「狂気と狂気のセッション」セッション bionさんの映画レビュー(感想・評価)
狂気と狂気のセッション
ラスト9分19秒は、何度見たことか。多分100回ではおさまらない。それだけ思い入れのある『セッション』が、デジタルリマスター&DollbyAtmosで再上映だから見逃すわけにはいかない。
パワハラの代名詞ともなったフレッチャー教授。『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹も恐いが、精神的なダメージの与え方で言えば、フレッチャーの方が上回る。全人種平等に悪態をつくその徹底ぶりに、奇妙な“公平さ”を感じてしまう。
教え子が、現場に満足することを恐れて常にプレッシャーを与え、意図的にライバルを作って競わせる。フレッチャーのしていることは、星一徹メソッドの究極バージョンとも言える。
星一徹メソッドの欠点は、勝ち残った人間はとてつもなく強靭な能力を得るが、数多くの落伍者は、悲惨な末路をたどる。
フレッチャー的な父親に育てられ、フレッチャー的な教師にどつかれながら教育を受けた身としては、強圧メソッドには嫌悪感を感じるし、肯定できない。結果的に打たれ強くなっただけで、真の強さとは程遠い。
……でも、あの狂気の先に何かがあるんじゃないかって思ってしまう。それを信じさせるのが、デミアン・チャゼル監督の巧さなんだよね。狂気と狂気がぶつかって、何かが生まれる。そう感じてしまう自分がいる。
それにしても、DolbyATMOSの効果はすごい。全方位からフレッチャーに罵倒されている気分になり、タマタマが縮む上がる。拳銃を突きつけられるよりも恐い。
見た人も見てない人も見逃す選択肢はございません。
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