あなたを抱きしめる日までのレビュー・感想・評価
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スティーヴ・クーガンがよかったです
2024年4月17日
映画 #あなたを抱きしめる日まで (2013年)鑑賞
18歳で婚前妊娠したため修道院に入れられ、生まれた息子が3歳になった時に強制的に養子に出された女性が50年経って息子を探す旅に出た実話
一緒に旅をするジャーナリストとの掛け合いがよかった
神の元で行われた人身売買が恐ろしい
この一言が沁みる
主人公フィロミナ(ジュディ・デンチ)が、カトリック教会の老シスター、ヒルデガードに行った一言「私はあなたを赦します」が秀逸!
シスターがみんなマリアテレサかと思ったら大間違い。厳しい戒律を守り通したからといって人間性を磨いたことにはならないのです。
母はなぜ?
修道院って映画作品に出てくるの、
ロクなのがない、
『ベネデッタ』しかり『尼僧物語』しかり。
イギリスで。
本作なんか、人身売買❗️
望まずして妊娠した為、家族からか、
強制的に修道院にやられ、
出産後、4年間のタダ働き。
出産前後の世話賃と4年分の若い労働賃金を
比べてみた。
おのずと明らか。
さらには、子供を取られてどこかへ
やられてしまった。
50年後にその息子を探す母。
TVキャスター後、記者になった
マーティン•シックススミスに出会い、
番組に出演する条件で、
息子探し、所在地への随行等
全部お世話してくれる。
アメリカで見つかった。
超優秀な人物に成長していた。
誇りに思うが、
既に亡くなっていた。
なぜもっと早くに探さなかったのだろう?
と思ったに違いない。
意を決して息子のパートナーに会いに行く。
驚いたことに、お墓はあの修道院にあると。
さらには、修道院のエゲツなさが露見する。
母はなぜ、もっと早くに探さなかったのか⁉️
酷なことをする
1952年アイルランド。10代で未婚の母となったフィロミナは、母子とも修道院に入れられ、幼い息子アンソニーは養子に出されてしまう。50年後彼女は娘ジェーンにそれを告白し、アンソニーを探そうと決意。ジェーンは、知り合ったジャーナリストのマーティン・シックススミスにそれを依頼し。
なんて酷なことをする、それでも聖職者か。実話をもとにした物語。当時、それが当たり前だったとは信じられませんでした。フィロミナおばあちゃんと皮肉屋マーティンの掛け合いがユーモラス。またその後のアンソニーであるマイケル・ヘスの、ケルティックハープに願いを込めた劇的で波乱な人生に驚きました。
『最高の結末よ、100万年に一度よ。』
遠藤作品を色々読んで思うのは、イエスは素晴らしい人格者だと思う。
ただ、それを曲解して、違う方向で広まったのはキリスト教だと思う。
イエスは自分の崇拝など望んでないし、ただ、辛い思いをしてる人に寄り添う。
この映画の主人公フェルミナがそうなのだ。人の過ちを赦す。
その分、自分が苦しむことを選ぶ。
鑑賞して思うのは、この母と息子は、分かり合えている。
それは死後も続く。
【”赦しの心。”若い時に生まれた息子を、修道女の女性が年老いてからインテリジャーナリストの助力を得ながら探す作品。後半の展開は可なり心に沁みる作品である。女性ってヤッパリ偉大だな、と思うのである。】
■主婦・フィロミナ(ジュディ・デンチ)は、50年前に未婚のまま出産して養子に出された息子・アンソニーに会いたいとの思いを募らせつつ、カトリックの修道院で働いていた。
それを聞いた娘のジェーンは元ジャーナリスト・マーティン(スティーヴ・クーガン)に話を持ちかけ、フィロミナとマーティンによるアンソニー探しの旅が始まる。
ー 個人的に、イギリスBBCが製作する映画は好きである。理由は品性が高い事に尽きる。映画ではないが、ベネディクト・カンバーバッチ主演の「シャーロック」シリーズは名作だと思っている。-
◆感想<Cautin!内容に触れています>
・若き時に恋に落ち、息子アンソニーを生みつつも当時、禁忌であったがために、修道院に入れられたフィロミナ。
ー 彼女が、週に一度だけ幼き息子と会うシーンは可なり沁みる。だが、息子はある日、米国の富裕なるヘス夫妻に養子として引き取られるのである。-
