「ソロモン王は言った「公平に判断ができる心が欲しい」と。」ソロモンの偽証 後篇・裁判 夢見る電気羊さんの映画レビュー(感想・評価)
ソロモン王は言った「公平に判断ができる心が欲しい」と。
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原作既読なので色々な違いは気になりましたが、映画としても小説にあった見所はあって良かったと思います。
ちなみに、ソロモンというタイトルは、ソロモン王から来ています。彼は神からなんでも願い事を叶えてあげようと言われた時、公平に判断ができる心が欲しいと言いました。これは劇中の生徒たちの心につながるものです。
裁判の必要性について、ここまでやらなければならなかったのか?に対してはここまでやる必要はない、というのが現実的な答えになるかと思います。ただし、作劇的な意味においては大いに意味のある設定であったと言えます。裁判を通じて、自分に不都合な真実、隠している秘密を、登場人物皆が暴露させることに違和感を与えない効果を生みます。また同時に、恐ろしい真実に挑む勇気を見せるということも、分かりやすく見せています。これが劇中の裁判の意味です。
偽証というのも、樹里というキャラクターが出した嘘の証言が代表ですが、登場人物各々が抱える罪の意識に対する向き合い方自体も、実は偽証に含まれます。元校長の隠蔽、元担任が柏木くんを面倒だと思ってたことそして、その死に安堵してしまったこと、主人公のいじめを見て見ぬ振りしたこと、そして神原くん、各々が罪の意識を抱き、秘密を持っている。
それを暴露し、真実に向き合う場面が、後半には描かれます。中学生だからこそ、描ける未来への決意。とてもいい映画です。
ちなみに、映画と原作の違い。非公開裁判シーンがない。柏木くんの有罪=自分を殺した殺人罪で裁く結末がなくなっている。電気屋のおじさんの一言で神原くんの正体が分かった原作と違い自力で真実に至っている。裁判の証人は大幅に減らされてる。
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