東電に喧嘩を売る映画を作りたいと言っていた若松孝二監督。
結局それは叶わず亡くなってしまったが、弟子・井上淳一がその遺志を引き継ぎ書いた脚本を、福島出身の菅乃廣が映画化。
原発で働き被曝したかもしれないと言う監督の亡き父の思いも込められ、それぞれの東電や原発への憤り・疑問が結集した入魂作と言えよう。
本作が掲げるテーマやメッセージはいい。
が、名作にはなり損ねた。
惜しい点が幾つか。
まず、話がいまいち分かり難い。
戦時中。新型爆弾の原料となるウラン採掘に従事させられる学徒たち。その中の一人に、秀雄。
高度経済成長期。秀雄はただ一人原発建設に反対し、孤立する。その娘・愛子は原発推進派の青年・健次と惹かれ合うが…。
震災直前。愛子はFacebookを通じ、原発被曝からのガンで息子を亡くした健次と再会する。
震災後。震災で全てを失った愛子の孫娘・怜は、一人東京に出、募金詐欺の青年と出会い…。
福島を舞台に、4世代70年に渡るある一家の物語。
この4つの時代が交錯するのだが、それらが巧みにリンクしているとは言えず。コロコロコロコロ忙しく代わる代わる展開していくだけ。
登場人物やその関係もちと分かり難いのも難点。
主軸を東電や原発に翻弄され続けたある一家にしているのはいい。
が、愛子と健次の老いらくの恋などメロドラマ的なエピソードが目立ち、焦点がボヤけ過ぎている気もする。
強いて言えば、後の原発建設の起点となるウラン採掘や原発の安全性に疑問を投げ掛けるエピソードくらい。
怜が自分の境遇を悲痛に訴えるシーンには胸を打たれたが、これは被災者の苦しい現状の意味合いが強い。
もし、若松孝二が東電に喧嘩を売る映画を撮っていたら…?
それこそ東電から公開阻止の圧力でもかかっていただろう。
本作が公開された事自体、テーマやメッセージを訴えているようで、実は配慮しているように感じてしまった。