アクト・オブ・キリングのレビュー・感想・評価
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翻弄されるもののサダメ
英雄犯の哀れ。
真のグロテスクを映像だけでなく心理的に表現している作品。
大量虐殺を英雄気取りで語り演じる年寄り勢。自身の孫にまで
虐殺再現場面を見せる愚か者が自分の犯した罪にえずき出す。
今さら「かもしれない」では100万人の亡者が浮かばれないが、
国を挙げてあの持て囃しぶりでは、本人達が自分のしたことを
重罪だなんて思う筈がない。監督は初め被害者側を取材するも
当局に断られ今度は加害者側にカメラを向け彼らに演じさせた。
映画の反響によりついに政府が大虐殺を認めるに至ったという、
何ともな衝撃作だ。米映画を賞賛し意気揚々と針金を這わせる
主人公の行動が怖いというより滑稽すぎて行き過ぎメイクにも
笑いを禁じ得ない。我は正しいと信じる行動が物々しく哀れだ。
いつものようにふざけてとぼけた感想をつぶやいてるがここは
なんと言っても後から参加した、飛行機で里帰りしてきた人。(家族連れで来たんだよね?)あの人の発言、行動に注視した。すごく頭のいい人、善悪の区別を客観的にできる人だと思った。
そんな彼も当時は仲間との殺戮に加わっていたんだよな。
共産主義?資本主義?軍事独裁主義?イスラム原理主義?
国や取り巻きに踊らされた。自分たちは英雄だと思い込もうとした。
気に入らないやつを共産主義者に仕立て上げて殺した。
その自覚はありそうだ。
たちの悪いのは知事、新聞社のおやじ、なんとか大臣。
自分の手を汚さずプレマンをおだて上げて気に入らないやつを減らして私利私欲肥やす。
手を汚した奴は悪夢にうなされながらも自分がいいおじいちゃんでいたい、裁かれたくない。
と、現在の日本にいるおれは好き勝手なことが言えてるけれど、おれがその時のその場所にいたら弾圧虐殺に反対して民衆を先導し立ち上がれたか??
日本が戦争してるその場所にいたら徴兵拒否して大日本帝国は間違ってる、中韓侵略やめろ、って大声で言えたか??
そんな自問をしながら観た。
そして今もどこかで同じようなことが繰り返されてることを知っていて「自分のことじゃないから」って逃げてます。
この映画制作のスタッフも自分の名前をクレジットに出されると困るらしい。身の危険や今後の仕事に影響あるのか?
それでも今の日本でこれを上映してくれる配給さん、映画館さんには感謝。
簡単に撮れるもんじゃないよ、これは
衝撃
嫌悪の原因
大量虐殺の加害者は“怪物”ではなく“ヒト”、特別過ぎない卑近な人間でした。
頭グチャグチャになる作品でした。
本作は当時1,000人を手にかけたアンワル・コンゴを中心に話が進みます。
元はダフ屋だったアンワルは当時の時勢に乗り共産主義者と“思しき”人物達を鏖に。
画面に映る現在のアンワルは白髪の一見好々爺という出で立ち。
孫を可愛がる姿は普通の老人という雰囲気。
そのような人物が嬉々として過去の虐殺を語りだし仲間と共に自主映画を作り出す。
後世の人々に自分達の功績を残すため。
『人を殺してはいけない。ましてや殺したことを自慢げに話すなんて』という自身の常識。
一方、アウトロー側の人間とはいえ、姿形や家族を慈しむ感情は同じ存在であること。
その違和感や非現実感に頭グチャグチャになります。
普段目にする映画等での虐殺者は、異形の“怪物”。
見た目からして自らとは異なる存在として捉えることが出来て心理的な距離感があります。
しかし本作を通して見えてくるのは虐殺をする側もされる側も同じ人間であること。
今は周りの見解や雰囲気含めて、その行為を否定することが出来ますが。
時勢等の舞台が揃ってしまえば自分自身もあの立場になってしまうのでは。
彼等が特別過ぎない卑近な存在であるが故に自身の考えや立ち位置の脆さに恐怖を覚えます。
また彼等が作成する自主映画の雑さやチープさに思わず笑ってしまうことも感情を揺さぶられます。
素人が考えた脚本、素人が作った小道具を使って雑な演技を行う。
その間抜けさに思わず笑みが零れるものの、扱っている内容が内容なだけに笑っていいやら悪いやら。
笑うことで彼等の行動を少しでも肯定しているような気すらして変な気持にさせられます。
画面に映る人物達と距離を取りたいにも関わらず、共通点を見つけてしまい違和感を抱く本作。
自主映画の作成を通してアンワル自身にも変化が生じていくのですが。
