あなたを抱きしめる日までのレビュー・感想・評価
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ケルティッシュ・ハープ
政府の要員になっていたアンソニーは、胸に小さな金色のケルティッシュ・ハープの記章を着けていました。
「どこかにいるお母さん! いつかテレビか新聞か、それとも雑誌の片隅で、僕のケルティッシュ・ハープに気づいてね」
そういうことだよな・・
今夜はちょっと泣きながらギネスビールを買ってきて飲みたい気分です。
派手さのない小品でしたが、魂にしみる映画でした。
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「イタリアは呼んでいる」では軽薄でTV カメラ目線をたびたびやってしまっていたスティーブ・クーガンだが、この映画では企画から立ち上げただけあっていい演技だった。
ジュディ・デンチのあの役の入れ込み様を間近に見れば、共演者側も渾身の演技を引き出されてくるというものだ。
そして50年というギャップを一気にさかのぼる演出は、スピーディーで目が離せない作り。もたつく老母が主人公なのだが、話の展開は実はとても速い。
才長けたジャーナリストの 読ませる原作ゆえだろう。
二人の表情の演じ合いが見事。
3回鑑賞。
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追記
ピートのあの拒み様は何故と思い映像を再点検。
部屋の置物にヘブライ文字が入っています。そしてあの髭。ユダヤ教徒ですね、カミングアウト出来ないピートの立場が判明。
キリストの教えと倫理観のパラドックス
原題は、PHILOMENA。主人公である母親の名がつけられています。
この物語はどうやらノンフィクションの小説をもとにつくられているようであり、実話に基づく映画のようです。
舞台はアイルランドのシスターたちが住み込みで働くカトリック教会。10代の主人公フィロミナはある日出会った男の子と一夜の恋に落ち、婚前交渉はもとより、永遠に処女であることを犯し、厳格な規律を破る形で妊娠をしてしまいます。これは罪であり、彼女は重い罰を50年間に渡り受け続けることになります。そんな彼女の最後の行動には頭があがりません。
僕は無神教ですが、キリスト教というと、漠然と愛に寛容なイメージを持っていました。
だからこそこの物語の最後には大きなショックと悲しみ、怒りもとても湧きました。
シスターらにとっての戒律と、人としての倫理観をバランスするあまり見られないテーマを投げかけてくれる映画です。
シスターの生涯を通じた奉仕には心を打たれるものがありますが、人として尊敬はできませんでした。
宗教に対し、広い心で尊重はできますが、人間らしさに背く行い、教えに対しては盲目的になってはならないなと反面教師として教えてくれる映画ではないでしょうか。
観てよかった!ジュディデンチが素晴らしい
こんな事実かあったとは驚いた。記事で再起を目論むジャーナリストと、信仰に生き息子を探し続けるおばあさんとのちぐはぐな二人旅。そこで明らかになる驚きの結末。ジュディの嘘のない表情が演技を超えた説得力で心を揺さぶる。感動とやり場のない悲しみで教会を責めたい気持ちでいっぱいなのに、当のおばあさんが口にした赦しの言葉はあまりにも深い。本当にいい映画。
赦すこと
思っていた通り、好きな映画だった。
ジュディ・デンチの演技が好き。
温かいブルーアイズ。
辛いことや、許せないこと、怒りや悲しみ、それを持ち続けると、自分の心がすり減っていく。
赦すことができれば。痛みを伴っても赦すこと。
自分自身もそうあれたらいいなと思った。
アイルランドの風景も美しい。
生き別れた息子
アイルランドからたくさんの養子を。
今もなお母親は子供のことを思って過ごす。
親と子供を離すなんて。
しかも会えないように仕向けるなんて。
こんなひどい事実があることを忘れずに。
信仰での赦すとは。
事実は小説よりも奇なり。
鑑賞出来て本当に良かった。
母は強しっていうけれど、最早強さとかを超越したもっとずっと大きな宇宙なのかな?SF映画じゃないけど、コスモレベルでのだだっ広さ・大きさ、先ず普通の人間には、到底真似の出来ない凄い事を、あっさりやってのけちゃうところも、尊敬というか神の域。(映画の内容と合わせて。)
事実を淡々と受け入れて行く、このお母さんは、やはりタダ者じゃない。
辿り着いた惨い真実にも、怯む事なくすぐさま受け入れ、罪人さえをも赦してしまう精神の強さ・懐の深さ・潔さに、静かに感銘を受けます。
何でもござれ♪な最強母ちゃん、ここにあり!と言った感じ。(ジュディは、ドヤ顔してないけども。)
最近公開された(スポットライト)もそうですが、こういう問題は昔からあったんですね。
赦すとこ
引き裂かれた息子を探し最後は衝撃を受けました
私もカトリック教徒です
協会は子供を売っていた現実
そんな酷いとこができるのでしょうか
信仰とは何かって考えてさせられました
最後引き離したシスターに向かって
私はあなたを赦します。私は恨みたくないと言いました
あなたは私が赦すことで大きな苦しみを背負う
マーティンにあなたひどい顔してるわよという場面もグッときた
日々暮らしていると赦せないとこある
私もひどい顔してるのだろうな
人を赦せる人間に私もなれるだろうか
赦すこと
ジュディデンチってすごいんだなぁ。
なんかすごく、愛おしく見えてきた。
最後に、シスターを赦す彼女と赦さないシックススミス、
「ひどい顔よ」
という言葉に、はっとさせられる。
我々は日々いろんな事に怒っていて
その対象にどうやって償わせようかと考える、
そんなとき、きっとひどい顔になってるんだろうな…と。
ひどいことをされても、相手を恨まず赦すことをしていれば
彼女のように愛しい顔になれるのだろうか。
素晴らしい
ジュディディンチは最高の女優。
眺めの良い部屋も007シリーズもショコラでも他の作品全てがキマッてて大好き!
