ターナー、光に愛を求めて : 映画評論・批評
2015年6月9日更新
2015年6月20日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
光を描くことに執念を燃やした芸術家の全人生を感じさせる、センシティブな作品
優れた映画は無いものを見せる。この映画にターナー(ティモシー・スポール)の母親のエピソードは登場しない。が、父親と親密な関係を築く一方で、元愛人と娘を冷たくあしらい、献身的な家政婦もぞんざいに扱うターナーの姿から、彼の中に歪んだ女性観を植え付けた母親の存在が見えてくる。
聞けばターナーの母親は激しい怒りの発作を起こすことがあり、恐怖と嫌悪を感じた幼少期のターナーはたびたび近所の家に避難していたという。そうした経験が、おそらく彼を風景画家の道に進ませたのだろう。感情に翻弄される人間の不浄さを嫌ったターナーは、光の中に神の崇高さを宿す自然の風景に惹かれたのではないか。あるいは単純に、人間(母の遺伝子を継ぐ自分を含む)は醜く、風景は美しいと感じたのかもしれない。ドラマに描かれているのは50代から70代までのターナーだが、マイク・リー監督はディテールを通してターナーの全人生を感じさせる。これは、そんなセンシティブな作品だ。
最愛の父の死後、ターナーは母親の対極に位置する陽気で寛容なブース夫人(マリオン・ベイリー)と出会い、彼女との関係に安らぎを見出す。晩年のターナーと同棲生活を送ったブース夫人は、劇中に情景が再現されるターナーの代表作「解体されるために最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号」に描かれた太陽のような存在だ。空と海の狭間でオレンジ色に輝きながら、夕暮れ時に差し掛かったターナーの人生を温かく照らし出す。そんなふうに考えると、水平線の彼方に向かって進むテメレール号には劇後半の老いたターナーが重なる。人生が芸術を模倣する感覚を、この映画は味わわせてくれる。
ターナーの臨終の言葉は「太陽は神だ」。それは、光を描くことに執念を燃やした芸術家の魂の叫びなのだろうが、一方では最期をみとったブース夫人に対する賛辞と感謝の言葉にも聞こえる。後者の解釈を生み出したベイリーの母性豊かな演技が魅力的だ。
(矢崎由紀子)