「無責任の連鎖」白ゆき姫殺人事件 CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
無責任の連鎖
一つの事件を複数の関係者の証言によって、その真相が少しずつ明らかになって行く手法は、芥川龍之介の小説『藪の中』、その映画化である『羅生門』など、日本では幾つもの名作が存在するが、湊かなえは好んでこの手法を取り入れている。本作もまた、複数の証言者によって殺人事件の真相が明らかになって行く。
ただし、本作が湊かなえのデビューにして代表作である『告白』などと違うのは、その証言者達の中に、無責任な第三者が多数加わっていることだ。そんな無責任な第三者達の存在が、終盤まで事件の真相を覆い隠している。
関係者たちの証言だけでなく、Twitterユーザ、インターネット掲示板、テレビのワイドショーなど、無責任に時間を語る「発言」を同列に、かつ同時並行的に描くことで、事件関係者達の証言の無責任さが効果的に活きている。
その典型的な登場人物が、本来は狂言回しになるはずのテレビディレクター(演じるのは綾野剛)だ。彼は、関係者の証言を取材する中で「それは、あなたの想像だ」と指摘するにもかかわらず、そんな想像や自分の想像で作り上げられた犯人像を、そのまま番組で報じ、デマとも言える「容疑者」をでっち上げていく。しかも、そのことに自覚的でない。
そこにあるのは、自己顕示欲であり、事件そのものへの純粋な取材アプローチではない。だから彼は、でっち上げた「容疑者」と出会い会話しても、目の前にいる人間が彼女であることに気がつかない。要するに、自己顕示には興味があっても、事件そのものには興味がないのだ。
このように、本作に登場する人物達、あるいは画面では現れないネットユーザやテレビ視聴者達のほとんどが、呆れるほど無責任な立場を貫く。それは、事件が解決した後も変わらずに。
そんな現代社会の無責任さを描いた作品となっている。
湊かなえ原作の映画・ドラマと言えば、暗く重たい作風のものが多いが、そこは中村義洋監督の軽快でポップな作風が加味されて、殺人事件を扱っていながらも、割と軽い雰囲気でストーリーは展開している。
その点も、なかなか面白いマッチングで良かったのではないかと感じる。
余談だが、本作には『赤毛のアン』のエピソードがオマージュされている。本作の公開時に、NHKの朝ドラ『花子とアン』が放送中だったが、こちらも『赤毛のアン』のエピソードを取り入れているが、圧倒的に本作の方が上手く使いこなしていた。ラスト近くのろうそくのエピソードは、とてもいいシーンだった。