アンナ・カレーニナのレビュー・感想・評価
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アリシア・ヴィカンダーによる副ヒロインの輝く様な美しさと宗教的な映像美
ジョー・ライト監督(ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男等)による2012年製作の英国映画。
原題Anna Karenina、配給ギャガ。
アンナとヴロンスキーのカップルと対照的な、コスチャ・リョヴィン(トルストイの理想とする分身らしい)・キティ夫婦を、美しく何処か気高く描写していたのには関心し、好感を覚えた。そしてキティ演じたアリシア・ヴィカンダーの輝く様な美しさには眼を奪われた。義兄を介抱する姿に、マリア像をイメージさせる様な宗教的な映像も、印象的であった。
一方、ヴロンスキー演じたアーロン・テイラー=ジョンソンの白塗りメイクには、軍人役だけに随分と違和感を覚えてしまった。アンナ役のキーラ・ナイトレイは、「エニグマと天才数学者の秘密」で個人的にはお気に入りの女優であるが、アンナ・カレーニナ役はかなり荷が重かったか?
何せ、読んでいる訳ではないがロシア文学研究者によれば、原作では知性に優れ優雅で気品に溢れる絶世の美女、しかも母としての息子への愛は目一杯有りながら、エロスに溢れ恋に溺れ嫉妬深く破滅に一直線に向かう、多分トルストイが理性では必死に否定しながらもなお惹きつけられてしまう様な存在ということらしい。ということでその体現は難しく、無理からぬところもあるのだが、子供への愛情は深いものの母としての責任感には乏しく、ただの世間知らずの嫉妬深い我儘女に見えてしまった。
そして、映画全体を劇場仕立てで見せるというのは、確かに一つのアイデアとは思ったが、あまり成功しているとは思えなかった。
ただ、最後、アンナ夫(トルストイの分身の一つと思えた)役ジュード・ロウが見守るなか、息子と娘(ブロンスキーとアンナの子)が幸せそうに戯れている姿には、幸福に関する本質的な部分を見た様な気がして、救われた様な気持ちになった。
製作ティム・ビーバン、エリック・フェルナー、ポール・ウェブスター、製作総指揮ライザ・チェイシン、原作レオ・トルストイ、脚本トム・ストッパード(エニグマ等)。
撮影シーマス・マッガーベイ、美術サラ・グリーンウッド、衣装ジャクリーン・デュラン、編集メラニー・アン・オリバー、音楽ダリオ・マリアネッリ、振付シディ・ラルビ・シェルカウイ。
出演はキーラ・ナイトレイ(アンナ役、イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密等)、ジュード・ロウ(アンナ夫役)、アーロン・テイラー=ジョンソン(ヴロンスキー役、TENET テネット等)、ケリー・マクドナルド、マシュー・マクファディン、ドーナル・グリーソン(コスチャ・リョーヴィン役)、ルース・ウィルソン、アリシア・ビカンダー(キティ役)、オリビア・ウィリアムズ、エミリー・ワトソンカーラ・デルビーニュソロ。
最初はとても良いが、この映画は、前半、中盤、後半で印象が変わる
最初の頃は、舞踏会での華麗な衣装・服装、及び、綺麗な雪原が素晴らしい
途中から、アンナの不倫が始まり、それがメインストーリーとなる
最後は、アンナが鉄道自殺する
複雑な人間関係、感動場面もなく、当然だが観終わった後に清々しさが残らない
結末を知らずに、この映画を観始めた時は、衣装・服装の華やかさに、
すごく良い映画ではないかと期待したのだが、途中から少しガッカリ
最後まで観た後の評価をすれば、
途中から不倫中心の展開になったが、
最初の華やかな衣装の印象が、最後まで強烈に残った
女が幸せでいられるのは若いうちだけ
2012年のイギリス映画とのことですが、舞台は19世紀末ロシア。元はトルストイの小説だとか。これ以前にも何度か映画化はされているようですが、自分は未見です。
