起終点駅 ターミナルのレビュー・感想・評価
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再出発の人生が走る
原作者の桜木紫乃は“新官能派”のキャッチコピーで愛や性にまつわる人間模様を描いた作風だとか。
そこから察するに本作は、艶かしさ滲む歳の差ラブストーリー…?
愛に年齢は関係ないが、佐藤浩市と本田翼で何だかそれは見たくないなぁ…というのが本音。
確かに“愛”を描いているが、男女愛ではなく人間愛。
その作風に思いの外魅せられた。
釧路で裁判官をしている鷲田は被告人として立ったかつて愛した女性と再会。妻子ある身ながら関係を深めるが、ある日目の前で自殺。それが原因で妻とも離婚、息子ともずっと疎遠。以来25年間、この地に留まり、国選弁護人の職に。自らを罰するようにひっそりと、誰とも関わらず…。
愛を失った男。
鷲田が執行猶予にした若い女性・敦子。早くに家を出、家族と疎遠。薬物常習犯の恋人となり、罪に。
愛に恵まれぬ女。
ある日、鷲田の家を敦子が訪ねてきた事から…。
意図しなかった交流が始まる。
食事を勧める鷲田。
突然熱を出した敦子を看病し…。
最初は立場故隔たりもあったが、次第に…。
恋愛関係ではない。擬似親子という訳でもない。何処か似た悲しみや境遇を持つ二人。
不思議と、そして自然に、お互いに影響し合っていく…。
最初この二人の共演を聞いた時、驚いたもんだ。
だって、片や日本を代表する名優。片や演技力を色々言われる女優。さながら公開処刑だ。
確かに演技力には差がある。しかしこれまた不思議なケミストリー。
佐藤浩市がしっかりと作品を締める。抑えた名演で。
それに支えられるようにして、本田翼をナチュラルに放つ。劇中交流を深めていき、ちょくちょくと訪ねるようになってからの自然体は素のままのよう。そんな普段の明るさとは違う陰のある役柄に挑戦。
何だか二人の姿がそのまま役に通じて見えた。
桜木紫乃の作品はほとんど釧路が舞台だという。二人の心の彷徨にぴったりの、釧路の美しい風景。
駅も象徴的。
でも何より、鷲田が作る料理。ザンギもいいが、あのいくらの美味しそうな事と言ったら! 私ゃいくら好きなので、劇中同様温かい真っ白なご飯でかっ食らいたい!
大きな出来事は起こらない。静かに時や物語が流れていく。
敦子は鷲田と共に生家を訪ねる。今はもう廃墟に。家族の位牌。そしてそこに、薬漬けの恋人が…。
過去と向き合い、不幸を断ち切る事が出来た敦子。この地を出る事を決めた。
お世話になった人。見送りの際、「ザンギが上手く作れなかったらまた会いに来ていいですか?」と。少なからず想いはあったかもしれない。
「ダメだ」と鷲田。君にとってここは終着駅じゃない。出発駅なのだ。
では当の本人は…?
誰かの再出発の助けになった。それは自分にも言える。
鷲田の元には大分前から、結婚する事になった息子から式出席の紹介が。
こんな自分が出席など出来るものか。ある時久し振りに息子と電話で話すが、息子に“さん付け”や敬語で話す。それくらい、自分を罰している。
訳あってようやく届いた手紙。そこに書かれていた息子の思い…。
鷲田は急いで駅に向かう。東京へ。あの時以来、初めて町を出る。
自分が勝手にそう思い込んでいただけなのだ。ここが終着駅だと。
そうではなかった。
そこは人生を見つめ直す中間駅。
再出発の人生が走る。優しさや愛を乗せて。
死ぬこと以外かすり傷!!
