凶悪のレビュー・感想・評価
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罪悪感抱いて生きた方がマシ
この映画の元になった事件はニュースで聞いた覚えがあった。
“先生”とか“死の錬金術師”とかいうワードにも聞き覚えがあった。
そのときは「世の中怖い人間がいるもんだねえ」くらいにしか
思わなかったものだが……
ピエール瀧演じる死刑囚・須藤の、冒頭10分で呆気に
とられるほどの凶悪ぶり。これを観てもう「嫌なものを
観てしまった」という感覚に襲われた。
日常のすぐ裏側に、こんな陰惨な世界が広がっているなんて
信じたくないが、ちょっと暗がりを覗けばこんな世界が
やっぱり存在しているんだろうか?
この映画がどこまで事実に基づいているかは分からないけど、
そんな不安と薄気味悪さを覚える。
リリー・フランキー演じる木村“先生”はもっと恐ろしい。
パッと見は温厚そうなごく普通のオジサンだが、
オモチャで遊ぶ子どものように無邪気に笑いながら人をなぶる。
それはそれは楽しそうになぶる。そうして殺した後は妙に冷静で、
まるでゴミ処理か何かのようにてきぱきと死体を片付ける。
今から殺す人間の横で死体処理の相談をしたり、燃やしてみたい
と興奮したり、終いにはこんな言葉まで吐く始末。
「老人を殺すだけで金が溢れてくる。まるで油田だよぉ」
……いや……なんというかもう……色々とどうかしております(笑)。
焼却炉のくだりの後でクリスマスパーティなんてとてつもなく
狂ってるし、子どものランドセルに現金を忍ばせるなど、
金銭感覚もトコトン下卑(ゲス)い。
彼は終始そんな感じなので、“先生”と呼ばれるほど
殺しのやり口はスマートに見えない。
なのに、捕まらない。共犯者や被害者自身の罪悪感を躊躇なく
利用するので、そもそも事件が事件として露見しない。
彼からは罪悪感という感情が微塵も感じられない。そのくせ、
他人の罪悪感につけ込む術は熟知しているというこの厭らしさ。
罪悪感。
本作におけるキーワードはこれだと感じる。
“先生”に脅されるままに家族を見殺しにした人々の怯えた顔。
痴呆の進む母親を施設に入れられないでいる主人公。
その主人公の母親に手をあげた事を告白する妻。
波風を立てずに問題を解決できないかとずるずる結論を
先伸ばしにする内に、いよいよ袋小路に追い詰められた人々。
考えたくない問題から逃げ続けても、最後には抱えきれないほどの
重さになって自分にのし掛かってくるだけなのだろうか。
時には罪悪感を抱える覚悟を決めて終わらせた方がマシな事が
世の中にはあるのかも。ううむ、なんだかしんどい。
ラスト、薄笑いを浮かべてコツコツとアクリル板を叩く“先生”。
ひとり取り残された記者の虚ろな表情。
ああして見ると、アクリル板を挟んだあちらとこちらで、
どちらが犯罪者か分からなくなってくる。
良心や罪悪感といったブレーキが、
蓄積された怒りや憎しみで壊れてしまったら、
僕らとあの人殺し達との間に、大した差はないのかもしれない。
主人公はジャーナリズムという盾に隠れて“先生”を殺そうとした。
そしてそれを観ている僕も、“先生”が殺される事を望んでいた。
さらに言えばだ。この惨すぎる事件の経緯を、
好奇心いっぱいに見つめていた事も僕には否定できない。
「あなたはこれを楽しんでいたのよ」
記者を嘲笑うかのようにその妻が言い放った台詞にぎくり。
いやいや、だからと言って、人間の本性は所詮凶悪さの塊だと
認めるつもりはさらさら無くて、あんな人間になるくらいなら
罪悪感を抱いて生きてた方がマシだと思う、多分。
そんなご高尚な事をいつまで言えるかだが、なるべく頑張らんと。
決める事は早く決める! 危ない事には手を出さない!
