トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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ウッディのしあわせな選択
星1つなんて、あり得ないです。ウッディが自分の歩みたい道を選択したこと私は素直に嬉しい&応援したい!ですし、仕事ばかりの疲れた毎日にメッセージをいただいた作品でした!トイストーリー最高!
トイ・ストーリー4で「人類の営み」を知る
トイ・ストーリー4は「人類の営み」がテーマだと個人的には感じた。
『優しさの循環』
ウッディの優しさは過去にアンディから受けた「優しさ」のお陰だと思う。4にはアンディの姿はないが「優しいウッディ」の中には間違いなくアンディがいる。優しさは決して自分1人で構築できるものではなく、今まで出会い関わった人たちから受けた優しさで構築されているのだ。他の人に優しくされた経験のある人は、優しさという存在を知り、また他の人に優しくできる。アンディは個人レベルではなくもっと大きくて広い「優しさ」をウッディに託した。私は自分に優しくしてくれた人達の顔を思い出した。今の私は、その人たちから受けた優しさを周りの人に渡せているのだろうか。そう自分に問いかけた。
『人の想いで人は変われる』
人は自分でしか変わることができず、他人が人を変えるのは不可能だと思っている。フォーキーは当初、自分を「ゴミ」だと言った。ウッディは「ゴミではない。おもちゃだ。」と言い続け、しつこくフォーキーを追いかけては救い続けた。その結果、ウッディがいないラストシーンで、フォーキーはボニーの工作に対して「君はゴミではなくておもちゃだ。そして僕もおもちゃなんだ。」というようなことを言う。その心境の変化のきっかけになったのは間違いなくウッディの想いだ。他人の気持ちや性格を直接変えることはできないが、想いは人を変えるきっかけになり得る。私は自分の考えが変わるきっかけをくれた人達の顔を思い浮かべた。今の自分の内面があるのは自分に影響を与えてくれた人達のお陰だ。いずれ自分も誰かにそんなきっかけを与えられるような人間になりたいと思った。
『世代交代』
時間が流れ人間が老いて必ず死ぬ以上、世代交代は避けては通れない。ウッディはボニーの興味の対象ではなくなっている。しかしそこで不貞腐れず、ボニーとフォーキーが離れないようにアシストし続ける。もう自分の時代は終わったと理解し、認め、受け入れているからこそできる行動だと思った。最終的にウッディは、フォーキーをずっとボニーのそばにいさせることに成功する。そうなった以上、自分はボニーの元から離れる。純粋で美しい世代交代だ。私はまだ退く側の年齢ではなくむしろ引き継ぐ側の年齢だが、何十年後にそのようなことを考えるべき時が来た時は「自分の引き際の理想像」だけは確立していたいと思った。
『変わらないのは みんな変わっていくということ』
「変化を恐れ現状維持を好む」のが日本人の国民性だ。しかし、変わっていくことは恐れるべきことなのか。1995年から2019年の24年間、人類が前を向き情熱を灯し夢や希望を抱き一歩ずつ歩んできたという紛れもない証明がこの時代の変化なのだ。ただ一貫して変わらないのは人々の「想い」だ。人間が人間を想い続け、想いを次の世代へ繋ぐということは変わらない。トイストーリーにおいてもたった一つの「想い」は確実に引き継がれている。アンディからボニーへ。ウッディからフォーキーへ。ウッディは1の時、新入りのバズが邪魔だった。アンディの自分への興味が薄れるのを恐れバズを追い出そうとしていた。そんなウッディが4では、自ら退き別のおもちゃと持ち主の幸せのため奔走する。ウッディの心境も行動も確実に変わった。ウッディとバズの関係も変化した。今までは同じ場所で、二人一組のバディだったのが「物理的に離れてもずっと心は繋がっている関係」に変化した。二人の想いは物理的に離れていても決して変わらない。時代が変わって、人が変わっても「想い」だけは変わらずに引き継がれる。だから私は本当に安心した。それだけで十分だ。今後どこかの機会で自分も誰かに何かしらの想いを引き継げればいいなと思う。
