海を感じる時のレビュー・感想・評価
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文学的なまどろっこしい台詞回しがはまっている
主演の2人の演技が良くって引き込まれた。 文学的なまどろっこしい台詞回しと、軽薄な目をした池松壮亮がしっくりはまっているのが面白い。 性愛の話が物語の中心に居座っているので、濡れ場が多いけど、湿度を感じる文学的で綺麗な濡れ場だった。 エンディングの終わり方と音楽の入り方かっこいい。 この物語の2人はきっと精神の成長度合いが噛み合ってなくって悲しい。 blueのときもだけどこの安藤監督の 人間としてクズの人物の描き方が悲しくも美しいのが良い。 日本的映画のしっとりとした良さがあって良いもの観たな〜とゆう感覚。 洋服のスタイリングも良い。恵美子が贅沢もせず、余分な服を持っていないのが分かる。(でも絶妙にちゃんと可愛い感じもある) お母さんのちょっと丈が長いシャツとかこの時代でも 1つ古いシルエットなのとか良スタイリング。 近前代の映画を描くと日本映画はスタイリングとか部屋の感じが安っぽいのが多いので そこが気にならないのが嬉しい。 はっきり時代を明記していないので、よくわからない時代に取り残されてた浮遊した時間に閉じ込められてるようにも見えるのが小説的な感覚をより感じる。 配信で鑑賞
誰でも良かったのは
都合の良い時だけ弄ぶのにあとは自分を無視したり避けたりする、いわゆるクズ男の浩に愛を打ち明け続け身体を捧げ続け、高校時代からずっと執着して、家族関係も大学進学もぶち壊しにして、浩を追っかけるためだけに上京。 長い年月にわたって同じことを繰り返し、ようやく振り向いてもらって、同棲を持ちかけられる。良かったやん!ハッピーエンドやんけ! と思いきや、ハッピーエンドが見えた途端、主人公は行きずりのサラリーマンとあっさりセックス。ええええ。 「誰でも良かった」のは本当は浩ではなく、主人公の方やったんや…… 主人公も、サラリーマンとのセックスの後でそのことに気づいてしまい、浩への執着が薄くなる。そして実家に戻り、家族全員が揃っていた頃の思い出に浸る。 主人公の行動の理由が父親の不在なんだとしたら、あまりにも短絡的過ぎるから何か理由を示されるのかと思ったが、特に理由は無いまま終わってしまった。 これじゃただの自己承認欲求メンヘラヤリマンやんけ! もしかして本人も自分の行動の理由がわからないから、あんなフワッとした終わり方だったのかな。 でも不思議なことに、自己承認欲求メンヘラヤリマンの気持ちはめちゃくちゃわかる。誰でも良いから求められたい、必要とされたい、でも自分の心まで必要とされるのはなんか違う。嫌だ。 誰かを追いかけたり股を開いたりあれこれ悩んだりしなくても無防備に愛されていて受け入れられていたあの頃。それが実家=海であり、彼女にとって本当に海を感じる時とは、あの頃のようにまた誰かに無条件に受け入れてもらえた時なんだろうな。
文芸の力~えっ。私の青春、覗き見してた?~
数年前に鑑賞。 ヒロインの境遇が自分とよく似ていて、とてもヒトゴトとは思えなかった思い出があります。 (私の場合、家庭はもう少し良い。恋愛は、もうちょい悪い) 主演の市川由衣ちゃんのことは全然、存じあげなかったんですが、お上手ですね。 飢餓感と、消化不良な現実に胃もたれ起こしてる感じが出ていて。 高2のとき、フローベールの『ボヴァリー夫人』を読んで、別に不倫をしていた訳でもないけど、一箇所、まさしく少し前の自分を描いてるとしか思えない描写があって。エスパーかと思いました、フローベール(いや、すごい昔の人なんだけど)。 お陰で、自分が経験したことは特別たいしたことでもなくて、まだ17の当人としてはすごい辛いんだけど、実はごくありふれたことなんだということが分かって、大いに救われた。自分がとくべつ欠陥品という訳ではないのだと、言われている気がして。 同じように、もしかしたらこの作品も、私や恵美子のような経験をした子に寄り添うものになるかもしれない。ぜんぜん違う青春を送った子&男性には、どこが良いのか全く分からないかもしれない(笑) ま、そんなもんでしょ。 気が向いたら、原作も読んでみようかな。
