言の葉の庭 : インタビュー
新海誠監督が「言の葉の庭」までの10年で発信しているメッセージとは?
デビュー作「ほしのこえ」(2002)以来、鮮烈な映像美と繊細な描写で見る者の心を揺さぶってきた新海誠監督。「星を追う子ども」(11)に続く約2年ぶりの最新作「言の葉の庭」は、靴職人を目指す15歳の高校生タカオと27歳の謎めいた女性ユキノの淡い交流を中心に、物語を紡いだ。テーマや手法は変化しても、新海監督が作品に込めるメッセージは「過去作品から連続している」。強い思いとともに発信し続けるメッセージ、今だからこそ言葉にしたい思いとは何なのだろうか。(取材・文・写真/編集部)
新海監督はこれまで、初恋という互いを思い合っている同年代の男女の行方を描いてきたが、今作では「孤独のうちに立ちすくんでいたふたりが、気持ちの触れ合いを持ちながらも、再び孤独に戻っていく」という「愛に至る前の恋」に焦点を当てた。これまでの作品が、「過去の美しかった思い出が、現在の自分を照らし出してくれる。自分自身を知る話」であったのに対し、今作は「リアルタイムに、他者を知ろうと手を伸ばしている話」でもあるという。自己から他者へと描く対象が変化しているが、「最初から決めてお話をつくっているというより、つくり終わって分析的に振り返ってみると見えてくるんです。『言の葉の庭』をなぜこのような話にしたのかは、次回作をつくり始めたら見えてくるかもしれないけれど、自分が求めていたのでしょうし、今人々がこういうものを見たいと思っているんじゃないかと漠然と感じたんだと思います」
新海監督の作品づくりは、「作品を見たらいい意味で影響を受けてもらえるんじゃないか、元気づけることができるんじゃないか」という思いが原動力となっている。対象は観客であると同時に、過去の自分でもある。今作では、タカオを通して多感な10代の自分、ユキノからは人生の岐路に立っていた27歳の自分へエールを送った。そしてふたりの姿から、観客へとメッセージを伝播させていく。「いろんなことが固まっていなかった10代の頃の自分が見て、いい影響を与えられる作品をつくりたい。漫画、アニメ、映画に救いや目指すべき指針が隠れているんじゃないかと思っていたし、実際に影響を受けました。あのとき、影響を受けたものと同じような力をたたえた作品をつくりたい。27歳のときには、仕事やプライベートで気持ちが釣り合わなくなってしまって。自分がずっといたいと思える場所にちゃんとたどり着けるのか見えなくなったことをきっかけに、自主制作でアニメーションをつくり始めたんです。同じような困難さを抱えている社会人がいるとしたら、そういう人に見てほしい」
これまでの新海作品のキャラクターは、行き場のない感情や悩みのなかでもがいていたが、今作では他者に感情をぶつけるという新鮮さがある。「今までの作品と変えようと意図していたわけではなく、自然にたどり着いた」という物語は、脚本や絵コンテを通して洗練された。作品の設計図として、セリフやカット割りなど肉付けをしていく絵コンテは、話の流れを考えるとともに「キャラクターの性格や仕草は、絵コンテを描き始めないと見えてこなかったりするんですよ。そこではじめて、キャラクターがどういう肉体を持っているか意識できる」と作品そのものを掘り下げる行為でもある。一連の作業を経て、「純粋に作品としての完成度をあげたい」という思いから46分という高密度の作品に仕上げられた。
現代社会を象徴する都市・新宿を舞台に設定し、新宿駅や遠くにのぞく東京タワーなど見覚えのある景色が広がる。そして、登場人物の心の移ろいとともに雨が降り注ぎ、なじみ深い風景の新たな面を見せてくれる。「彼らの頭上に降り注いでいるものは、ビジュアルとしては雨だけれども、象徴としては恋や社会的な問題なんです。ユキノが抱える悩みは否応なく降りかかったものだし、タカオにとってはユキノが突然降ってきた存在かもしれない。恋という状況を描く場合にも、雨がふたりの間を隔てるようなカーテンに見えることもあれば、ふたりの背中を押してくれる優しい手のように見えることもある」。雨が象徴的存在となったことは構図にも影響を与え、地上から空を見上げてきたこれまでの作品と比べ、上空から俯瞰して見下ろすロケーションが多く描かれることとなった。