なるだけ平和に生きられるようにしたいもんです。
ごくふつうの人間の奥底にある嫌な部分を覗き見るような映画。
ずっしり重いけれど、見応え十分。
〈2013.9.鑑賞〉
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追記1:
文脈に合わなかったので、
須藤の最後の姿について追記として書く。
須藤が本当に神を信仰するようになったのか、それともあれが
量刑を軽くするためのパフォーマンスだったのかは分からない。
だが、被害者に対する彼の懺悔の念が薄弱である事は分かる。
本当に後悔している人間は、赦されたいという気持ちを
感じる事にすら罪悪感を覚えるものだと思うから。
赦される余地があると考えている時点で、
彼の懺悔に大した価値はないと個人的には思う。
被害者の遺族は死ぬまで怒りと罪悪感で苦しみ続けるのに、
殺人者は勝手に自分を赦し、心の安寧を手に入れるという、
この胸糞悪い矛盾。いやはや。
追記2:
酒で殺害された老人を演じたのはジジ・ぶぅという役者さん。
生き埋めにされた老人を演じたのは五頭岳夫という役者さん。
どちらも肉体的にも精神的にもしんどい役だったと思うが、
このお二人のお陰で現実味のある恐ろしさが出ました。
お二人に労いの言葉を掛けてあげたい。
ちょっと長い
丁寧なストーリー展開です。
殺害シーンは、内容からくどいシーンになっても不思議ではないのですが、そこはちゃんとくどくないように編集されています。
推理小説の知的展開を望まれる方には、お勧め出来ません。
知性は感じられません。
驚くほど単純な発想で殺人を実行して行きます。
ですが、実際の殺人事件も本当はこの作品のような展開ではないでしょうか。
努力せずに金になる、気に食わないから・・などなど、新聞を読むと何時も感じている殺人の理由を映像化したように思えます。
あなたの周辺の人間が、殺人者に変質するのは、こんなに簡単な事なんですよ・・・と訴えているのかもしれません。
ですが、少々長く感じられ、後15分ほどカット出来る編集にしてくれればより作品が締まったような気がします。
主人公が、力が入りすぎているようで、抜き=絶望の演技が欲しいところです。
脱力感が、深い絶望を表すのではないでしょうか?
なんの感動もないけど
悪人は死なず
極悪人の主人公のピエール瀧とリリーフランキーは死なず。雑誌記者の山田孝之の懸命な調査がどちらの極悪人をも生かしてしまった、後味が何とも悪い話。見事なほどに後味が悪く高得点です。
話の中で中々リリーフランキーが出てこず、イラついたがそれも狙いなんでしょう。後半のテンポ良いストーリー展開が引き立ち、のみこまれました。
各役者の眼差しが印象的。
登場人物の心理描写に惹きつけられるものがありました。特に法廷でのリリーフランキーの全てのものを睨みつけるような眼差しや、山田孝之の後半になるにつれて重っ苦しくなる眼差しなど、役者の眼力で言葉を超えた心情を訴えることに、成功していたと思います。全ての役者さんの眼差しが印象に強く残りました。
作品のテンポは前半はやたら間が悪く、退屈な感じを受けましたが、後半に向けて畳み掛けるような作りで、前半のテンポの悪さが逆に、いいバランスのテンションを保ってくれたので、個人的には良かったです。
ただ、これといって、鮮烈に印象に残るシーンがなく、前のめりになって鑑賞することが出来なかったです。
唯一、リリーフランキーの小躍りは心に残りそうです。
余談ですが、ピエール瀧が出てくる度に、『瀧さん!がんばれ!がんばって凶悪になってください!!』と、心の中で思わず応援してしまったので、それがノイズに、なってしまったのかもしれません。。。
人間の恐ろしさをまともに浴びせてくる
コメディからシリアスドラマ、善人から悪役まで器用にこなす山田孝之はともかくとして、ピエール瀧とリリー・フランキーがここまでやってくれるとは。
この作品は、この3人の成りきり演技と、時系列を巧みに組み立てた編集の上手さに尽きる。
取材が仕事とはいえ、そんなに深追いして大丈夫なのか気が気でなくなる記者の藤井。
自分に着いてくる者には優しいが、疑い深く、人を信じ切れないヤクザの須藤。
小心者のくせに、心の奥にどす黒いものを持つ“先生”。
この3人がトグロを巻くと、人間の恐ろしさをまともに浴びせてくる。
世の中にはとんでもなく悪い奴がいることは確かだが、ここまでストレートに描いた作品は初めてではないか。どこかで自制するものだが、作品そのものが凶悪者のように自制を投げ捨てている。凄い映画を撮ったものだ。
撮影の合間、あの3人がいったいどんな顔で過ごしていたのか見たくなる。
普通人 板子いちまい 犯罪者
まじめで固い視点で描く異常な事件。
見ながら、やっぱり園子温や北野武は才能があったんだ、と思わざる得なかった。
何を楽しみに観に行ったかと思えば、やっぱり恐怖とそれを超えた笑い、どっちにしろ強い刺激が欲しかったんだけど、初めて見た白石監督は真面目でいい人なんだろうな、と思った。
極悪非道過ぎて笑えてくるようなニュアンスの狙いは外していた。だけでなく、恐怖も感じなかった。記者の背後のドラマは凡庸過ぎて更に不発。狙って成功してないのはなんでだろう。
その前に、雑誌記者が死刑囚と会って回想における事件に突入していくまでが既に退屈。記者の背後としての“家庭の事情”もたいした同情を感じない。事実がどうかはしらないけど、描写が凡庸で緊張感がない。“事実”というのが枷になってるのか、フィクションとしては突き抜けてないし、リアリティドラマとしては装置も見せ方も芝居も驚きがない。ドラマとしては巻き込まれた記者視点で、それこそ「ほんとにあった呪いのビデオ」みたいに見せていったほうが、「怖く」はなったと思うけど、商業映画としてこういったキャストを配しているのなら、やはりフィクションとして突き抜けたかった。いいキャスティングがもったいない。
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