スノーピアサーのレビュー・感想・評価
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面白かった〜!
大渋滞の高速バスの中でスマホ鑑賞。
温暖化を食い止めるために大気に散布した薬品が原因で生物が死滅した近未来の地球が舞台。大惨事を予見したエンジニアが永遠に地球を走り続ける列車(方舟)を開発します。しかしその列車はユートピアではなく、車両ごとに乗員の階級と役割が決められた封建社会。最後尾に押し込められた奴隷階級の人間達は主人公や車両の秘密を知る老人の作戦に従って一斉蜂起するものの。。。
不条理だけどもレベルの高い演劇を下北沢で鑑賞した後の、なんとも言えない疲労と満足感に似た感覚を思い出しました。あと、ゲームFalloutのワンエピソードをクリアした時の達成感にも似ていますね。
絶妙な配役と演技力はもちろん、車両ごとに変化する気の利いた衣装や小道具、大道具の全てがいい味を出していて、SF映画で突っ込まれやすい科学的矛盾や整合性を飛び越えた説得力と没入感がありました。
各車両のアイデアが面白く、とくに水槽車両の脇に作られた寿司カウンターは最高でしたね。生態系のバランスを整えるために年に数回、寿司を食べるんだとか。緊迫したシーンのはずなのに、カウンターの椅子に行儀よく並んで座り、ちゃっかり醤油を付けて食べるあたりが可愛いらしかったです。
せっかくユースホステルのような汗苦しい車両を写したのであれば、上流階級が住む部屋や構造もガッツリ見せてほしかったです。商業施設やサロン、クラブに集まる人がどうやって生活してるのか気になりました。全乗員に明確な役割が与えられているため、階級社会ではあるものの共通通貨で物の売買ができる資本社会にはなっていないように見えました。クラブで踊る退廃的な若者は、クラバーという役割を与えられて延々と踊り続けていたとしたら恐ろしいです。たしかに思い返せばどの車両の乗員も感情が欠落しているロボットのよう。騒ぎに対して無頓着で、レジスタンス御一行を素通りさせていました。最後の最後でゾンビのようにウジャウジャ襲ってきますがw
あ、冒頭で矛盾を飛び越えた説得力があると書いたのに、矛盾探しと世界観の考察に新たな楽しみを見出し始めてるので、これで感想は終わりにします。
余韻が残る映画はいいですね。
次回は冬の東北新幹線で鑑賞したいです。
お粗末!
無理のある設定に、到底サイズの合わない車両内部。車両が変わるたびに「えっえ~?」って所が何か所も。でもってあんな小さな爆弾で列車がめちゃくちゃに?で最後はまたポカーン・・・・。ほったらかしですか(笑)。これぞB級って感じですね。
雪槍
素晴らしい!
導入の設定も展開も、ハリウッド映画の常識ではあり得ないし、普通なら死ぬべきでないキャラクターが中盤からサクサクいなくなるのも韓国っぽいし、デフォルメの入れ方も非常識だし(←誉めてる)、しかしちゃんとハリウッドのエンターテイメントになっている。
しかし、終盤、先頭車両からジョン・ハートがひょっこり出てきて、二人がかりでキャプテンアメリカを説得した方が良かったかも。
白熊の生存という希望とも言えない希望というか、ぶっちゃけより困難な未来だろうけど、それもまたポン・ジュノらしいです。
すべての役者を遥かに凌ぐ雪槍のキャラクター性も素晴らしい、ゲーム感覚で。
ただ、怪しいナイトクラブは、そんな先頭にある必要があるのかと(笑)
世界観が素晴らしい
物語の設定から、非常に面白い作品だ。
地球は氷で覆われてしまい、人類の生きる空間は、走り続ける列車の中だけ。
そこは、先頭から最後尾まで格差社会になっていて、最後尾にいるカーティスは反乱を企てる。
途中、水族館で寿司を食べるシーンがある。
その時に、水槽は閉鎖した生態系だから、生体数を厳密に管理して、魚を食していると聞く。
実は、これは列車全体の話と全く同じなのだ。
いつも各車両の人数をカウントしていて、
数年に一度起こる反乱が、人数合わせの意味を持つ。
つまり、反乱はウィルフォードによって仕向けられたものであり、
ギリアムもウィルフォードと手を組んでいたと分かったときは本当に衝撃であった。
エンジンを動かすには子供が必要で、ウィルフォードは最後尾から子供を調達している。
手の不自然な動きから、メイソンもかつてエンジンを動かしていた子供だったと分かる。
この事実自体が非常に驚きなのだが、
子供を助けようと必死になって、反乱に参加している親たちがいるのに対して、
反乱を鎮静しようとするメイソンが、かつてのその子供、
という構図が上手くできたものだと感心した。
カーティスが先頭へ向かう流れで、私たちは格差社会の実像を見る。
権力者をいいものと刷り込む、気味の悪い教育が印象的である。
映画の半分の要素はアクションだが、迫力満点。興奮して楽しめた。
世界観が素晴らしく、全体を通して大満足の映画。
映画の醍醐味満載! フルコース!
