついてなければ、素直に楽しめたと思います。
ウッディよ幸せに
あの3のラスト以上のストーリー?はあるのと思いながら観ました。
クリスマスプレゼントに来る新しいおもちゃへの心配も…
ヤードセールに出される心配も…
大人になっていく持ち主への心配も…
トイストーリーファンとしたら
今回の4の最後って
どんなん?と思いながら
まずは、出てきたボーがいい女すぎた
(肌艶が良すぎ…羨ましいわ)
いつも仲間を助けて、今回なんてフォーキーの世話に居眠りをしてしまうウッディは親の様で
(↑微笑ましかった)
ギャビーの『最初から壊れていて………私にも一度でいいから幸せを味わってみたい』
そんな気持ち知り
フォーキーを取り返したい思いとで
ボイスboxを譲るウッディ
(↑ここ泣きました)
ラスト
運命の再開をした大好きなボーと、自由を選んだウッディ
…やっと自分の幸せを掴んだね
ウッディ
(↑泣いてます)
オモチャだけど…オモチャだから…オモチャでも
なんの心配のない自由、困難はあるにせよ愛するボーと一緒ならば…
こんな形もあったのか
ただジェシー・バズ…仲間達が別れ際割にあっさりだった
レックスなんて、ただこねそうなのにね
フォーキーが捨てられたゴミで作られるのも
現代のゴミ問題にも
なにか触れてる様な感じがした
もうトイ・ストーリー
ウッディに思いが強すぎて
嬉しい様な…完結ならば寂しいような
寝れないまま朝がきた
一切泣けなかった。トイストーリー3では瞼が腫れるほど泣いたのに。
肯定的な感想をいくつ読んでも納得できない。
ボニーはあんな子じゃない。ウッディに最後の決断をさせるために露骨にクソガキの役を押し付けられているとしか思えない。
ギャビーギャビーがウッディのボイスボックスを貰って持ち主を見つけるところも手放しに喜べない。それはウッディの犠牲の上にある幸せでしかないし、そもそもギャビーギャビーがウッディにお願い(泣き落とし)するところも、それまでにギャビーギャビーがフォーキーにウッディのことを洗いざらい聞いて、アンディとの大切な思い出がウッディの核にあると知った上で情に訴えて弱いところを突いた策略だし、願いの切実さは嘘じゃなくても最初に力強くでボイスボックスを奪おうとした本質は変わってない…。ギャビーギャビーはそのままの声で、それでもあなたがいいって言ってくれる子に出会わせてあげてほしかった。
20何年もこのシリーズとともに時間を過ごして、アンディと同じように成長してきて、ウッディもバズも自分の家族(オモチャ)のように大切に思ってきた。
好きな歌詞だった「思い出せよ友達を君のすぐそばにいつもオレがいる」。いつもすぐそばにいてほしかった。もういいかなんて思わないでほしい。まだまだ大人になりきれない私にはウッディが要るのに。とても寂しい。
追記
1、2、3を作ってきたジョン・ラセターは、物語は3で完結しているので続編は作らないと言ったそうで、4から新しい監督がついたそうですね…納得です。
全てはボニーとかいうガキのせい
観ました。
最低な気持ちになりました。
3のラスト、アンディが大事にしてきたおもちゃを一つ一つ丁寧に紹介して、大トリがウッディでしたよね。
アンディが特別大事にしていたおもちゃをボニーに譲った。託した。
のに、4ではウッディだけ、終始ボニーに忘れ去られてるのが辛い。忘れ去られているというか、もう用済みな感じ。
仲間と一緒にいたいけど、自分だけ持ち主に忘れ去られてクローゼットにいるよりかは、愛する彼女ボーの元で自由に一緒に暮らす方がウッディ自身は幸せ、ということなのだろうか。
バズとの友情も、他の仲間たちとの絆も、遠く離れていても繋がってるから、だなんて、おもちゃとしての範囲を超えていると思う。
なぜボニーはウッディだけ忘れているのか?最後、無くしてしまったから探すシーンなどもないし、無くしても平気、他におもちゃいるし、フォーキーの方がお気に入り!って、バカなガキにしか見えなかった。。
トイストーリーにこういうストーリー展開は本当にいらないんです。
製作陣もかなり悩んだみたいですが、そこまでしてやる必要ありましたか。
僕には理解に苦しみます。悲しい、とにかく悲しい映画だった。ラセター辞めちゃってるし本当にやらなくてよかった。
ジョシュクーリーが全てを壊した。この人の作品はこれからは観ません。
5もいらない。
3で終わり。
123を無視した反面メッセージ性が強い映画
上映中笑える箇所はいくつもあった。
でも見終わった後に最初に思ったこと。
アンディーから受け継いだあのシーンは一体なんだったんだ…もう同じ気持ちであのシーンを見ることはできないかもしれない。
本作に私がテーマをつけるとすれば、生き方はひとつではない。というところだと思う。
フォーキー→ゴミからおもちゃ
ボー→置物から自由人?活発な人に
ギャビーギャビー→別の女の子を見つける
ウッディ→おもちゃの幸せとは何?がテーマ?
