「人として生きる、ということ」かぐや姫の物語 GAFUさんの映画レビュー(感想・評価)
人として生きる、ということ
この映画が持つ魅力の強さを、どんなに多くの言葉で語ったところで、伝えきれないものがあります。
この映画に触れることで初めて、わかるものがあるとしか言い表せないものが、この映画にあるように思うのです。
かぐや姫は月で居た頃に、命あふれる地球に想いを馳せたことが罪となり、罰として人として生きる事を強要されます。
月は病気、死、喜怒哀楽さえない、安定した世界。無の世界ともいえると思います。
しかし、そんな月の世界から見れば、地球の世界は不安定で穢れた世界だと認識されている。かぐや姫は地球を見てみたいと思った、知りたいと思った。地球で人として生きる事はかぐや姫にとっては罰ではなく願ったり叶ったりの出来事だったんだと思います。
命あふれる地球で人として豊かに育つかぐや姫。土に触れ、虫に触れ、動物に触れ、風を感じ、食べ物の旨さを感じ、人として生きる喜びを感じていく。
しかし、大人になるにつれ、自由は奪われ、思いのままに生きる事は閉ざされます。
かぐや姫はそれに耐えながら生きます。
自分を殺してまで。
それは自分を育ててくれた、翁と媼への感情があるからです。翁はかぐや姫の幸せを願ってそうするのですが、かぐや姫にとってはそれは苦痛でしかない。しかし、翁が自分を想う気持ちも痛いほど、かぐや姫はわかっている。
そんな翁の気持ちを尊重しながらも、誰かの物として、生きる事へは拒絶しつづけます。
それでは本当に死んでいるのと変わりないとかぐや姫は思ったのでしょう。
ただ、そんな姫の健気な生への渇望さえ、自分自身を苦しませる事になってしまう。
そして、とうとうかぐや姫は、地球に失望を覚える。人として生きる事を嫌だと思ってしまう。それが引き金となりかぐや姫の罪は許され、月からの迎えがくる事になる。
しかし、かぐや姫はそこからまた、ここで生きたいと願うのです。地球で生きていたいと。まだ、自分は人として生きたりてないと。
しかし、そんな想いも虚しく月から迎えが来て、人として生きた記憶をなくし月へ帰っていきます。
ただ記憶を失っても、かぐや姫の中にはちゃんと地球での経験がまだ息づいてる。生きた証が残ってるんじゃないのか。そんなふうに最後は感じました。
地球で人として生きた事はかぐや姫にとって、よかったのか悪かったのか、考えを巡らせたところで、無意味なのはわかりますが考えられずにはいられません。
そして、そんな疑問は自分へと返ってくるのです。
いま人として生きている自分へと。
おまえは今、人として生きていて、どうなんだと。
かぐや姫は人として生きる喜びと苦難を体現し、それを全部丸ごと肯定してみせた、肯定してくれた、素晴らしいヒロインでした。