映画のたのしさ爆発の映画だった。
設定がアバウト過ぎるのはあるけれど、それでもキンダーガーデン車輌でのポップな暴力描写や、真っ暗闇での松明逆襲シーンはかっこよすぎた。物語の緩急のつけ方が素晴らしく、最後まで緊張感が途切れなかった。
風穴をあける
話自体は、アホすぎる。馬鹿だなーと思う。
頭では馬鹿だなーと思っているんだが、
生理的にウっとくる。
凍った腕が生理的に怖い。
黒マスク&斧が生理的に恐ろしい。
何より列車っていう閉鎖空間が生理的にイヤ。
コメディっぽい前車両の面々(子供教室とか暢気に編物してる人とかその他諸々)が本当に嫌。
こんなとこ逃げ出したいって気持ちが段々に強くなる。
文字通り風穴をあけるラストに
頭で納得っていうより生理的に深く納得。
嘘臭く説教臭くなってしまいがちなテーマを極力そうならないように作ってあるなあと思った。
クリスエヴァンスが最後に腕を突っ込む所が良かった。子どもを救い己の過去を贖う。
人の罪を乗せて走る列車は、人の贖いによって止まる。
アホな設定、描写なのにもかかわらず静謐な印象を残す映画だった。
変装が爆走。
鑑賞理由としてはおかしいんだけど、
私は今作のポスターを見て以来、この中央にいるのが本当に
C・エヴァンスか!?とそればかり考えていたので(本人です)
自分でどうしても確かめたくて…観に行ったのだった。
で、結果。やっぱり何だか彼には見えないんだよなぁ(で、終了)
しかし驚いた!
それをいったらあの総理、T・スウィントンだったなんて!
ナニあの化け方!もう笑いの渦…じゃない凍りつく眼鏡ババァ。
というワケで、今回もP・ジュノはグロい汚ない暗い映像の中に
数々の笑いをブチ込みながら列車を走らせている。
そこ笑えるのか!?という疑問は置いといて、彼らしい描き方。
何とまぁ豪華なキャストを捌くわ捌くわ、あんな役こんな役を
配分しながら、独自の世界観を雪国超特急で周回させている。
誰がこんな話を書いたのかと思えば、原作はおフランスコミック
だそうで、いや~、もう状況そのものがぶっ飛んでいて面白い。
ただ、描き方そのものが韓国系なのは否めず。
手斧(やっぱり出た!)でバッサバッサと切り刻むわ、グチョ!
とかネチョ~!とか、そういう表現がぴったりのグロ映像が多し。
列車の最後尾から最前車両までの、区間大暴動を観る作品。
水野晴郎先生が生きてらっしゃったら、これと「シベ超」の比較?
なんて下らない企画が持ち上がったりして~(そんなワケない)
でも単純にこういう列車モノって、観ているだけで面白い。
最前にいるのが最富裕層、一両ずつ「秩序」に従って貧困度が増し、
最後尾が謎のプロテインしか渡されない最貧困層。今までにニ回、
暴動を起こすも失敗。カーティス率いる反乱軍が行動に出るが…
いちいち小ネタに日本が使われたりと(爆)国際色も豊か。
彼らにとって決して楽しい生活ではないおぞましい過去と現在の
生活が暴露され、いよいよ終盤に仇ウィルフォードと対決するも
意外な理由が明かされるという、最後までオチがつかない展開。
まぁ韓国映画でもあるからS・ガンホを出したのかなと思ったけど、
彼が提示する最後の賭け、これが「秩序」とどう関係するかが見物。
袋小路に陥った人間は最後にどうするか…。考えさせられます。
(格差社会、貧困層、反乱革命、流血勝利、次支配者の役割は?)
