寄生獣 : 映画評論・批評
2014年11月25日更新
2014年11月29日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにてロードショー
哲学的モチーフ、ギリギリの衝撃映像、役者の力が後編への期待をあおる
連載完結からほぼ20年の時を経て、ついに「寄生獣」が映画化される。ただの人気コミックではない。人類とパラサイトの共存と闘いをめぐるこの物語の射程は、地球規模での「共生」や「利己的/利他的」といった哲学的な問いをも含んでいる。また、衝撃的なビジュアルや、心躍るアクションは発表当時から多くのフィルムメイカーたちの心をも捉えてきた。世界的ヒット映画への影響もまことしやかに言われてきたし、事実、本作の映画化権は一時期ハリウッドに渡っていたと聞く。
原作に込められたメッセージは、時を経てますますその意義を増した。冒頭のナレーション——「地球上の誰かがふと思った『人間の数が100分の1になったら、垂れ流される毒も100分の1になるのだろうか』」というラインは、未曾有の原発事故を引き起こしてしまったいまこそ、より切実に響く。地球外生命体ではなく、「地球上の誰か」が思ったのだ。それゆえ冒頭のシーンを、パラサイトを原作に倣い空から降らせるのではなく、深海からやってくるように描き直した監督・山崎貴と脚本・古沢良太の判断をまずは支持したい。
この変更は、深海生物をモデルにしたパラサイトの造形にも生きている。グロテスクだが、それ自体が「恐怖」にはならないギリギリの線。映像としては、サバンナの肉食動物を追ったドキュメンタリーのような距離感。そう、パラサイトは人間を食料とするが、復讐や怨恨ではなく、ただ生存本能に則っているだけなのだ。この「生々しさ」を「身もフタもなさ」に変換するにあたり、阿藤正一撮影によるグリーンがかった色調もうまく作用している。とくに学校のシーンでは、同じ阿藤による映画「告白」のクールなトーンを思い出した。魚市場や中華料理屋の厨房といった、作品テーマをさりげなく含んだロケーション(もっとも学校も「弱肉強食」の場所といえるが)でもこのトーンが効果を発揮している。
俳優たちの力も大きい。染谷将太のパッと見、体温低めだが芯に熱いものを抱えた佇まいは主人公の新一にピッタリだし、CGのミギーとのやりとりも実にスムーズ。阿部サダヲの声を配したミギーも、一風変わったコメディリリーフとしてのバランスを保っている。ことによると新一以上に重要な役回りとなる田宮良子を演じる深津絵里も、抑制の効いた所作で、理知的なパラサイトが人間を演じる「不自然さ」をうまく漂わせている。
すでに述べた冒頭部以外にも原作からの変更点はあるが、いずれも「母性」や「右手」といったモチーフを明確にするためのものであり、瑕疵にはなっていない。ただ、まさにその両方のモチーフが交錯する母親のあるアクションについては、原作ファンの賛否を呼ぶかもしれない。ぜひ見て判断してほしい。いずれにせよ、まだ前半だ。続きを見てみないことには評価しがたいが、次作「寄生獣 完結編」への期待を膨らませる作品であることは間違いない。
(九龍ジョー)