それはさておき、今作のウッディはボニーから無視され続けている。フォーキーとカバンに入っていたときもウッディには一切触れず。最後にウッディが別れ、ボニーがウッディのいないオモチャ達を振り返った時も。
大切にすると約束してくれるかい?
確かに粗末にはしていなかったかもだけど。
過去編ではアンディーはオモチャを大切にする子だったはずなのに、RCのシーンで辛かった。
バズがいれば捨てられても大丈夫だと言っていた友情も意外とあっさりと別れてしまう。
感動的なシーンを作って欲しいとは言わない。
だが20年くらい連れ添ってきた仲間じゃないのか?彼らは
アンディーがウッディ達と別れたシーンのように、何か別れがあって欲しかった。抱き合ってどたばたあばよーでは、こちら側の気持ちの整理がつかなかった。
最後なのに仲間たちとの冒険が全くない。ほぼ別行動である。これもまた、ボニーだけでなく、おもちゃ達もウッディがいなくてもなんとかやっていけるようになっているということなのかもしれない。
ここまでは前作までを観てきたシリーズとしての評価である。
この映画を123を抜きで考えてみる。
自分の生き方は一つではないというテーマを持って考えてみる。
映画に登場した悩みを抱えた彼らは、凝り固まった考え方を変えるだけでみんなしあわせな選択をしたように思える。
考えを変えただけで世界が違って見えるでしょう?という分かりやすいメッセージ。笑えるし考えさせられる、とてもいい映画だと思える。
トイストーリーファンにとっては辛いシーンも多かったかもしれない。だが、バズと同じように、ウッディの新しい選択を応援してあげるしかない。
そして5が出るときには是非、またバズ達との冒険を見せて欲しい。
バズとの友情は?!
トイストーリー2の最後にアンディが大人なることに対する不安をバズが問いかけたとき、ウッディは「もしそうなったとしてもお前がいる、無限の彼方に共に行こう」という感じのセリフを言う。
だから個人的には、ウッディがボニーとか自由とかよりも「バズと一緒にいること」を選択して欲しかった。
でも、そんな友情物語ではなく、これまでのトイストーリーを覆すような終わり方は考えさせられることが多くこれはこれで本当に面白かった!
賛否両論あるのはもちろんだが、アンディの1番のお気に入りという心のゆとり、安心感がなくなったウッディがボーのいる世界(持ち主なしの迷子)を魅力的に思えた気持ちもわかる。
これまでの「理想のリーダーウッディ」ではなかったが、1つの生き方としてこの世界を選んだウッディ、そして共に歩むボーを応援したくなった。
完ぺきな3部作と言われていた中で、続編としてこのトイストーリー4を作ったピクサーは流石です。本当にありがとうございます。
低評価の意味がわからない
50代 男性 会社員です。
7月13日に近くのシネコンで見ました。
想像以上に深いストーリーで、グイグイ引き込まれました。
驚いたことに、当レビューの評価は意外と低いですね。
その多くは、前作からのファンで、期待していたのと違う、という理由のようです。
私は、本作は1995年に1を観て以来だったので、大人向けのストーリーに手放しで感動しました。
おもちゃの使命は、主人である子供を楽しませる事と考え、我が身を厭わずリーダーシップを発揮するウッディ。(現在は、今の主人であるボニーにはあまり気に入ってもらえていない。)
かつてのウッディの仲間で、アンティークショップを飛び出し、今は特定の主人を持たないボー。
ボイスプレーヤーの不良のため、ずっとアンティークショップで、理想の子供との生活を夢見るギャビィギャビィ。
現実世界にも良くある、リアリティのあるキャラクター設定。
ウッディのボイスプレーヤーで、不良を直したギャビィギャビィが、子供から「いらない」と言われる場面は、残酷さに思わず息を呑みました。
しかし、皆んなでアンティークショップを出た事で、それぞれの人?生は拓けます。
新しい場所で、自分の居場所を作るのは怖いもの。
