劇場公開日 2015年9月12日

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「原作も読んでみてください。別の作品として。」天空の蜂 CBさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0原作も読んでみてください。別の作品として。

2017年2月18日
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鑑賞方法:映画館

あれ?なんか原作を読んだ感じと、違う。
原作の完全なトレースで、めちゃくちゃ楽しめた「真夏の方程式」との違い、この違和感はなんだろう。なんか薄まっちゃった感じ。
堤監督?脚本の人?
科学、技術は進歩するもの、使うのは人間。

不思議だったので、 原作を再読し、疑問は氷解。ちなみに映画の評価は上段、原作の評価は下段です。

<映画の評価>
••3••好/•••4•凄/••3••涙/•••4•固ゆで
••3••社会派/•2•••狂信
総評:損はしてない/知り合いには:黙っとく
俺の満足度:50点

<原作の評価>
••••5好/•••4•凄/•••4•涙/••••5固ゆで
••••5社会派/••3••狂信
総評:また読む/知り合いには:勧める
俺の満足度:100点

映画と原作(小説)は似たストーリーと設定だが、全く異なる作品でした。中心に置いたものを比較すると、映画は家族愛の回復、原作は犯人への理解と共感、(暗に匂わせる)日本人の義務。つまり両者はプロットだけ同じだが、全く異なるふたつの物語だったわけだ。
自分は、原作が持つ、ハードボイルドさ、犯人への理解と共感、日本人の義務にとても心酔し、「難しいだろうけれど、この冷たさをそのまま、映画化してほしいなあ」と、ずうっと希望していた。
そんな風に思っていた俺にすれば、本作は、とても残念。あくまで個人の見解ですが。自分は、後者(小説)に心酔したので、そっちの面の事前期待が高すぎてギャップがあり映画の評価が低い。そういう先入観なしで観ればちゃんと面白く観られますよ。

以下は、個人の見解としての放言です。
家族愛は、余計だったの一言に尽きる。結果的に原発について考えるチャンスが減った。この話に、"仕事にのめり込んで家族を顧みない" という点を要素のひとつにするのはあわないと思う。科学に対する東野さんの考え方と違う。別の作品だ。

原作の通りに描いた映画も是非見てみたい。原作の持つ、ひんやりした感じの主となるストーリーの映像化と、緊迫する救出劇、さらに原子炉へのヘリ落下というエンタテインメント、それをスクリーンで、大音量で観たかった。そして、その背後で伝えようとされている、原発に対する日本人の考え方の矛盾、都合のよさを、自分の中で、しっかり考えてみたかった。
自分が考えている、東野圭吾の最高傑作なだけに。

ちなみに原作では、三島は自信を持って、安全基準をクリアする原発を設計してきた技術者。しかし、国民は「不安だ」を繰り返す。実際に事故があれば、その安全性が、誰の目にも明らかな形で証明される、と考えている。
雑賀は、原発作業者だった兄弟を、雑で過酷な作業の結果の被曝で失っている。直接雇用していた会社はもとより、原発を、電力会社を、政府を恨んでいる。さらに、電気は便利に使うが、そういう事実には目も向けない国民も。

興味があれば、ぜひ、原作を読んでみてください。原作は、上記両者の対比をみてもわかるように、原発反対でも賛成でもない。ただ、科学技術と安全について、こんな風に考えてみる筋道があるよ、ということを指南してくれる本だと思う。そこから享受するメリット、それがあるためのリスク、その両方をある程度理解して、先のことを考える、全ての国民はそうあるべきだというのが、作者の声だろう。

加えて、原発作業員の待遇改善というか、抜本的に見直さなければならない点は、訴えたかったのだろう。

2019/11/19追記

以下の内容は、東日本大震災による未曾有の大惨事に、心から黙祷している者が記しています。その中で、原発事故によって、多大な被害を被られた方、今でも故郷を離れて暮らさざるを得ない皆様、本当に大変かと思います。以下の文章で、万が一、被害者の方の心傷に触ってしまうようなことがあってしまったら本当にすみません。

