トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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考えさせられるストーリー
エンディング途中のオマケ映像で、ボニーが作ったナイフのおもちゃが「なんで生きてるの?」とフォーキーに問いかけ、フォーキーが「なんでだろう?」と返すシーンがありました。このシーンが妙に印象に残っております。
若者に対するメッセージなのかもしれないと思いました。アメリカでは社会問題にもなっている事について、訴えかけているのかもしれません。
本編ではウッディがフォーキーに対して「君はゴミじゃない、」「ボニーには君が必要なんだ」と繰り返し説得しついには自分が必要なのだと自覚し、ゴミになろうとしなくなります。
一方でウッディも自分に対し、暗示をかけるように「ボニーには俺が必要だ」と発言します。しかし、物語終盤で生き方が一つではない事を経験したウッディは心変わりし、バズの一言に背中を押され、自分の新しい生き方を選択します。
この物語を通して「君たちには必要としてくれている人がいる。一歩外に出てみて、沢山の人が君の事を仲間として受け入れてくれるハズだよ。」「生き方は一つじゃない、誰かに決められた運命(食事を取る為に作られた使ったら捨てられる先割れスプーン、こどもを楽しませる事こそが仕事であり、それが唯一であり運命と思っているウッディ)ではなく、自分の生きたい道を選んでも良いんだよ。」というメッセージが込められているのではないかと思いました。
生きる意味。単純なようで難しい問いです。
ただ、少しだけだけど見つかったような気がします。
新しい世界に踏み出すのは誰だって怖いけど、その時にまたこの映画を見直して勇気をもらいたいと思います。
優しい気持ちを持つ事のメッセージが作品のテーマかと。
ディズニー作品の中でも安定と感動のトイ・ストーリーシリーズは鑑賞して損なしと言うか、観ないと始まらないので鑑賞しました。
で、感想はと言うと、やっぱり普通以上に面白い♪
じんわりと優しくなる気持ちと失いかけた何かが訴えかける感じと言うか、良い感じ。
安定の良い感じではあるけど、盛り込み過ぎとあっさりし過ぎ感が否めない所は正直あります。
前作のトイ・ストーリー3で見事な大団円を迎えていての今作は様々な感想が飛び交い、評価が前作程ではないが、それでも一定水準以上の評価は十二分に果たしている。
仲良しのアンディが青年になって、おもちゃとして遊ばなくなった事でウッディ達はおもちゃとしての役割を果たしたかの様に思われたが、新たにボニーの所でおもちゃとしての使命を再び果たそうとすると言う、ネバーエンディング的ではあるけど、見事なファンタジー&ノスタルジックとしての終わり方だっただけに、どうしても次回作を作る時には前作を超える物を望まれるし、比較もされるとは思いますが、個人的にはそんなに悪くはないんではないかなと。
前作の大団円を超えてはいないとは思いますが、“これはこれ。あれはあれ。”的な良さは普通にあります。
長期シリーズの作品では、最新作が望まれても、例えば「スター・ウォーズ」シリーズなら、エピソード4~6がやっぱり最高と言われるだろうし、「ドラゴンクエスト」ならロトシリーズが至高とも言われるでしょう。
でも、他の作品には、それはそれとしての面白さがあるので、ベースとしての作品の方向性を壊してない限りは好みに寄るかなと言う所ではないかなと。
じゃあ、何が盛り込み過ぎで何があっさりし過ぎかと言うと、ラストの締め方があっさりし過ぎてて、キーパーソンキャラクターが盛り込み過ぎ。
ラストのウッディの旅立ちはちょっとと言うかかなりビックリで、ボニーがウッディに飽きてきた的な要素はあっても、バズ達仲間と別れるとは思わなかった。
てっきりボー達も新しい仲間として加わると思ってただけにビックリ。
この終わり方をするのであれば、もっとバズ達との別れに盛り上がりの流れを設けても良かったし、ボーとの恋心再びの思い出話を盛っても良かったんではないかいと。
ボニーとの別れもあっさりと言うか、全くボニーはウッディに興味なしに思えるw
前作のアンディとの別れが感動的で新たな持ち主となったボニーとの関係性や別れは“それで良いの?”と思ってしまう。いや、思い過ぎる。
今回の登場キャラクターもナイスな奴らが多くて、デューク・カブーンとギグルがお気に入り♪
フォーキーはキーパーソンではあるけど、…なんかよく分からんw
ギャビー・ギャビーとベンソンズはちょっとと言うか、かなり怖いw
キーパーソンキャラクターがフォーキーとボー・ピープ、ギャビー・ギャビーとなるんですが、三人は多いなぁ。