今作の見所は、何と言っても舞台芸術と映像美術を合体させたような不思議な演出。ジャケ写や時代背景から、豪華絢爛な衣装や屋敷の内装などに期待を寄せていましたが、始まりから一風変わった演出で驚きました。
舞台を見ているかのように、最初に幕が上がり、大道具係が舞台の装置を動かしているのをそのまま映したり、面白いのが部屋から出て行くシーンで、舞台からはけたと思ったらそのまま舞台裏を歩いていく。はけた後までキャラクターを追い掛けていき、ステージ上とは違う暗くて埃っぽい舞台裏までもを効果的に使っています。
しかし全部が全部「舞台風」の演出ではなく、集中させたいシーンではきちんと「映画風」の演出(つまり全画面)になる。その切り替わりが意外と自然で、チラチラ場面の移り変わりが鬱陶しいということもなく、楽しく見られました。
ただ、この演出が逆に「変にこじゃれた感じを出そうとしてて鬱陶しい」と感じる人はいるかも。「舞台風にするなら全編そうしろ!」という人がいても不思議じゃないですが、自分は全く気になりませんでした。
あらすじ:
主人公のアンナは、高官カレーニンの妻で社交界でも有名人だが、上辺だけの付き合いや、表向きは優しいが自分や息子のことに大した興味を持たない夫にうんざりしていた。ある日、アンナの兄が不倫したせいで離婚の危機と知り、モスクワへ兄夫婦を訪ねていく途中、汽車の中で将校のヴロンスキーと出逢う。2人は一目で惹かれ合うが、アンナはカレーニンと結婚し、子供もいる。対するヴロンスキーも、結婚予定のキティという女性がおり、既に親公認の仲。アンナは強引に詰め寄るヴロンスキーを「非常識」と拒絶する。しかし、何度もアプローチしてくるヴロンスキーにアンナも遂に拒否しきれなくなり、愛人関係に。ヴロンスキーの大胆なアプローチにより2人の不倫は周知の事実になり、不倫の末妊娠したアンナは、遂に不倫の事実や妊娠したことを自分の口から夫に打ち明け、ヴロンスキーと共にいると宣言するが…
いやー、最初に一言良いですか。あの、個人的にヴロンスキーの顔っていうか見た目っていうかもう全てが生理的に好きになれず…
「えっ、何で?まじで夫の方がマシじゃない?こいつの何に惹かれたの????」という気持ちがずーーーーっと尾を引いて、結構長いことこの映画に没頭しようとする自分の足を引っ張ってきたんですが、終ぞラストまで無理!でした。ゴメンねヴロンスキー。
なんか、どう見ても宝塚の男役にしか見えなくて…んでもって宝塚の方が万倍カッコイイし…ゴメンねヴロンスキー。
まぁヴロンスキーDisはこの辺にして、今作の基本的なテーマは「愛と赦し」なのかなと思います。序盤にアンナとその姉の会話で「赦せないとこれからずっと辛くなる」という台詞があります。これは夫の不倫を赦せない姉に対し、アンナが言った言葉ですが、これが全編通して重要な意味を持っています。
また、この「愛と赦し」は男女の愛だの不倫だのだけにとどまらず、最後に向けて家族愛や隣人への愛、更には配偶者の不倫相手へと広がっていきます。
愛と執着を履き違えたり、赦したり、赦せなかったり。そういった関係性が最後まで続きます。
キャラクターについては、まず、アンナは衣装が豪華で!脇を固める女優陣も見ごたえバッチリでした。ドレスが場面場面できちんと登場人物の気持ちに沿った色・形に着替えており(まぁ日常生活でも大概服と気分は干渉し合うもんですが)、視覚的にもキャラクターの気持ちを感じ取ることができます。
夫のカレーニン役は、何か見たことあんなーと思ったらジュード・ロウ。この夫、別に悪い人じゃないし、確かに優しい。でも、何だろな?仮に自分の友達の夫がこんな人で、友達が「夫以外の人に惹かれてる」と言い出したら、「あ~…」と思ってしまうような人(^^;
