セッションのレビュー・感想・評価
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理路整然とはいかないか
「なんか、はっきりとした言葉で感想が出来ないな」これが見終わった後の素直な感想です。ラスト10分(長さは適当)の音で闘う場面は確かに熱量半端ないし、暗転のタイミングも初監督では思い切ったものだった。でも、でもである。それ以上の何かがあるのかと言われたら「どうだっけ?よく考えたらそんなになかったかもね」と言いたくなるのが本作。一番の引っかかり、もしくは矛盾点と感じたのはラストの舞台へあがる動機だ。基本構図として、音楽狂い、芸術狂いの「音楽の為」なら暴力でもイジメ、パワハラ、何でもする独裁者的講師と誰からか認められたいトップジャズドラマーを目指す主人公の激しい邂逅、緊張、対立、挫折、対決、共有を描いているんだけども、この肝になる音楽講師が理路整然としてない。体罰とかパワハラ、イジメとかは別にいいんだけど(実体験組としてはふーん位の描写だと思う)、ラストの場面前で挫折した主人公を自身が指揮するプロ楽団に誘うんだけども、その動機が復讐なんだよね。音楽狂いが音楽を復讐のアイテムに使っちゃいけないでしょ。こうなってくると音楽狂いでも何でもなく、ただの権力をもったイヤなヤツでしかない。こうなると、主人公を見いだした動機すらも怪しくなってきて判然としなくなってくる。そして、音楽狂いじゃなくて音楽好き程度なヤツって考えるとラスト2人の「音の闘い」も薄味になってくる。ただ、考察に足る映画だし、誰かと話したくなる伝えたくなる映画だということは間違いない。
殺し合いだろ?
一応、この物語はハッピーエンドなんだろうな…。
彼は伝説を手に入れ。
彼は伝説を育てた。
だが、順風満帆とは、真逆…エンドロールの為にブラックアウトするまで、この二人は演奏途中だろうが何だろうが、つぎに何かが起これば、もしくは起こせば、間違いなく殺しあうと思ってた。
俺的、編集賞をあげたい!
世間のモラルのなんとチープなことか。
なんとかハラスメントとか、勝手にやってろ風な暴力の嵐だ。
相手の為に厳しくとかいうレベルじゃない。
俺にやられるようでは、所詮そこまでの器だと断言し、徹底的に追い込む…いや、むしろ、潰しにかかってる。
それを受けた主人公。
彼のサクセサストーリーは、危ういなんてもんじゃない。
神さえ裏切られたと思う。
まるで100mの高さから水面めがけて飛込むかのようだ。
勝算なんてない。
破れかぶれだ。
でも、彼は問うた。
自分の価値を問い続けた。大声で。
最初と最後、到底、同一人物に見えない程、彼の中身は変貌してた。
とんでもないアクション映画だった。
劇場が明るくなった頃、拍手がパラパラと起こった。
納得だ。
俺も微力ではあるが、喝采を送りました。
神々の戦い
噂に違わぬ素晴らしい映画でした。「持ってるヤツに持ってないヤツがたまには勝つと思ってたいヤツ」人にとってはこれ以上ない映画なのではないでしょうか。勿論、話の舞台がアメリカ最高の音楽学校の最高のバンドですから、上の上の下ぐらいのものなのでしょうが…笑
やはりあのラストが好きです。フレッチャーに音楽の楽しさを奪われ、音楽以外のものを全て捨てざるを得なくなり、最後には音楽すら失くしてしまった。それでも尚襲い来るフレッチャーに「音」で対抗し、最後には奪われた「音楽」を取り戻す。僕はこの映画を「音楽を取り戻す」映画として素晴らしいと思います。
不満点としては主人公もフレッチャーもバックボーンがほぼほぼ描かれず肩入れしづらいことなのですが、最早僕とは違う世界の神々の戦いとして眺めているだけで楽しかったので、やはりあまり気になりません。こんなに口あんぐりで観続けた映画は初めてです。傑作!