三人の分だけとっ散らかった感はあるし、バズの活躍がすんごい足りない。
ゴレンジャーで言う所のアオレンジャー的な影の主役的なバズの活躍が全然薄い。
これはちょっと消化不良です。
それなり以上に面白いのはもちろん面白い。
でも、トイ・ストーリーシリーズに求めるクオリティは観る側からはかなり高いです。
それは築き上げてきたディズニーブランド、ピクサーブランドから来る物なので、今回のトイ・ストーリー4はちょっと残念な所は無きにしもあらず。
ウッディのおもちゃとしての立場を過剰に思いやる事から、事件が大きくはなっていき、そこに仲間への思いも些か空回り。
だけど、前作に無い「自我の確立」と言うか、自立と成長が今回のキーワードなら、おもちゃのウッディを通して、観る側に訴えかける物はシリーズならではのメッセージと解釈してます。
いろんな事を解釈する楽しさがありますが、そこに変な悪意を持たずにストレートに楽しむ事もトイ・ストーリーが今までもこれからも訴えかける「忘れかけたモノ」ではないかと思います。
些か感想もこじつけ的な締め方になってますがw、ツッコミはあっても好きな作品なので良い所を出来るだけ見つけて納得したいかなとw
十二分以上に面白いのは面白いし、いろんな感想はありますが、観る価値は絶対あります♪
シリーズ最低の作品
シリーズ最低の作品。
ウッディの新たな一面を描くのであれば、ボニーがウッディをクローゼットに入れて蔑ろにしている理由などをしっかりと説明しなければならないと思います。理由がまったく描かれていないですし、新たな考えを4として描くには描写不足です。あのままでは「ボニーのおもちゃへの扱いってそんなものだったの?」と不信感にしかなりません。アンディが3のラストでウッディをボニーに託すのを躊躇して、それでも”ボニー”なら大切にしてくれる、と思い渡したのに、渡さない方が良かったと思ってしまいます。与えられた役割からの解放、を描きたいのであれば、そこに至る過程をもっと丁重にする必要がありますし、それを描く為に制作が”ボニーがウッディを蔑ろにする”という設定を無理やり入れたようにしか思えません。そもそも”与えられた役割からの解放”というテーマは、ディズニーが現代社会の人間界の課題を取り入れたものですので、”おもちゃ”という存在で主張するのは難しいですし、トイストーリーでやる必要はないと思います。トイストーリーという題名の通り、トイストーリーはおもちゃのストーリーです。人間界と同じ問題を全て当てはめるのは無理がありますし、おもちゃならではの儚さがないと人間と同じです。おもちゃである必要がありません。私の意見としては、本当のトイストーリーだとは思えませんでした。
登場キャラに感情移入できない
持ち主のボニーのために奔走するウッディ。
ところがラストでは急に心変わりし、ポッと出のボーと行くことを決意します。
車の中で何も事情を知らぬまま待っていただけの仲間達からすれば、ウッディから突然の別れを告げられ困惑するはず。
なのにニッコリ笑ってハグ?理解できません。なぜ誰も引き止めようとしないのですか?
ボーの心境も謎でした。今の自分の状況を否定されたくなくて常に高圧的。こんな人いますよね(笑)
散々ウッディを否定しておいて最後は突然
ウッディのことを助けに行きます。
どのような心境の変化があったのか全く読み取れないです。唐突過ぎて置いていかれた感が凄かったです。
新キャラを出すのは良いのですが、各キャラの役割が薄く、それなら旧キャラ使えば良いじゃんってとこが多いです。
とにかく薄くて唐突。この感想に尽きます。
3の様にトイストーリーを初めて観る人、過去作を知る人双方に満足してもらおうという配慮はゼロで、その配慮を期待している方は酷く裏切られた気持ちになるのではないでしょうか。
泣いた。とにかく泣いた。
この作品は、私が18年間生きてきた人生で初めて泣いた作品です。
悲しくて、ですが。
ボニーがウッディに興味がなくなってしまいウッディの胸の保安官の金のバッチを外してジェシーに取り付け、ウッディはクローゼットの中に置き去り………序盤のシーンでしたが、思わず嗚咽が漏れるくらい泣きました。
子供はいつかおもちゃに興味がなくなったり、昔は好きだったものから徐々に興味がなくなってゆく。当然です。当り前の話です。それは変えることも止めることもできません。
でも、ボニーは、3でアンディからウッディをもらったんです。アンディはウッディを大学へ持って行くつもりでしたが、ボニーがウッディを求めたからこそ、ボニーを信じて、悲しい気持ちを隠してボニーにウッディを託しました。
なのに………何故、なぜ………?