「自分がやった仕事(の安全性)を信じて、本気で原発にヘリを落とそうとする技術者三島と、原発作業で兄弟を殺された復讐を果たしたい元自衛隊員雑賀。
まず、犯罪理由が正反対のこの二人が手を組んで「原発にヘリを落とそう」という犯罪を実行しているという設定への驚き。
雑賀は、ヘリを落として大惨事とすることを心から願っており、一方の三島は、ヘリを落としてもビクともしない原発を心から信じている。
手段は一致しているが、目的は正反対という組み合わせが成立していることに身震いした。

お互いに薄々それを感じながらも、見事な連携で手段を実行していく「狂人である二人」と、阻止しようと奮闘する湯原、室伏に代表される「普通の人々」の争い。
普通に考えれば、普通の人々の側に立ち、狂人たちを追い詰める流れを堪能するものだろう。
しかし、この話では、狂人二人の背景がわかればわかるほど、いつの間にか、狂人側に感情移入してしまっている。
そこが、この原作の限りなくソリッドなところで、自分がほとほと感心したところだ。

原作を読んで感じたこの思いに対し、映画が描こうとしたのは普通の人々の活躍なので、自分の評価は低いわけです。

もしも実際にヘリが原発の上に落ちていたら、どうなっていたのだろうか。雑賀が夢見たように大惨事だったのか、それとも三島が信じたように原発は耐え、そうはならなかったのか。

この原作で、作者が読者に投げかけた問いは、二つあると、俺には感じられました。
ひとつは、当時、ナトリウム漏れ、配管のヒビといったニュースがあまりにも大きく取り上げられる中で、「放射能漏れにつながる事故を防げているか、という点を真剣に議論すべきではないのか、起こる事故全てを致命的なように受け取ることは、本当に明日につながるのか」
そしてもう一つは、「やむなしと目をつぶっているかのように見えるが、それを維持するために必要な末端の原発作業員の健康問題をどうすればなくせるかを、真剣に議論すべきではないのか? 維持のための作業を安全かつ安価に行えるための技術開発も、原発の技術開発と同じ重みで進めるべきではないのか」
三島と雑賀がそれぞれ発しているこの二つの悲痛な叫び、と自分は捉えた。

日本人は、この二つを、みんなが、真剣に議論すべきではないか。
少なくともこの時、CO2削減のために、原子力は完成せねばならない技術だったのだから。

東日本大震災によって、「電源を全て失った原発は、大惨事を引き起こす」と証明されたので、作者が投げかけた問いは未来永劫解かれることはなくなったのでしょうが、
原発のかわりに、火力発電でどんどん石油を燃やす現在が、よいとも思えない。原発を止めるペースで再生可能エネルギーを(高くても)採用するか、あの時のような辛い省エネに国民と国全体で取り組むべきではないのか。
もちろん、やだけど。でも、失敗したから原発は止める、はい、おしまい、という話ではないことは確かだ。

ある大学教授が言った「コントロールできない(段階の)技術は、技術とは言えないのだろうな」という言葉が全てか。人類には、原子力は早すぎたのだろうか?

ならば、(そうでなくても)その出力すらコントロールしようともしない核兵器は、絶対に禁止されるべきだろう。「激しく燃やせば核兵器、ゆっくり燃やせれば原発」という後者への取り組みに失敗したのであれば。

三島談「いってみれば国全体が、原発という飛行機に乗っているようなものだ。搭乗券を買った覚えなんか、誰もないのにさ。(略)一部の反対派を除いて殆どの人間は無言で座席に座っているだけだ」(p.391)

当時、本当に議論すべきことだったんだなあ。俺も本作を読んだのに、相変わらず無言で座席に座っているだけだった…
災害は圧倒的で、考える機会も一緒に押し流していったように思います。