公開当時は劇場ポスターから、佐藤浩市が役得で本田翼の匂いを嗅ぐ映画(失礼)だと思ってスルーしてしまいましたが、ロクヨンで佐藤浩市のファンになり、ちょうど冬の映画なので観ました。ストーリーは派手ではないですが、舞台の寂れた感じとキャストさんの演技が良いので観入ってしまいました。本田翼が唐揚げを食べてから急に馴れ馴れしくなってきて笑えました。また彼女が来るようになってから主人公が高い肉を買って帰って共感しました。私は、千葉から愛知に越して来たら徒歩では殆ど生活できない&毎日車通りが危なくてびっくりしましたが、主人公は釧路で(車はありますが)徒歩で生活していて足腰が強靭で良いと思います。車が無いと出会いもままならないので、自宅に可愛くてスタイルの良い子が(これも何故か徒歩で)頻繁に来てくれるのは個人的に面白い設定だと思います(主人公が肉を買った和庄市場から、自宅がある益浦まで7.5キロもあります)。本田翼との関わりのみならず、自炊シーンが沢山あって静かで幸せな映画です。毎年2月に放映している「名古屋行き最終列車」という名古屋限定オムニバスドラマがあるのですが、そちらはコメディ寄りですが、同じ人生の岐路と列車をテーマにした創作物として本作も心に残りました。エンドロール曲は青春映画ではないので雰囲気ぶち壊しだと思いました。私は怪我をしているので、佐藤浩市の「生きてさえいればいい。生きてさえいてくれれば」の台詞を聞いて泣きました。死ぬこと以外かすり傷です!!
原作、桜木紫乃。未読。
ずっと観たかったんだけど、なかなか見られなくて……。やっと見られた。頭の中でイメージしていた話と全く違っていて、とても良かった!昔の女が目の前で、電車に飛び込んで、自殺した過去を持つ男が主人公。こういう雰囲気、好きだなぁ。原作も気になります。
いくらなんでも・・・。
僕は北海道人だからこそわかる、現地の気候風土の質感をよく切り取っていた映像と、丁寧な演出、佐藤浩市の抑制の効いた演技、一方で本田翼の瑞々しい演技にもは好感が持てた。
しかし最後の最後に佐藤浩市演じる主人公が、「息子の披露宴に間に合うか?」とカレンダーを確認した割には、なんと釧路から東京までわざわざJRで移動しようというのは、現地ではあり得ない。
釧路ももちろん、途中の帯広でも新千歳でもJRから接続して東京に空路を使う手段はいくらでもあるし、一般的。
「起終点駅」という物語であるために、という無理な展開が残念ながら作品を幻滅させてしまったと言わざるを得ない。
料理がおいしそう!
ザンギ、イクラの醤油漬け、ゴマだれの冷やし中華。。。
中でも、ザンギ‼︎
帰りに鶏肉を買って帰りました。
小さい頃に別れた息子を思いながらイクラを食べるシーンで泣きました。
元恋人の尾野真千子の役ですが、生まれ育った境遇の描写が全くなかったので想像でしか無いのですが、恐らく幸せに慣れていない生い立ちだったのでしょう。
【重荷になりたくない】という言葉でわかります。自分では向き合えないし闘えない。恋人に【闘え】と言ったのは自分が出来ないことを委ねたかった。
学生時代、同棲中に出て行き、佐藤浩市が判事になった数年後に再会するも今度は永遠にいなくなる。。。
一見訳のわからない行動に見えるが
全部逃げです。
現実を受け入れられない。
心が弱い人だったんですね。
【優しい人だけど、心が弱い人】本田翼が法廷で交際相手の彼をそう証言しました。
尾野真千子の性質と重なりました。
謎なのは本田翼の両親と兄夫婦の子供が同じ日に亡くなっていたこと。事故死なのか⁈
兄夫婦は現在どうしているのか全く出てこない。