終盤の或る展開は息をのむ一方で『噓臭い、演技の延長だ』と思ってしまったのは、少しでも彼から距離を取りたかったからかもしれません。
インドネシアで当時起きたことを知る切欠としても良い作品だと思います。
オススメです。
狂っている。
ドキュメンタリーと呼ぶには余りに凄惨な自演劇
正義とは何か
演技ではあり得ない衝撃
凄いドキュメンタリー
無常感
うーん、微妙・・・。
個人的には、今年前半の最大の期待作でした。
しかし、いざ、観終わってみると、なんだか、肩透かしを喰らった感じがします。共産主義者を殲滅させるという名目で大量のインドネシア人を殺し続けた集団の「幹部」とも云える人物(今では白髪の老人)が主人公なのですが、その主人公に殺害の様子を再現させる、というのが、話の骨子なのです。しかし、しかし・・・、その殺害の再現が、なんとも微妙なのです。非常に稚拙なのです。まるで、中学校の文化祭の催事のようで、主人公である殺人の実行者の話にも、私は衝撃を受けませんでした。やはり、このような記録映画を作る際には、当時の実録のフィルムを所々に挿入するのは必須であると思います。当時の加害者と被害者の様子を写したフィルムは必要であると強く感じました。この映画のクライマックスは針金を首に巻いて、何人も殺した現場に立って、当時の状況を語っていた主人公が突然、猛烈な吐き気に襲われ、何度も胃液を吐く場面(多分、このとき、殺された人間の立場に初めて立ったのでしょう)なのですが、劇映画では、人間の遺体を見て、嘔吐するというのは、余りにありふれた場面なので、余り、新鮮さはありませんでした。結局、かつての殺人者が贖罪するという、なんだか、ありふれた結末で、非常に、がっかりしました。所詮、欧米人のキリスト教的な価値観を押し付けられただけの映画である様にも思われました。しかし、決して、悪い映画ではありません。考える余白がたくさん残された映画でもあります。この映画の製作者の高い志は評価できます。週刊新潮では映画評論家のグレゴリー・スターさんが、96点という高い点数を付けていました。そう、悪い映画ではないのですが、なにぶん、こちらの期待値が高過ぎたので、☆は二つ半、と云うことになります。悪しからず。
原一男の「ゆきゆきて、神軍」、小林正樹の「東京裁判」、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」、或いはクロード・ランズマンの「ショアー」といった傑作と肩を並べる作品になるか、と期待していたのですが、なんとも残念な結果となりました。
こんな映画観たことない
人間の怖さを感じざるを得ない
アクト・オブ・キリングを観てきた。
1965年のインドネシアで共産主義者(と思われる人も含む)100万人が大虐殺された。
驚くべきことに大虐殺した側は今も各界の要人として生きている。
その要人は今も国の英雄扱いをされているのだが、そんな英雄たちに過去の虐殺を映画として撮影させて、その映画を完成させるまでを追ったドキュメンタリーが本作。
虐殺を行った国の英雄たちのほとんどは過去の虐殺に対して反省の色もなく、自信の行為の正当性を疑わない。
それどころか自慢げである。
撮影中は軽くキャッキャしている。
恐ろしいのはそんな残虐非道な行為をした彼らもただの調子のいい奴らで、多分僕の周りにも、あなたの周りにもいるような人なのだ。
(主人公は最終的に良心の呵責があったが、それはこの映画の撮影を経験したからであって、それがなければどうかわからない)
そして被害者は共産主義者ってだけ、もしくは共産主義者って勝手にレッテルを張られてで殺されてるわけで、狂気としか思えない。
しかし、この狂った状況ってのは異国の遠い過去の話ではない。
日本では関東大震災の際に、偏見だけで人が殺されたりしてるし、今のヘイトスピーチの状況だって本作につながりかねない可能性をはらんでいる。
だからこそ僕らはこの事実は知るべきだと思うし、この映画で知った事実はやるせないものだが、撮られたことに感謝すべきだ。
できれば数多くの映画館で公開するとともに、あらゆる観客が観てほしい。
最後に町山智浩氏もいっていたが、この映画のイベントで取材にきたマスコミがこの映画についてふれなかったことは本当にクソだ!恥を知れ!!
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