かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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絵本のような映像美が温もりや切なさをストレートに伝える秀作
映画館で鑑賞しました。
もともと他の映画を見ていた時に予告編が気になり公開されたら絶対に映画館で見ようと思っていました。
ストーリーは誰もが知っている古典文学の竹取物語。竹の中から子を授かり、美女に育ち、5人の貴族に求婚されるも無理難題を課して、そのうち2人は命を落としてしまう。その後、時の天皇にも寵愛されるも月からの迎えが来て帰ってしまう…と、誰もが知っている日本文学です。
「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつつ、萬のことにつかひけり。名をば…」のナレーションから、「もと光る竹」に出会い、その竹になたを入れるオープニングのシーンからファンタジー満載の映像美。かぐや姫の美しさ、手のひらサイズのお姫様の不思議な光景は、その後の映像を期待させるに十分なオープニングでした。
その後、すくすくと育つ過程で捨丸という山の少年と行動を共にし、お兄ちゃんとして慕って伸びやかに暮らしていくが、翁が竹から美しい衣や金を見つけ、翁はかぐや姫を「高貴な姫」として育てることを天命と思い、田舎をすてお金で官職を買い(わからないけど、田舎の翁が突然京に屋敷を立てたってことはそういうことなのかな?)、京に家を立て、お目付役も付けて、かぐや姫を高貴の姫として育てる。
そんなかぐやが成人を迎え、三日三晩、かぐやの成人を祝う宴がもよおされる。
ここでかぐやは、何一つ自分の好きにできず、何一つ感情を露わにできない「高貴の姫」になることに深い憤りを感じ、屋敷を抜け出し、捨丸のもとに…
このシーンの京を抜け出す疾走感と、姫の心を表す陰鬱な映像がそれまでの京の煌びやかさや、京でのしとやかな生活、宴の騒乱と一線を画して、さらに見入ってしまいました。
そのあとの捨丸がさってしまった事をしり、白い雪の中に一人倒れるかぐやのシーンもその白い雪の美しさがとても印象的でした。
その後の展開は、何にせよ、かぐやは「高貴の姫」として求愛され、かぐやはそれを頑ななまでに拒む。翁は翁の望む「高貴の姫」にするべく奮戦をしてきて、ようやく幸せをつかめるというのに、ことごとく反故にするかぐやをみて、不満と疑問をつのらせる。かぐやはかぐやで、自由に暮らしていた時代に思いを馳せ、不自由な今に不満を思いながらも、育ててくれた翁と婆の期待になんとか応えようと葛藤する。
その心の葛藤を美しい映像で表現する。そんな映画でした。
印象的だったのは、塞ぐかぐやが仕えの物と婆と花見に行くシーン。満開の花の中で回るかぐやのシーンは特に美しかったです。
ただ、直後に貧しい母とのやりとりが現実を伝えている気がして胸が痛くなるのはやはりこの映画って感じでしょうか?
ストーリー的には誰もがしったお話ですし、映像美は非常に楽しめる秀作ですが…個人的にはラストがなんとも…
捨丸と空を飛び回るシーンも、月からのお迎え(仏陀じゃねーか)のシーンもファンタジーを通り過ぎて不思議…、わかりませんでした。
かなり雑文になりましたが、まとめると
映像美が非常に素敵、しかもかぐやの心中を慮る映像展開がとても秀逸でした。
かぐやの心の葛藤が切ない、かぐやを幸せにしたい翁と翁の思う幸せを幸せと思わないかぐや、でも育ての親への感謝も捨てられないかぐやの心の葛藤がとても切ない
というおはなしでした。
かぐや姫の物語
技術的なすごさは素人の私にもよくわかりました。しかし決定的に残念なところ。それは、原作の方がはるかにスケールがでかいということでしょうか。鳥、虫、獣… それらに命の意味をこめようとしたのかもしれませんが、かぐや姫が、田舎を恋しがるハイジみたいになってしまいました。ペーターみたいな新キャラ(唯一の架空キャラ)まで作ってまで、そこを強調する必要があったのでしょうか?原作では、山が恋しいというテーマは一切ありません。むしろ、姫の器量は田舎に収まらず、京へ、公達の目へ、そして帝に、と華やかに盛り上がっていくのです。それに姫も帝のことがまんざらではなかったはず。でも訳ありの身、原作のかぐや姫にはそういう苦悩もありました。