3は確かに素晴らしい作品だった。しかし3と4と比べることに何の意味があるのだろう。3は3で、4は4。全く別の作品だ。例えるなら、同じ親から生まれた兄と弟を全く同じ物差しで測り比較するようなものだ。兄弟でも人間としては全く別の個体だ。それぞれ唯一無二のチャームポイントや才能がある。それを比べるなんて不毛でしかないと思う。それぞれにそれぞれの良い所と悪い所がある。それでいいのではないか。
私は、3という大傑作の後に4を製作し公開しようとしたピクサーの心意気にまず敬意を表したい。そのおかげで2019年に「自分の知らない新しいトイストーリー」を自分にインプットできる機会を得られた。それだけでもう十分すぎるくらいに満足だ。同じ時代を生きられていることに感謝したい。
私は4から「今まで途切れることなく続いてきた人類の営みの尊さ」を思い知らされた。また、作品に詰まっている「想い」の総量は4が圧倒的だと感じた。
4を観て批判ばかりしている人に対して聞きたい。
「あなたは一体4に何を求めていて、4にどうなって欲しかったんですか?」
おもちゃ達と人間の世界を重ね合わせてるよう
トイストーリーは毎回子供の付き添いでみますが、そこまで思いいれはありません。
最後、ウッディは仲間達と別れて、ボニーはウッディが居なくなって悲しむかな、、て思ってました。
けど、もう最後の頃のボニーはゴミから自分で作ったフォーキーが一番の友達になっていて、そのフォーキーにも彼女?らしきものもできて。
ウッディがフォーキーに教えたことが伝えられていくんだろうな、、て安心しました。
ストレス社会で無理して人間付き合いしてる人には新しい世界はいくらでもあるんだよ、
友達が出来なくても自分が好きな物があればやっていけるよ、みたいな事を重ね合わせて伝えたりしてるのかな、、?とも感じました。
子供にはただ、面白い。
大人には深いものを伝えてる。
ような、親子で楽しめる映画でした。
ギャビーギャビーのお別れの時は泣けました、、。
さすがのハイクオリティ(^^)b
『トイストーリー3』が、これ以上無い最高の作品だったので、この『4』は作って欲しくなかったけど…
涙無くしては見られない『3』に対して、この『4』は笑いに溢れた作品。特に、新登場のフォーキーには、かなり笑わせてもらった。
終盤は、ほっこりさせられたし、まさかのラストもあったりで、これはこれで良かったのかなという作品でした。
まぁ、ストーリーはもちろん安定のクオリティだったけど、とにかく凄かったのはグラフィックのリアルさ。もう、コレって実写じゃないの?って映像だらけで、ホントに驚かされました( °_° )
とりあえず、ギャビーギャビー。あんなんなっちゃって、もうチャッキーみたいになるかと思ったけど、そーならないで良かった( ^_^ ;)
一緒に育ってきた映画
小さい頃からトイストーリーを繰り返し観て育ちました。
トイストーリー4には私が知っているウッディや、バズや、おもちゃたちはいませんでした。
キャラクターたちへの愛の無さ、トイストーリーという作品への愛の無さに胸が痛みました。
悪くはないが良くもない
色々な人のレビューを見て思ったが、
「賛否両論」という意味が映画を見てすごくその通りだと思った。
私はその中間ぐらいだろう
否の部分
・フォーキーは必要なかったのではないか?