原作も含めて、上のような受け取り方をされていないように感じたので、つい熱くなってしまいました。この場にそぐわなかったら、ごめんなさい。

2023/5/3 追記
俺は、原作では、①「原発を支える労働者のひどい待遇への怒り」と、②「要求される安全絶対を実現しているのに、誰にも信じてもらえない技術者の怒り」という二つの怒りが、思いがけず交わり合うところに、この作品のスタート時点での凄さがあると考えた。
この二つは、原作当時の「日本人が原発について考えるべきこと」だったはず。① は、自分たちの電力のために、他人が放射能まみれで働くことを見て見ぬふりをしてよいのかであり、② は、どこまでやれば安全だと考えるか、だ。
そして、② に関して、原作者の東野さん(圭吾)は、「大型ヘリが落下しても、原発は無事だろう」と考えていたのではないか。
技術者が「大型ヘリを落とすぞ」と脅迫するということは、技術者には「大型ヘリが落ちても、びくともしない原発」という自負があり、それなのに繰り返し「危険、危険」と繰り返すばかりの世間に、「これくらい大丈夫なんだ。俺たちはここまでやってきたんだ」と見せつけたいという思いが、歪んだ形で露出してしまったのだろう。
しかし原作でも映画でも、(技術者の願い空しく)大型ヘリは原発を外れて落下する。ここは「どんな事情があろうと、悪事を行なった者は、償わねばならない」という東野作品の思想が貫かれている。

② に関しては、東日本大震災での全電源喪失下での致命的な事故により「原発の安全性」はさらに一つ上のレベルとなり、この原作で語られた点の検証は最重要ではなくなった。それでも俺は、② を忘れずにいたい。技術者は、望まれるものを作るので、望んだものか足りないのかを合理的に答える必要はあるはずだ(技術者が何をやっても、まだまだ足りないと言うのではなく)と。

CB
asicaさんのコメント
2023年8月24日

原作と実写化の 感想が全く同じです。
東野さんは この天空の蜂の思想を東日本大震災後にちょっとスタンス変えた気がするなーって思った作品がありました。何だったか忘れてしまったんですけども。

asica
NOBUさんのコメント
2019年12月27日

今晩は。

 思い入れのある、好きな作品は誰でも薦めたくなりますよ。
 本の好きな者として、お気持ち良く分かりますよ。

NOBU
NOBUさんのコメント
2019年12月26日

今晩は

 原作は読んでいます。只、私は映画と原作は別物と考えるので、原作既読というコメントはした事がないのです。
 必然的に原作とテイストが違う、というコメントもしません。只、今作品はかなり原作に囚われてしまった感はあります。

NOBU
CBさんのコメント
2019年11月21日

「白夜行」もいいですよね。自分も好きです。映画もうまくできてましたね。
「原作のスケールにちょっと及ばない」なるほど、その感じです。及ばなかった部分に、自分は思い入れがあるのでしょうね
コメントありがとうございました

CB
CBさんのコメント
2019年11月21日

「白夜行」.

CB
アンディぴっとさんのコメント
2019年11月20日

CBさん、私が「天空の蜂」を読んだのは東日本大震災の後なんですが、震災の何年も前にこんな本が書ける東野さんの凄さに驚きました。私は東野圭吾の中で2番目に好きです。(1番は白夜行)
これは映画化無理だろうなぁと、思っていたので、映画化されると知って驚いて、どんなふうに出来るのか楽しみでした。悪くは無いのですが、原作のスケールにはちょっと及ばない気がしました。
確かに原発の問題は難しいです。答えは出るのでしょうか。

アンディぴっと
しゅうへいさんのコメント
2019年11月18日

 CBさんへ。

 コメントありがとうございます。

 原作からの換骨奪胎って難しいですよねぇ…。脚本家の力量が試される問題ですねぇ…。本作は素晴らしかったと思います。

しゅうへい
2019年9月18日

私の場合、映画好きになってから原作買う派w
機会があれば読みますw

巫女雷男