「長さは問題じゃない」きっと、うまくいく Ogiさんの映画レビュー(感想・評価)
長さは問題じゃない
「まだあと○○分も楽しめる!!」というワクワクを3時間保って観られる映画なんて滅多に無い。どうしてこんな素敵な作品をもっと早くに観ていなかったのか。
ガリ勉優等生のチャトゥルがスピーチで恥をかかされる場面など、彼に感情移入してしまう人にとっては辛くなる場面もあるかもしれない。私も共感性羞恥持ちなのでその感じ方は理解できた。
しかし、コメディにおいて道化役が笑いものにされる姿というのは現実のいじめと同一視すべきものではないと私は思う。
例のシーンで笑いものにされているのは「詰め込み教育」というシステムであり、その「詰め込み教育」の擬人化的存在としてのチャトゥルであり、チャトゥルという人間自身や彼と同じ属性を持った誰かではない。
行き過ぎた「競争社会」の擬人化である鬼学長や、「値札人間」と揶揄されるヒロインの婚約者などが主人公達にやりこめられる姿にも同じ事が言える。彼らは概念の擬人化である。等身大の人間ではない。
どうか、映画の中で道化が道化らしく笑われる事と、現実の人間が暴力を受けて惨めな思いをさせられる事とを結びつけないで観てほしい。その方が映画は楽しい。
そして、等身大ではないと言ったが、この映画に登場する道化役達は道化として背負わされている役割を取り払って見るとただただ愛すべき個性を与えられた幸せなキャラクター達である。
チャトゥルは努力が報われて成功者になり、「3馬鹿を見返してやる!」という復讐が果たせてとても満足そうな笑顔がなんだか憎めないし、学長は生まれたばかりの孫を抱いて号泣する姿や「なぜ鉛筆を使わないんです?」という質問に科学的な答えを返すくだりが描かれる事で、彼もまた父親であり学術人である事が察せられる。こういったシーンがあるおかげで、私は主人公達3人よりも学長の方が好きになってしまった。将来へのプレッシャーさえ無ければ、つまり「競争社会」でさえ無ければ、彼を父親に持つ子供達はとても幸せだろうと思う。
(そうでなかったらこの映画での彼の役割が無くなってしまうのだから、これでいいのだ)