るろうに剣心 伝説の最期編 : 映画評論・批評
2014年9月9日更新
2014年9月13日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
生を希求することでアクションの限界を突破した最終章の凄み
見終わった瞬間、ふーーっとため息がこぼれた。期待を遥かに超えた完成度。邦画の限界が突き破られる、その目撃者となった感動の余韻が、今なお胸に熱いものを蘇(よみがえ)らせてやまない。
シリーズ最終章にあたる本作は「京都大火編」で鮮烈な登場を果たした比古清十郎(福山雅治)との対峙(たいじ)で幕を開ける。彼の正体は緋村剣心(佐藤健)の師匠。今や日本全体の脅威となった志々雄真実(藤原竜也)に立ち向かうため、剣心は師匠に新たな奥義の教えを請う。
そこで清十郎が口にする「この世のすべての哀しみを1人で背負うつもりか?」という言葉が印象的だ。その問いかけは剣心の中で過去と現在とをつなげ、自分に欠けているものは何かを探るターニングポイントとなっていく。やがて師匠との激しい打ち合いの末に、剣心の表情が変わる。闘い方も変わる。「どう死ぬのか」ではなく「どう生きるのか」を模索しはじめる。
「伝説の最期編」はかくも生を希求することで深い闇から脱し、壮絶な闘いの中に見事なまでの魂の躍動を活写した重厚作となり得ていくのだ。
軸のしっかりしたドラマ性ゆえ、個と個の激突がなおいっそう魅力的なものとなっているのは言うまでもない。後半になるともう、アクションに継ぐアクションの連続。鋭く重い二刀流で己の苦しみをぶつける蒼紫(伊勢谷友介)、超速の動きで剣心とわたり合う宗次郎(神木隆之介)、そして最大の敵である志々雄との何が飛び出すか分からない奇想天外な死闘に至るまで、一挙手一投足に個々の生きざまと執念が刻み込まれる。天井知らずに上昇していくボルテージ。1シークエンスごとに眩暈(めまい)を覚えるほどの構成力。どこを取っても圧巻。
もはや湧き出るのは「よくぞここまで」という感嘆に尽きる。アジアやハリウッドを見回してもこれほど完成された映画にはなかなかお目にかかれない。まさに10年に1本あるかないかの、世界を本能的に熱狂させることのできる希有な作品だ。
(牛津厚信)