大声で泣きそうになったのは、初めてでした。
別にボニーが悪だというわけではありません。誰が悪いわけでもないです。でも、序盤のそのシーンを見ただけで、悲しみで頭がいっぱいでした。
映画そのものへの評価は5.0ですが、「トイ・ストーリー」シリーズとしてみれば、この映画は0.0です。
3で感動した人は観ないで
アンディからのおもちゃたちには一緒にいてもらいたい、これからも遊んでもらいたいという気持ちを踏みにじるウッディとボニー。別れを容認する他のおもちゃたち。キーパーソンのような広告してたくせに何もしてないフォーキー。敵キャラと和解は4作品通して初だったのだがその敵キャラの願い(子供に引き取られたい)の叶え方がとてつもなく雑。全く喋らない動かない既存キャラ。無能警察。クソ親父。あげたらキリがない。
この結末は想像を越えない。
1回目は吹き替え、2回目は字幕で観ました。
やっぱりか……という結末。 ナンバリングタイトルでこれはないよね、まるでスピンオフ映画
宣伝文句が "この結末は想像を越える" キャッチコピーにセンス無さすぎ。しかもウッディとバスのバックショットなんて、こんなの大人なら大概想像できちゃいます。そしてこんな悲しい結末はトイ・ストーリーファンは望んでないです。3が完璧な終わりかただったので、新作はどうなる?て思ったらあのキャッチコピーじゃウッディとバスのお別れがあるのか……て大体察しはつくし、公開前からガチのトイ・ストーリーファンが酷評していたのも、レビューが荒れるのも観終わって理解しました。
疑問点 前作までのストーリーと新作に矛盾点があること。例え) ボニーは3でサニーサイド保育園に通ってたのに4では幼稚園に通う設定。引っ越したのか?など…
悲しかった点 ウッディの大切な "声" がギャビーの身勝手な思いによって半ば強制的に抜き取られてしまう。ウッディが決めた事とはいえあり得ない……
ウッディとバズは "宇宙の彼方まで共に行こう!" て言っていたのにバズはすんなりとウッディの新たな旅立ちを受け入れてしまうドライさ。そしてブルズアイとウッディのお別れ、ウッディはブルズアイの事が大好きで、ブルズアイはもっとウッディの事が大好きで大切な "相棒で二人で一つ" だったはずなのにあんなにもあっさりとお別れしちゃうんだなと……
ポテト夫妻やスリンキー、ジェシー達の察しの良さだよね、ずっと一緒にいたからこそ、新たなウッディの旅立ちをそっと見守り見送るのも解るけど、あまりに物わかりよすぎて逆に悲しくなった。
残念な点 "子供とおもちゃの関係" じゃなくて、"子供に必要とされないおもちゃはどう生きていくべきか、自立して自由に生きたって良いじゃないか" というのに擦りかわってしまっている。3のおもちゃ達の新しい "持ち主" との出発に幸せな気持ちで観終わったのとはまるで違う……悲しい、としか言いようがないです。おもちゃ達の新しい旅立ちならもっと違った終わりかたにして欲しかった。
お別れの想像はしていたものの、ラストシーンには喪失感でいっぱいです。私には希望に満ちたお別れになんとなく思えなかったです。それはきっと、ボニーから必要とされない日々が続き "自分がボニーに必要なのか?" というウッディの問いに、最後までボニーはフォーキーに夢中でウッディを忘れ、フォーキーとウッディがいなくなったのにフォーキーだけ戻りそれで満足し、いなくなったウッディの事を一つも思い出すことなく終わってしまったからなんだと思います。子供なんて所詮その程度だし、飽きるから仕方ない、自分も子供の時そうだったでしょ?期待しすぎと言われればそうです。理解してます。
何より、アンディがもし、ウッディだけが失くなったと知ったら悲しむだろうな……私がアンディなら大学に連れていけば良かったて心から後悔するだろうね、ずっと……
やっぱり原案企画立ち上げたジョン・ラセターがセクハラによってディズニーから退職しちゃって携わらなくなるとこういう事になるんだな……
良かった点 新たなキャラ、フォーキー、ダッキー&バニー と魅力的。フォーキーは『自分はゴミだ!』て自覚が強すぎて面白いし素直な憎めないキャラ。ダッキー達は敵かと思いきや違った。最後にちょっとだけ良い仕事したと思う^^セットでぬいぐるみ欲しいです。チョコプラの声優も良かったです! ギャビーと取り巻きは怖い……
トイ・ストーリーに思い入れがある人はスピンオフと思って観た方がショックは少ないと思います。あるいはシリーズじゃなくて、"単体の映画トイ・ストーリー" として観る……
☆2つはボーが可愛いのとCGの綺麗さ、細かさが素晴らしいからです。
賛否両論も分かる。
公開初日に4DXリアルD3D吹き替え版を鑑賞しました。
いきなり、ボーが居なくなる9年前の話からさかのぼると早速ピクサーが観客を泣かせにきます。フォーキー自身が「ゴミだ」と発言すると同時にゴミ箱に何度も飛びこむシーンまあ可愛いらしかったです。
特にボーの変貌ぶり凄かったですね!あんなに率先して行動するボーの勇姿は今まで見たことがなく、スカンクカーが遊園地内を爆走するシーンも4DXのモーションを加えると迫力満点でした。
今作のギャグキャラ枠はやはりカブーンが最高でした!一癖二癖以上の物を持ってます!ダッキー&バニーのシーンも中々面白かったですが、登場シーンもう増やしてほしかったですね。
ギャビーは一言いうと「わがまま」かつ残念な悪役。バズの「無限の彼方」シーンのも4DXモーション迫力満点でしたが、登場シーン少なくて、ガッカリ。勿論ハムやスリンキーやレックスも。そしてウッディは重い決断をしましたね。ボニー自身は大人になってからもウッディが家に居た存在を忘れるのでしょうか?ラセターがあんなアホな行動しなかったらディズニーの退社する事なくもっと良い名作になっていたかもしれないのに勿体ない4でした。次回作はディズニーピクサー次第です。
IMAX版吹き替えも見に行く予定です。
中年男3度泣いた(笑)
観る前は、全く期待してなかった。ただ、ディズニー関係の作品には外れはないという金言みたいなものがあって、映画館の座席に座りました。ただ、評価があまりにも低いので、これも勉強のひとつと居直り状態でした。しかもシリーズは全く観てません。
ところが蓋をあけると、結論は最終コーナーで3度オヤジは泣きました。
評価が低いのは、多分ご主人への忠義を一瞬で変節してしまうのが許せないファンが書いたと思います。
私は単純に色んな生き方OKですから、むしろヒロインと一緒に前進することに感動。あと二つほど、新しい絆が生まれたことに号泣です。
良い映画の旅でした。
ぜひ観てください。泣けます(>_>)。
追記 それから、ヒロイン大好きになりました!
