バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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予備知識を前もって持ってないと意味分からない映画だった。 自分はま...
予備知識を前もって持ってないと意味分からない映画だった。
自分はまさにそれで、観終わってから調べてなるほどなと納得した方。
マイケルは1989年にバットマンで主役をやってて一躍人気者になったと。
でもそれから泣かず飛ばずでまさにこの映画の主役と同じ境遇。
というかだからマイケルを起用したんだなと理解。
所々で映画業界に対する風刺があるのはなんとなく感じた。
超能力やバードマンは何なのか最後までわからなかった。
あのままバードマンを続けていれば…という思いも自分の中にあって、それが具現化したのがバードマンなのかなという解釈。
深層心理というか本音というか。
撮影方法も変わった方法だったらしいけど、そんなに気付かなかった。
調べてから、あー確かに言われてみれば繋がってたなという印象。
一発撮りで完璧に演じていく出演者達の演技力の高さが評価されてるんだろうか。
と、色々理解はできるけどすごいとは思わないし面白かったとも思わない。
マイケルの演技力は言われてみればすごかったかもしれない。
何度か観るとすごさが分かる映画かもしれないけど、再び観る気にはあまりならない。
深いようで浅いことを言っている?
よくわからなかったので、これから他の方のレビューを見て勉強します。映画界、演劇界へのメッセージ(違うかも)だとしたら「なるほど。そういう感じなんだ」という印象です。全編長回しのような映像は映画の世界に入り込めるような感じがありますね。
凝ってるけどなぁ~
個性派揃いの役者さんによるある意味ぶっ飛んだ演技やカメラワーク等により、かなり独特な雰囲気の作品で、うーん…どう観ればいいのだろうか。作品のジャンルすら判別しにくい。すごく凝っていて印象に残る良い作品とは思うが、果たして自分にとっては好きな逸品となるのだろうか。
と才能は紙一重と言ってもいいか?
バードマン役で有名だった主人公リーガン(マイケルキートン)がその後、返り咲きを計り、ブロードウェーの舞台でレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を、自ら舞台向けに脚色、演出、主演を務めて作品に。舞台上映の前の、本公演前のプレビュー公演で主人公の生活、性格が徐々に明らかにされる。娘のサムは麻薬中毒でリハビリを経験しているが、また、薬を。妻とは離婚して、マリブの自宅をレファイナン
スにと。面白くおかしく描いているが、はっきり言って、自己中の塊で、自分の栄光を忘れられなしバードマンに取り憑かれてしまう。
代役としてマイク(エドワード ノートン)が選ばれるが、彼の才能に嫉妬し始める。その後、マイクが娘のサムと仲良くしているのを見たり、新聞の芸能欄で脇役扱いされ、マイクとリーガンは険悪になった。最後のプレビュー公演中、外でタバコを吸おうと思ったリーガンはドアが閉まり、ガウンの裾がひっかかり入れなくなってしまった。ブリーフ一つで、彼は、裏口から客の入り口である表玄関に回る。これはネットに載って、何万回も再生され、人々から話題になった。
ある女性評論家からショーを最悪のものとして、書いて潰してやると警告を。そのご、バートマンが彼の背後に現れ、リーガンを左右する。ここのところは漫画とコメディーの世界でリーガンが苦しんでいるのにもかかわらず、私は楽しく観ていた。最後は私の予想していた鳥、リーガンは本物の拳銃を使い、発砲と当時に倒れるが、観客は喝采を。それが、女性評論家からかわれ、席巻した。
結局、ブロードウェーショーや映画界など、こう言った実力があるハレンチの役者(マイク、やリーガン)が幅を聞かせて、セクハラをしたりして女性を食い物にして、エゴを発揮するんだなと思った。それに、そのエゴが通るから始末に追えないし、周りは仕事が欲しいから見ないフリをしている。私は芸能界にいないから役者の映画の役割しか見ることができないし、インタビューなどもこのマイクのような虚言もあるだろう。虚言がまた本当のように書かれて、何が本当か嘘か全くわからないというのが現実かもね。
メキシコ出身のジャズ・ドラマー、アントニオ・サンチェスは最高。黒澤明の映画を思い出させるドラム(黒沢は太鼓)の叩き方
メキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督はかなり細かい点まで配役に要求する人らしいが才能があるね。それより、かなりの有名なハリウッドの映画をとっているとは知らなかった。
マイケル・キートンとエドワード・ノートンの演技にもびっくり、精神的な葛藤が(正直言って、キチガイ一歩手前の演技がうまい。まいったね。
この狭っ苦しい舞台裏こそが大宇宙に連なっているのだという、発見。
映画なのに全編がほぼワンカットだって、どういうことなんだろう。
……と、前宣伝を見て思っていたのですが、その宣伝文句に負けない、凄いカメラワークを楽しむための映画でした。
撮影が「ゼロ・グラビティー」のカメラ担当だと知って、なるほどねと思ったものです。
ハンドカメラだけで撮影されているのに、まったく手振れしないというのは、偉大な技術の進歩のおかげでしょう。
観客は、おいおい鏡にカメラが映っちゃうよ、などと、まるで撮影スタッフの一員になったかのようなスリルまで味わうことができます。
ブロードウェイの狭い劇場の裏側を、観客は演劇のスタッフのような視点から参加し、まるで劇場の裏話を舞台にしたテーマパークみたいです。
こういうカメラワークが成立する時代になったのだ、と、感慨を味わいました。
前作の「まわりに何もない虚無なる大宇宙」を描いたカメラマンの次作が、この狭っ苦しい舞台裏だったという一見意外な点も、しかしこれこそ正常進化なんだよなぁと納得できる、そういう映画でした。
そんな凄いカメラワークを、ぜひとも楽しんで欲しいと思います。
もういちど輝くため・・・
出演者が好きだからというのもありますが、こういうの好きなんです(笑) 舞台に携わっている人達の舞台裏を覗いてるみたいで。 僕自身が舞台で演じるのは恐怖と緊張で無理ですが、舞台裏密着みたいなのは好きです、飽きずに観れてもっと長くてもよかったくらいです!マイケル・キートン、バットマン復帰の噂がありますが、是非出てほしい!
スターは地に堕ちていたのか?
これは相当の好みでした。アカデミー賞を取った長回しシーンも圧巻だったし、自在なカメラワークに驚いた。
そして、どこまでが現実で、どこからが虚構なのか混乱するストーリーだし、エンディングの解釈も色々出来る脚本が素晴らしい。
最後のあの笑顔はどういう意味なのか、観た人に任されているようだ。
"ダークファンタジー"って言うんだ(笑)
スタイリッシュで撮り方もかっこよくて
演技も大きくて面白かったけど
なんか腑に落ちない…
これはB級映画ですよーと言ってくれたら
星5つなんだけどな…
ドラムソロが効果的に使われていたのが
一番憎いな悔しいな、くらいに感じたけど
終盤にラフマニノフが使われて笑った
長回しはもう加工なのだから
感激しないよ?とは思っても
映画人には拘りがあるのか、効果はなくない
好きなセリフ
「複雑な感情と戦うのが役者さ」
メキシコ最強タッグは今や世界の2トップ
個人評価:4.3
バベルでは人間の愚行の末路を描き、アモーレス・ペロスでは人間の愚の末路を辿る計画を描いた。
オスカーの最高賞である作品賞を受賞した本作は、今までの主題の結果とは真逆の結末を描いていると感じる。
無知であるが故に到達する高見がそこにはある事を物語り、エゴを押し通そうとした主人公の行動を、結果的には無知によって成し得た皮肉を描いている。
同じくオスカーに輝いたエマニュエル・ルベツキの撮影とのコラボレーション。このメキシコの最強タッグは間違いなく、今や世界の2トップだろう。
なんとも言えない虚無感と僅かな希望
映画自体の評価が高かったので、遅ればせながら観賞。
マイケル・キートンと言う本当に忘れてた俳優が主人公を演じる昔ヒーロー映画で大人気だった男優が落ちぶれて再起を願いブロード・ウェイで演劇界で再ブレイクを目論む男を演じる。
個人的には彼の取り巻く状況(エマ・ストーン演じる薬が抜けない自分の娘、交際している女優、エドワード・ノートン演じるめんどくさい共演俳優)と賑やかな設定ながら面白みは然程感じず・・・
強く感じるのは現代のネット社会とそれに取り残された主人公、とにかく現状から這い出ようとするプライドの高い主人公と対比する急遽配役されたクセのある共演男優、映画と演劇の格付け(そんなものが存在するとは思わないが・・・)、批評家の存在(別にこの映画観る前からいろいろ感じる事はあったが・・・)そんなところだろうか?