人間らしい
恵美子にすごく共感した
恵美子も、洋も、お互いのことが好きな訳では
ないんだと思う、単なる共依存。
恵美子は自分に自信が持てなくて空っぽだから
誰かから必要とされることで心を埋めたかった
洋は単純に自分の欲求のため。
でも自分の欲求のままに恵美子を扱うのは
あまりにも自分が醜い奴で苦しかった。
だから拒んでいた、でも理性と反して欲求は体を求めてしまうからそんな自分と葛藤しているように思えた。悪い奴でいたくなかったんだろうね。恵美子は洋に幸せにして欲しかった訳じゃなくてむしろ都合よく扱われていた方がよか
った、自分のことを愛してくれない人に縋っていたかった。だから、自分のことを好きだと洋が言ってきて急に信じられなくなったんでしょう、決定的に自己肯定感が低いから。(自己肯定感が低い原因はきっと母親のせいでしょうね)
そして自分からぶち壊した、ああリアルだなとすごく思う。私も満たされないものに必死に縋る癖に、満たされそうになると全部壊したくなる。大切にされたり、幸せのなり方なんて知らないから、怖くなる。
お互いがお互いをたまたま必要としていた、
それに縋っていた、そんな映画に思えるけど
それは純愛なのか、恋なのか、私には分からない。そして「海を感じる時」の海とはなにを表しているのか、もう少し考えてみたいと思う。
体当たり演技
2019年4月7日 #海を感じる時 鑑賞 愛とセックスとの関係についてのお話ですが、そんなに深いお話ではありません。ただ、#池松壮亮 と #市川由衣 の体当たりの演技が凄い!それと、エンディング曲がよかったです。
男女の話ではなく、母娘の話
主人公も、誰でもよかったんだと思う。
自分をぞんざいに扱う人なら誰でも。
大切にされるようようになったとたん、自らぶち壊しにいったのがその証拠。
自分のことを大切にできない。
自分のことを大切にしてくれる人を好きになれない。
ぞんざいに扱われてるほうが落ち着く。
典型的な自己肯定感が低い人間。
原因はあの母親。
娘のことを大切に育ててきたのは事実だけど、
「片親でも人並みに育てあげなきゃいけない」
「人様にまともな母親と思われたい」という思いからのことで。
どうせ夫に先立たれた我が身かわいさと、
世間体ばかり気にしてたんじゃないの?と言いたい。
大学行けなかったら恥ずかしいとか、
自分の人生犠牲にしてきたのに意味ないだとか、
目の前でご飯捨てたりだとか、、なかなか胸糞。
子どもはどう転んでも結局は親のことが好きで
反抗してても罪悪感でいっぱいなんだから、、
最後、家でミシンを扱う母の後ろ姿と、
ピアノを弾く父の姿を思い出してるのが切なかった。
父親が生きてたらまた違ったのかな
ちなみにひろしは主人公の反対で
自分のことばかり大事にしすぎる人。
傷つきたくないから、相手を突き放す。
普段はポーカーフェイスで、後出しで実はあのときああだったこうだった、、、って。ずるい。
姉には何から何まで筒抜けだし。
甘ちゃんなのかな、結婚相手には絶対したくないタイプの男だった。
安売りはやめよう
原作未読で鑑賞。 主人公に感情移入出来るか否かで好き嫌いが分かれそうな作品。 私は主人公の気持ちは理解出来るけど、自分を安売りしていて観ていて辛かった。 可愛いんだしもっと自分を大切にしてくれる人が見つかるだろうに… 大好きな池松壮亮さんがまたまたダメ男を好演してます。
海を感じる時 若者が見るとタイムリーかも 時代背景が違うだけでこん...