スゴイ承認欲求とその成就の物語
さて、この映画、ジャズ通がdisる筋合いの音楽映画でもなく、また師弟愛とか師弟対決がアツいスポ根映画でもなく僕には、「スゴイ承認欲求とその成就の話」のように観えましたよ。
主人公ニーマンがドラムに執着した動機が、「女にモテるため」でないことは明らかですよね。「偉大なドラムプレイヤへの憧れ」とか「自分が偉大なドラムプレイヤになりたい」とかはちょっとありそうですが、その象徴が後半でゴミ箱行きになってから戻った形跡はありません。親の兄弟家族との食事シーンでわりとしつこく描かれたのは、「オレを褒めてくれ!」でした。つまり動機は承認欲求です。ママに捨てられたパパはニーマンの反面教師であり、ニーマンはその息子であることのコンプレックスをこじらせているようです。“反面教師の反面教師”であるフレッチャー先生は、ニーマンにとっては“真正面教師”となるわけで、そうなれば人一倍「この人に褒められたい!」と承認欲求を募らせるわけです。またフレッチャー先生が「承認欲求を人に欲情させるタイプ」の人なので、承認欲求は“さらに倍”で暴走して、事故に至ったわけですね。
一方、フレッチャー先生も、満たされない承認欲求を持て余す人物のようです。教え子の死についての嘘、大会の順位についてのこだわり、ライブハウスでニーマンと再会したときに話したこと。この時までは「教え子の成長や成功のため」とか「本物のジャズマンを輩出したい」という“理想のため”なんだと観客は思わされるのですが、ラストのコンサートの“テロ行為”で化けの皮がはがれます。音楽の完成よりも復讐を優先するただのエゴイストで、結局は「オレのやり方を邪魔しやがって!オレのやり方が一番だったんだ!」と言いたい人でしたってことです。
この裏切りで、主人公をピンチに落としつつ(クライマックスへのバネを巻きつつ)、同時に映画の観客を「えっ?」とビックリさせてくれました。これがサスペンス映画だったら「おまえが犯人だったのか!」って感覚ですよね。
傷ついて出口に向かうニーマンは、反面教師パパに抱きしめられて「うわキモっ!アタシの承認欲求を満たしてくれるのはこの男じゃないわっ!」と気を取り直して舞台へ戻っていきます。
ここからの展開は、「ラストのコンサートに主人公が参加した動機」とか「ラストのコンサート前に主人公が、バンドメンバーと(せめてベースの人とだけでも)コミュニケーションを取る場面」がもうちょっとでもあればなぁという、細かい不満はいくつかあるにはあったんですけども、それを補って余りあるパワーで押し切ってくれました。
さて、クライマックス。演奏技術がどうとか僕にはわかりませんが、少なくとも、3交替でシゴかれた『caravan』の「400(という技?スピード?)」を難なくやり遂げる場面がちゃんとあり、ニーマンの成長は確認できます。その上で、フレッチャー先生がシンバルのセッテイングを直すところで「届いた!」という実感と、フィニッシュの指揮をしてくれたことで「認められた!」という承認欲求の成就を見届けることができます。
また同時に、フレッチャー先生側の「オレのやり方は間違ってなかった!オレのやり方に応えてくれた!こいつにシンバル投げて殺そうとしたけど、ホントに“バード”になってくれやがった!」という承認欲求の成就を目撃することにもなります。
この盛り上がりはある意味官能的ではありますが、ニーマンもフレッチャー先生も、結局はそれぞれ個人の欲求のために戦っているのであり、愛とか理想とか夢とかのための戦いではありません。元カノは来ませんし、バンドメンバーが「やったー!」となる場面もありませんし、聴衆が「すげー!」と歓喜する場面もありません。そのあたりでカタルシスの不足を指摘する人もいるでしょう。でも逆にそのカタルシスを排したことによって、僕は安っぽいスポ根映画にならなくてよかったなと思います。
「承認欲求」という言葉が、あまりポジティブな意味では使われない今日このごろですが、それを手近なところで“解消”するんじゃなくて、“成就”するまでとことん追求するのもいいかもしれない。そんなことをふと思いました。
時間の無駄だった
良い演奏を聴きたい人には全くオススメしない。
現実のディテールに則していない、
スポ根モノである。
この映画には良い音楽も良い音楽家も存在していない。
最初は「?」マーク。
おかしいぞ。演奏シーンで音と映像が合っていない。
この役者は音楽家ではない事が分かった。
それはまあしょうがないのかも。
より速い演奏を「筋肉」で成し遂げようとするシーン。
ありえない。バカバカしくなった。
