「現代的価値観をぶっ込んでみた」かぐや姫の物語 こばこぶせんさんの映画レビュー(感想・評価)
現代的価値観をぶっ込んでみた
普通に竹取物語だった。
ただ、いろいろ考えさせられた。
だいたいは原作通りだが、何か違和感を覚え、原作を確認したくなったので、すぐ書店に向かった。
ともかくも・・
○よかったところ
(1)絵が美しい
「となりの山田くん」でも取り入れた技法だろうか、とても手間をかけて、美しく風景などを描き、独特な世界観を作っていた(そのタッチで人物も描写するので、そのほかキャラは顔が適当で、怖くもあったが)
(2)朝倉あきがすばらしい
主人公は本業の声優に限るなぁ・・などと思い、後で確認したら新進の女優であるとのこと。
凜とした強い声に、かぐや姫の意志の強さを感じた。
最近のジブリ映画では一番よい主人公の声だと思う。
(3)時代考証がしっかりしているように思える
絵のタッチから、ややぼんやりした雰囲気にはなるが、衣装や建物など、平安初期の風景をよく描けていたのではないだろうか。
月からの迎えの場面の音楽に違和感を持つ人も多いようだが、平安時代(竹取は初期だと思うが、末期には特に)浄土に対する思いが強かったのであり、月と浄土を重ね、楽園のようにとらえていたのだとすれば、あの音楽でOKだったのではないだろうか。
(4)表現が丁寧
ストーリーはおおかた原作通りだが、かぐや姫が生まれたときの表現など、独特な表現も見られた。
翁らに育てられてから急成長する様などは、丁寧に表現されており、わかりやすかったと思う。
○よくなかったところ
(1)帝の描写がひどい
とにかくひどい!!
顔が逆三角形で変!服もやたら大きくて変!
服の模様も一番適当に描かれていて変!
中国っぽい机やいすを使っていて変!
原作でも帝はやはりやや強引であるが、後ろから無理矢理抱きついたりはしまい。
原作では、お互いに好感を持ち、歌のやりとりをしている。
しかい、映画では、かぐや姫に生理的嫌悪感を抱かせ、地球を離れさせるきっかけになっている。
帝の扱いが本当にひどい!
(2)月で出会っていたのは誰?
月での生活を思い起こすシーンで、寂しげな表情を見せていたのは誰だったのか?わからん。
○全体的に
かぐや姫の罪やら罰やらについて、論述しているレビューを見かける。
予告編は見たけど、「罪と罰」を意識して映画は見なかった。
ただなぜ地球に生まれ変わってきたのか・・などと考えながら見てはいた。
途中「生きるために、生まれてきたのに」といったような台詞があったと思う。
これなのだと思った。
かぐや姫が望んだこと・・それは「自分の感情のままに、自分の意志で行動すること」ではなかろうか。
感情のままに、野原を駆け回る。
感情のままに泣き、笑い、人を好きになる。
都に出ることをいやがる、命名の宴の途中逃げ出す、桜の下で庶民に謝られ花見の気分が冷める・・それは、自分の感情とそれにより引き起こされる行動を、肩書きやら身分やらで縛りつけたからではないだろうか。
貴公子からの求婚に対しても、絶対的に拒んだのではない。外見や肩書きだけに惹かれたものを拒んだのであり、自分の感情を受け入れてくれる者なら、求婚を受け入れようとしていた。
かぐや姫がいたのは月。ひょっとしたら浄土。
苦しみのない世界・・聞こえはよいが、喜怒哀楽のない、感情の起伏のないフラットな世界に嫌気がさしたのだろう。
地球を見下ろし、地球人が感情豊かに生きる姿にあこがれたのだろう(アダムとイブは知恵を得、感情を得、楽園を追放されたが、かぐや姫は自分の意志で「感情」を手にしようとしたのでは)。
書店に向かって手に取った本は『かぐや姫の罪』(三橋健/新人物文庫)である。その本によれば、かぐや姫の罪は「かん淫」であり、人類すべてが背負いかねない罪を代表して引き受けてくれたらしい(イエスが、全人類の原罪を、磔刑によりあがなったように)。
ただ、この「思うままに行動すること」「自分の意志で行動すること」というのは、現代的な価値観であろう。
この映画の違和感は、忠実に描いた平安期に、現代の価値観である「自分の感情のままに、自分の意志で行動すること」をぶち込んだことによるものだと思った。
そんな価値観がない時代に、かぐや姫をぶち込んだのだ。
混乱も仕方がない。
「感情のままに、自分の意志で行動すること」
これを捨てて幸せなのか、貫いた方が幸せだったのか・・。
帝がひどすぎたので、マイナス2ポイントだ!