もちろん今作も凄く素晴らしかったです。
気の強い、優しさを持つ母親役。
騒ぐつもりはないの。
私はあなたのことを赦します。
赦しには大きな苦しみが伴うのよ。
私は人を憎みたくない。
怒りは疲れる。ひどい顔になる。
毎日赦していこう。
言うのは簡単だけど、至難の技ですね。
本当に素晴らしい作品でした。
信仰の意味を知っている女性が、ただ「赦す」映画。
1952年のアイルランド。フィロミナ(ソフィー・ケネディ・クラーク)は、18歳で妊娠したことから強引に修道院に入れられ、過酷な労働を強いられたあげく、生まれた息子と引き離されてしまう。
50年後。イギリスで娘と暮らすフィロミナ(ジュディ・デンチ)は、息子を探す決心をする。元ジャーナリストのマーティン(スティーブ・クーガン)に協力を依頼して、一緒にアメリカに向かったフィロミナだったが……。
当時のアイルランドはカトリックの規律が厳しく、未婚女性のセックスや妊娠は御法度とされていました。そうした少女たちは、マグダレンという修道院に強制的に入れられ、過酷な労働を強いられたようです。
※当時の修道院の生活を描いた、「マクダレンの祈り」という作品があります。
本作はその実話を元にした、映画化となります。
フィロミナはそこで出産するのですが、子供は勝手に養子に出されてしまいます。これはどうやら、人身売買のようです。修道院には「ジェーン・ラッセル」のポスターが貼ってあるのですが、彼女はこの修道院から子供を買っていた一人のようですね。
さて、フィロミナはマーティンと共に、息子アンソニーの足取りを追ってアメリカへ渡ります。予告編でも流れているのでネタバレしても良いと思うのですが、アンソニーはレーガン政権の法律顧問をしていました。
フィロミナは「私と暮らしていたらここまでの仕事はできなかった」と、起こった悲劇を自分なりに納得します。
長らくこの修道院は、神の名の元に人権侵害を行ってきました。
でもネット上に散見される、だからカトリックは、だから宗教は……、なんて議論はちょっと違うと思うんです。
あの、なんで人は、宗教ばっかり語るんですしょうね。
重要なのは「どう信じるか(信仰)」だと思うんです。清く、正しく、美しく、毎日ハッピーに、自分にとって何かしらプラスの方向に働くなら、道端の石だって信じていいんです。
問題は何を信じるかではなく、どう信じるかでしょう?