ただ遊ばれなくなったウッディが家出をし、みんなで連れ戻すというストーリーではダメだったのだろうか。
もし作ったものでもおもちゃになるということを伝えたかったのであれば、家出の途中に出てくるキャラをフォーキーのようなおもちゃにすれば良かったのではないか。
・ウッディが主人公をしっかりして欲しかった
これは今までのトイストーリーファンならなんとなく伝わると思う。
賛の部分
・ボーがカッコよかった
・バズやダッキー、バニーが面白かった、
そして可愛かった
・ウッディとバズの友情が、
なくならなくてよかった
否の部分は分かってもらいたかったから理由を詳しく述べたが賛の部分はぜひ見てくれという感じだから書かなかった。
トイストーリー5が出るのならウッディは
1.2.3と同じくらい主人公をしてくれたらいいなと思う。
ちなみにこの4は意外にトイストーリーの評価が低かったから捧げているものだ。
(実際は3.5ぐらい)
幼年期の終わり
大人も楽しめるCGアニメの先駆けも節目に来ましたね。今作の主役は間違いなくウッディです。前の持ち主アンディの事を引きずりながらも、前に進もうとする姿にグッときました。このアニメは子どもが大人になるのを見守ってきた気がしました。ラストはきっと、成長と旅立ちなんだよなあ。
その他は、バズが地味だ!とか新キャラのもふもふがかわいいとか。おバカスタントマンとか。相変わらずのユーモアが楽しい。なお、スタントマンの英語吹き替えがキアヌ・リーブスで笑ってしまった。
低評価は嫉妬
賛否の分かれる結末であることは確かだ。
ただし、ここまで完璧に紡ぎあげられたストーリーライン、見事な映像・音楽を備えた本作に星ひとつはあり得ない。
個人的に低評価は自分の内なる心の声に従った行動をとったウッディへの嫉妬ではないかと思う。
自分は、過去に様々な選択(仕事・恋愛含めて)を行ってきた中で、「あの時に自分の心に従っておけば・・・」という経験が山ほどある。自分の心に従えなかった理由は、仕事での人間関係であったり、家族・友人からの期待であったり、世間体であったりと様々だ。正直、ウッディの自分の心に従った選択はとても羨ましい。
過去作から完璧に繋がれてきたバズとウッディの信頼関係と友情、特に、ラストシーンの「She will be alright (彼女は大丈夫だから )」には泣かされた。
二人の長い歴史があるからこそ、作中を通して心の声に突き動かされてきたバズは、ウッディの心の声を、言葉交わさずとも巧みに聞き取り、自分の希望と社会からの期待の間で揺らぐウッディの背中を押す。
こんな美しい話がありますか。
思うに、低評価はウッディの社会的期待を裏切っても自らの気持ちを優先した選択、そうした選択を肯定する素晴らしい知己・友情への嫉妬だろう。私も嫉妬してしまう。
映画としてはよくできてます
「トイ・ストーリー2」を見たとき、アニメとか実写とかを抜きにして、映画として完璧な作品だと思いました。これを続編が超えることは不可能だと思っていたら「3」は超えてきました。しかも同じ主題で。この「同じ主題で」というのがミソだと思います。「何があっても持ち主のもとに帰る」というアドベンチャーと「おもちゃの幸せとは何か?」という問いかけに答えを出すのがこのシリーズの変わらぬ主題でした。「3」では、帰るべきはずの持ち主が成長してしまったら?というさらに高度な問いかけにも答えを出したのです。
「4」の製作決定を聞いた時、同じ主題でさらに上を行くためには「人間は死ぬけどおもちゃは生き続ける」というような哲学的なストーリーでも作らない限り「3」を超えられないのでは?と勝手な心配をしてました。
出来上がった「4」は作品としての完成度はかなり高いです。だけどこれまでの主題は綺麗さっぱり捨てられていました。これは、主人公が人間のドラマでやればいい話です。おもちゃである必然性はなくなってました。
ウッディの最後の選択をどうか軽く見ないでほしい。
まず初めに。トイストーリー、どのシリーズも大好きです。
あくまで私個人の感想でございます。
先日、トイストーリー4を鑑賞させていただきました。