使命を果たしたウッディ
おもちゃはいつか壊れる。あるいは捨てられる。それがおもちゃの運命だ。それまでは持ち主と一緒に遊ぶことを使命として過ごす。
4ではウッディ飽きられ、忘れさられつつある。ウッディはそれでもやっぱり持ち主の為に尽くす。
そして最期は自ら持ち主の為に自分の身を壊すことになる。
こうして壊れた自分はおもちゃの使命を終え、自ら持ち主の元から去って行く。
賛否両論ありますが、自分は今回のストーリーはありだと思います。主人公のウッディが自分の使命の終わりを感じ新たな道を選択することに異論はない。
ただ自分としては永遠の相棒だと思ってたバズと別れてしまう事がとても残念でした。
大人も見れる‼️
ただただ子どもたちに遊ばれだけじゃなく、冒険して行く上でウッディーが大人になって行ってると思いました笑
今までの3作品とまったく違う展開がありました。
またおもちゃの恋愛のシーンもあったため新鮮に感じました笑
トイストーリー永遠に
トイストーリー3を映画館で見て、はや7年、、、
トイストーリー1の年に生まれた私にとって
ウッディやバズ、おもちゃ達は、
もはや、長年連れ添った友達のような感覚で、
今回久しぶりにスクリーンで会えることに
わくわくした。
久しぶりに会ったウッディ達は、何も変わっていなかったが、
やっぱり持ち主が成長すると遊んでもらえなくなるという、
負のループに悩んでいた。
持ち主のことを第1に考えて、
おもちゃの中でリーダーシップを取っていた
あのウッディは、
現役を無理やり引退させられそうな、
定年のおじさんに見えた。
最後のウッディの決断で、
製作者サイドから感じたのは、
ウッディを、自由にさせたかったんだと感じた。
他のおもちゃとウッディの違うところは、
子供に対しての自分の立場を、重視してるところだと思う。
冒頭でリーダーシップを、元いたおもちゃに取られ、ウッディらしさを欠いたウッディは
みんながゴミと思うフォークに執着するくらい、暴走してしまうくらい、自分の居場所を守るのに必死だった。
でも、持ち主がいれば、この成長というのは止まらないから、毎回毎回悩んでしまうことになる。
だから、ウッディを解放させ、
フリーランスおもちゃにすることで、
永遠にウッディを活き活きさせ続けることにしたんじゃないだろうか。
ウッディもたくさんの経験をして、
考えが変わったのだ。
人間にはよくあることで、おもちゃも人間同様感情を持ったトイストーリーの世界では、
ウッディも成長したのだ。
わがままだという声も聞こえてきたが、
それが、おもちゃに人間味を出している1つの要因なのだ。
一つ一つ性格があって、
一つの目標(子供を喜ばせる)に向かって、団結して歩んでいく。
それがトイストーリーの魅力なのだ。
私は、今回の結末はとてもスッキリしてる。
たぶん、ボニーが好きじゃなかったのだ。
アンディにあんだけ大切にしろと言われてたのに、扱いも雑で、わがままな子供だし、
アンディの上にはいけないなと感じた。
ただ、他のおもちゃと別れてしまうのは悲しかった。でも、ボーとの再会やたくましさで、
きっと、大丈夫だ、またどこかで会えるはずと
希望を持ったまま、旅立つ事が出来たのではないかと解釈した。
かなり長くなってしまったが、
総合的におもしろかった!
笑いの要素がいつもと違い、そこは新鮮だったかな。
ありがとう!!!!
永遠に
辛くて泣いた
これが大好きなトイストーリーで無ければ、面白いと思っていた。
トイストーリーでこの結末にする意味がわからない。なんの為にこの結末にする必要があったのだろうか。
キャンピングカーのタイヤに穴開けるのはまだ良しとして、ナビ壊して自分で喋っちゃうとか絶対しちゃダメでしょ。
バスには自分の心の声(笑)、スイッチなんて無視して助けに行って欲しかった。
ギャビーギャビーも結局長く想い続けていた彼女に裏切られる展開なら、ウッディから奪いとるなんて酷いことをせずに、声が壊れていることを受け入れ、その上で他の誰かに愛されれば良かったんじゃないの?
