「人生の最後に真贋を問うことの残酷さと諦念」鑑定士と顔のない依頼人 マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の最後に真贋を問うことの残酷さと諦念
バージルが、真作だと言えば世間では真作。贋作だと言えば贋作になる。それによって、作品の価格が天と地ほどの差で決まる。バージルは、例えばこうした手法で安く女性の肖像画を買いあさり、それらに囲まれ生きるよすがとする。その生き方は、真作なのか贋作なのか。
バージルが、肖像となった女性たちを愛し、彼の言葉によればその女性たちから愛されてきた。その愛は真作なのか贋作なのか。
オートタマと呼ばれる機械人形が人間の贋作で、登場してきた人間たちは、はたして真作なのか。
君の作品にはミステリーがない。名作にはミステリーが隠されている。そう言ってビリーの作品を厳しく切り捨てたバージルに、クレアを描いたビリーの作品が送られてくる。バージルが収集した肖像がすべて消え去った部屋に、ビリーの作品だけが残される。結果的に、最もミステリーに満ち溢れた作品になったのはビリーの作品という皮肉。その作品を、プラハまで大切に持ち込むという皮肉。
バージルは言う。どんな贋作にも本物が隠されている。
クレアとの愛に真実が隠されていると信じたいバージルは、プラハの『ナイト&デイ』で彼女を待ち続ける。時計の内装が、彼の人生で失った時の重みを象徴している。そこでもバージルの手袋は、はずされたまま。実在の女性と触れ合うことで、彼の生き方が変わったとすれば、その愛は彼にとっての真実であったといえるのだろう。
宇宙飛行士用の訓練装置で回り続けるバージルの姿は、天涯孤独になり老人施設で無表情にすごす彼の心象風景である。そこにバージルの痛々しさを感じるのが普通なのかもしれないけれど、死とは愛するあらゆるものを失う出来事だと思うと、そのタイミングがちょっと早かったのはあわれだが、しょうがないんだよね、と思う自分がいるのです。