幻想的なシーンは何故かフェデリコ・フェリーニの映画を思い出す。
フェリーニの映画は中学生位の頃によく観たが、あの頃理十分に解出来ていなかった気がする(ローマとかサテリコンとか本質的な面白さ、良さが理解出来なかった・・・)。
20代前半で「8 1/2」を観た時、終盤で自然と泣きそうになる位感動した。何でか、どのシーンでかとかでは無く、全体の流れの終結からだろうか・・・)
つまりこの映画は好き嫌いの別れる映画かもしれない。
それとももっと歳をとった後観たら理解できるのだろうか?
本気の芝居に取り憑かれた男の狂気
過去「バードマン」というヒーロー映画で人気を集めた主人公が小さな劇場の芝居にて再起を謀る話。
一つ前レビュー「ゾンビランド ダブルタップ」のエマ・ストーン繋がり、且つ未視聴と言う事でチョイス。
この作品のエマ・ストーンが1番好きだなw
映像も脚本も丁寧で心理的工夫がある作品。
長時間ワンカット風にて撮影され、主人公、主人公を取り巻く家族、他役者、舞台関係者、様々な人間にフォーカスを順番に当てて行き、尚且つ魅せるアングルを活用する様は素晴らしいセンスを感じる。
現代にて人気にあやかるヒーローモノ及び俳優を皮肉る主人公の姿は昔自分もやってた事(実際にも過去バットマンを演じる。たぶんバードマンと重ねる部分もあり、マイケル・キートンが主人公採用なんだろうね)もあり愛敬がある。
リタイアしてもいい歳なのに俳優業に未練がある主人公。私財を投げ売ってまで再起を掛ける男に過去の産物「バードマン」が幻聴の様に語りかけてくる。
そこに、共に演劇を行うエドワード・ノートンが主人公の演じる形に対してプレッシャーを掛けてくる所も見逃せない。
彼は別映画「ファイト・クラブ」と言う心理状態を利用した傑作の主人公を演じており、それを知っててわざわざこの作品(心理状態を活かした映画)に抜擢したのであれば、(マイケル・キートン主人公採用の件と同じく)この監督おそるべしである。
私には狙ってキャスティングし作った様にしか思えなかった。
また、バードマンが徐々に幻聴→空想→幻覚と、主人公の内心的および外見までも侵食していく様も面白かった。
最後は皆さまの想像にお任せする的だが、何とも心理的映画らしい終わり方。
考えさせられ、見応えのある映画でした。
BS12字幕版鑑賞。 これってバットマン3部作の1つだな、で見始め...
BS12字幕版鑑賞。
これってバットマン3部作の1つだな、で見始めた。違うの?
なんかこの撮り方、嫌いだ。なんか、俺たちはすごいことやってる的な自己満足のような…
内容もまさにそんな感じ。このおっさん、二重人格者?超能力者?
芝居のクライマックスはさすがにドキドキしたが、エンディング、やっぱりなんなの?(笑)
ところでこれバットマン3部作だよね、違うの?