過去と現在の対比がよく描かれていて良い映画です。息子に会いに行く時の佐藤浩市の吹っ切れたような表情が良い。
尾野真千子が良かった
判事だった頃の苦い経験を引きずり最北の釧路にひっそり暮らす55歳の弁護士が孤独な25歳の女の子と出会い再生していく物語。
佐藤浩市の生きてさえいればの言葉が残りました。
展開はゆっくりですがなかなか良い映画でした。
息子に会いに行くことを決めて電車に乗る佐藤浩市の表情も流石でした。
せりふがしゃべり過ぎず、言葉が胸にすんなり入ってきます
直木賞作家の桜木紫乃さんの小説を映画化したのが本作。
北海道釧路市を舞台に、過去にとらわれる初老の男が一人の女性との出会いによって再生していくさまをしみじみと描き出されました。人生の再生を描いた大人の人間ドラマでした。
昭和63年(1988年)、雪の旭川。単身赴任中の裁判官・鷲田完治(佐藤浩市)は、学生時代の恋人・結城冴子(尾野真千子さん)の裁判に立ち会い、その後、冴子のスナックに通うようになります。冴子と深い仲になった鷲田は妻子を捨て、どこか片田舎で弁護士として独立し、冴子と暮らす決心をします。
しかし、重荷になりたくない彼女は、鷲田の目の前で駅のホームから線路に飛び込み自殺するのです。ここで初めてタイトル。長い序章は、昭和のメロドラマのような悲恋物語でした。
25年後の平成26年、釧路。自分への十字架を背負った鷲田は、妻子と別れ、国選弁護人しか引き受けない弁護士として、ひっそりと暮らしていました。
ある時、彼が弁護を担当した椎名敦子(本田翼)という女性が自宅を訪ねてくる。ふとしたことから鷲田は敦子に料理を振る舞うようになる。
さらに、何年も会っていなかった息子から大切な手紙が届いて……という展開。
冒頭の1988年は平成となる前年。ぎりぎり昭和という時代設定がうまい。恋人の死で時間を止めてしまった鷲田が、昭和から平成へ、時代に乗り移れなかった男に思えてきました。同じように、乗り移れない部分を抱えた人々は少なくないでしょう。好きな監督のひとりである篠原哲雄監督は、北海道らしい風景や料理を交えつつ、そんな男を愛情を込めて描いたのでした。
特にセリフを抑えた序盤に胸をつかまれました。その情感は、篠原監督ならではのものです。ほのかにともった男女の生の炎が、白い雪の世界に覆い尽くされ、旅立つ2人に思いを寄せたのでした。
ただ抑制しすぎて、なんで冴子は愛する人の目の前で、自殺を選んだのか、そしてそのことでその後の25年間の人生を、まるで罪人のように北海道の地方都市へと自分を監禁してしまった鷲田の贖罪の気持ちは説明不足に感じました。
第2幕が映すのは鷲田の淡々とした生活と敦子の孤独。当初のトーンは暗いままでしたが、敦子の登場によって、孤独な鷲田の暮らしに違ったリズムが加わえていくのです。敦子の存在は、鷲田の胸に過去の思い出をよぎらせざるを得ませんでした。敦子のペースにはまりながら、止まっていた時間が動き出していきました。つらいはずの過去は、気づけば懐かしい痛みに変わっていったのです。
2人のやりとりはまるでラブコメディーを思わせる部分もありました。初老の男が若い女性にドギマギする表情が面白い!目が死んで見えた敦子も、鷲田が作るザンギをおいしそうに頬張ばるなかで、次第に表情を輝かせるのです。鷲田に心を開いた後の敦子は、あっけらかんと語ってなかなかユーモラスでした。
2人の間にあるのは恋愛感情か、ただの親愛の情か。曖昧なまま関係が深まっていきます。その中で2人は過去を清算していくのでした。
ただ敦子が病で一晩看病することもあった鷲田だけに、曖昧なままふたりの関係にもう少し進展があれば、よかったのだけどとというのは、余計でしょうか?