瑞々しさをたたえた新緑。優しくも激しい雨。冒頭の場面を筆頭に、写実性と幻想性を兼ね備えた描写が印象的だ。新海監督は、「アニメーションは波紋や空気中の粒などどのようにも描くことができる」としたうえで、今作は自らコントロールした部分と各スタッフのビジョンがにじみ出ている部分があると明かす。冒頭のシーンは劇中よりも抽象的なイメージを構想していたそうだが、「写実的になることは必ずしもマイナスじゃないんですけれど、もう少しシンプルにやりたかった。でも、スタッフが頑張ってできたものを見てみたらすごいし、集団作業は自分が思い描いていた通りに仕上がるわけではないんですよね。そこが面白い」と醍醐味を語る。
それでも、完全な写実性を追求しないところが新海監督らしさだ。「僕たちは自然をこういう風に見ているという意図が、1カット1カットに込められている。美しさというよりは、驚きを受け取ってもらえればと思っています。画面を見てハッとしてしまう瞬間を多く入れたい。実写と置き換え可能になってしまうのであったら、みんなで一生懸命絵を組み立てる意味がないと思うんです。絵として表現するから、同じ風景を見ていてもその人の頭の中にしかにないものを観客に見てもらうことができるわけですし、そこが絵でやる魅力だと思うんです。作為的なものやわざとらしさも魅力につなげることができるというのは、アニメの大きな力。『言の葉の庭』は舞台立てとしては実写に置き換えが可能だけれど、アニメだからこそのカット構成、ビジュアルの見せ方になっている」と独自の解釈を加えていく。
一方で舞台設定とは対照的に、ユキノが口ずさむ万葉集やタカオが目指す靴職人といった、日常からはなじみの薄いキーワードがスパイスとして登場。ふたりをつなぐ役目を果たしながら、万葉集はユキノの神秘性を高め、靴は物語の層を厚くしている。「靴職人を思いついたときは悩んだけれど、脚本を書き直してみたら話が深まった感触があった。『歩くことが生きることのメタファーになる』ということを自覚しないで書いていたけれど、僕の作品をノベライズしてくれている小説家の加納新太さんに『誰かが歩くことを助ける物語』だと指摘されて気付いた」と形づくっていった。
約10年というキャリアを通じて、新海監督は一貫して「恋愛関係に限らず、自分が思うように他人が思ってくれないとしても、そこで世界が終わるわけじゃない。それが力になることもあるから、絶望しないで生き続ける・歩き続ける力を持ってほしいと思って作品をつくり続けています。だから、ハッピーエンドじゃなくても、そこで生きることをやめないでほしい」という思いを込めてきた。これまでの作品群のなか、本作がどのような存在になったか現段階ではわからないとしながら、「つくり上げた瞬間は本当にいいものができたと毎回思うけれど、公開されると思いがけない意見があったりして落ち込む瞬間がある(笑)。それでも少しずつ作品の完成度はあがっていると思うし、今までつくった作品の中では1番うまくできている。込めたメッセージは過去作品から連続しているけれど、メッセージを誤解なく伝えることのできる作品になっている」と自信をにじませる。そして、「ここまでたどり着けて良かったと思いますし、早く見てほしいし、観客の言葉を聞いてみたいという気持ちが大きい。僕は作品づくりを通じて誰かとコミュニケーションしていると思うので、いい言葉だけではないだろうけど、今回のコミュニケーションを楽しみにしています」とすがすがしい笑顔をのぞかせた。
映像を通じて、新海監督が見る世界を体験できる「言の葉の庭」。これまでの作品を超える映像美を展開した新海監督が、最後に口にした一言は「これ最後だというわけではないので、この作品も過程のひとつ」だった。世界を魅了してやまない新海ワールド、今後どのような進化を遂げるのかに一層の期待が高まる。