Mommy マミーのレビュー・感想・評価
全106件中、1~20件目を表示
希望
観てるのが辛かった。
それが人生なんだね。
希望を見出して、人生を選択していく。
負けない。
そんな意志を持っていたっていつだっていい時ばかりじゃない。
その時はとても辛い。
でもいつか、思い描いた人生が訪れることに希望を持ち、前向きに進んでいくしかない。
諦めたら、そこで人生は終わってしまうから。
苦しい気持ちを隠して、いつだって息子のため、カエラのためを想う母の姿は、強く、苦しく、胸を打たれました。
人を想ってした選択でさえ正しい、間違いは、すべて未来次第。
どうか、どうか、幸せになりますように。
鮮やかな色彩、色のない世界を歌う歌詞。
歌詞に強い意味があったり、カメラワーク、カット割り、いろんな力によって映画に引き込まれました。
【”僕を救えるのは、君だけだから。そして、閉塞感からの解放。”多動性障害を持つ息子にてこずりながらも不器用に愛する母と息子の関係性を数々の名曲で彩った作品である。】
<感想>
・ご存じの通りグザヴィエ・ドランは20歳で「マイ・マザー」を製作・主演・監督した天才であるが、今作を観てもその片鱗は十二分に分かる。
・クイアでもある、彼の初期作品「マイ・マザー」では母とのアンビバレンツな関係が描かれるが、今作もその流れにある気がする。
・母、ダイアン・デュプレは施設に入っていた息子、スティーヴが施設内で放火した事で放逐され、自宅に引き取るが、息子の多動性障害に悩まされつつも、明るく接する。
・そして、道の向かい側に住む神経症持ちの吃音の女性、教師で休養中のカイラとも親しくなり、スティーブもカイラに懐く。
3人は、親密になり、関係性が好転していくかと思ったが、スティーブが放火した事で大怪我をした息子を持つ親から多額の賠償金を求められて、スティーブはリストカットしてしまうのである。
■劇中、グザヴィエ・ドランの作品らしく様々なセンス良き音楽が流れるが、圧倒的なのはオアシスのワンダー・ウォールが流れるシーンである。
この名曲が、”字幕付きで”流れるシーンは沁みる。
”僕を救えるのは、君だけだから・・。”
Wonderwallは造語であるが、強いて訳せば文字通り”魔法の壁”である。
・そして、冒頭から画面のアスペクト比は1:1のように見える。窮屈である。それが再後半、あるシーンでワイドになるのである。
閉塞感からの解放のように見えるのである。
だが、多額の賠償金を求められるシーンから再び、アスペクト比は1:1に戻るのである。
<今作は、母が”魔法の壁”の如く、必死に息子を支える姿と、母が耐えきれずに施設に入れるも脱走し、自由を求めて再び母の元へ戻ろうとする息子の姿が沁みるのである。
尚、この解釈は私独自のモノである事を記す。>
アンチPLA◯75だぜ!!!
先ずは『発達障害』と『吃音者』が一緒に和むと吃音が治るのは間違い。
民間療法と考えるべし。
発達障害への偏見を助長すると思うけどね。まぁ、デフォルメしているとは思う。
『そんなに綺麗なのに彼氏もいないの?』うん?
この母親は『ハウスキーパー』で飯を食べているのか?
