滝を見にいく : 映画評論・批評
2014年11月18日更新
2014年11月22日より新宿武蔵野館にてロードショー
おばちゃんの生命力が全開。どっぷりとマイナスイオンに浸れる癒し系コメディ
なんだろう、この至福のひとときは。7人のおばちゃんが山で迷うという切羽詰まったストーリーなのに、なぜだか優しい気持ちが込み上げてくる。できることならこの時間がずっと続いてくれたらとさえ思う。
「南極料理人」、「キツツキと雨」、そして「横道世之介」。沖田修一監督の作る映画はいつだって一貫している。言わば彼は、フレームから見切れてしまいそうな人々に穏やかなまなざしを注ぐ名手だ。平凡な彼らがふっと顔を上げる時、そこには自ずと光があふれ、物語が始まる。そんな日常とスクリーンとのなだらかな連続性の途上で格別のおかしみが生まれ、観客は思わず頬を緩めずにいられなくなる。
「滝を見にいく」もその延長線上にある快作だ。キャストには有名俳優をいっさい使わず、オーディションによって選出した7人を起用。中には専業主婦もいるくらいだから、これぞ名もなき人々を慈しむ沖田ワールドの真骨頂と言えるだろう。
バスツアーの最中、山で迷子になった彼女たちは、序盤こそ右往左往するものの、次の瞬間にはドンと腰を据える。各人が人生で培った特技とバイタリティを持ち合い、なんとか生き抜こうと奮闘するのである。
木の実を拾い、火を起こし、懐かしのメロディを口ずさみながら、枯れ葉を毛布代わりに夜を明かす。おかしなものだ。最悪の状況にも関わらず、あふれてくるのは笑顔ばかり。まるで山の神様が彼女たちをひと晩だけ少女の姿に戻したかのよう。いちばんジミで寡黙な存在の主人公“ジュンジュン”に至っては、今やその瞳が八千草薫を彷彿とさせるほどに凛として見えるではないか。
そして出色なのは、7人がいっさいの回想を挟まず、セリフや表情だけでそれぞれのバックグラウンドを打ち明けていく点である。決して全てをつまびらかにはせず、観客の想像力を刺激しながら紡ぐ会話劇の巧妙さ。この絶妙な匙加減が後味に深みを増し、88分の小宇宙をいっそう忘れがたいものとして輝かせ続けるのである。
おかしくって、可愛らしくって、ホッコリと心地よい。沖田監督は今回もまた、とびきりの宝物を届けてくれた。
(牛津厚信)