今作のボニーはとてもリアルな子供でしたね。
子供特有の “その時これが欲しい” “今だから欲しい” っていう気持ちと、“飽きっぽい” がよく描かれていたと思います。
よくショッピングモールで耳にする
『買ってもすぐ飽きちゃうでしょ!』
『飽きないもん!』
という母子の言葉が頭を過ぎり、あれはこういう事かと実感する程に。
その子供の飽き性をボニーで描く必要はない、と言う声もありますが、
それは視聴者がボニーを特別視しすぎなのでは?と感じました。
1~3まで、アンディとウッディの物語を追ってきたからこそ、そのウッディを受け継いだボニーを特別視したい気持ちもわかります。
ですが、彼女はたくさんいる子供の中の1人。
幼稚園になったばかりの子供に、そこまでの分別はつきません。
昔の自分を思い出せば気付きます。
言ってしまえば、ボニーがウッディと遊ばないことに理由はありません。嫌いという訳でもないと思います。
あえて言うなら、子供だからです。
さて、ラストの選択についてですが
ウッディはボーピープと一緒にいることを選んだ、というよりも。
子供と出会えていないオモチャ達を子供に巡り合わせる役目を選んだ、そこにボーピープがいた。
という方が個人的にはしっくりきました。
では何故、ウッディがその役目を選んだのか。
それは単純にウッディはもうアンディと出会い、アンディの特別なオモチャになれた絆があったから、ではないかと。
ギャビーギャビーにボイスボックスをあげ、背中を押してあげた時、ウッディにその想いが生まれたのではないか、と感じました。
ウッディはアンディの特別です。
ウッディ自身もそれを1番実感し、ボニーをアンディと呼び、未練すら覚えるほど、特別なオモチャです。
アンディの次はボニーの特別になる、という事ではないかと。
ギャビーギャビーや、ダッキーとバニーのように、特別どころか、子供と出会えてすらいないオモチャの存在。そのオモチャ達をサポート出来るのは、アンディの特別だったウッディだけだと思います。
『ウッディは愛するボーピープを選んだ』
その考え方はあまりにも陳腐。
これはそんな軽い恋愛の話しではなく
本質はもっと深いところにあるように感じます。
ボーピープの性格が言及されていますが
ボーピープはメインメンバーの中では誰よりも早く、アンディの家から引き取られています。
更にはアンティークショップに売られ、腕も折れた事を考えれば、様々な環境や経験がボーピープを変えたんだと思います。
星を4個にした理由としましては、単純に、もっと昔からのメンバーの活躍を見せて欲しかったからです笑
とても奥深い、考えさせられる映画でした。同時に自分の幼少期を思い出し、あの時飽きてしまったオモチャは、あの時捨ててしまったオモチャは、と罪悪感を覚えるほど…。
賛否両論別れておりますが、私は支持致します。
ウッディは呪いの人形じゃない
過去作の記憶はかなり曖昧ですが、とにかくウッディが、仲間のためであったり、持ち主のアンディのために、様々な困難を乗り越えていくストーリーだったと思います。
今作も、大筋はまさにそれでした。
ウッディの最後の決断に賛否あるようですが、自分はこれでよかったと思います。
もし、ウッディがあのままボニーの元に残ろうと考えてしまうと、「メリーさんの電話」のように、自分を相手にしなくなった持ち主へ執着する、呪いの人形のような存在になってしまうからです。
別れ際のシーンでは、9年ぶりに再会したボーと一緒に居たいから、というだけの印象に見えてしまいがちですが、他にも、「迷子のおもちゃ」たちに、持ち主を得るという「おもちゃの幸せ」を与えたい、と願っての決意でもあると思います。
つまり、今回のウッディの決断は、昔と変わらず、仲間や、持ち主を幸せにしたい、という想いからくるものだったと、自分は感じました。決して、身勝手な、自分の幸せを求めての決断ではなかったのだと強く思います。
みんな幸せになれて(もちろん仲間との別れはつらいでしょうが)、とても感動しました。
ギャビー・ギャビー、よかったね。
あの名作(迷作?)に似ている?