神の名の元に他者を傷つける人達は、宗教を間違えたのではなく、信仰の仕方を間違えているのだと思います。カトリックだから、とか関係ありません。
フィロミナは辛い経験をしながら、ユーモアを忘れません。この重々しいストーリーの中で、フィロミナの陽気さ、愛らしさが救いです。その強さは、信仰のお陰なのかもしれません。
実はフィロミナの息子は、母を探して修道院を訪れていました。けど、それはフィロミナには教えられませんでした。修道女達は「快楽に溺れたフィロミナの罪」を赦してないからです。自分達は禁欲しているのに、10代の女の子が!という嫉妬です。
快楽は罪、笑った顔は猿に似ているから笑いは罪(薔薇の名前)でしょうか。
しかし、フィロミナは、その酷い仕打ちを「赦す」と言います。キリスト教は「赦しの宗教」と言われたりしますね。しかし何でも「許す」のではなく、罪を「赦す」のです。
神の名の元に自分の子供を売られたフィロミナは、神の名の元にその罪を赦す。信仰の強さを、信仰の本当の意味を、私はここで初めて知ったように思いました。
本作は子供も見つからず、修道院のおぞましい実態も暴かれず、何も変わりません。何も解決しません。
信仰の意味を知っている女性が、ただ「赦す」映画です。
赦しには大きな苦しみが伴うのよ
映画「あなたを抱きしめる日まで」
(スティーブン・フリアーズ監督)から。
「驚きのある結末は面白い」「最高の結末だわ。100万年に一度よ」
などの台詞が繰り返されて使われていたので
ラストに向かう展開に期待し過ぎたのか、意外とあっけない結末、
邦題とストーリーがかけ離れていて、ちょっと戸惑った、
そんな気がして、メモ帳を閉じた。
実話だということも含め、この物語が伝えたかったのは、
50年前、イギリスの修道院で引き離された息子が、
アメリカで立派に活躍していたという「驚きの結末」ではなく、
人身売買していた修道院などの関係者に対して、
主人公の女性・フィロメナが、その悪意・行為を含めて
「赦す」としたことであったと思う。
「赦しには大きな苦しみが伴うのよ。私は人を憎みたくない」と
言い切り、憤慨するジャーナリストに対して
「あなたと違うの」と鼻で笑うシーンは、圧巻だった。
「ひどい顔よ」「怒っているんだ」「さぞ疲れるでしょうね」
という会話が物語るように、今更、過去について怒っても、
何も解決しないことを理解したうえで呟いた、
「赦しには大きな苦しみが伴うのよ」が、心に残った。
その判断や考え方こそ「最高の結末」であり、
赦されたことで、皆の心が動いた瞬間であろう。
程好く笑えて程好く泣ける感動作
これが実話と言うのですから驚きです。
修道院が50年前に行った行為も、終盤に明かされた修道院の真実も、本当なら全くもって赦されることではないでしょ・・・。
それだけでも衝撃的だったのに、それを目の当たりにした主人公フィロミナのとった行動は、ある意味もっと衝撃的でした。
事実は小説より奇なりとはまさしくこのことか。
まあ映画的には、とてもシリアスで深刻な話ながら、コメディにならない程度のユーモアが盛り込まれていて、ある種微笑ましい気持ちで楽しむことが出来ました。
フィロミナとマーティンのキャラクター設定が何とも絶妙だった印象です。
純真なお婆ちゃんと皮肉屋なジャーナリスト、この掛け合いが本当にユーモアに溢れていて可笑しいんですよね。
フィロミナに感化されて少しづつ成長していくマーティンの様子も見所の一つだったと言えましょうか。
ロマンティックお婆ちゃんっぷりが可愛かったジュディ・デンチは、さすがの演技でしたね。
しかし息子アンソニーの行方が思いのほか早く判明した時は、意外とあっさりだったなと思ってしまいましたが、クライマックスのあのシーンは、本当に衝撃、私には出来ないなぁ・・・この辺はある意味信仰の差もあるのでしょうか。
しかしよくよく考えれば修道院もフィロミナも同じ信仰を志す者、難しいものですね、信仰心って・・・。
赦す、ということ
こんなことが、赦せるのか?
って、でも、赦せなかったらどうすればいい?死ぬまで引きずりそう、心が休まることはないだろう、仕返しをする?告発する?
そう、記事にして事実を世間に伝えるのはいいだろう。個人としては赦せた方が心は穏やかになれるものなのかもしれない。これからの人生に良いことを学んだ。
感慨深いとやりきれない感がのこるな。
子供を探す旅ではあるが息子と生きて会えていないところがなんか感慨深いしかも実話やしな。信仰についても考えさせられるしな。シスターの養子に出したのも絶対悪いとは思わないしまあいいとも思わんけどね。デンチの濃厚な演技にも素晴らしい。
演じるとはこういうことなのかも…
まるでその人そのもののように思えてくる。ジュディ・デンチもスティーブン・ジョン・クーガンも。子役まで出演者すべてがその瞬間にそこへ行けば、そこにいるような気がする。
・・・なんちゃって~というような場面がない。映画の中の空気感が最初から最後まで変わらない。そして静かな音楽が寄り添うように流れる。人生は思い通りにいかないものだけれど、救いはあなたのすぐ隣にもあるのよというように。
長年の労働のあとに手にしただろう平穏な日々と家族を大切に思うどこにでもいるおばちゃん。大学などには行かなくても物事の本質をあるがままにとらえようとして生きてきた人の賢さを感じさせるセリフたち。ジュディ・デンチの寡黙な青い瞳に吸い込まれそうになった。
人にとって<許される>ことはさして重要な事じゃないのかも。表面上ではなく心から<許す>ということは意味深いけど。あのシスターはフィロメナに<許された>けれど、自分で自分が<許せる>のか。それとも自分の罪には思い及ぶこともなく生涯を終えるのか。
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