そして数年が流れ、いよいよお迎えがくるとき、「地球」の威信をかけて姫を守ろうとするのは帝だったはず。ここは月対地球の決戦前のようであって欲しかった。映画の帝はあまりにもチャラ過ぎます。原作で姫が最後にとる行動は、親にではなく帝に手紙を書くことです。それは帝へのお詫びと親愛の情をこめた歌でした。そして不老不死の薬を帝に献上するのですが、帝はそれらを富士山の上で燃やすのです。姫のいない不老不死に意味はないとしてね。このスケールをどうしてわざわざハイジ級に落としめる必要があったのでしょうか。残念です。原作に忠実という方も結構いますが、日本人としてもう一度原作に触れてみて下さい。
作品のメッセージは・・・
私は高畑勲のファンである。「火垂るの墓」もそうだが、何よりTVシリーズ「赤毛のアン」がこよなく好きだ。そんな巨匠の14年ぶりの作品、しかも製作期間8年、製作費50億という超大作と聞いては、いやが上にも期待は高まる。
しかし正直大きな感動はなかった。決して凡作ではない。作画一つとっても他のアニメとは違うことは私にもはっきりと分かる。ただこの作品をどう評価するのが正しいのか、私にそんな理解力があるのか確信が持てないのが正直なところだ。
CMやチラシでは「姫のおかした罪と罰」が強調されているが、それがはたして作品の中でどれほどのインパクトを持っているのだろうか。私の単純な頭ではこの作品の月世界は天上界の象徴のようで(最初に姫が筍から現れた時に蓮座にいたことからも)、その静謐で平穏な世界に生まれながら喧噪と欲望にまみれ穢れた地球(地上界)に憧れたことが罪で、その罰として「一度体験してこい」とばかりに落とされたことが罰という理解しかできない。もっともその後に黄金や着物を送ってきたところをみると、流刑にした訳ではなく常に見守っているとみるべきなのだろう(何しろ仏様だから)
そして幼いころは自由を満喫するだけでよかった竹の子が、成長して「なよ竹のかぐや姫」になって次第に自分を自由にさせてくれない翁の愛情が重荷になり、最終的に欲にまみれた御門の抱擁を受けて思わず「月に帰りたい」と念じたことで罰は解かれ、天上界からの迎えが(文字通り)鳴り物入りでやって来る。彼らは争いをしない平穏な世界の住民らしく、迎え撃たれた矢を草花に変え、兵士を眠らせ、一滴の血を流すことなく目的を達して去っていく。
「自由に生きたい」という姫の願いは単純なようでいて、実際には不可能に近い。何故ならそれを突き詰めれば「他を不幸にする自由」をも認めることになるからである。
この作品の翁と媼の間には子がいないようで、自分の子ではないが「天からの授かりもの」として姫を託された翁は、それこそ全身全霊で姫を愛し自分の信じる幸せのありかたの最高を求める。それは翁の信じる愛であり自由である。かぐや姫の「自由に生きたい」という気持ちを突き詰めるなら、その翁の愛と自由を否定し、更に捨丸の妻と子供を不幸にすることをも認めることになってしまう(余談だが、かぐや姫の誘惑に負けて何の躊躇もなく妻子を捨てようとする捨丸は、男として最低である)。
しかしこの作品は声優陣が素晴らしい。作画にとらわれないプレスコ方式のためもあるのだろうが、特に翁を演じた地井武男は大熱演賞ものである。また媼を演じた宮本信子はもちろん、相模を演じた高畑淳子もまさに適役であった。その他のキャラの中では、妙に出番の多いパタリロに似た猫顔の女童が印象に残った。
この作品のメッセージは「庇護者から罰を与えられようと自由を求めるべき」なのか、「過度に自由を追求すると利害の衝突が起こり、人々に幸せをもたらさない」なのか、或いはまた別のものなのか迷うばかりである。
豊かな筆致と淡い水彩で描く日本人の美意識
同じジブリ作品でも「風立ちぬ」よりも優れた世界に誇るべき日本らしいアニメに仕上がった。
筆の持つ豊かな線描、水彩のグラデーションと光の描写、そうした表現力で実写では描けない世界が、観るものの心を自由に躍らせて、最後まで離さない。
竹取物語という古典的寓話をベースに、宇宙観、宗教観まで巻き込んで、壮大な物語にまとめ上げた高畑勲監督の手腕に脱帽した。
最後のシーンに、釈迦如来来迎図のモチーフを持ってきて、あの音楽を流す、独特のユーモアも、私には違和感なかった。
なによりも、観るものの想いを掻き立てられるアニメだろう。
もう一度見ると良さがわかるかも ...