ユニークだが病的
大スターや名プレーヤーの凋落の悲劇は数多く映画化されてきている、謂わば定番だがブラック・メタフィクションという訳のわからない手法でチャレンジした意欲作ということなのだろう。
楽屋の化粧鏡に"A THING IS A THING,NOT WHAT IS SAID OF THAT THING."(才能は才能、批評とは別物である)と慰めとも励ましともつかぬスーザン・ソンタグの一文が書かれた紙が貼ってある。業界人には受けるのであろう、役者に限らず人気商売は浮き沈みが激しい、認められたい欲求は誰しもあるだろうが精神錯乱まで行ってしまっては身も蓋もない。冒頭からシュールな空中浮遊、思わずあの狂気の教祖を連想、登場人物は舞台劇のように終始声を張り上げ下品極まりないセリフが飛び交う、薬物患者のような幻覚にまで付き合わされる身としては逃げたくなる。
演出で損してる
テレビでやってたのでなんとなく、2回目の視聴
初めて見たときは独特のカメラワークが見にくくて面白いと思えなかったけど今回だいたい話分かっててみると面白かったです
正直あの演出いらない普通に撮って欲しい
それ以外の演出は好き、実際はタクシー移動なのにヒーローよろしく街を見下ろしながら空飛ぶ空想とか、
マイケルキートンありきの作品で空想と現実、更には映画の役と本当の現実世界まで交錯するような作品
だから最後にもう一捻り、エマストーンが下見て何も無い、上を見てにっこりは正解だと思う
後にホームカミングでバルチャー役として見事羽ばたいているから現実まで侵食しているようで面白い、演技力で返り咲いたんだね
ていうか着ぐるみスバイディとめっちゃ共演してるやん、すでにw
ただただアメコミ映画の風刺だけじゃないケレンミを感じる
【一度見て、この作品の凄さが分かる方は審美眼が凄いと思った作品:長回しの”これどうやって撮ったの?という映像にも驚かされた作品】
当時のこの映画のフライヤー(私の手元には3種ある)には、映画内容を匂わす部分は抽象的な文言しかなく、”アカデミー賞 最多9部門ノミネート” とか、その後賞が確定した時点で出たフライヤーには”アカデミー作品賞ほか最多4冠に輝く”という映画祭の受賞履歴が大々的に喧伝されていた。
つまりは、観れば分かるのだがかなり捻りが効いている内容なのである。
簡単に書けば、且つて”バードマン”というスーパーヒーロー映画で世界的スターになった男リーガン(マイケル・キートン)がその後作品(及び彼自身の演技力の無さ)に恵まれず低迷する中、私生活も破綻し、ひとり娘のサム(エマ・ストーン!)も薬物に溺れる中、再起を図り自ら脚色・演出・主演でレイモンド・カーヴァー(村上春樹さんお気に入りですね)の「愛について語る時に我々の語ること」でブロードウェイの舞台に臨もうとするところまでが序章。
ここから、サムが彼の付き人になったり、批評家からの評価が高いマイク(エドワード・ノートン、鼻持ちならない高慢な男をパンツ一枚で好演 笑えます)が場を乱したり、幻影のように出現する”バードマン”がリーガンに”こんな芝居やめちまえ”などと囁いたり、時折私は今何を観ているのか?と屡々思うのだが、最後まで力業で見せられる作品なのである。
どこまでが真実でどこからがリーガンの頭の中に描かれる虚構なのかが分かってくると面白さが倍加する作品でもある。
<この作品で、エマ・ストーンの凄さと目の尋常でない大きさを知った。>
<2015年4月10日 劇場にて鑑賞>
演劇なのね
「バードマン」は「バットマン」なんですよね、トムソンをキートンが演じてる様に。
そこが分かってると面白いんだろうな。要はこの映画、パロディなんです。
現実の小ネタも結構ぶっこんで来る。
「ウディハレルソンは?ファスベンダーは?呼べないのか?」
「ハンガーゲームとXーMEN撮影中だ!」
とか、ロバートダウニーJrへの皮肉とか、
メグライアンのネタはちょっとブラック過ぎて心配。
その辺も知らないとつまんないだろうね。
ただ万人が認めるあのカメラワークは目が離せない。
全編ノーカットに観せる撮影って、それだけで楽しいし飽きない。
だから現実と夢想の端境がはっきりしない分、あのラストは生きてくる。
ただ、騒がれた割には話は地味だな。
というか、映画ばかり見てる人にとって、演劇は地味に感じてしまうのかも。
だから途中で批評家が「ここはNY、ハリウッドじゃない」と言うのも、
NYでは演劇こそトップアクターのステータスなんでしょう。
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