本作は、過去作の1,2,3のすべて(コンセプト、テーマ、ストーリー、ブレないキャラがブレない範囲で成長する)をしっかりと踏襲し、様々な側面で矛盾がないよう細かく丁寧に設計されながらも、レゴ・ザ・ムービーを代表とするフィル・ロード&クリス・ミラー作品を彷彿とさせる高速かつ高難易度(?)のくだらなさで、理解を超えた謎の展開が繰り広げられます。そしてラスト、本シリーズが23年の月日をかけて積み上げてきたことのすべてが一瞬でぶち壊された、と感じる方が多いのも納得できる"暴挙"が起きます。しかしこの作品が凄いのは、その"暴挙"が、実はここまでの謎展開の伏線になっており、しかもその"暴挙"が、そもそも本シリーズが一貫して提起し続けてきた根底にある問い(=おもちゃとはそもそも何なのか?)について逆説的に最新の解釈を観客に提示したことです。ピクサーの創造性、英断に唖然し、圧巻され、感動しました。
なにか近年、こういう状況になった映画があったような、、?と考えてみましたが、あれですね。スターウォーズ。EP8です。シリーズの本質に迫りながらも、シリーズを通して積み上げた全てをぶち壊し、シリーズのみならず過去作の解釈すら改ざんし、それを絶賛するマスコミと原理ファンが激突し、シリーズ原作者は絶賛した、という。
そう捉えると、スターウォーズEP8が好きな人は本作も気にいるのでは?と思いました。逆にEP8が受け入れられなかった人は、本作を受け入れられないかも知れません。
ただ、ここは声を大にして言いますが、本作に感銘を受けた人は聡明で寛容だとか、受け入れられない人は幼稚かつ理解力が乏しいとか、そういうことを言いたい訳ではありません。好き嫌いが出やすい作品になるよう、巧妙に、繊細に、大胆に、曖昧に作られているということです。本作は1,2,3と異なり「正しさ」を観客に押し付けることを意図的に放棄した作りになっています。
なので、同じ箇所を同じ理由で支持したり非難したりの議論が起こっている。映画の醍醐味の一つと言えるでしょう。
しかし、こんなことを、スターウォーズやトイストーリーの規模でやる。凄まじい時代に突入しています。ディズニー。。
バズは?
もともと主役はウッディとバズのツートップだったはずでは?
それが今回のバズは準主役はおろか、端役の一人。
見せ場もなくはないけど、主要メンバーというには程遠い雑な扱い。
声もジョージ・クルーニーじゃなくなってるし。
作品としては良かったけれど、バズファンにはかなり消化不良な内容だった。
3が名作。4は受け入れられませんでした
トイストーリーは1~3まで見ていて大好きな作品です。
期待していた4は、序盤から受け付けないシーンが多く……
終盤は「嘘でしょ?」「これで終わり?」という喪失感しかありませんでした。
こんなエンディングになるなら、ウッディは3の時に
アンディと大学へ行った方が幸せだったのではと思うレベル。
ウッディが今まで「いつか捨てられる」という周りの考えを否定して、
「子供はオモチャを大切にしてくれる」という主張をしていた筈。
それが今回のオチだと私は「成長」と受け入れられず、
1~3まで作り上げてきたものを全否定された気持ちでした。
私がトイストーリーを通じて見たかった話ではなかったです。
・ウッディの扱いがとにかく酷い
・今までの仲間達も活躍が少なく、特にバズやジェシー以外は登場シーンすらほぼ無いくらい。
・登場するバズも、心の声を聞く~で自分のボタンを押すの一辺倒。
・初期不良のギャビーは、「声が出ない状態でも誰かに愛される」という結果であってほしかった。
声が出る(ウッディがギャビーにパーツをあげる)流れなら、代わりにウッディが
「声なしでもウッディなら愛される」という流れならアリでしたがそういう訳でもなく…。
・今まで一緒にやってきた仲間達とのアッサリとした別れ。