今回このかぐや姫を見に行こうと思ったのは、こちらでの評価が
高評価が多かったからだ。
ジブリ作品は好きでほとんど映画館で観た。
風立ちぬ観たが、1度目は映画の良さが分からなかった。
しかし、もう一度見るとなぜか涙が出てきた。(感動したのでしょう...)
今回のかぐや姫も、ハッキリ言ってう~ん!?でした。
それは、どの部分に8年の歳月の構想を使ったのか?
絵の描き方も私から見るとどうも手を抜いた絵にしか見えなかった
。
最後の月からの迎えの月人の乗ってきた雲!?と音楽がまったく
イメージと合ってなかった(大勢来過ぎ、音楽がチャライ)
それとかぐや姫の顔が絵のタッチによるが変化し過ぎに感じた。
かぐや姫の育ての翁はド田舎の竹細工職人だったのに、
色々勉強はしたと思うが宮中のしきたりや公家の事を知り過ぎていないか?
とにかくいつものジブリタッチと違う絵とか、物語内容に1500円は高いと
感じた。
しかし、風立ちぬの様にもう一度見ると伝えたかった事が分かるのかな ...
でも多分もう見ない!
私の思うジブリ映画は「千と千尋の神隠し」以降はどうも違うような気がするのは私だけだろうか ...
絵の美しさが抜群で大人の方が楽しめる
絵が革新的に美しかった。子供の頃に物語を聞き読みしたことがあっても十分に映画は新鮮でした。子育て経験者にはより思うところのある映画だったのでは、と感じました。映画の進行に合わせて、考える間もとれなかったけれども、意味深い言葉を受け止めることが度々ありました。年とともに涙もろさが増してきたが、後半は泣ける場面がありました。高畑監督は自称、女性の味方と公言してますが、男のエゴと女性の強さが対照的に良く描かれてました。物語の最後の方のシーンで、かぐや姫が昔の幼なじみの恋人?と再会して仲良く空中をランデブーする夢見のシーンはその必要性においてやや疑問に思うところがありました。共感および考えさせられるということでは、宮崎駿さんの「風立ちぬ」よりもこの映画を評価したいです。
わけもなく泣いた方へ、ついでに爆笑されたおひとへ
つくった映画でなくて、「つくらされた映画」ですネ。
かぐや姫が「天から下された子」のように。
この時機に公開をあわせてくるなんて、本当に奇跡的。
高畑監督や鈴木P、朝倉氏のインタビューや、夢と狂気の王国をみて、
思いと理屈づけはそれぞれですけれど、作り手たちだって
顕在意識では自覚できてない様子が伝わってきます。
「「つくらされて」」なんとか完成しちゃったよ、 こんな感じ。
普通の理屈じゃわけわからんのですって、この映画。
かぐや姫がなんで地球にきたの? の答がこの映画らしいですけれど、
おかしいですよね。だって、罰で地球に落とされたのなら、
あんなに「天から」「あからさまに」「手厚く」サポートされないし、
あんなに超短期で戻れるような「罰」ですむような「罪」って変ですよね。
じゃあ、いきいきとした生命を満喫して楽しむために、
地球テーマパークの超短期ツアーに参加しました、という理屈は?
でも、そのツアーのサポートとして、天から「金銀財宝」が翁に下されたのは矛盾しますよね。
「金銀財宝」は都への生活へと誘導するけど、捨丸との生活へ進ませるには否定的な「サポート」ですよね。そうすると、この超短期ツアーのテーマは、生命満喫ではなくて人間社会短期体験と、あえて解釈できるぐらいよねー。
さっときて、テーマパークにはまる前に、さっと帰る。
原作では、「用」があって来たので、「用」が済んだらさっさと帰る
という文脈だけれど、この映画では「用」には全く触れていませんよね。
だから苦しいあえての解釈。
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スタジオ "GHIBLI" の命名自体が可笑しい。
大天使ガブリエルは告知を司る天使ですもんね。
では、なんの告知なのか? 誰へむけての告知なのか?