■時は過ぎ、息子に会うためにフィロミナは行動を起こすのである。同行するのは、政争の末報道官の地位を追われたシックス・スミス・マーティンである。彼が最初はスクープを得るためにフィロミナと米国に行くのだが、彼がフィロミナの長年の息子への想いを知るにつれ、彼女に寄り添う姿が心に沁みるのである。
・フィロミナと、シックス・スミス・マーティンが米国に渡って知ったアンソニーの生涯。それは、レーガン政権とブッシュ政権で筆頭法律顧問を務めていた事。
そして、彼がゲイでありパートナーであるピートと付き合っていた事。
【彼の背広の襟にはいつも”ケルティック・ハーブ”の装飾品が付けられていた事。】
ー もう、このシーンで涙腺が崩壊しそうになるが、我慢して鑑賞続行する。-
■フィロミナは息子とは会うことが出来ない。それは、彼がHIVにより1995年に歿していたから・・。だが、彼女はシックス・スミス・マーティンが訪れたピートの家に行った際に断られつつも、彼の代わりに毅然とした表情で、再びピートの家を訪れる姿。
そして、亡き息子が米国ではなく、彼が生まれた英国の修道院がある地にが、亡骸を埋める選択をしたことをフィロミナが知るシーン。
ー 涙腺が崩壊する。フィロミナの息子アンソニーは、彼女を忘れずに自らが生まれた地に、自身の骨を埋める選択したのである。-
<今作は、母が息子を想う気持ちと、息子が母を想う気持ちが見事に表現された秀作である。
私は男であるが、今作の様な作品を鑑賞すると、女性ってヤッパリ偉大だな、と思うのである。>
信じ待ち赦す
TVドラマ「スクール・ウォーズ」で、
滝沢先生が生徒に説いたポリシー。
今思えば、彼はカトリックだったのか❓
でもシスターは謝ってない。
「我こそ正義」を貫いているが、
「正義」こそ厄介という真実。
天災などを例に挙げ、
「幸せな人生に宗教など不要」
と言われると、
色んな国を敵に回しそうなセリフだが、
宗教のいう幸福とか幸せって、
大勢とか国とかじゃなくて、
もっと個々の価値観に沿うものでないと、
そこまで寛容にならないと、
残っていかないのでないだろうか。
18歳で子供産んだ私が悪い、とか、
ゲイである自分が悪い、とか、
自分を責めなくて良いよ👌
「007」のMが、
少し間の抜けたおばあさんを見せる所が、
息抜きになる。
タイトルはダサいが中身は良い
無駄に二時間超えが多い中で1時間半強に手際よくまとめた手腕に敬意を表します。
息子を訪ねて一種のロードムービーとも観られます。
結構いろんなエピソードが入っているにも関わらず、人物の背景や心情も的確に描写しています。
主役二人が上手いというより、余りにも自然に演じていて共感性が高いです。
収奪された時間を取り戻す、過去へと向かって行くロードムービー的側面
かつて、一夜限りの交わりで授かった子どもを修道院に取り上げられた老女が、子どもの50歳の誕生日にその過去を告白し、彼との再会を志す。
信仰とはなんだろうかと考えさせられた。
本来、人を救うためのものである宗教が、救うためではなく、償うために、厳しい戒律を強いる。
殊、絶対神を崇める一神教には、生まれてきただけで罪深いとする「原罪思想」や最終的には神に裁かれるとする「終末思想」に象徴されるように、大なり小なりその傾向が見られるし、特に厳格なカトリックでは、そこに教会の支配性が加わると思う。
本作は、信仰のもつ強い原罪観、終末観の結果、収奪された時間を取り戻す、過去へと向かって行くロードムービー的側面もある。
悪意ではなく善意から生まれる悪魔的行為を、更なる善意で包むジュディ・デンチの好演が光る。
カトリックへの強い批判性を持ちながら、信仰の本質である「愛」や「赦し」を逃げずに真正面から描いている。
せっかくの製作陣の想いが昇華されなかったような…
邦題名が「あなたを抱きしめる日まで」
だったので、最後には子供に会えて、
との話かと思い観ていたら、
作品の半ばで彼が死んでいることが判り、
この先はどうなることやらと
案じながら残りを鑑賞した。
途中、英米の文化の違いや
ジャーナリズムと市井の葛藤、
また、LGBTの現状や