『調子に乗せないで!』
つまり、寓話である。
一対一の映像比には理由がある。絵画的に映像を作っている。そして、小津安二郎監督をリスペクトしている。そうとしか思えない。
母親の愛は永遠に続かない。施設に入れるのをなぜ嫌がるのか?僕はそれが分からない。病気なんて言うものは素人が判断しては駄目である。
いつも思う事は、発達障害に限らず、障害を持った者が安心して暮らせる社会に社会自体が変わらなければ駄目なのだ。障害者の成長のスピードに期待しないで貰いたい。
そして、最後はみんな平等に孤独な死を迎えなければならない事を自覚するべきだ。そう、それまでは諦めない事だ。
架空の社会に於ける寓話だから良いとは思うが、拘束される事は無い。
途切れることのない親子の愛
採点4.2
愛し合っているのに離れなくてはならない親子の愛の物語。
障害と新法を巡る「if」の要素も取り入れたシリアスなテーマ。
だけどやはりグザヴィエらしく細くて美しい。
雨が降っているような音楽も心地よく、その選曲も素晴らしかった。
二人の生きづらさをその窮屈な画角に落とし込んでいるのもうまく、それを母親の空想でグッと世界が広がるのが秀逸です。
そのラストも決して途切れることのない親子の愛を感じられました。
本当すごい作品です。
これで伝わるよね?はい十分だと思います
架空の法案の説明から始まり、およそ善良とは言えないような母子の姿から物語は動き出す。
息子スティーブは間違いなく問題児だし、母ダイアンは言葉も態度も少々悪い、問題ある人物に思える。
しかし観ていくうちに二人とも違った一面を見せ始める。特にダイアンは、良くあろう、良い人間であろうと努めている事に気付きはじめ、そして、二人はとても愛のある親子に見えてくる。いや、実際に愛に溢れた親子なのだ。
今を取り巻く状況はよくないかもしれない。悲劇的な状況かもしれない。それでも今より良い未来を掴める気がしてくるし、今の二人だって、裕福で不自由ない生活とは程遠いけど、不幸かと問われれば、いいや、幸せそうに見えると答えるだろう。
イケメン監督のグザヴィエ・ドランは幸せに見える母子を画面サイズと隣人カイラで演出した。
カイラは映画を観ている私たちの視点キャラクターで、その彼女の態度と言葉の変化が私たちの気持ちを誘導する。この二人をどんな気持ちで見守ればいいのか、どう感じればいいのかを。
もう一つの画面サイズは、左右を切って画面を狭くすることで、余計な情報をシャットダウンし、より人物にフォーカスできるようにした。
カメラが凄く近いシーンも多く、つまり、画面一杯に人物が映ることで、その人の中身まで見えてくるような撮り方は神がかってると思ったね。
複雑でじんわりする感動が襲うなか、冒頭の法案が暗い影として不幸な未来を想像させ続ける。
甘いと酸っぱいの相乗効果のような、絶妙に絡み合った感情の渦は、ドランの天才性を確信させた。単なるイケメンじゃねーぞと。
ただでさえ力強いショットとカットの連続で溺れそうなのに、画面サイズが広かった瞬間の感情の高まりは驚くほどだったしね。
物語を動かすようなセリフは余り書かないイケメン脚本家ドランだけど、今回は印象的なセリフが二つあったね。
「過去はクソ!未来をわしづかめ」と「世の中に希望はわずかしかない」だ。
どちらも甘いと酸っぱいの渦の中に内在している真理のように作品内に取り込まれていて、ストーリーテラーとしてのイケメン・ドランの才能も感じたよね。
共感できないとか自業自得的なレビューの人がチラホラいるけど、この作品は共感するようなタイプの作品じゃないと思うんだよね。
イケメンドランは自分の一部を作品に取り込むことと映画観を語っている。
ダイアンのラストカットで、耐える母、強い母、愛してくれた母、愛すべき母の姿を写し出した。
自身も母と子だけだったイケメンの、母への感謝と愛情表現だったと思うのね。
幸せそうな他人のホームビデオに愛情を感じれば温かな気持ちになるでしょ。それと同じだよ。
画面には写っていないイケメンの深い愛を感じるべし。
ただ、愛情表現が濃すぎて、自分がドランの母親だったら息子が死ぬ気なんじゃないかと心配になるけどね。
ドラン監督、若くしてこの才能
ティモシー・シャラメとダニエル・カルーヤの対談で彼らがグザヴィエ・ドラン監督を絶賛していたので、まず監督のこの作品を観てみたのだが、いや、すごい。今まで色んな映画観てきたけど、こんな感覚になる映画ははじめて。何がどうって言葉で表せない。多分、演出がすごく緻密で、計算されていて、画角比の変化も後から気付いたくらい不自然さがなくて、でもそれが実は視聴者の感覚にすごい効果を及ぼしていて。こんな衝撃受けたのほんとはじめて。
さらに脚本も素晴らしい。音楽の使い方も映像とドンピシャ。すごい。すごいしか言えない。
最後の母親の妄想シーンなんて、映画を見てるのか絵画を見てるのか分からなくなる、どこか違う世界へ連れて行かれる。
役者陣も素晴らしいし、文句のつけようがない作品。ドラン監督の他の作品も絶対観る。
画面がーーーーーーーーーーー こう横に伸びる開放感を味わう映画。
途中で横に画面が開放されていくシーンが一番良かった。それまで制限されていた画角から広角への開放感は劇場で味わえたことは筆舌に値する。映画のビジュアルが気になってみてみたけど、劇場で見て良かった。
タガタメ
心にジィーーンとくる作品!