絶望の氷壁に穴を穿(うが)て
『殺人の追憶』『母なる証明』などの監督ポン・ジュノが、
国際的な実力派キャストで描く終末SF。
監督の大ファンなのでムチャクチャ楽しみにしていた作品。
* * *
居住区、ライフライン、食糧工場、学校、娯楽スペース……
人間社会をミニマムに詰め込んだ列車内は、
風景がくるくる変わって楽しい楽しい。
密室での群衆バトル、暗視ゴーグルvs松明、ヘアピンカーブ
での長距離銃撃戦などのアクション演出もアイデアたっぷり。
個人的にはアクションエンタメとしてもかなり楽しめた。
* * *
だが僕の興味を一番そそるのは、
列車で表現された世界の有り様。
『閉鎖生態系の維持』というご高尚な言葉を使ってはいるが、
煎じ詰めればこのシステムは、少数の富める者が緩慢な幸福
を得る為に、多数の弱者を食い物にし続ける仕組みだ。
(自分たちの)食糧や居住環境を維持するために、
増え過ぎた労働者は“削減”される。システム維持の為には、
幼い子どもですらもシステムの歯車として利用される。
この列車には、世界のありとあらゆる不公平が濃縮されている。
* * *
しかしこの物語は『富裕層vs貧困層』という
単純な図式には収まらない。
ポン・ジュノ監督の映画はいつも際どいのだ。
善悪の境目も、決断の正否も、いつも不安定に揺れ動いている。
ベストな選択は存在せず、ほっと胸を撫で下ろす結末も無い。
サスペンス、コメディ、モンスターホラー、今回であればSF
として映画ジャンルとしての体裁はしっかり保っているのに、
常に現実の生活で感じる不確かさや不安が映画内に漂っている。
本作のクライマックスでも、それまで正しいと考えてきた
価値観がひっくり返される。
一見ヒロイックな主人公カーティスの行動は、『奪う側』
だった昔の醜い自分を猛烈に悔いているが故だった。
貧困層のカリスマだったギリアムも、後続車両ではなく
社会全体を維持する為の調整役に過ぎなかった。
正義も悪もない。
この過酷な世界を作り上げたという意味で、
罪の無い人間なんてひとりもいなかったのだ。
* * *
いつも突拍子もない所からの引用でアレなのだが、
映画を観ながら『ゼルダの伝説 風のタクト』という
TVゲームのとある台詞がふっと頭に浮かんだ。
滅び去った国の王が、わずかに残されたその
王国の跡地で生きる子ども達に語った言葉。
「私たち大人は、お前たちにこんな世界しか
残すことができなかった。ゆるしておくれ」
格差、貧困、闘争、環境破壊にあえぐ過酷な世界。
この列車で生まれたヨナやティミーやグレイのような
子ども達に--今この瞬間この世に生を受けている子に、
この過酷な世界で生きることを強いるのは誰か。
言うまでもない。僕も含めた大人たちだ。
子ども達に罪は無い。だが、罰は等しく与えられる。
おかしいだろ、そんなの。
この先の世界に希望は無い?
より良い未来なんて信じるだけくだらない?
同じ台詞を、子どもの目を覗き込んで言ってみろ。
大人の決めた世界の限界を子どもにまで強制するなよ。
せめて子どもには明るい希望を見せてやれ。
未来を信じろ。突き進み続けろ。氷壁に穴を穿(うが)て。
自分の為ではなく、後ろに続く者たちの為にだ。
子ども達を包み込むように抱き合った大人2人。
自分たちのぶち壊した世界を全部ナシにして、
子ども達の未来に希望を託した大人たち。
* * *
クライマックスを迎えても、この物語がハッピーエンドで
終わるのか、バッドエンドで終わるのかは判然としない。
主人公らが命を懸けた選択も、正しかったとは限らない。
本当は、列車の中で生きた方があの子達は幸せ
だったのかも知れない。これから歩む道が
過酷であることは目に見えている。
だが、何もかも死に絶えたと思われた世界で生きる
北極熊の姿。あの姿に微かな希望を感じる。
北極熊くらいでは救われないなんてレビューもあったが、
この映画においてはそれくらいの淡い希望が似合う。
大事なのは、この先生きる場所が少しでもマシな場所になるよう、
自分の信じる方法で頑張り続けることじゃないだろうか。
終着点なんて誰にも分からないけど、
進み続けなきゃ未来もない。
〈2014.02.08鑑賞〉
シロクマ一匹では救われた気分になり得ませんでした。
ジュノ監督の『母なる証明』は、世の中と骨太に対峙し、人間の本質を徹底的に掘り下げる傑作だっただけに、本作へも単なるSF作品以上の人間ドラマを期待して劇場へ。
でもねぇ、たとえメタファーとして世界の今の貧富の格差の縮図として描いたものとしても、列車という密室空間のみで世界を描ききることに馴染めませんでした。
作品の舞台は、温暖化対策の失敗で、氷河期になってしまった地球で、唯一生き残った人々が乗車している列車「スノーピアサー」。この列車は、世界の大陸を繋げた全長43万8000キロの線路を1年で一周する、いわば“走る箱舟”のようなもの