性への欲望と純潔性との整合性等、
盛りだくさんのアプローチがあったが、
原作本を書いたそのジャーナリスト役の
言葉からは、
やはり宗教批判の視点からの作品のように
感じられた。
アイルランド修道院の酷い暗黒面を
採り上げた作品だが、
名優ジュディ・デンチを配役した影響が
あってか、生き別れた息子を探す女性が
主役的に扱われ、作品の中でも
米国行きを楽しんでいるのが彼女の方で、
問題により真剣に向き合っているのが
ジャーナリストのように
描いているのだから、
彼を徹底的に主役に据えた方が、
テーマがより明確になったような気がした。
また、各処に見られる微妙に長い間合いが
冗長さを感じさせ、
全体的に演出の妙も感じられず、
せっかくの製作陣の想いが
昇華されないで終わってしまったような
印象を受けた。
5/17再鑑賞
皆さんの評価が押し並べて高く、
自分の理解が不充分ではなかったのかもと
思い再鑑賞した。
しかし、母親は冒頭から寛容性の高い女性
として描かれている中、
終始、彼女の人間性に変化があったようには
見えない。
むしろ、ジャーナリストが記事にしないと
言ったのは彼女の影響だったのかも
知れないが、
それに対して、彼女が記事にして良いと
事件を明らかにする行為は、
彼女の寛容性とどう関連付けたかったのか、
彼女の社会意識の芽生えとしたかったのか
分からなかった。
結果、今回も感動に繋がらなかったのは、
テーマの深刻さの割には、製作陣に
表現の上での技術的な不足があるように
感じてしまったためだろうか。
赦し
意に反し幼い息子アンソニーと生き別れとなってしまう女性フィロミナをジュディ・デンチが好演。顔に刻まれた皺が歳月の長さを感じさせる。華やかな人生を送る息子マイケル・ヘス( 幼少期名:アンソニー )のビデオ映像を見つめるフィロミナの心の内は…。
終始誠実な対応をする元BBC支局員、ジャーナリストのマーティンをスティーヴ・クーガンが知的な魅力で演じる。
ー聖心修道会
ーレーガン&ブッシュ政権の主席法律顧問
ーケルティック・ハープ
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
さすが貫禄のジュディデンチ
ジュディデンチ扮するフィロミナリーは、キャンドルを捧げに協会へ来ていた。 フィロミナはかつて行きずりの子を身ごもっていた。修道院から里子に出され隠されていたその子は今50歳。
フィロミナは取材に来た記者に息子アンソニーを探してくれと頼み込んだ。
ジュディデンチと言えば何と言っても 007 の M だね。M 以外の映画はこれで2本目。まあ M がホワイトハウス前にいたと言うだけでも面白いかも。でも息子の跡をたどる旅も辛かろう。サスペンスの様な展開でなかなか面白かったよ。さすがジュディデンチ、貫禄の演技だね。
人としての強さ
「私は純潔を守った、そんな私の行いを裁けるのは神だけ」という車椅子に乗った高齢のシスター。高慢というより、箱庭の中で自己肯定を繰り返すだけの孤独で哀れな老人。
私もマーティンと同様に、自分の行いを棚に上げて人の過去をなじる不寛容な姿勢に強い憤りを感じた。
しかし、フィロミナは、そんな相手に許しを与えるという。教会に盲従し自らを貶めていた頃とは正反対の姿。
そこに、私もこうありたいと思わせる、人としての強さを感じた。
人身売買を許すって…
確かに主人公の真の信仰心と「赦すことは大きな苦しみを伴う」はクライマックスに相応しい精神性の高さを感じました。
しかし、客観的にみて当事者達の複数の人身売買について許しちゃって話が終わった事に驚きを隠せません。
ハートフルと思いきや…?
タイトルとポスターだけを見てあらすじは読まずにハートフル系と思って観たんですけど全然違った!
心の底からの憎しみや苦痛、怒りを感じる様な映画でした…
宗教のあるべき姿とは何か?
宗教という物を使って欲を満たすのを隠してる又は言い訳してるのではないのかと感じ、驚きを隠せなかった…だって…これ実話なんだもん…
ただそれ以上にこの作品からは愛を感じました…母としての愛を…
あと、ジュディ・デンチがフレンドリーでお茶目で可愛かったです!