とにかく佐藤さんの芝居に酔わされました。半白髪の佐藤浩市の枯れきっていない男の色気が、よくも悪くも映画を支配していたのです。
主人公は自分を責めて、人との関係を絶って生きてきた初老の男。ヨレヨレのスウェットを着て、古い平屋の家に住む姿は、男がこの地に懺悔のつもりで住んだ25年の歳月を感じさせてくれました。
地味な生活ながらも、男の一人暮らしをそこそこ楽しんでいる風情がほほえましかったです。
まるで是枝監督作品のように、年季の入った台所で手際よく料理を作るのシーンが、たくさん登場します。ザンギ以外にもイクラの醤油漬けや炒め物などどれもが美味しそう(^。^)新聞の料理記事の切り抜きを欠かさない鷲田は、なかなかの料理マニアでした。ザンギを作る過程も紹介されているので、自分でも作ってみたくなりました。そのうち鷲田と同じようにも市場で鶏肉を買うのが日課になるかもしれませんね。
前半は男の過去、後半は女の過去が明らかにされていく構成が絶妙。せりふがしゃべり過ぎず、言葉が胸にすんなり入ってくる篠原監督の佳作です。何度見ても、風景の中に情感を込めるのがうまい監督さんですね。繰り返し出てくる市場の雑踏、作品を象徴する釧路駅……すべてが心にしみ入ってくることでしょう。
結城冴子が自殺した理由が解せない
TOHOシネマズ川崎で2015/11/13に鑑賞。
佐藤浩市の演技も本田翼の演技もとても良かったのですが、尾野真千子演じる結城冴子が自殺した理由が解りません。ここが理解できないと話の骨格である鷲田寛治(佐藤浩市)が世捨て人のように釧路で暮らす理由もぼやけてしまう。寛治は冴子の気持ちを理解できていなかったかもしれない。しかしですよ、本人の目の前であんな凄惨な自殺の仕方をするなんてどれほどひどい仕打ちですか?それほどのことを寛治は冴子にしましたか?冴子は寛治が司法試験に合格した時も一緒に喜びを分かち合うことなく、万年筆一本残して消えました。そして十年ほど経って再開し、妻子ある寛治と簡単に不倫関係になり、寛治が家庭を捨て自分を選ぶ覚悟を決めると目の前で電車による轢死というとんでもない方法の自殺。これほどの仕打ちありますか?結城冴子ははっきり言ってメンヘラですよね?こんな自殺をする人が寛治に「たたかえ、寛治」などと発破をかけていたんですよ。また彼女は生前、「長生きして人に負担をかけるなら早く死んだほうが幸せ」というようなことも言っていました。でもこの自殺がどれほど寛治に負担をかけるか想像できなかったんでしょうか?
そしてその冴子に対して過剰に責任を感じ、家族を捨て(ここで罪をまた増やしている)彼女が自殺した地で地味に暮らすという十字架を背負う選択をします、うん?映画を鑑賞している間、この疑問がもやもやしていまいち話に入り込めませんでした。
他の人のレビューもいくつか読んだのですが、この辺に言及している人はいないようでした。私の理解力が足りないのでしょうか?わかる方いらしたら、よろしければコメントでご教授おねがいします。
本田翼の演技がとても良かった。初めの暗い目つきの影のある演技、寛治と食事を一緒にしたあたりからの打ち解けてきて、少し厚かましいくらいの現代っ子っぽい演技。最近の若い子の演技、侮れない。
このさき当分、イクラを見ただけで泣けてしまうかもしれない
佐藤浩市が、自らに刑を与えた人生を生きる独居の初老を好演。
もちろん本人の演技力によるところはおおきいのだろうけど、歩き方や表情だけでなく、住まいや服装や車とかで、いやあここまで佐藤浩市をしょぼくれさせてくれるのか!という驚きはあった。
本田翼も、役にあっていた。化粧っ気のない素直な笑顔を持ちながら、影を潜ませた瞳をも持ち合わせている。だから彼女が伏し目がちな表情をしながら地味なたたずまいを見せるだけで、ああ、この子の生い立ちはちょっとなにかあったな、という空気を作れる。逆を言えば、明るく見せても、どこか痛々しく見えてしまうのが難点なのだろうが。
映画はとにかく地味だ。
CG(雪の演出)のせいでかえって冷めてしまうところはあるが、総じて時間の流れが、物語の暗さとあっていた。
あるときから、十字架を我が身に背負い込んだ一生を自分に科したカンジの心が、鷲田敦子が現れてからゆっくりとゆっくりと氷解していくのが、ここちよく悲しく、心地よく切なかった。
息子役は、声は電話だけだった。しかし、職場で働く姿(たぶん役者の誠実そうな容姿に影響されているところはおおきいが)を画面で見ているだけで、涙が流れてきてしまった。こいつが、山を趣味とし、「A定食」を楽しみにしている奴か、と思うだけで泣けた。
母親役は出てこないが、手紙の文面、字で、厳しくも理性のある人柄がうかがえた。そんな人に育てられた息子なのかと思わせられた。
もし、捨ててもいいと思えるような家庭だったら、カンジはあそこまで自分に刑を科さなかったかっただろう。
行き違いもありながら、ぎりぎりのタイミングで息子の結婚式を知ったカンジが、あえて東京まで電車で向かう。釧路は、かつて逃げ込んだ行きつく果ての終着点で、いまはここからまた始める始発駅。
たぶん、飛行機で行ってしまっては急激な気持ちの整理ができないのだ。まるで、凍えた身体をゆっくりと温めるかのような、そんなカンジの表情だった。
ただ、しっかり回収したフラグもあれば、あれはなんだった?的なものあった。
「同じ日の命日」と兄夫婦の不在は、どう読むのか?