ウッディの幸せを後押ししたのでしょうが、皆の察しが良過ぎる印象しかない。
・ギャビーの取り巻きは結局どうなったのか。
・展開としてもかなりムリな部分が多く、車のシーン(特にカーナビのシーン)は厳し過ぎる。
・ギャビーのオチの付け方が目先の幸せ過ぎて、ギャビーも本当の幸せに辿り着けるのか見ていて怪しい。
・子供の所に行くギャビーの背中を押した後で、自分はボーというキャラの元に行くウッディの行動にも違和感。
内容の細かい部分も登場したキャラの結末も、今までのシリーズはキレイに回収していた筈。
そのくらいトイストーリーシリーズには信頼があった分、本当に4はガッカリという気持ちです。
否定的な意見ばかり書きましたが、ダッキー&バニーという新キャラは可愛いですし、笑えるシーンも泣けるシーンもありました。
それでも今までのトイストーリーに強い思い入れがある分受け入れられませんでした。
4をチャラに出来るくらいの内容のトイストーリー5を製作してほしい。
そういう5が出ない限り、私の好きなトイストーリーシリーズは3で完結したと思っています。
トイストーリーにする意味あった?
これ単体で見れば、決して悪い作品ではないです。
笑いあり、アクションあり、涙ありで楽しめる映画だと思います。
が、これをトイストーリーのタイトルを冠してやる意味が分からなかったです。
トイストーリーシリーズとしてみたときにはこの低評価にせざるを得ませんでした。
一番賛否が別れているラストについては個人的には理解できるものでしたが、それでもこの低評価です。
以下、その理由を書いていきます。
1.ウッディの扱いがひどい
子供は移り気ですから、ウッディで遊ぶ機会が減ったことは理解できます。
でも、お父さんに踏まれ、無くしたことにすら気づかれない、なんて扱いがひどすぎです。
大事にしてくれると思ったからこそ、アンディはウッディたちを託したはずなのにこれはあんまりです。3のラストをぶち壊しにされましたした。
他にも、ボイスボックスを自ら差し出し、雑に縫い合わされる痛々しいウッディの姿を見たかったファンなんているんですかね?
2.ウッディ以外のキャラクターも扱いがひどい
たとえばバズ。内なる声とやらに従う頭のおかしいおもちゃになっていました。バズは、自分で考えて行動できるウッディの頼れる相棒だったはずでは?
他の旧キャラクターは出番ほぼなし、せいぜい賑やかしくらいにしかなっていないです。
3.アクションが雑
おもちゃたちがそれぞれの個性や特性を活かしたアクションが旧作での見どころの1つでした。
ところが、今作では便利な個性を持つキャラクターを出して、楽々突破してる感が強かったです。もっと創意工夫をこらしたアクションを見たかったです。
4.おもちゃたちが派手に動きすぎ
人間にバレないようにこっそり動くという原則はどこいったんだ。最後の車はもちろんですが、それ以外の部分でも人目をあまり気にしないで派手に動きすぎ。
一個一個は理由付けしようと思えばできることだと思います。
でも、少なくとも劇中ではこれらの変化を納得できるだけの描写はされていませんでした。
そのせいで、どうして?なぜ?のオンパレードで常に疑問符がつきまといながらの鑑賞となりました。
トイストーリーとタイトルがついてなければ、素直に楽しめたと思います。
ウッディよ幸せに
あの3のラスト以上のストーリー?はあるのと思いながら観ました。
クリスマスプレゼントに来る新しいおもちゃへの心配も…
ヤードセールに出される心配も…
大人になっていく持ち主への心配も…
トイストーリーファンとしたら
今回の4の最後って
どんなん?と思いながら
まずは、出てきたボーがいい女すぎた
(肌艶が良すぎ…羨ましいわ)
いつも仲間を助けて、今回なんてフォーキーの世話に居眠りをしてしまうウッディは親の様で
(↑微笑ましかった)
