「このさき当分、イクラを見ただけで泣けてしまうかもしれない」起終点駅 ターミナル 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
このさき当分、イクラを見ただけで泣けてしまうかもしれない
佐藤浩市が、自らに刑を与えた人生を生きる独居の初老を好演。
もちろん本人の演技力によるところはおおきいのだろうけど、歩き方や表情だけでなく、住まいや服装や車とかで、いやあここまで佐藤浩市をしょぼくれさせてくれるのか!という驚きはあった。
本田翼も、役にあっていた。化粧っ気のない素直な笑顔を持ちながら、影を潜ませた瞳をも持ち合わせている。だから彼女が伏し目がちな表情をしながら地味なたたずまいを見せるだけで、ああ、この子の生い立ちはちょっとなにかあったな、という空気を作れる。逆を言えば、明るく見せても、どこか痛々しく見えてしまうのが難点なのだろうが。
映画はとにかく地味だ。
CG(雪の演出)のせいでかえって冷めてしまうところはあるが、総じて時間の流れが、物語の暗さとあっていた。
あるときから、十字架を我が身に背負い込んだ一生を自分に科したカンジの心が、鷲田敦子が現れてからゆっくりとゆっくりと氷解していくのが、ここちよく悲しく、心地よく切なかった。
息子役は、声は電話だけだった。しかし、職場で働く姿(たぶん役者の誠実そうな容姿に影響されているところはおおきいが)を画面で見ているだけで、涙が流れてきてしまった。こいつが、山を趣味とし、「A定食」を楽しみにしている奴か、と思うだけで泣けた。
母親役は出てこないが、手紙の文面、字で、厳しくも理性のある人柄がうかがえた。そんな人に育てられた息子なのかと思わせられた。
もし、捨ててもいいと思えるような家庭だったら、カンジはあそこまで自分に刑を科さなかったかっただろう。
行き違いもありながら、ぎりぎりのタイミングで息子の結婚式を知ったカンジが、あえて東京まで電車で向かう。釧路は、かつて逃げ込んだ行きつく果ての終着点で、いまはここからまた始める始発駅。
たぶん、飛行機で行ってしまっては急激な気持ちの整理ができないのだ。まるで、凍えた身体をゆっくりと温めるかのような、そんなカンジの表情だった。
ただ、しっかり回収したフラグもあれば、あれはなんだった?的なものあった。
「同じ日の命日」と兄夫婦の不在は、どう読むのか?
例えば、心中?、事故?、それを苦にした失踪?、いろいろと憶測が生まれる。ただ、考えようによっては、その憶測をも含めて敦子の生い立ちの背景を形成している小道具なのだと考えれば、そこの回収は不要なのかもしれない。
ほかに、中村獅童との関係もそうだ。ビジネスヤクザなのはわかるが、なぜそこまで執拗に顧問就任をねだるのか?、なぜ「闘え、鷲田完治!」というセリフを知っているのか?、こちらもいろいろな憶測がめぐる。
しかし、そういう憶測は、「立てっ放しで回収しないフラグ」なのではなく、「観る側が埋める余白」なのだと思えば、この映画の味わいは格段に深まると思えた。