ここで、ギブリとはイタリア語のsciroccoのことだよ、
天使の御名とはこじつけのタワゴトだぜ!!! と思考停止される方は、
続きのネタばれを読まない方が身のためです、時間の無駄です(笑)
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ネタばれは以下からです。注意(笑)
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だから、タワゴトと思う人は読まなくていいってば。
では、Ghibliのアラビア語としての語源は? そこまで調べましたか?
サハラ砂漠由来の「激烈な」「熱い」「南からの」地中海へ吹きあげる風、
それは
青色を司り、南を守護し、月を管轄する、四大天使ガブリエルと
こわいくらいに符号します。いや、「偶然」っておそろしいですね。
なんにでも文脈があり、そのメッセージを伝える相手によって
意味合いが変わってきます。だから、以下から書くタワゴトも、
限られた方々にしか意味ないです。
映画のネタばれじゃなくて、別の意味でのネタばれですもの。
地球での人間生活が味気なくなっても知りませんよ。
このタワゴトの文脈は、
地球での人間生活に飽きた人、帰る人に向けてのものなので、
これからまだまだしばらく地球ツアーを楽しみたい人にはネタばれになるのですよ。
かぐや姫は、地球超短期ツアーでしたけど、普通はもっともっと長いです。戻る時機にきても、記憶喪失になってしまったり、「サポート」との通信が薄れてしまうので、そこを「回復」してもらうために、「帰還コール」が何回も何種類も仕込んでるのよね。
そのコールのひとつが、この映画ってわけ。
原作の「竹取物語」も昔話という間で長い間失われずに、コールとして機能してきました。
ポイント
1 かぐや姫が、地球に戻りたい、やり直したい、生まれ変わりたい、と一度も言わなかったことを思い出してください。
捨丸とのあり得たタイムラインをビューしただけ。
2 かぐや姫のちょんぼを参考にして下さい。
うっかり「救出信号」を強く出しすぎたせいで、あとで取り消せず、
まだしばらく地球テーマパークに滞在したかったのに退去するはめになりました。
3 「アセンション」にたいしての位置づけ
地球テーマパーク模様替えに参加するのはよいですが、
今生が終わっても、テーマパークに今後も関わり続けるのか、
帰るのか、他のところにいくのか、決めといた方がよさそう。
以上 タワゴト おわり
:)
ただなぞっただけ
製作期間8年と聞いて『竹取物語』からどれだけ膨らませて面白い物語を作り上げたのかと思いきや…
期待して映画館で見た感想は
『そのまんま』『ただなぞってるだけ』『想像通り過ぎ』で、
物語が進むに連れ、その感想が自分の中で定着していった。
これ8年も掛けて作る映画?と。
だいたい5人の大物や帝にアプローチされる下りは、あんなに長い尺が必要?どうでもいい場面を長々と見せられて眠くなった。
逆に月に帰るまでをもう少し丁寧に時間を掛けて描いたら、よかったんじゃ?と思ったり。
評価できる部分は画のタッチ。予告編で見た時はそう思わなかったが、本編で見ると美しいし、あの表現方法は竹取物語にマッチしていて素晴らしかったと思う。
声優もアニオタは批判的なんだろうが、声優のチョイスは物語に合っていた。地井武夫さん、高畑敦子さん、宮本信子さんとかとても上手に役を表現されていたと思う。
高畑勲監督はあえて脚色せず、ありのままの竹取物語を描きたかったんだろうし、実際その部分はうまくいってるんだろうけど、エンターテイナーとして、もう少し工夫が欲しいし物足りない部分があった。
迷うなら見てください。
風立ちぬとよく比較されますが、全く印象は違うかもしれません。
最初は、可愛いかぐや姫の姿に癒されました。
かぐや姫に期待する翁に、子どもをもつ親として、幸せになってほしい。こうなれば幸せだ!と決めつけてしまう気持ちがとても理解できました。
終盤は、何とも言えない気持ちになり、波が溢れ止まりませんでした。
かぐや姫の地球での生活は、人の一生を表しているように思いました。私もこうやって後悔しながら死んでいくのかなと思いました。
困難なことでも、生きている実感さえあれば!!というようなセリフがあったように思います。
悩み、悲しみ、不安を抱えて、もう嫌だと思う日が、生きている実感。
それがなければ幸せなのか。
生きているものに囲まれ、季節を感じ、嬉しい時も、辛い時も愛する人と生きる。ただこれこそが私たちの人生、幸せなのだと思いました。
文章が下手なのでうまく言えないですが、お釈迦さまがかぐや姫を連れて行ってしまうシーンは、素晴らしかったです。(悲しかったですが)
音楽を奏でる月の人に、感情はありません。かぐや姫が必死に抵抗していて、一生懸命訴えている途中に、ニコニコしながら衣をかけてしまうシーン。
死ぬ時に、どんなに抵抗しても、やりたい事があってももうできない。
かぐや姫が、『あぁ、私は何をしていたのだろう』と言っていましたが、自分と重ね合わせて涙が止まりませんでした。
高畑監督、素晴らしい作品でした。ありがとうございました。
うん、竹取物語。
竹取物語でした。
評価が高いのがちょっと意外です。
まぁ、こんなもんじゃないのかと。
新解釈を期待して観たので、普通の竹取物語だったなぁ、ぐらいにしか感じませんでした。
作画は今までにない手法で興味深かったのですが、姫の等身が安定してないといえばいいのか、急にものすごく幼く見えたりして、成長してるのかしてないのか、なんとなく入っていけませんでした。
姫が自分の意思を強く主張して挫折、主張して挫折、を繰り返すけど、でも、結局のところ姫はなにも言わない。
そのうち、月へ帰ることになっちゃった!