ギャビーの『最初から壊れていて………私にも一度でいいから幸せを味わってみたい』
そんな気持ち知り
フォーキーを取り返したい思いとで
ボイスboxを譲るウッディ
(↑ここ泣きました)
ラスト
運命の再開をした大好きなボーと、自由を選んだウッディ
…やっと自分の幸せを掴んだね
ウッディ
(↑泣いてます)
オモチャだけど…オモチャだから…オモチャでも
なんの心配のない自由、困難はあるにせよ愛するボーと一緒ならば…
こんな形もあったのか
ただジェシー・バズ…仲間達が別れ際割にあっさりだった
レックスなんて、ただこねそうなのにね
フォーキーが捨てられたゴミで作られるのも
現代のゴミ問題にも
なにか触れてる様な感じがした
もうトイ・ストーリー
ウッディに思いが強すぎて
嬉しい様な…完結ならば寂しいような
寝れないまま朝がきた
一切泣けなかった。トイストーリー3では瞼が腫れるほど泣いたのに。
肯定的な感想をいくつ読んでも納得できない。
ボニーはあんな子じゃない。ウッディに最後の決断をさせるために露骨にクソガキの役を押し付けられているとしか思えない。
ギャビーギャビーがウッディのボイスボックスを貰って持ち主を見つけるところも手放しに喜べない。それはウッディの犠牲の上にある幸せでしかないし、そもそもギャビーギャビーがウッディにお願い(泣き落とし)するところも、それまでにギャビーギャビーがフォーキーにウッディのことを洗いざらい聞いて、アンディとの大切な思い出がウッディの核にあると知った上で情に訴えて弱いところを突いた策略だし、願いの切実さは嘘じゃなくても最初に力強くでボイスボックスを奪おうとした本質は変わってない…。ギャビーギャビーはそのままの声で、それでもあなたがいいって言ってくれる子に出会わせてあげてほしかった。
20何年もこのシリーズとともに時間を過ごして、アンディと同じように成長してきて、ウッディもバズも自分の家族(オモチャ)のように大切に思ってきた。
好きな歌詞だった「思い出せよ友達を君のすぐそばにいつもオレがいる」。いつもすぐそばにいてほしかった。もういいかなんて思わないでほしい。まだまだ大人になりきれない私にはウッディが要るのに。とても寂しい。
追記
1、2、3を作ってきたジョン・ラセターは、物語は3で完結しているので続編は作らないと言ったそうで、4から新しい監督がついたそうですね…納得です。
全てはボニーとかいうガキのせい
観ました。
最低な気持ちになりました。
3のラスト、アンディが大事にしてきたおもちゃを一つ一つ丁寧に紹介して、大トリがウッディでしたよね。
アンディが特別大事にしていたおもちゃをボニーに譲った。託した。
のに、4ではウッディだけ、終始ボニーに忘れ去られてるのが辛い。忘れ去られているというか、もう用済みな感じ。
仲間と一緒にいたいけど、自分だけ持ち主に忘れ去られてクローゼットにいるよりかは、愛する彼女ボーの元で自由に一緒に暮らす方がウッディ自身は幸せ、ということなのだろうか。
バズとの友情も、他の仲間たちとの絆も、遠く離れていても繋がってるから、だなんて、おもちゃとしての範囲を超えていると思う。
なぜボニーはウッディだけ忘れているのか?最後、無くしてしまったから探すシーンなどもないし、無くしても平気、他におもちゃいるし、フォーキーの方がお気に入り!って、バカなガキにしか見えなかった。。
トイストーリーにこういうストーリー展開は本当にいらないんです。
製作陣もかなり悩んだみたいですが、そこまでしてやる必要ありましたか。
僕には理解に苦しみます。悲しい、とにかく悲しい映画だった。ラセター辞めちゃってるし本当にやらなくてよかった。
ジョシュクーリーが全てを壊した。この人の作品はこれからは観ません。
5もいらない。
3で終わり。
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