何のためのフォーキーだったんだろう。
フォーキーだってゴミだけど愛されてるのに。
ウッディはボーに惑わされ全てを捨てた。
アンディとの過去も、カーボーイであることも、大切な家族も。
ウッディの顔を踏み潰し、バッチを奪い、頼れるウッディを足手まといのウッディにしたピクサーを許せない。
生き別れバッドエンド。
成長は孤独になることじゃない。
反論があれば誰か教えてくれ。これをハッピーエンドだと胸を張って言える誰かに、納得出来る様に教えてほしい。
最悪だ。もう二度と戻れない。
続編なんてない。
もうあの頃のトイストーリーは戻ってこない。
最悪な気分だ。
トイストーリーをみて幸せな気持ちになっていた今までをどう取り返せばいいか全く思いつかない。
大体、いままでの仲間たちがただ車の中にいるだけってのもどうかしてる。
ほんとにこれをオーケーしたのは誰なんだ。
許せない。
全てを捨てたウッディのその後なんて観たくない。
続編があったとして、この延長線上に求めていたトイストーリーを見つけることができると思えない。
これを書いた人がほんとに許せない。
これを感動の完璧なラストだと押し付け逃げたピクサーが許せない。
ボーと暮らす為だけにウッディをこんな目に合わせた脚本に殺意が湧く。もう一度やり直してほしい。
私の人生なくてはならなかったトイストーリーを返して欲しい。
一度作戦が失敗した時にみんな揃ってウッディを責め立てるシーンが胸糞でした。
バスもそれを見ているだけで、結局ウッディを見捨てました。
ほっこりなんてしませんし、感動もしません。
見なきゃよかった
予想外のクライマックス、の時点で何となく想像はできました。(子どもから離れるか、ウッディが動かない人形になるのかな?と思った)
もちろん視聴者が納得できる理由があると思ってました。
全く納得できません。
というか、もともと嫌いだったウッディが
今作でますます嫌いになりました。
自分勝手、自己中心的すぎる。
ボニーに譲ったアンディの気持ちを
全く考えられてないじゃないか!
3でアンディが他のおもちゃを
屋根裏にしまおうとしていたことを
「アンディがそうしたいならそこに居るべき」
と他のおもちゃには言ってたのに
今回はボニーに遊んでもらえないから
「おれは迷子なのかも」って発想になる?!
自分が常に1番でいたくて
周りを振り回してきて
思い通りにならないからって
自分の意思でおもちゃが
子どもから離れていいの?
ボニーはウッディを捨てたわけじゃないし、
どんなに遊ばれなくても忘れられても
「ボニーのおもちゃ」であるべきなのに....
捨てられたり、壊されるくらいなら
逃げてもいいと思うけど、、
それこそ、保育園に行ったり、
公園の砂場で遊んでもらえる存在に
なるべき。
おもちゃに自由って変だよ。
トイストーリー見たことない人が
シナリオ作った?ってくらい
今までのキャラクターの言動が全部否定されてる。
最悪。
評価が酷かったのでヒヤヒヤして見たが、、
見てみたらすごくいい作品だった。
ボー ピープがいきなりいなくなってた説明や彼女の活躍を見ることができた。
不満側の言うこともわかる。
でも子どもがおもちゃに飽きることなんてよくあることだし踏まれたりクローゼットに入れられてるくらいならウッディが「内なる声」に従ってやりたいようにするのもいいんじゃないかな。
ボニーにウッディを譲ったアンディが可愛そうだなとも思うし他のおもちゃたちの出番が少なかったのは尺の都合とはいえ残念だったけど全体的に見たらとてもおもしろくラストも感動したよ。
とてもおもしろかったですよ
※以下ネタバレあり
6歳の子供と見に行きました。とても楽しく、笑えて泣けて、
帰り道も子供と「楽しかったね~!」と何度も言って、
寝る前もストーリーをおさらいしてクスクス笑いました。
ここでこんなに評価が悪いのが衝撃です。
私も子供も大満足だったんだけどなぁ。
1,2,3すべて見ていますが、特におかしいなと感じる点もなくすんなりと最後まで鑑賞できました。
(3でボニーが保育園に行っていたのに今回幼稚園に通い出したのは一瞬?でしたが、アメリカではきっとそういうもんなんだろうと解釈。)
前作でお馴染みのキャラクターがあまり前に出てこなかったので、
その辺の寂しさは少しありましたが、
新しいキャラ達がまた濃くて愉快ですし、なにより外の世界で活き活きと活発になったボーがとてもかっこよく魅力的に感じました。
ウッディがすごく老け込んだおじいさんのように感じました(笑)
持ち主の子供のためにと、おせっかいなお目付け役として過ごすウッディのその後を考えると、
今こうして、愛する人のいる大きな世界に飛び出すことを決意した事は良かったと思います。
結果バズやジェシーや大切な仲間を捨てることにはなってしまうけど、そもそもの冒険心あふれるウッディらしさを取り戻し、新たな幕が開けて、寂しさはありますが、清々しい気分になりました!