例えば、心中?、事故?、それを苦にした失踪?、いろいろと憶測が生まれる。ただ、考えようによっては、その憶測をも含めて敦子の生い立ちの背景を形成している小道具なのだと考えれば、そこの回収は不要なのかもしれない。
ほかに、中村獅童との関係もそうだ。ビジネスヤクザなのはわかるが、なぜそこまで執拗に顧問就任をねだるのか?、なぜ「闘え、鷲田完治!」というセリフを知っているのか?、こちらもいろいろな憶測がめぐる。
しかし、そういう憶測は、「立てっ放しで回収しないフラグ」なのではなく、「観る側が埋める余白」なのだと思えば、この映画の味わいは格段に深まると思えた。
過ち
原作未読、国選弁護人と人探しを頼む女の話しということ以外に予備知識がない状態で鑑賞。
冒頭の過去の話しでなんだこの人大丈夫か?と不安になったけど…自戒から面倒臭いぐらいのつまらない堅物に変貌。
女の子の境遇を励ますことにより自分を見つめ直し人間らしくなって行く様が良かった。
終始ゆったりしたテンポで大きな話の変化はないけど、切なく温かく気持ち良くみられるなかなかな佳作だった。
原作にちょっとした肉付けを施した作品
原作は1時間弱もあれば読める短編。映画本編は、ほぼ原作に沿った内容になっており、台詞も原作を忠実に使用している場面が多い。
それでも多少は原作を脚色している箇所が見受けられ、最後には重要な脚色もされている。そして原作には登場しない人物も居れば、観客に向けて重要なキャラクターとして印象付ける為に、その性格や存在を肉付けされている人物も居る。
映画は冒頭、主人公の佐藤浩市が雪の降るプラットフォームで佇んでいる場面から始まる。
たしか原作では、極寒の地である釧路の海の、冷たい風に立ち向かう様な描写から始まっていたと思う。
その後昔の出来事が描写され、尾野真千子演じる昔の恋人との悲しい別れとなる。
この辺り、実は原作では最初には書かれていない。
原作では、国選弁護人として本田翼演じる若い被告人を弁護し、その後若手の判事補に今は関係を絶ってしまった自分の息子の事を聞かれ、その際に自分が弁護した女と、昔の恋人とがシンクロして昔の出来事を思い出す。
昔の自分と、若い判事補。昔の恋人と、自分が弁護した女。
この2つはそれぞれシンクロしているのだが、特に後者に関してはかなり重要な意味を持っている。
昔の恋人の心を、理解してあげられなかったばかりか。彼女を助けてあげられなかったとゆう苦い過去。
その為なのか?、まるで一生を掛けての、罪の償いをしているかの様な人生を送っている。
そんな男の気持ちを、まるで見透かすかの様に登場するのが、中村獅童演じるビジネスやくざ。
原作では2度登場するのだが、映画本編では3度登場する。
彼は主人公である佐藤浩市が、何故若くして辛い想いを抱え、北の僻地で隠遁生活の様な暮らしをしているのか?観客が抱く疑問点を教えてくれる存在として、強く印象に残る。
原作では常に冷たくあしらわれるのだが。この男の3度目の登場により、主人公が抱えていた苦悩が、やがて希望へと昇華する。
この最後の場面は原作には無く。タイトルである【起終点駅】としての相応しい締め方だったと思う。
この2人が口の悪い言い合いをしていながらも、実はお互いに社会から、何らかの疎外感の様なモノを抱えていたかの様な、共感意識を共に持っていたのかも知れない。
この際の2人のやり取りと「闘え!鷲田完治」…のエールによって映画に少しばかりのスパイスを振りかけていた。
そして原作には無い1番大きな変更点として挙げられるのが、息子からの手紙。
原作では電話の場面を含め、実に素っ気ない対応に終始していた。
やはり文章で表現される小説だと、様々な想いを巡らせて考えるのだが。ダイレクトに映像が飛び込んで来る映画だと、この主人公の息子に対する応対の仕方では、長い年月を費やして来た男の心の苦悩は、多くの観客に理解して貰えないと思える。この脚色は正解だったのではないだろうか。