何回か出てくる練習シーンも、
全然上手くなっていかない。
ずっと同じレベルのヘタさ。なぜだ。なぜ成長させない。
ラストシーンでは音楽への情熱も感じなかったし
セリフやストーリーも破綻しているように思う。
なぜ自分のバンドに、
現役を引退した人間を採用するのか意味不明。
元教授が元生徒への復讐の為ということになっているが、バンドが下手だと、単に自分(元教授自身)の評価を下げるだけなのはずだがなあ・・・。自分の評価を下げてでも復讐したいとか意味不明。
全く感情移入できない。
ラストのドラムソロはバディリッチの劣化コピー。
Youtubeで本物を見たほうがマシ。
エンドロールにスタントン・ムーアの名前を見た時は
信じられなかった。
いったいどこに関わったのだろうか。
なぜ人は芸術に命をかけるのか
素晴らしかった。この映画を観て、全く異なるジャンルの物語を連想した。
BBC制作の「DNA物語」というもので、DNAの二重螺旋構造の発見をめぐるノンフィクションだ。ワトソンの自伝「二重らせん」が原作。
ノーベル賞級の発見(実際ノーベル賞をとったが)を巡って、功名心に焦った科学者どうしが醜い発見争いを繰り広げる。
ワトソンは無鉄砲で型破りな若者といった風で、ライバルのロザリンドの研究データを盗み見るほどのことをしている。
ドラマのクライマックス、ワトソンとクリックがついにDNAの分子構造を組み上げ、ライバルのロザリンドとモーリスを呼ぶ。
ロザリンドは怒り心頭の状態で、ワトソンたちの研究室に入る。
ものすごい乱闘が起こるかと思いきや、DNAの分子構造を見たロザリンドは、ポロリと涙を落とし、圧倒的な真実というものの存在と美しさに圧倒され、負の感情などどうでもよくなってしまう。
(あくまでドラマであり、歴史的事実はどうか知らない)
(ここから本題)この映画は、途中まではジャズを巡るスポ根のような調子で進む。
しかし、主人公に並外れた才能があるようには見えない。その上、彼女や親類に誇大妄想からくる侮辱的な言葉を浴びせたり、性格にも問題をきたしてくる。
こういう人は、実際にいそうな人間としてすごく想像できる。「ありもしない才能を妄想して、どんどん不幸の坂道を転がっていくイタいやつ」というように見えてしまう。
音楽にそこまで思い入れする主人公のことは理解できないし、「バカじゃねーの」とすら思えてくる。
そして実際、予想通りに主人公は夢に挫折し、夢を持たない普通の人としての人生を模索しはじめる。
あれは悪い夢だったんだ…。
しかし、きっかけをつかんで、再び夢を追い始める。
そして、あのどんでん返し。フレッチャーは主人公をつぶすためにチャンスを与えたという。
ここで終わったら、「そうだよな、わかってたよ。そんないい話じゃないってわかってたよ」という感想になったと思う。
しかし、更に重ねた大どんでん返しで、ラストの10分間、主人公は圧倒的な音楽でフレッチャーを無理やり認めさせる。
圧倒的な芸術の素晴らしさの前には、人間の卑小な小競り合いなど、無意味になってしまう。主人公も、フレッチャーも、ただ音楽という神のしもべに徹したかのような迫力を感じた。
フレッチャーが善人だとか悪人だとかは実は何も関係なかったんだ、ということに気づく。主人公が不屈の意志をもつ限りは、教える人間がどうであろうと、全てを良い方向に昇華できる。
はじめ、音楽に没頭する主人公をバカにしていたのに、映画を観終わった後では、その気持ちがほんの少し理解できてしまう。
ああ、この素晴らしさを知っているからこそ、音楽に全てをかけられるんだな、と。
研究者が、功名心や生活のためというその奥に、ただ単に真実を知りたい、という、究極に純粋な気持ちを持っていることに似ているんではないかと思った。
あんな教官は嫌だ(笑)
まあ、最後に向けて積み上げて盛り上がって
カタルシスもあるので ファンタジーとしては
面白かった(笑)
教官指揮者は伝説のプレイヤー チャーリーパーカーは悔しさをバネに才能を開花させたと言うエピソードを持ち出して
それが全だと言わばかりに自分の価値観まっしぐらに生徒を虐めまくって圧迫して本物を生み出そうとしてるが、
はっきり言ってマルサリスその他の才能は楽しんで開花しただろうし
圧迫すりゃ反発して才能開花するのだ!としか捉えれない教官はどう考えても、懐浅すぎだし
ただのキチ◯イでしか無いだろうから
犠牲者量産の果てに最後に偶然、上手く行っちゃったって感じで
ファンタジーだろうな〜
まあ、そりゃそうか(笑)ストーリー上の設定だし
でも熱量すごいし面白かった(笑)
あんな力んだジャズドラマーやばし!