色々否定的な意見がありますが、3の序盤のようにいつの間にか段ボール箱に入れられ日の目を見ずにしょぼくれるウッディよりも、いつまでも若々しく動き回る保安官ウッディでいて欲しいと私は思います。
そのうち外の世界を知ったウッディが、箱の中のバズたちを解放しにくる日がくるかもと想像しちゃうような、未来のあるお話になっていました。
全編通してスピンオフ作品みたい
まず前作から9年も経っているなんて。びっくり。トイ・ストーリー3が公開されたときに開催されていた展示でボニーのモデルは実在のピクサースタッフの娘さんということで、たしか写真を見た気がしていて、その娘ももうすっかりティーンエイジャーなんだろうな、と思いながら鑑賞開始。ウッディ!バズ!みんな!変わらないね!と胸熱。もうこの世界観だけでかなり満足してしまった冒頭の部分。
ストーリーが展開していくと部分部分は小ネタ満載でひとつひとつは笑えて楽しめました。
特にダッキーとバニーの妄想シーンは爆笑。
なぜかホラーに寄せるのね。
ただおもちゃがおもちゃとしての人生を全うしていて、あの夢中で遊ぶかんじを思い出しながら、一緒にハラハラし、大人が童心に帰ってたのしめた123と違って、思い切り現実に戻されるというか大人の映画になってしまった今作。レビューが荒れていた意味が分かりました。
ボニーはフォーキー以外のおもちゃたちのことそこまでお気に入りではなさそうで、あんまり向き合っていないようなかんじ。絆もないし、距離が遠いような描かれ方。特にウッディは蚊帳の外。
子どもに遊んでもらってこそのおもちゃ、ってことで、123で貫かれていたはずの概念が、おもちゃはすぐあきられるし無くされるし捨てられる、子どもに遊んでもらえなくなっても別の人生もあるって置き換わってしまっていたのは悲しいというか違和感。みんなまずそこにがっかりしちゃったんだと思います。
それならいっそのこと大人になったアンディにパートナーと子どもができて、おもちゃを買ってあげる→次の新しいトイストーリーが始まる。とかの展開の方が前作までのあたたかい世界観を壊さず見られたかも。
この映画は、ゴッミだ〜♪
・・・ごめんなさい、言い過ぎました…。そう囁くのよ、私のフォーキーが…。
しかし!こう言わざるを得ない!これは酷いっ!
※ヘイトが溜まりすぎてバカみたいな長文になってしまいましたので、適当に読み流していただければ…🙇♂️
ピクサー・アニメーション・スタジオの大傑作『トイ・ストーリー』シリーズの劇場用長編アニメーション第4作。
ウッディとゴミから生まれた新しいおもちゃ・フォーキーは、ふとした出来事で持ち主・ボニーと逸れてしまう。
ボニーの下へ帰ろうとするウッディ達と、ウッディを探すバズ達が繰り広げる冒険を描く。
○キャスト
ウッディ…トム・ハンクス。
新たなキャストとして、ウサギのぬいぐるみ・バニーの声を演じるのは『ゲット・アウト』(監督/脚本)、『アス』(監督/脚本)の、監督や脚本家としても活躍しているジョーダン・ピール。
スタントマンの人形デューク・カブーンの声を演じるのは『マトリックス』シリーズや『ジョン・ウィック』シリーズのキアヌ・リーヴス。
日本語吹き替えでは、新キャラクターであるアンティーク人形のギャビー・ギャビーを、『コード・ブルー』シリーズやドラマ『トドメの接吻』の新木優子が演じている。
第92回 アカデミー賞において、長編アニメ映画賞を受賞!
第25回 放送映画批評家協会賞において、最優秀アニメーション作品賞を受賞!
公開3日後に映画館で観賞。ちなみに、吹き替え版での観賞となります。
流石の人気シリーズの最新作。300〜400席くらいある会場はほぼ満席でした。
客層はやはりファミリー層が多い。キャラクターがプリントされたTシャツを着た子なんかもいて、前作ですら約10年前のシリーズにも拘らず、子供達に人気があるんだなぁとちょっと感動。
さて、この映画。世界一のアニメ製作会社のピクサーが作ったこともあり、映像のクオリティはメチャクチャ高いです。
冒頭の雨のシーンなんか、本物の雨と見分けがつかないほどリアル!
キャラクター一体一体の描き方も非常に丁寧。例えば今回のメイン・キャラクターであるウッディとボーに注目してみると、ボーは陶器っぽい描き方がなされているのに対し、ウッディの顔はプラスチックっぽく表現されてる。各おもちゃの素材の違いまで表現出来ており、CGアニメの技術もここまできたか!と舌を巻いてしまいました。
これは『トイ・ストーリー1』や『2』ではあり得なかった表現技術だと感心します。
コメディー描写も概ね良かった。
子供達が多かったというのもありますが、コメディーシーンでは常に笑い声が聞こえてくる感じでした。
特に、新キャラのダッキー&バニーがとある作戦を語るシーンは大ウケ!
チョコプラのお二人、本当に声と演技がピッタリで、ナイスキャスティング!と思わされました。
冒頭のウッディとボーの別れのシーンは感動的。過去作に思い入れがあればあるほどこのシーンは胸にくるのではないでしょうか。
…とまぁいいところも沢山あるんです。ひとつの映画としてのクオリティーで言えば、世界最高水準であることは間違いない。
これだけ子供に受けているのであれば、一本のアニメ映画としては成功しているのでしょう。
しかし!個人的には非常に不愉快になる作品だった。
今作は25年続くシリーズの最新作。しかも10年振りのナンバリングタイトル!