。2031年、唯一の生存場所となった列車はウィルフォード産業によって作られたもの。長大な列車の内部は、権力と金、秩序と順位の白人支配型の社会で、そこにはひどい格差がありました。前方車両では富裕層が優雅に暮らし、後方では貧困層が飢えにあえいでいたのです。
ジュノ監督が、本作で描きたいのは、永遠のエンジンを誇る列車のメカニズムではない。狭い空間、極限状況におかれた貧民たちの飢えと怒りの爆発なのだと思います。最後尾の貧民たちはカーティスを中心にエンジンと水源を占拠すべく、最後尾の情報通で精神的リーダーのギリアムを頼って情報を集めながら革命の準備を進めます。生きる道は前進のみ。管理者側の激しい対抗に遭いつつも、カーティスたちはひたすら前の車両目指して戦い続けるのでした。
ここで疑問なのは、貧民たちがエンジンと水源を占拠したところで、「スノーピアサー」を運行し続ける技術を持っていなければ意味がないではないのではないでしょうか。また、列車内の秩序を革命で破ったとしても、何らかの統治機構がなければ中東の春のように混沌としていきます。格差と革命の根本にあるのが、列車内部の経済キャパを上回る大量の貧民を受け入れてしまったことが原因なら、なんでもめるとわかっていて列車運行時に1000人もの貧民を、食糧の見通しもなく乗車させてしまったのかということが気になって仕方ありませんでした。
結局「スノーピアサー」の運営を革命により、共産主義にしたところで、食糧生産の技術やマネジメント能力がリーダーになければ、みんなが飢え死にするだけになってしまうでしょう。
そして、ラストシーンで描かれる気象の異変も、一匹のクロクマくんと遭遇したぐらいでは、カタルシスや希望は見いだせませんでした。
但しそうした突っ込みを「映画」として割りきったら、アクションとしては楽しめた作品です。
カーティスたちは、次の車両の扉を開ければ新たな戦いが始まるという、その繰り返しなんですが、決して単調にはならないのです。車両を移動するごとに、温室やプールやサウナにダンスホールに加えて、鮮魚のいけすに寿司バーまであるなど細分化されていました。カーティスが扉を開けたときに一変する美術には、あっと驚き、画面に引き付けられることでしょう。
なかでも教室では洗脳された良家の子たちが、列車の創造者で独裁者ウィルフォードへの賛歌を謳っているのが印象に残りました。
そして車両を進むごとにどんな世界が待ち受けているのか、列車の疾走も相まってハラハラさせられます。細長くて狭い列車内の空間は、乱闘につぐ乱闘がライブ感たっぷりに撮られていて、極限状態に陥った人々の息苦しさを伝えるのに格好の設定といえるでしょう。それにしても列車内で繰り広げられる悽惨な戦いを描きつつ、そんな列車を包み込むような、怖いほど美しい雪に覆われた沿線風景が映し出されます。その対比が、明日を失って走る乗客たちの刹那を際立たせていたのでした。
主演のカーティスを演じたエヴァンスは、カリスマ性のある主人公をイメージぴったり。に演じている。支配層ナンバー2を怪演するティルダ・スウィントンら欧米の役者たちが、ジュノ監督の世界の中でいきいき動いて、韓国映画というカテゴリーに括られないワールドワイドな作品として成功したといえるでしょう。
そのなかで、ソン・ガンホは韓国を代表するかのように、セキュリティーの鍵を握る男の役で存在感を見せつけました。この男は、前進して列車を支配することよりも横の扉を破壊して、外の世界に活路を見いだそうとします。氷河期となった下界に飛び込むなんて自殺行為だと誰もが考えてしまうなかで、男の発想の転換は、何事にも前進のみの西洋的な縦の思考法に対するジュノ監督の痛烈な批判なのかもしれません。
いろいろ言いたい
列車以外は人類絶滅というのがどう考えても設定に無理があるし、線路のメンテナンスがないと走れないだろうし、そもそも走っている必要があるのだろうか。
いろいろ説明がなされているのだが、それらは全部、描きたい場面が先にあってそれを後付して成立させるための理屈で、どうにも絵空事感がぬぐえなかった。寓話として見ればいいのかもしれないのだが、だったらなんでもありじゃないかと思う。
ポン・ジュノ監督の最新作ということで期待して見に行ったら、去年見た『エリジウム』くらいのまあまあの面白さと期待に対するガッカリ感だった。
なんであいつらあんなにたくさん斧持っているのかとか、総理大臣が松金よね子に似ているとか、いろいろ言いたい映画だった。
寒い時期に見れたのはよかった。
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