二人三脚親子愛じゃなくて、凸凹親子のリアルな日常を表した映画。家族二人と隣人さん、それぞれが問題を抱えて疲労していく、息子の幸せを願う気持ちが自分を壊す。決断の時は騒々しくて静寂。
挿入歌がすごい!特にoasisの「wonderall」が良き!あと、スクリーン比が1:1なのが、クライマックスのシーンで大きくなる。
それが母親の妄想であることと、心から息子の未来を信じているからこそ広く大きくなる必要があった!、
「母は強し」という感想で良いのだろうか…
少し重かったが、すごく良い作品だったと思う。
評価も高かったため期待して観たが、全然期待以上だった。
画面のアスペクト比が変化したり、ストーリー運びの映像切り替え等々、かなり凝って創られた作品だと思う。
スティーブの未来予想図?と言うか期待値図?と言うべきか、その映像が走馬灯のように流れたのはかなり泣けた。
正直何をどう感じることがこの作品の醍醐味かを解説する自信は全く無いが、ダイアンの涙を堪えるラストシーンは、母の強さを強く思った。
親子愛だけじゃない。
とにかく見るのがしんどかった。
ADHDであるスティーブの母やカイラへの支配的な愛は尋常じゃなく、それに対する母からスティーブへの愛には時々恐れや戸惑いを感じてそれが苦しく感じる。前半の救いのなさにはかなり辛いものがあった。そして登場人物の多面性に心をやられた。
それでも中盤から少しづつ希望が感じられ、開けた画角に入る時、oasisのwandarwallが流れ元々カッコいい歌だが、今までで1番カッコよく聞こえた。前半には見づらいと思った1:1の画角もこの快感にも感じられる展開への伏線であると考えれば納得。
途中で捨てた希望の未来が流れるが、そのシーンも胸を締め付けられる。母は結局施設で生き永らえることに希望を見出すが、その表情はどこか悲しそう。切なさが前面に押し出されたシーンだった。
ラストシーンからもスティーブは自由に固執していると感じられる。監督の演出からもそれを至る所で受け取ることができる。
様々な感情が溢れる良作でした。
息の詰まるような密着する母子関係を描写
「僕は暴力的な扱い難い子供で、親がそういう子供向けのサマーキャンプに入れたんだ。僕の場合はそこで文章で自分を表現できることを知って良くなったんだけど、もし、S14法=取り扱いの難しい14才以上の子供は施設に入れていい、という子捨ての法律があったらどうなるだろうって考えてみたんだ。」とドラン監督はインタビューに答えていた。
母一人子一人で互いに溺愛しあい依存しあって生きてきた。だが、息子の自分の思い通りにならないと癇癪を起こす激しい気性は成長期に入って大人の手に負えなくなり、母親は疲れ果ててしまう。こんな子いなければとさえ思う。その過程の描写が細かく説得力があるので分かりみが深過ぎて哀しくなる。途中、第三者の隣人の女性が加わるという変化もあったのだが…。
ドラン監督らしい若々しいラストの演出が鬱積した暗い気分を少し軽くしてくれたのはよかった。また、息子役、隣人役共によかったが、母親役の演技力が特に光った。
スクリーンサイズ
スクリーンサイズが1:1という、TVではちょっと鑑賞しにくい画面。アップになると表情がわかりやすいけど、どことなく絵画的であるのも面白い。
火災を起こして施設を追い出されることになったスティーヴ(ピロン)。最初から黒人のタクシー運転手とトラブルを起こし、職場についたダイアンは突然の解雇。普段は優しい子なのだが、注意欠如・多動性障害というスティーヴは時折暴力的になるのがやっかいだ。父親が死んでから一人で育ててきたが、今は子供向けの翻訳の仕事を見つけたダイアン(ドルヴァル)。
そんな中、隣人のカイラ(クレマン)と仲良くなるが、彼女もまた教師でありながら2年前から言語障害を患い、長期休職している。次第に交流が深まると、スクリーンサイズは普通のビスタサイズに戻るが、放火によって傷を負った家族から25万ドルを請求する訴状が届き、再び暗い1:1の画面に・・・そしてスティーヴがスーパーでリストカットして登場人物の心が揺れ動く。問題を抱えながらもドライブに出かけ、そこでまたビスタサイズになるという、心理描写をスクリーンサイズに投影しているのだ。
そんなスティーヴを結局は施設に入れる決断をするダイアン。母と息子の心理もよくわかるけど、実際に知的障がい者が身近にいないので隣人カイラの気持ちがより伝わってくる。
閉塞感を感じる映画
情緒不安定で攻撃的な性格の息子と、
それに振り回される母とのいざこざで、
内容に、得も言われぬ閉塞感がありました。
この閉塞感に、映像表現とBGM(有名な洋楽)を舞台装置として使い
視聴者を引き込み、心を揺さぶる
素晴らしい映画でした。
天才。
多動性障害を持つ少年とシングルマザーの母親と吃音症のお隣の奥さん3人の交流を描いた話。
.