好きな人じゃない人との結婚が嫌で助けてっておもわず言ったの!
そしたら、月から迎えに来るって!
本当に好きだった人は、とっくの昔にほかの人と結婚してて私のこと助けてくれないし!
(でも、夢でアバンチュールできたからよかったけど。)
でも、帰りたくない!
だって、月にいたときもこっちのがいいなって思ったもん!
そしたら、こっちに送られちゃって……
こっちは生きてるからいろいろ大変なこともあるけど、感情もない月の世界より断然こっちのがいいもん!
なんとなく、姫の感情の起伏についていけませんでした。
だったら、ほかになんかなかったのかい、姫よ…
いまいち姫に感情移入できなかったのが、達観しておとなしくなると思えば、急にハイテンションになったりして、押し付けられて嫌なのはわかるんだけど、成長してるなって感じがしなかったから。
で、結局、そのまんま月に帰ってしまったとしか思えなかった。
だけど、月からのお迎えのシーンは荘厳さの中に有無を言わせない恐怖があって、とても異質でよかったです。
そりゃ、感情爆発できる世界のほうがいいよね、生きてるってすばらしいよね!と思わせる説得力がありました。
全く感動できないわけでもないけど、ものすごく良かったとは思わなかったです。
普通の竹取物語
ひねりもなんもなくただの竹取物語でした
教科書で見たなーって教材としてすごいいいと思います
現代版のかぐや姫とかなら面白かったんちゃうかなーって思ったり
結局罪は地球に行きたいって思ったことで、行って過ごした間の記憶をなくすことが罰なんかな?
女童はこそ神であると言いたい。
なにより単純に誰もが知っているかぐや姫の物語だ。
この映画にストーリーの意外性や新規性を求めてはいけない。
見えない人にはただの「まんが日本昔話」の長編バージョンにしか映らないだろう。
単純な水彩画や鉛筆画、描き込まれない白い空白。
良く見るとこれがすべて生きている。緻密に計算されている、描き込まれない書き込みである事に気付くと思う。
更に緻密な時代考証とロケハンを基にした作画から、あえて簡略化し消し去られていることに気付くだろう。
五人の貴公子のカーチェイス(牛車だけど)の迫力や都大路の賑わい。姫の御殿での宴の賑わいや田楽師の踊り、御殿にバリケードを気付く職人たちの所作。もののけ姫以上に史学的な研究成果をたたき込んでいる。
その躍動感は絵巻物がそのまま動き出したようだ。
キャラクターすべての表情が生きていて、田舎家の庭で初めて立った姫を顔を真っ赤にして涙を浮かべて呼ぶ翁の姿についつい涙してしまった。
そして本題。
女童こそがかぐや姫のアンチテーゼで理想ではなかろうか。
御殿に仕えながらも鉄漿もせず、月の使者の前でも彼女だけは眠らない。
カムロ頭で笹を振り童どもを従えて、童歌を歌い天上人に対抗する。
彼女は中世において社会規則の外に存在した京童や大童の象徴で彼女もまた人外の力を持った神の化身なのだろう。
女童と天上人の音楽を聴くだけでもこの映画の値打ちは十分あると思う。
宮崎監督が今を表す人なら、高畑監督は未来を作る人なのだろう。
「思いでぽろぽろ」の時にあの写真と見まがう風景描写に批判が起こったが今はどうか?写真トレースによる風景描写が定番になっている。
そして「となりの山田君」の成果が今回のかぐや姫だ。
「風立ちぬ」は良くも悪くもジブリ作品だが「かぐや姫の物語」はまるで次元の違う別作品だ。