海を感じる時 若者が見るとタイムリーかも 時代背景が違うだけでこんなにも醜く言われるんだなと思ったのが一番の感想かな。 世間体とか生々しい感じ、親の感じとか、家族の感じとか、きっと平成生まれのゆとり世代やさとり世代とまるで違う。 言い回しが小説みたいでした。 そこがまたその時代のステータスって感じなのかな。 ただ愛の渦みたいなスッとした終わり方ではないけど、見た人によって感じ方は違う気がする。 私はなんか主人公ほどまではいかないにしても共感できる部分があった。 きっとみんなダメダメなんだろうな、そのダメな部分を赤裸々にしてある映画でした。 主人公は追いかけて醜い自分が好きだったのかな。愛されることに慣れてないしそれだけじゃ物足りなさを感じる。 だから余計なトラブルを起こす。 女性特有だな、と思った。
え…??ってなる
思っていた以上に…微妙だった… 見終わっても…え?…という感じだったので、他の人のレビューを見てもやはり殆んどの人が内容はないとwww 市川由衣ちゃんが脱いだということで見た人も多々いるようだけど、そっちに関しても微妙で。 エンディングの市川由衣ちゃんが海辺を歩いていて流れていた曲が一番良かったなー
狂った男が女を狂わす(1)
『海を感じる時』(2014)
15歳未満閲覧禁止指定の映画であり、ポルノ作品を作っていた人が監督でもあり、アダルトビデオ的な性描写が初期から現れて来るが、最初は熊がみたいと動物園か、子供を肩車する男性と主役二人がすれ違って、性行為だけではなく家族というような対比を含ませている様子である。出会いの場面に遡るが、高校生の新聞部で二人きりの時に、男のほうが女に向かって、「好きではないがキスをしてみたいから」と言い、女が応じる。その後喫茶店で、女は男に、「前から好きだった」と告げる。女のほうはだから応じたのだろう。しかし男は「女の人に興味があって、君じゃなくても良かった」と言う。重ねて病的な面をもった関係性だと明らかになる。そこから女は男を思い続け、性欲処理のための「都合の良い女」として、離れないという話だろうと思う。女にとっては初めての男であり、純愛である。ところが男は最初から弄んでいる事を女に告げているのだ。次のシーンで、タバコを吸う女が中絶なのか、主役の都合の良い女に対して医師へ告げるための協力を要請するようなシーンがあるが、よくわからなかった。男と都合の良い女は同棲していた。現在の場面に
戻る。原作者の中沢けいは、21歳で結婚して2人を産んだが離婚して、シングルマザーで過ごしたという早熟かつ現代の問題を体現してしまったような人らしいが、法政大学の日本文学の先生をしているとの事である。教育者としてどう性やその他の事に関して講じているのだろうか。主役を演じる市川由衣みたさで、乳房や尻なども裸体で出て来るが、テレビドラマの『H2~君といた日々』という高校野球ドラマでリアルタイムに観たのが認識した最初だと思うが、そこにもキスシーンは演じて衝撃的に思えたが、それどころでは無い映画だ。しかし2005年のその映画より衝撃は無い。行為の度の強弱ではなくて、行為者の年齢や設定もあるだろう。テレビドラマではその後どうなったか知らないが、この映画では、高校生時代から何度も性行為を繰り返してきた事を予測させるような事態で、新聞部の部室で二人きりの時に男は暴力的に女を自ら脱ぐように命じて、女は従うが、演者はおそらく29歳で17歳かそこらにさせている所も倒錯的な所であろう。この映画は15歳以上は観ても可能にされているのがあるが、高校生は観ても可能にしているのはどういうことなのか。高校生なら性行為をしても良いと映画業界は判断していると言う事なのか。厳しい父母ががいなくなり、甘くいい加減になった日本社会の基準と映画業界は判断しているのだろうか。
愛してもいないとする最初に性行為してきた男をずっと追い続ける都合の良い女。このシチュエーションが、何を男女の純粋な関係として垣間見せようとするのか。だいたいそれが意図としてあったのだろうか。原作者は何を意図したのか。映画監督は何を意図したのか。内容があってもなくても行為は同じだが、内容が示されなければアダルトビデオやポルノと変わりは無い。俳優や女優は誇りを持って演じられただろうか。性の社会病理を考慮させるような隠された価値はこの映画にあっただろうか。女がタバコを吸おうとして、これは男の吸い殻のように見えたが、辞めるシーンがある。だがその後ブランコで平気で吸っているから常習だった。この前後の吸う吸わないの対比の意味はわからなかった。高校時代と何度も戻って行くが、女は身体だけでも良いならそれで良いと男に逆に頼んでしまうので、それまでは男は女を触ったり脱がせたりするところまでだったらしいが、長椅子を2つ並べて最初の性行為になる。これはなぜか性行為のシーンではなく、推測させる方法をとっている。ここら辺の見せ方の違いも何か考えてやっているのかどうか。現在の性規範の無くなってしまった同意があればなんでもありのような社会の中で、初めての男が愛してないのに性行為を許してずっと都合のいい女として添っていくというのは何を語ろうとしたのか。主人公の姉らしき女は、ハンドバックや洋服を買ってもらったし、売春みたいなもんよ。として何者かと関係しているらしい。妹は愛とは何かを姉らしき女に問いかけたようだが、姉もなんだか無機質的な事を言ったようだ。このセリフは解釈において大事だったかも知れないが、通り過ぎてしまった。二人は、高校時代に女が生理が止まっているのを男に告げる。女は産んでみたい。育ててみたいと男に言う。男は金は出すよと言う。女はあなたに似た男児が欲しいというが、男は拒絶する。
中絶は日本ではわかっているだけで年間20万件程度あるのだと言う。毎年である。これもその一つのケースに過ぎないのか。
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