「新たなる世界への旅立ち」というのが本作のテーマであり、明らかに「かつてこのシリーズのファンだった大人たち」をメイン・ターゲットに設定している。
ギャグやって子どもに受けりゃ良いという作品ではないはずなのです。
『3』はシリーズ完結作として完璧な着地だった。
あの後を描いた短編は何作かありましたが、正直長編として語ることはもうないんじゃないかと思っておりました。
そんな不安の中観賞した本作は、感想を一言で言うなら「蛇足」…。
いや、「立つ鳥跡を濁す」とでもいうべきか…。
映画はボニーが幼稚園に馴染めないという場面から始まります。
新しい環境に適応することが出来ず不安にかられる中、お遊戯の時間にボニーはプラスチックフォークなどのゴミを利用して「フォーキー」を作り上げる。
そしてフォーキーと遊ぶことでボニーの不安は解消されていく。
なるほど!今作は幼年期の少女の不安に着目し、幼稚園でのトラブルをお馴染みのキャラクターや新キャラ・フォーキーが解決していく話なのか!これなら過去作とも差別化されるし、いい切り口かも!
…と思ってたら全然そんなことなかった💦
問題点その①❗️
ボニーはアンディの宝物であるウッディを譲ってもらったわけで、そこが『3』では凄く感動的なシーンになっていた。それなのに本作のボニーは完全にウッディに飽きている。
・・・・・・
いやいや、『3』の感動返せや!😡
そりゃ現実世界なら子供は移り気なところがあります。でも『トイ・ストーリー』って一種の寓話でしょ。
リアルとは切り離して描かないと。
こういうことをボニーがやっちゃうと、観客が彼女のことを好意的に見られなくなっちゃうでしょ。
問題点その②❗️
本作のヴィランであるギャビー・ギャビー。不良品ゆえ子供に遊んでもらったことがないという可哀想なキャラクター。
でも、彼女がやったのはフォーキーを人質に取り、ウッディを脅迫するというヤクザも真っ青な極悪非道な行為。
彼女が優遇されすぎ。
基本的に全て彼女の思い通りになる上、過去シリーズのヴィランであるシド、プロスペクター、ロッツォの様に酷い目に合わない。
今の時代に勧善懲悪は流行らないということかも知れませんが、2016年の同社作品『リメンバー・ミー』ではきっちり悪役に鉄槌を下しているわけですから、本作のヴィランにもきっちり罰を与えてもらわないと個人的には納得出来ない!
一度やっつけてその上で改心するとか、そういう王道の展開はやっぱり必要だと思う。
ただでさえウッディのアレを奪ったことでこっちはムカムカしてるのに、あんな感じで終わったら全然溜飲が下がらないでしょ💢
ボーのキャラクター変更もそうですが、なんか映画全体に誤ったポリコレ感が漂っていて気持ち悪いんですよね…。
問題点その③
あのクライマックスは有り得ないでしょ!
「自由は素晴らしい」みたいなことをテーマにしてるのかどうか知らないですけど、彼らはあくまでもおもちゃな訳で、その存在意義が「子供に遊んでもらうこと」なのは明白。
囚われの小人が人間の遊び道具にされていて、彼らがその支配から自由になる、とかなら話はわかるんですが、おもちゃの喜びは子供の成長に付き合うことだ、というメッセージを発し続けてきた『トイ・ストーリー』で、急にこんな展開にしたらダメでしょ。
2014年のアニメ映画『LEGO ムービー』が、完璧なおもちゃと子ども、そしてその親との関係を描いていたというのに、元祖おもちゃ映画の本家『トイ・ストーリー』がこの体たらく…はぁ〜〜〜😩
他にも既存のキャラクターの扱いがぞんざいすぎるとか、結局フォーキーが何の役にもたってないとか、ボニーのお父さんが可哀想すぎて笑えないとか色々言いたいことはありますが、あまりにも長文になりますので愚痴はこの辺にしておきます。
とにかく、よくこんなクソシナリオの作品を『3』の後に出せたなと、怒りを覚えずにはいられない、見なければよかったとすら思える不愉快な作品です。
これまでのシリーズが好きな人には絶対にお勧めしません!
余談ですが、この映画の宣伝で、「予想外のクライマックス!」とか散々言ってましたけど、そういうことを言ってしまうとどんなクライマックスを迎えるかだいだい予想できちゃうんですよね。
映画の出来とは直接関係無いですけど、宣伝にセンスがない作品はやっぱり駄作なんだなと思い知らされました。
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追記
個人的に本作を駄作だと判断した理由を、もう少し詳細に記入してみたいと思います。
なぜ駄作なのか。それは本作には作り手のエゴがはっきりと見て取れるからです。
今回の作品で、製作陣のトップはこう思ったのでしょう。
「ジョン・ラセター&リー・アンクリッチよりも素晴らしい作品を作ろう。」
前作を超えるものを作る。これは映画製作者としては当然持つべき感覚でしょう。
ではどうすれば超えられるのか?