そしてキャッチコピーについて、公の罪は地球に憧れて地上に降ろされた事。それはインターネットの前で災害画像に同情を寄せる我々と同じではないだろうか。地べたを這い、盗みに手を染めて必死で生きる捨丸に憧れる姫はやはり真実が見えていないのだろう。しかし姫のほんとの罪は逃げたいと思い連れ戻されることだ。本当の苦悩を呑み込めなかった姫は捨丸とも結ばれることは無い。(キャッチコピーは鈴木Pの失敗だと思う。)
ただあっさり妻子も捨ててしまう捨丸には共感できないし、何故ああしたのかは疑問に思う。
(下世話な話で考えると最後のあれは捨丸とやってるよね。)
生きるという事を真摯に描いた作品
素晴らしい作品です。
学校の教科書で読んだけどいまいちパッとしない…という印象だった竹取物語を元に、どうしたら感動を呼ぶような話になるのか不思議でしたが、観たら十分に理解できました。大胆なようですが、解釈に全く違和感がありませんでした。
かぐや姫の罪は生きたいと願った事、罰は生まれてきた事です。この映画は、かぐや姫の人間としての一生を通して「生きる」という事をテーマに描いていると感じました。
山から都に下ってからのかぐや姫は、姫らしくふるまう事を強要され、自分の意志での行動が制限されます。そして、外見を品評され、宝物に例えられて取り合われるなど物として扱われ、人間としての尊厳を踏みにじられます。
最終的には、帝に求婚によっていよいよ誰かの物になる事を強制され、姫は人間の偽物として生きながらに死ぬぐらいならと月に帰る事を願います。
しかし、月が迎えにくるまでのわずかな間、姫は自分が生きるために生まれてきたのだと悟ります。ここでいう「生きる」とは、誰にも支配されず、自由に、人間として生きるという意味です。姫が愛した山の動物や植物と同じように。度々入る動植物のカットは、ただビジュアルが美しいだけのものではなく、「生きる」事の尊さを描き出しています。最後に捨丸へ自らの想いを伝え、抱き合い、喜びを感じるシーンは、人間として生きる事の象徴のようでした。「生きる」という、当たり前のようで当たり前でない事をこんなに丁寧に描き、教えてくれる作品に出会えた事にとても感謝しています。
またこの作品は、従来のアニメヒロインに対する批判であるというようにも受け取る事ができます。あまりにも超人的な母性だったり、従属的、性的な対象でしかないといった都合良く自我を持たないヒロインばかりが生み出され、それを良しとする世の中に対しヒロインも人間だ、生きているのだというメッセージを投げかけているように感じます。
マンガ日本昔話かと思った。
絵のタッチから、マンガ日本昔話かと思った。
しかし、終盤のかぐや姫が月に帰る帰らない辺りの展開は面白い。
萎えてしまう人もいるのでは?と思えるような大胆な演出がされています。
私の場合は、最後に歌が流れてきたところで、自然に涙が出ました。
どこが良いとか悪いとか言うようなところを考えて観るよりも、ボケーと観た方が自然と心に染みてくるような作品だといえるかもしれません。
結構、評価は別れる作品だと思います。
業の肯定
人間の業を肯定する作品。または宗教、もっと言えば仏教(月から来る使者にはそれが色濃く反映されている)に対するアンチテーゼのようにも捉えられた。