この映画、ほぼずっとアスペクト比1:1のスマホの画面のような狭い画面で話が進行する。画面が狭い時ってだいたいその中の人がいかに狭い世界で息苦しく生きているかを表してるんだけど、2回そのアスペクト比が広がるシーンが出てくる。
.
最初のテロップからもうこの3人が良いエンディングに向かうことは何となくわかっているからこそ、その画面が広がるシーンが泣ける。
.
画面の比率だけじゃなくて、ほとんど画面に一人しか映らない中、いつ誰が同じ画角に収まるのか、誰と誰が絶対に同じ画角に入ることがないのか、全部が計算されてる。
.
グザヴィエドラン監督、音楽の使い方がやっぱ上手いよな〜.
.
あとは私の中の青いポスターの映画だいたい面白い説にまた1つ作品が加わりました(笑).
.
Mommy
ADHD(注意欠陥・多動性障害)を抱える人々の存在をSNSなどを通して知る機会が多くなっていた。その症状について「遅刻が多い」だとか「片付けができない」だとか、とにかく漠然とした知識しか持っていなかった。もちろん人によって症状の程度に差はあるのだろうが、彼らが直面する現実をこの映画を通して垣間見た気がすると言ったら稚拙だろうか。
冒頭からダイアンとスティーブの放つ言葉は刺々しく、お互い比例し合うように感情を剥き出しにする。それと対比するようなカイラの吃音。「キャラクターが主役になって、観客の視線も否応なしに集まり、目が離せなくなる。」という理由のもと設定された1:1の画面比率も手伝って、彼らの感情の機微を感じ取ろうと必死になれた。
この映画で一貫して描かれているのは「母子の愛」なのであるが、それは時に率直であり、時に歪なものであった。ダイアンとスティーブに通底しているのは互いに必要とし合っているという穏やかな愛情であるにもかかわらず、どうしようもない現実や未来への不安を目の当たりにするたびに、そんな愛情を守るべく交わされる言葉で、見失いそうになる愛の存在を確かめているのだろう。
痛々しい
サイズ変更みたいなギミックは割と好き。フランス語喋ってるとついついフランスが舞台と思ってしまう。
終始何をしでかすのかハラハラさせられて、観終わってグッタリしてしまった。この上手く生きられない親子はどうすればよかったのか、自分であれこれ考えてみたが結論は出ない。
暗さと、すがすがしさと、
そうだよね。
そうだよね
と、思うというか。
ADHDとか、障害の有無に関わらず、
ただでさえ、人間って、難しい。
一筋縄じゃない。
ひとつの事象に、ひとつの感情
ではない。
序盤の方でのメッセージ
「愛があれば、なんとかなる
というわけじゃない。
愛情があっても、どうにもならないこともある」
これが、この映画のテーマともいえるのかな。
そしてこのテーマは、
障害者の子と親、という関係のみならず、
家族、恋愛、友情、仕事相手...
どんな人間関係においてだって言えることだ。
スティーブは、
感情の出す量、
伝え方、抑え方、
それをコントロールするネジを
人よりも、グングン回す。
この世界で生きるには
窮屈だよね。
きっと、スティーブにもピッタリの
世界があるはずなんだけど。
この地球では、そのコントロールネジの幅が
そんなに回らない人の方が多いから。
愛情のあまり、
強く抱きしめても
相手に「苦しい、痛い」と思わせては、
それは愛ではないと
受け取られてしまうのかもしれない。
相手にとって、
ほどよく、心地よい力具合で抱きしめることが
愛、なのだろうか。
わかんないけど。
自分の心地よい「愛のでかさ、強さ」が
同じように感じれる相手だと
ベストだけどね。
ほどほどの価値観って、
人それぞれだから
難しいし、
だから面白いし、複雑だね。
そんな、
「人間って複雑でシンドイけど、
素晴らしい時間も、あるんだよね。」
を、繊細に、そして大胆に、
表現した監督は、
すごいね。
音楽の入れ方も、好きでした。
冒頭のs-14法案の物語への絡み方が、お洒落な世界観に飲み込まれて...
冒頭のs-14法案の物語への絡み方が、お洒落な世界観に飲み込まれてあんまり入ってこなかった。どちらかと言えば好きな雰囲気だから見てよかったとは思うけど、扱っているテーマや設定に惹かれたのでそこが分かりづらくなっているのは少し残念な気がした。
全106件中、1~20件目を表示