「過ちを背負って生きる覚悟」ソロモンの偽証 後篇・裁判 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
過ちを背負って生きる覚悟
不満点から処理する。
まず、尾野真千子と余貴美子のパートは全くの蛇足。
物語の導入としては機能していたかもしれないが、
映画のテーマを台詞で語ってしまったり、主人公らを
ヒーローのような位置付けに固定してしまうあのパートは、
物語の現実味や感動をひどく陳腐なものにしてしまったと思う。
次に、謎や急展開が次々と提示された前編に対し、
後編はそんな驚きを与えてくれる要素が少ない
(解決篇なのでそこは殆ど宿命だとも思うが)。
三宅の吐いた恐るべき嘘には凍り付いたが、
最大の衝撃に成り得ただろう神原の真の意図については
そもそも観客に勘付かせる作りになっていて驚きは無い。
そして他のレビュアーさんも書かれているが、
みんなで謝罪する場面が多過ぎる。同じような場面が
繰り返されるのは物語のテンポとしてマイナスだし、
何よりひとりひとりをあまりにキレイに処理し過ぎていて、
前篇にあった生々しさが薄れてしまったというか、結局は
甘っちょろい性善説に落ち着いてしまった感が否めない。
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しかしながらそれは、登場人物ひとりひとりに救いを
持たせてあげたいという作り手の優しさだと理解する。
先述の神原の件も、観客にいたずらに衝撃を与えるより
彼の感情を観客に推察させる事を優先させたのだと思う。
前篇で期待していたほどの決着には及ばなかったし、
もっと情け容赦の無い結末を望んでいた気持ちもあるが、
それでもこの物語の人々の姿は――犯した過ちと
必死に向き合おうとする人々の姿は――心に響いた。
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柏木。
あの少年はどうしてあそこまで人生を憎み切っていたのか。
その詳細は最後まで語られない。
説明不足だと非難する向きはおられるだろうし、
原作ではもっと詳細が語られているようだが、
僕はこの映画においてこれ以上の説明は不要だと思う。
いじめを止められない。
辛い過去を忘れたい。
他者を理解しようとしない。
自分の子どもと向き合い切れない。
嘘を吐くことを止められない。
何故なら、怖いから。
人が傷付くよりも自分が傷付くことが怖いから。
そんな自分はなんて弱くて卑怯で浅ましい。
自分なんて生きてる価値すらない。
人それぞれが抱える罪悪感やうしろめたさ。
柏木は、そんな負の感情だけを映し出す
陰鬱な鏡のような存在だったのだと思う。
前篇で電車に轢き殺された藤野と同じく、
最も忌み嫌い消えてしまえと願う自分の姿なのだと思う。
彼が最後に見た、雪のちらつく真っ暗な空。
いつかあの空を見たことがあるような気はしないか。
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それでも、自分の過ちを背負って生きろと映画は語る。
毎度同じような所からの引用で申し訳ないが、
終盤の藤野や神原の姿を観ながら思い出したのは、
『サイレントヒル2』というゲームでの台詞。
「私は弱かった。
だからおまえの存在を望んでいた。
私の罪を罰してくれる誰か。
でも、もういらないんだ。
分かったんだ。
自分で決着はつける。」
悔いるべき過去があるなら、
死んで逃げるな、忘れて逃げるな、
他人に罰されて良しとするな。
悔い続けてそれを正す努力を続けろ。
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この物語は単に、自分はこうありたい、世の中は
こうあってほしいという願望に過ぎないかもしれない。
だが、願望をハナから諦めている人間が、どうして願望を実現できる。
善を語ることで己に善を課すというやり方もあっていいんじゃないか。
見応え十分の力作でした。
判定は前篇4.25、後篇3.75で平均4.0判定。
<2015.04.11鑑賞>
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余談:
にゃらんさんも書かれているが、ソロモンとは
旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエルの王。
彼は神に何でも望みのものをひとつ与えると言われ、
『民を裁くために善と悪を聞き分ける心を
お与えください』と答えた。
この映画の“ソロモン”は、事件の全容を既に把握
していながら、裁判を続ける為に嘘を吐いた
神原のことを差していたのだろうか。