最っ高!!!!!!!!
最高だった。感情はグルグルするし、胸は熱くなるし、スカッとするし、凄い興奮してます!スタンディングオベーションしたいくらいの気持ちになった。
アシスタントをやってた頃の誰にも負けない!俺が一番なんだ!必ず成功してやる!という気持ちを思い出させてくれた。
僕の師匠もフレッチャー並みに優秀で熱く怖い人だったけど、フレッチャーと違うところはフレッチャーは自分勝手なクソだという点。才能はあるけど性格もかなり癖がある。でも、それを見たい自分もいて、面白い作品ふ敵が魅力的だと言うけど、まさにそういう作品だった。
まだ4月だけど、年末には2015年のベストと言ってそうな作品。
とにかく最高!
健さん任侠映画の"あの熱気"ですね、これは。
ちょっと80年代の古臭い話をしてしまうと。当時『愛と青春の旅立ち』とゆう映画がありました。
リチャード・ギアを一気にトップスターに押し上げた恋愛映画です。
男は上官の厳しいシゴキに耐え、最後には美女も射止める。
予告編を見た限りに於いては、「多分そんな話だろうなぁ〜」と思っていた。
まあ、実際その様に進んでは行くのだけれど…。
映画本編は、これを"教育"と言って良いのかどうか?眼を背けたくなる程の熱を帯びた指導が延々と続いて行く。
この2人による演技合戦は。演奏さながらのジャズのリズムに乗せたシャープな編集の効果もあり、異様な熱気を孕んでクライマックスへとなだれ込む。
いや〜、それにしても壮絶でしたね。まるでボクサー同士による殴り合いの様でもありました。
主人公の部屋にはバディ・リッチのポスターやCDがありました。だからじゃ無いけど、バディ・リッチと、ジーン・クルーパーの伝説の大喧嘩を意識してしまいましたよ。
『愛と…』に関しては最後お互いに和解を見るのですが。本作品はそれだけでは収まらない。
互いのプライドを賭けての憎しみ:血と汗:視線での果たし合いこそ、まるで剣と剣による鍔ぜり合いの様なガチンコ勝負を繰り広げる2人でした。
すると、映画を観終わって「あれ?これって…」と思い当たった。
ひょっとしてこれは『愛と…』では無く、マキノ×高倉健による任侠映画のプロットに近いんじゃないか…と。
悪行に耐えに耐えた健さんが、今まさに諸肌脱いだ瞬間に観客から「いよっ!待ってました!」と声が掛かる。
まさにあの興奮ですねこれは。
こうなると、恋愛映画としての要素が中途半端なところが本当に惜しいですね。無い物ねだりになってしまうんですが…。
久しぶりにリッチのCDを引っ張り出して聴いてみるかな。
(2015年4月19日 TOHOシネマズみゆき座)
至極の107分! 最高の終わり方!!
オスカーの編集賞ですね。無駄無し。終わり方が最高!ラストは普通、喝采と2人のアップでしょう。それがドラムサウンドでブチギリ、この勇気と発想はスゴい。キレキレのシモンズと絶望的なまでの不都合さがラストを引き立てる。
もの凄く気持ちイイ
この映画は、個人的にとても好きな映画だ。
監督作初だという、この作品は素晴らしい。この先どのような映画を撮るのか楽しみな監督の一人となった。
ラスト9分の後、文字通り放心していた。
あまりの気持ち良さに、中毒になりそうな程。いやもう中毒になっているのかも知れない。
それ程パワフルかつ絶頂を感じた9分だった。
ただし、自分は音楽について全く詳しくなく、また演奏がどうだったとか等々、その部分については、素人目線でしか聴けていないし、鑑賞していない。
教師としての、フレッチャーの姿勢には、全く賛同できない。
とは言え、何かの恨みのようなものが、溢れているようで、どこか切ないが・・・。
アンドリューにも、共感できる部分が少ない。ただ、愚直なまでに練習に打ち込む、あのひたむきさには、感銘は覚えた。
他方で、ニコルを一方的に邪魔だと考え、別れてしまう底の浅さには、怒りを覚えた位だ。
普段ならば、登場人物に共感できない部分が多いと、映画として好きにはなれないのだが、悶々としたフラストレーションを溜めに溜めたおかげか、ラストのあのセッシンで、ぶちまけたーカタルシスを感じた。
映画として、このような経験をさせるものは、素晴らしいなと感じた。
また観たい。
今年、自分にとってこの映画は、重要な一本に成った事は間違いない。
サタデナイのイキオイで書いちゃうと「セッション」が斜め上をゆくウン...
