「「主人公が、どこか客観的に戦争を感じている」ことが、逆にリアルで恐ろしかった」風立ちぬ nanashiさんの映画レビュー(感想・評価)
「主人公が、どこか客観的に戦争を感じている」ことが、逆にリアルで恐ろしかった
「主人公が、どこか客観的に戦争を感じている」ことが、逆にリアルで恐ろしかった。
他のレビューでも語られている通り、主人公は富裕層のエリートで、かつ飛行機バカで、元々どこか世間とは一線置いたような場所にいる人間だ。
歴史的な出来事である震災も、恐慌も、彼はどこか客観的に見ている節がある。
だが、それを差し引いても、本格的な開戦の前で、更に戦争で連勝を重ねていた当時の日本で、"戦争への危機感"をリアルに感じていた人間なんて、一体どれほどいたのだろうか。
軍からの依頼で兵器を開発していた主人公でさえ、頭の中は"飛行機"と"愛する妻"でいっぱいだった。(新妻が不治の病であったことを考慮すれば当然かもしれないが)
その周囲の人間たちも、多少差はあれど、ごくごく普通に生活を送っていた。
恐ろしい世の中だが、その中で必死に普通の生活を守っているとか、そいういった特別なものが根底にあるわけでもなく、淡々とした普通の生活だ。
思い返すと、震災も、恐慌も、当事者たちはものすごい形相で混乱しているが、それを真横で眺める人々は主人公に限らず、ぽかんとした表情で、どこか客観的見ているように描写されている人物も少なくなかったように思う。
この映画を通して、当時の戦争とは、決して特別な、異常な状況ではなく、普段の生活の中にあっさりと溶け込んでいたのではないかと感じた。
戦争の身近さと、そして、その狂気がすぐそばまで迫ってきている状況であったとしても、自分自身に直接被害が及ばない限り気づけない人間の鈍感さに恐ろしさを感じたので、印象として「怖い」を選択させてもらう。
追記:
戦争の悲惨さを描きたいなら、激戦区に住んでいた方々や、安全な場所に逃げられなかった弱者の方々を描けばいい。
しかし、それをせず、あえて他人事のように戦争を傍観する立場であった主人公を出すのは、当時実在した「そういう人々」への一種の痛烈な批判のようにも感じられる。
ユーミンの歌にもある「今はわからないほかの人にはわからない」
悲惨な戦争の体験をされた人々の見たものも感じたものも、その当事者でなければ「わからない」
これも、現実の戦争の一面なのではないだろうか。