その為に、原作には無い隣人の親子も登場し。この主人公が、親子の大切さを教えられる場面になっている。
原作ではこの主人公は1人暮らしの為に、仕方なしに数多くの料理を覚える様になる。色々な料理が原作には登場し、それは映画でも同じなのだが、映画本編では特にザンギ(唐揚げ)が映画を象徴する料理として紹介される。
本田翼演じる若い被告人を家に向かい入れるきっかけでも有り。熱を出して寝込んでしまう彼女に、元気になって貰う為に料理を作る。
他人の為に…。その気持ちが芽生えた事によって、これまでと違い、この主人公が少しずつだが、人間味を取り戻して行く事となるのだ。
と…これまで原作には無い脚色として良い点ばかり挙げて来たが。脚色した為に原作では特に描写していなかった為に、逆に映画では疑問点として残ってしまっているのが、本田翼の両親と従姉妹の最期。
兄弟夫婦が居なくなっているだけに、事件?事故?だったのか。それとも心中だったのか?…と。
この本田翼の年齢設定は、原作では30代になっている。これは昔の恋人と同じくらいの設定でも有り、彼女を支える事で昔の恋人に対する、ほんの些細な罪ほろぼしの様な意味を持っているのだが…。
残念ながら映画では、原作よりも10歳くらい若い本田翼が演じる事で、その原作にて意識されているシンクロ性は薄らいでしまっている。
他にも予告編では目立っていた泉谷しげるだが、この人物は原作には居ない。ところが映画本編では全く「あれ?居たの!」って感じで実に残念。
逆に尾野真千子は、映画の序盤に少しだけしか登場しないのだが、彼女が佐藤浩市に別れを告げる瞬間のショットの凄さ:美しさは、まるであの高倉健主演作『駅 STATION』に於けるいしだあゆみの敬礼ポーズの様な輝きを放ち、少ない出演場面にも関わらず、その存在感は際だっていた。
だからこそなのか?ファーストシーンで、佐藤浩市が『鉄道員』での高倉健の様にプラットフォームに佇んでいる演出意図だったのならば、ちょっと薄っぺらさを感じてしまうのですが…。
それでも、個人的にですが。この数年間の篠原哲雄監督作品はいまひとつかな〜、と思える作品が続いていたのですが。久しぶりに本領を発揮していたと思います。
行間を読み説く様な間を始めとし、日本映画らしい日本映画の佳作と言える作品だと思います。
※ところで予告編だけを観ると。若くて可愛いファザコンの女の子が、佐藤浩市に恋してしまう恋愛映画…かの様に作られている。
実際は観て貰うと全然違うのですが。思わず「羨ましいなあ〜佐藤浩市!」…とばかりに、ついつい観に行ってしまうおじさんが多いんじゃないかな。
まさにおっさんホイホイ的な巧妙さでありました。
あ?俺もその1人か(笑)
(2015年11月8日/TOHOシネマズ府中/スクリーン6)
観に行って良かった。
良い映画でした。
佐藤浩市さんの自然な演技に引き込まれました。
若い頃の再会した女性の元へ行く抑えきれない気持ち、女性死後、年齢を重ねた冴えない弁護士、一人暮らしの物寂しい生活感やヨレたスーツ。少し猫背なところとか、細かいところまで自然で本当に素晴らしかったです。
イクラを涙ながらに食べているシーンは、自然と涙が溢れてしまいました。
息子さんは電話の声からの登場だったり、同級生だった後輩弁護士からの思い出話でしたが、お父さんを想う手紙のシーンなど、息子さんの映像は少しでしたけど、とても存在感ありました。
本田翼ちゃんも、いい演技してたのではないでしょうか。正直これは意外でした。でもいつもと違う静かな演技や、たまに魅せる若い女の子のやんちゃな所が出ていて、なかなか良かったです。佐藤浩市さんのお手製ザンギで良い笑顔してました。
とても食べたくなったので、今夜はかくし味にウスターソース入りのザンギにします。
良い映画観られて良かったなー。
日本の素晴らしい映画!て感じでした。
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