人間は欲を求めては駄目なのか?それも含めて人間ではないのか?姫の犯した罪とは人間のように感情を持ちたいと願ってしまったことである。しかし地球に降り立った姫は欲を望む人やそれに類する行動を拒み続け、それを受け入れるのなら「死」を選ぶことさえ厭わないと言う。これは「生」に対する否定とも受け取れるが最後の捨丸と出会う場面ではその人間らしい欲望にこそ求めていた喜びや悲しみといった感情があることを知り、天にも昇る気持ちになる。そして地球に残りたいと懇願する姫に私は「生きる」ことへの肯定、つまり業の肯定を感じた。月へ帰り、赤ん坊に戻るのは無欲に戻ることへのメタファーなのか。
かぐや姫という現代にまで伝わる物語。その普遍性に着目し、8年という途方もない歳月をかけ、ここまで挑戦的で妥協のない作品を作り上げた高畑監督とスタッフの凄まじさ。感服いたしました。
賛否両論だったすよ(≧∇≦)
あのですね(^.^)
この映画よかった〜と感じてるのに、一緒に観た人の評価が最低だったら、どうします(^.^) この映画で、まさにそれが起こってしまいましたよ(≧∇≦)ヨメの評価は最低点、金返せって怒ってましたから。。自分はよかったと思う。と未だに言えないまま(≧∇≦)
前半は、自分も日本昔話か?と思ったのですが、苦しみと悲しみ、自由への抑圧。。だんだんテーマが見えてきて、こりゃ凄いわ。と思いました。そんな地球に残りたかったかぐや姫。いまの世の中と重なりました。それでも楽そうな月には行きたくない(^.^) 風立ちぬとは違うけど、同じテーマの周りを回ってる感覚がありました。
最後の月の使者が迎えに来る所は、ジブリっぽかったかな。コンピュータをガンガン使って作っているアメリカの映画はまだまだ足元にも及ばず(≧∇≦)
この映画オススメです。ただし!(≧∇≦)
良いと思うかどうかは、たぶん半々。ある意味ギャンブルです。万人受けしないリスクに挑戦した高畑氏には拍手を送りたいです。本当に作りたいものをこれからもバンバン作ってほしいです。
素晴らしいアニメだが好きではない
世界感は好きだが、キャラクターに違和感が強かった。
キャラクターの動きが「下手な嘘」に見える。
高畑監督の今までの作品を見てきた人はわかると思うが
多くの作品は「上手な嘘」の動きをしてきました
そんな動きはしないし出来ないって事でも、すんなりと受け入れられる説得力があったのに
今回の作品では違和感を強く感じます。
なんというか、ギクシャクした軟体動物のような
また、全体的にキャラクターのディフォルメが変
特に主人公であるかぐや姫のバランスがおかしすぎる。
成長が早い云々ではなく、身体と顔の比率がコロコロ変わっており
頭が大きくなることで、若返って見えたり
急に小さくなってるが、表情は子供だったり
やたら首が太く長いシーンもあった。
また、主要キャラ以外の描き込みの少なさが、狙いであると思う一方で狙いすぎて逆に違和感を感じる。
その部分で‐1
終盤の捨丸とかぐや姫の飛行シーン
川を渡る場面の水面だけが、今どきの3DCGだったのが
気になったので
‐0.5
とはいえ、多くの感想の中で長いと言われてますが
私は長いとは感じませんでした。
あっという間だったとも言えませんが、どこも省いては欲しくないし
捨丸が都に居た理由や帝のその時代の権力を表すような話はもっと深く見たいくらいだった。
「罪と罰」について
昔読んだ本に、須弥山の話があったのを思い出しました。
天上人は感情がなく、「欲」という物がない
下界の性交は天上界では目を合わせる程度の事だという…
最初はそんな感情の無い世界で、感情に憧れた、感情を持ちたいというのが「罪」だと思いました。
しかし、感情の無い世界で「罪」を「憎む」という事があるのか?
本当は「罰」ではなく、ただの戯れだったんじゃないだろうか?