サタデナイのイキオイで書いちゃうと「セッション」が斜め上をゆくウンコっぷりだったので、週末見ようと思っている人は注意したほうがいいんだぜ。
(以下ネタバレを含む酷評が続くので注意)
素人の私から見てもアレは「実写版巨人の星」としか受け取れないんだから、多少でも音楽に造詣のある人からしたらアレはコントでしか無いと思うw
勢いのある演奏となんかそれっぽいカメラワークと描写のエグさでなんかすごいものを見ちゃったような錯覚になるけど、ウンコはウンコだからね〜!
先週バードマンのドラムスにずがーーーんとヤラれて「あっ・・・♡」と倒れるままアントニオ・サンチェスのカルテットを聴きにいったのは完全に計算外だったんだけど聴いといてよかった。
ちうことで、ドラムスという楽器の芳醇さを思い知るなら「バードマン」ですよ!奥さん!!
一方で、「スポ根上等!」って言うなら止めないけど、本来そこの配役は母親だろう!というところまでを男性が演じているほどの徹底したホモソーシャルっぷりなので、そこ含めまぁ笑ってください。
あとは、こういう絶えず「代替されるかも」っていう緊張感のある競争環境に置いてガンガン競わせていくっていう「男児の伸ばし方」もあるのかもね。向いている向いていないはあるにして。ッて言うことくらいですかね。ちなみに私は「復讐の瞬間」、声だして笑いましたw
ついでに「バードマン」におけるドラムスについて触れておくと、この作品ではじゃじゃーん的な単なる効果音を超えて、完全に作品の一部として織り込まれているので、まさに見ている側の呼吸が支配される感じ。観ていて自由に呼吸が出来なくて本当に苦しいです。
オケじゃないから作曲賞はやれんというくだらないルールでノミニーすら逃しているんだけど今回のオスカーの中でもピカイチだと思うんだよな〜。
喰らいつく
鬼軍曹に見せかけて、実は良い先生…そんなありきたりなオチを予想していたのだが、さにあらず。その映画的ハッタリが凄まじく面白い。
先生が、ほんっとに悪いヤツだと思った。
途中、実はイイ奴っぽいセリフが差し込まれているが、それすら全部ウソ。殴るのも大概だけど、ウソで人をコントロールするあたりが、立派なサイコ。
この人、生徒を育てる気もなきゃ、音楽よりも、エゴを優先するどうしようもないヤツ。鬼軍曹のアッパレ教育論の映画では無い。糞野郎の映画。これ、糞野郎に喰らいつき闘う映画なんです。
喰らいつく方も大概な所があって、二人のやり合いは、音楽のためなのか、復讐なのか、段々に分からなくなっていく。
肉を切らせて骨を断つ、じゃなくて、骨を切らせて骨を断つような争い。
最後、互いに捨て身で臨んだセッション。
セッションというよりは果し合い。
殴り合いにも似た音の応酬は、何を生むのか?いや壊すのか?
最後の最後で、音楽は、先生のエゴを打ち砕く。
生徒の恨みも吹き飛ばす。
何もかも、なぎ倒した先にあるもの。
そこには「音」しか残らない。「音」以外、何もいらない。
純粋で、まっさらな瞬間。
そこに痺れた。揺さぶられた。
言葉なんていらない、ものすごいパワーのある映画だと思った。
—
追記:
JKシモンズが悪魔的魅力を存分に発揮。あの、ひじ直角な感じに痺れる。
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追記(2015.5.11)
敬愛するレビュアーさんが
「ハゲがクライマックス、コロッと表情を変えるのだが、それも虚か実か、結局分からない。分からないからこそ、キュン、とくる」と書いてて、おっしゃる通りだなあ、と思った。
爽快!
汗も血も飛ぶ「闘い」の映画だった
フレッチャーの徹底的な虐めっぷりににやけてしまった
ひとつだけ残念だったところ・・・
精神的に追い詰められていたとはいえ,フロリダの事故は自業自得じゃない?フレッチャーは何も悪くないし,遅刻が100%悪い(笑)
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