しかし、新しい場所に行くことが、自分を求めてくれる子供たちに会うためには時として必要なのだと、この映画は示唆していると思いました。
おもちゃにとっての子供にあたるものは、観る人それぞれにとって違うと思います。
会社員の私は、子供=会社または仕事と思って見ました。(笑)
私たちの卒業
アンディ出るのかなと期待していった中の冒頭のアンディ過去シーンが、
ファンの気持ちを揺さぶる。
その上で視聴者としてもアンディロスがある中、
ウッディも私たちと同じ気持ちだった。
やっぱりアンディが良かったと。
そして、ボーピープが登場。
女性躍進という世界情勢と相まって逞しくなって帰ってきた。
中盤から出てきた心の声を代弁して行くことも、
自分自身の選択はどうなんだと、訴えかけられた。
最後のウッディのラストシーンに関しては、
私たちがウッディから卒業しなければならないというメッセージなんだと思う。
トイストーリーとして、オモチャを愛し続けることのアイロニーとして、
こちら側も成長していかなけれらならない。
最高の作品だった。
視点によって評価が変わる映画
私は面白かったです。エンターテイメントとしてとても楽しめる映画だった。
過去作のキャラクターの露出がぐっと減った分、新キャラたちがどれも魅力的で、最後まで飽きることなく楽しめました。
特に観る前と後で印象が変わったのがギャビーギャビーでした。ただ怖くて腹黒いキャラなのかと思いきやまさかの初期不良…フォーキーと仲良くなる描写も驚きましたが、小さな女の子向けのおもちゃだからこそ、赤ちゃんのようなフォーキーとの相性が良かったのかな。今回一番泣かされたキャラでした。
今までは持ち主(アンディー)とおもちゃとのエピソードを描いていたこのシリーズの中で、子供に遊んでもらうために作中の言葉で言うところの「迷子のおもちゃ」であることを選ぶおもちゃがいる、という概念がとても興味深かったです。
私はトイストーリーのおもちゃ達が大好きなので、生きているおもちゃだからこそ、彼らが自らの生き方を選べる選択肢がある、という事実がとても嬉しかったです。
ウッディーの選択の背中を押したのがバズなのも良かった。
仲間たちの別れがあっさりしてるって感想もみましたが、多分そこをメインにするとシュガーラッシュオンラインみたいになっちゃうんだろうなぁと…その方が喪失感が大きかった気がします。
自分の存在についての葛藤や別離など、ディズニーやピクサーの続編としては予想しやすいストーリー展開だったと思いますが、それをまさかトイストーリーでやるなんて…という反応が多く見受けられたところに、この作品がどれだけ多くの人に愛されていたかということが改めて実感させられました。
この結末を描いたのがジョン・ラセターだったら受け入れられた人も多かったんじゃないかな。私も他作品で監督が変わったことによる違和感で楽しめなかったことがあるので気持ちは分かります。
人にはそれぞれの幸せがあるように、感情を持ったおもちゃ達にもいろんな可能性や選択肢があるということを描いてくれた、そこが「本当のトイストーリー」ということだったのかな。と私は受け取りました。楽しかったです!
これは定年を迎えた親の話なのだ
この映画は、子供にとっては生きているおもちゃのお話だが、子供や孫を連れて映画館に来ている大人にとっては自分たちのお話だ。
ピクサーの作品はみんなそうであるように、これは大人のメタファー。
子供が親から自立し、もはや親の庇護を必要としなくなり、親も歳をとって、定年を迎え、職場と仕事仲間に別れを告げなければならなくなった時、いかに第二の人生をスタートさせるかの話だ。
子供やボスのために生きるのではなく、自分自身のために生きることを発見する話である。
新人配属された時は、僕はこんなところにいるべき人材じゃないんですっと不満をぶちまけていた新人類も、次世代のリーダーとして頼もしく育ち「あとは僕達に任せてください、大丈夫です」と送り出してくれるのだ。
これで泣かなかったらどうかしている
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