かぐや姫の中で感情が大きく膨らむたびに身体が急成長していく演出
都に行ってからは成長が著しく遅くなっていたこと
「罰」と言いながら、金品で豊かな生活をさせようとする意志からも感じました。
しかし、エンドロールの最中
「罪」とは感情に憧れた事であり
「罰」とは感情を知ったことだと思いました。
泣けました、悲しかった。
もう一度見たいかと聞かれれば、無理です。
良い映画でしたが、もお見たくありません。
悲しすぎました。
現代的価値観をぶっ込んでみた
普通に竹取物語だった。
ただ、いろいろ考えさせられた。
だいたいは原作通りだが、何か違和感を覚え、原作を確認したくなったので、すぐ書店に向かった。
ともかくも・・
○よかったところ
(1)絵が美しい
「となりの山田くん」でも取り入れた技法だろうか、とても手間をかけて、美しく風景などを描き、独特な世界観を作っていた(そのタッチで人物も描写するので、そのほかキャラは顔が適当で、怖くもあったが)
(2)朝倉あきがすばらしい
主人公は本業の声優に限るなぁ・・などと思い、後で確認したら新進の女優であるとのこと。
凜とした強い声に、かぐや姫の意志の強さを感じた。
最近のジブリ映画では一番よい主人公の声だと思う。
(3)時代考証がしっかりしているように思える
絵のタッチから、ややぼんやりした雰囲気にはなるが、衣装や建物など、平安初期の風景をよく描けていたのではないだろうか。
月からの迎えの場面の音楽に違和感を持つ人も多いようだが、平安時代(竹取は初期だと思うが、末期には特に)浄土に対する思いが強かったのであり、月と浄土を重ね、楽園のようにとらえていたのだとすれば、あの音楽でOKだったのではないだろうか。
(4)表現が丁寧
ストーリーはおおかた原作通りだが、かぐや姫が生まれたときの表現など、独特な表現も見られた。
翁らに育てられてから急成長する様などは、丁寧に表現されており、わかりやすかったと思う。
○よくなかったところ
(1)帝の描写がひどい
とにかくひどい!!
顔が逆三角形で変!服もやたら大きくて変!
服の模様も一番適当に描かれていて変!
中国っぽい机やいすを使っていて変!
原作でも帝はやはりやや強引であるが、後ろから無理矢理抱きついたりはしまい。
原作では、お互いに好感を持ち、歌のやりとりをしている。
しかい、映画では、かぐや姫に生理的嫌悪感を抱かせ、地球を離れさせるきっかけになっている。
帝の扱いが本当にひどい!
(2)月で出会っていたのは誰?
月での生活を思い起こすシーンで、寂しげな表情を見せていたのは誰だったのか?わからん。
○全体的に
かぐや姫の罪やら罰やらについて、論述しているレビューを見かける。
予告編は見たけど、「罪と罰」を意識して映画は見なかった。
ただなぜ地球に生まれ変わってきたのか・・などと考えながら見てはいた。
途中「生きるために、生まれてきたのに」といったような台詞があったと思う。
これなのだと思った。
かぐや姫が望んだこと・・それは「自分の感情のままに、自分の意志で行動すること」ではなかろうか。
感情のままに、野原を駆け回る。
感情のままに泣き、笑い、人を好きになる。
都に出ることをいやがる、命名の宴の途中逃げ出す、桜の下で庶民に謝られ花見の気分が冷める・・それは、自分の感情とそれにより引き起こされる行動を、肩書きやら身分やらで縛りつけたからではないだろうか。
貴公子からの求婚に対しても、絶対的に拒んだのではない。外見や肩書きだけに惹かれたものを拒んだのであり、自分の感情を受け入れてくれる者なら、求婚を受け入れようとしていた。
かぐや姫がいたのは月。ひょっとしたら浄土。
苦しみのない世界・・聞こえはよいが、喜怒哀楽のない、感情の起伏のないフラットな世界に嫌気がさしたのだろう。
地球を見下ろし、地球人が感情豊かに生きる姿にあこがれたのだろう(アダムとイブは知恵を得、感情を得、楽園を追放されたが、かぐや姫は自分の意志で「感情」を手にしようとしたのでは)。
書店に向かって手に取った本は『かぐや姫の罪』(三橋健/新人物文庫)である。その本によれば、かぐや姫の罪は「かん淫」であり、人類すべてが背負いかねない罪を代表して引き受けてくれたらしい(イエスが、全人類の原罪を、磔刑によりあがなったように)。
ただ、この「思うままに行動すること」「自分の意志で行動すること」というのは、現代的な価値観であろう。
この映画の違和感は、忠実に描いた平安期に、現代の価値観である「自分の感情のままに、自分の意志で行動すること」をぶち込んだことによるものだと思った。
そんな価値観がない時代に、かぐや姫をぶち込んだのだ。
混乱も仕方がない。
「感情のままに、自分の意志で行動すること」
これを捨てて幸せなのか、貫いた方が幸せだったのか・・。
帝がひどすぎたので、マイナス2ポイントだ!
アメリカよ、これがアニメだ
とか、言いたくなります。
緻密な描写でもなく、リアリティ溢れるCGでもなく、でもため息が出ました。
背景や構図にうっとり。動きやカメラワークに心奪われました。
ストーリーは原作を大きく弄らずにあれで良かったと思います。
押しです!
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