前作を担当したこの二人がとてつもない天才なのは周知の事実であり、この二人よりも優秀なアニメーション・クリエイターはほとんどいないでしょう。
そこで製作陣は「前シリーズ作品とは違う視点で物語を作る」という作戦を取るわけです。
彼らの選択した「違う視点」というのが、「自由」をテーマにすることだったわけです。
これが悪いわけでは全然ないんです。
調理の仕方さえ間違えなければ最高の映画になった可能性もありえると思います。
ただこのテーマを描くにあたり、彼らのとった手段はまず「前作のエンディングを否定すること」だったわけです。
つまり、「女の子が時代遅れのカウボーイ人形を他人からもらって、それをいつまでも大事にするわけないじゃん。」というリアリティを持ってきたわけです。
多分現実ではこうなると思います。身内から貰ったものならともかくとして、他人から譲り受けたボロい人形を後生大事にするなんてありえないでしょう。
でも、本作はファンタジーであり、子供達に夢と希望と愛を伝え続けてきたディズニー・ピクサーの作品です。
しかも「おもちゃを大切にしよう」ということを伝え続けてきた『トイ・ストーリー』シリーズな訳ですよ!
前作で培われたウッディとボニーの絆の崩壊なんて、観客は見たくないんです。
ウッディがボニーのお父さんに踏みつけられるシーンなんて、ファンは見たくないんです。
製作陣は自分達の作りたい映画を作る、というエゴに囚われすぎて、ファンのことを蔑ろにしています。
これまでの『トイ・ストーリー』は「友達」をテーマに作品が作られていました。そのテーマを「自由」に変更することで、過去作との差別化を図り、前作を越えようとした。
ウッディを「自由」にする為にはどうするか。→ウッディを迷子のおもちゃにする。
何故ウッディは迷子になったのか→ボニーが興味を失ったから。
テーマから逆算して作られた、こんな短絡的思考のシナリオを支持できるわけないでしょう。
「バズをはじめとするおもちゃたちとは離れ離れになるが、それは仕方ない。だって自由を描く為だもの!それに別れのシーンはみんな感動するだろ?『3』のエンディングも評判良かったし。」
あくまでも想像ですが、製作陣は多分こんな感じで、クライマックスシーンを作ったんじゃないですか?
「ウッディとバズの友情は不滅だ!」というメッセージを2人の別れで表現するからには、非常に注意深く描く必要がある。
25年間も観客はこの二人の冒険に胸を躍らせてきたのですから。
その決断に至った理由や、二人の感情や心情、思想の変化をシナリオに徹頭徹尾組み込んでいかないといけないでしょう。でも今回そこまで練って話を作ってないですよね?
「昔の恋人とヨリを戻せそうだから出て行くわ。ここにいてもつまらんし。」
観客からはこう見えますよ。こんな話に感動できるわけないでしょ。
もし本当に「自由」をテーマに物語を作るのであれば、『ニュー・トイ・ストーリー』とかいうタイトルにして、新キャラで物語を作ればよかったんです。そうすれば誰も文句を言わないですよ。
否定派の人たちも「今回の『トイ・ストーリー』はこれまでとは違った感じで面白かったなー」となっていたでしょう。
どうしてもウッディ&バズを出したかったのであれば、彼ら二人が主人公の短編でも作って同時上映にすれば良かったんじゃないですか?
とにかく、私は今作を絶対に肯定的に捉えることは出来ません。大好きだったシリーズを穢された気持ちです。
・・・でも5が作られたら観るんだろうな…。
おもちゃ達のための物語
この映画には高評価低評価あり低評価つける意味もわかります。
ただ、ウッディがフォーキーとの会話でボニーをアンディと言い間違えたり、ボニーにはウッディは絶対的に必要な存在ではないとわかるシーンが沢山ありました。
その上でウッディは自分のおもちゃとしての役割は終わり第二の道へ進んだ。
おもちゃにもおもちゃとしての人生以外の道がある。1からの【おもちゃにも意思がある、プライドがある】ということを示してくれたような気がします。
わたしは子供に支配され続けるわけではないおもちゃの格好良さをみれて、とてもいい作品だったと思います。
1、2、3が好きな人は見ないほうがいい
あれほどウッディが持ち続けていた「子供におもちゃとして愛されることの大切さ」「仲間がいることの喜び」それを大切にしてきた3までのシリーズの物語の核心全て台無しになった。そんな映画でした。正直に言うと悲しい、ただそれだけです。ウッディが仲間たちや 相棒 すら捨ててまで製作者側が求める“自立”を取り入れるため、これまでのシリーズで大事だったおもちゃの根底を壊してまで、視聴者側が長年持ち続けていたウッディとバズ達はいつまでも一緒...からの突然の別れ。それを物語に取り入れた。それがひたすら悲しい。
バズに向けて「無限の彼方へ共に行こう」そう言っていたウッディはどこに言った。
ウッディを本当は渡したくなかったアンディが大切にしてくれると信じて渡した結果がこれ。
トイストーリーという作品が大好きでよくシリーズを何度も見ていました。なのに4でこんな終わり方をするのなら前作のどのシーンをみてもただ悲しくなるだけ。そう思ってしまう事自体が悲しいです。
私の中でトイストーリーは3で終わっています。
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