フィロミナさんこそ奇跡。人としての器。
「赦しには苦しみが伴うのよ」それでもあなたは「赦す」という。どれだけの思いで発せられた言葉なのだろうか。
この、人としての器の大きさを示す言葉を、絞り出すように口にしたのは、
宗教者でもなく、
国一番の大学を出て政治の中枢に関わっていた、知的なエリートでもなく、
車に乗ればお菓子を差出し、ビジネスクラスや高級ホテルのサービスに興奮し、今直面している悩みのためとはいえブランデー1本を一人で空けてしまい、とんでもない言葉を口にし、リンカーン記念館よりTVドラマに興味を示し、ロマンスが大好きな、下世話で俗物っぽく描かれる田舎のおばさん。
正直、品性が劣ると見下しがちなおばさんが、シスターよりも、かってファーストクラスに乗っていた記者よりも、実は人としては格段に人格者というラストの衝撃。
勝ち組・負け組という言葉は嫌いだとか言いつつも、どこかで人を値踏みしていた自分に気づかされて、冷や水を浴びせられたような気分になった。
他にも「上り坂の時に会う人は、下り坂の時にも会うから、いつでも感謝を忘れないことよ(思い出し引用)」とか、はっとさせられた。
趣向もそれまでの生き方も合わない二人の珍道中で、重くなりそうな話を重苦しくさせないための脚本と思っていたエピソードの数々。それが最後に大逆転として意味を持つ。
勿論、息子の生きざまによっては赦しどころの話ではないだろう。
そして、どんなふうに成長しようが、成長を見守り育てたかったという時間のロスは埋めようもない。
簡単に”赦す”という言葉ですむ話ではない。苦しい。苦しさに押し潰されそうになる。心がどす黒く染まっていく。そこに一条の光=”赦し”。その葛藤の繰り返しなのではないか。苦しさを手放す手段としての”赦し”。尤も、これが一番難しいのだけれど。
フィロミナさんは敬虔なカソリック信者だが、ある場面で教会に告解に行くものの、教会を出る時、聖水をまかなかった時がある。信仰を捨てたのか?
そして、”赦し”。
既存の”神””宗教”という枠組みを超えた”赦し”? 教義とかそんなものに縛られない、もっと高次元の、普遍的な”赦し”。
だから、カソリックを糾弾するのでもなく、一つの事実として、息子の生きた証として、本にまとめて欲しかったのかな。
この時代の教会での人身売買を簡単には非難できない。
『この道は母へと続く』でも、孤児の人身売買は描かれていて、もっとシビアな現実まで盛り込まれていた。
未婚の母。カソリックの根強い地域では、相当な苦労を強いられて、母も、子も、まともに生活できないと聞いている。売春婦や乞食等になって生きていく以外なかったと聞いている。
そして、子を育てるにはお金がかかる。昔の孤児院のイメージとしては『赤毛のアン』の栄養状態も悪くガリガリの体。今も昔も寄付や税金をつぎ込む以外に道がない。今の日本はタイガーマスクが時折現れるし、税金もあるけれど、昔は?
親と子。両方への情報提供も難しい。中には、実の親子とはいえ、恐喝ネタになる場合もあるし、それぞれの家族のこともあるし。
事態は複雑で一概に”こう”すればいいというものではない。
という事情を考えたとしても、
希望しない親の子を養子に出すなんて。
亡くなった方のお墓もちゃんとされていないなんて。
お互いが求めあっているのに、ひきあわせないなんて。
それが、快楽を求めた罰だなんて。
それが、宗教の教義だなんて。
否、聞くところによるとイエス・キリストは売春婦を弟子にしたとか。
となると、神の前に、自分だけ良い子でいればいいと言う、自分だけが正しいと言う、他を顧みない傲慢な態度が一番問題なんだろう。
だけれども、フィロミナさんは赦した。心の中に息子を抱きしめて。
まるで、観音様のようだ。
演じるデンチさんが素晴らしい。
ク―ガン氏は、『80デイズ』でも絶妙な演技をしていらしたが、ここでも良い味出している。
このお二人の抑えた、けれど、十分に伝わってくるおかしみ、悲しみ、怒り、絶望と救いがあればこその映画だと思う。
フィロミナさんは、ご自身の中でご自身なりの着地点を見つけられたようですが、他の引き裂かれた母子にも幸せが訪れますようにお祈りします。
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