要は愛を感じないんでしょうね。その結婚が「特別」だと思えない、情熱的な愛情表現があるわけでもない、そして表向きは優しいけど一緒に何かしよう、趣味を共有しよう、みたいな安心感のある、守りたい関係でもない。良く言えば「邪魔にならない夫」、悪く言えば「家庭に無関心な夫」。
世間の女性陣の話を聞いていると、「愛より金」って人は確かにいます。でもそういう人達の話も、よくよく掘り下げて聞いてみると決して「愛は必要ない、金だけが必要」という話ではない。単に「愛がほしいけど、私が愛されるなんて期待できない。それなら明確な形があり、世間的に価値のある金の方が役に立つ」という話。一見冷たく見える「愛より金」には一言では語れない思いが込められてるんだなぁと感じます。
物語の序盤で、アンナの兄が「妻のことは大切に思っているが、もう若さがない。年老いて、体形は崩れ、何故こうなったんだ?」みたいなことを話しているシーンがあり、うーん、これが世の男性陣の本音ですよね。見た目だけを愛してたわけじゃないけど、若く美しい時は愛せても、年老いて醜くなった姿なんて正直考えてなかったし、実際なってみたらハッキリ「昔と同じ気持ちで愛してる」とは言い切れないなぁと。まぁ、恐らく女性陣もそうなんじゃないかと思われますが(^^;
要は、少なくとも19世紀なんて時代、男は色んな道を選べるが、女は若く美しい間しか愛は得られず、幸せではいられないと。21世紀の今も、何百年経ってる割には大して変わってないか?
カレーニンは高官なので、当然金は持ってます。正しく絵に描いたような「富と名声」を持ってるわけですが、愛情深いかと訊かれると、「?」。優しいし、我儘を「許して」くれる。でもそれが愛かと訊かれると、「?」。
夫の「富と名声」でアンナは贅沢な暮らしができるわけですが、それは結局「夫のおこぼれ」でしかない。
何かで『女は男に何かして欲しいのではない、自分で決める権利が欲しいだけ』と言ってる人がいたんですが(何だったかな)、こうした昔の女性を主人公にした作品を見ていると、それをひしひしと感じます。
結局アンナは、「夫のおこぼれ」で生活する窮屈でそこそこの幸せよりも、世間に後ろ指をさされても「自分で決めた」愛を選びますが、ラストは当然救いがなく、悲惨なもの。何が当然かって、昔の女を主人公にした作品で、悲惨なラストじゃない作品なんてほとんどありませんから。
このラストを見て、短絡的に「やっぱり今ある身近な幸せを大事にしないとさぁ~」と思う人もいるかもしれませんが、ちょっと待った。アンナが不幸な最期を遂げたのは、アンナが家庭の外に救いを求めたから?それが欲を掻いたことになるのか?そうとは言い切れません。もしそうなら、エリザベートは?ミス・サイゴンは?蝶々夫人は?
何も知らされず待ち続ける女は阿呆だし、愛を求める女は我儘だし、上手くやり遂げた女は生意気で小賢しい狐女。どう足掻こうが、女が自分で何かを決めた時点で、それは「罪」となり、悲惨な最期へのレールに乗ったようなもの。まぁ、主人公にするからにはドラマティックな最期じゃないとっていうのも多分にあるんでしょうが。
結局、アンナは結婚生活を続けようが不倫相手との愛に生きようが、不幸な人生であることは決まったようなものだったでしょう。一方、キティは貧しいが愛情深い男と結婚しています。この違いは何なのか?
キティは最初ヴロンスキーが好きで、キティを前から愛していたリョーヴィンのプロポーズを断ってしまいました。しかし直後に、ヴロンスキーはアンナに気があると気づき、自分は捨てられたのだと理解します。その後、リョーヴィンは自分を振ったキティを「恥をかかせた」と恨み、ヴロンスキーに捨てられ今も独り身でいるキティに、意地を張って再度プロポーズすることはできませんでした。が、友人から「キティは結婚するはずだったヴロンスキーに捨てられ、お前よりもっと恥をかいた」と諭され、再びプロポーズする決意をします。そしてキティも「自分が馬鹿だった」とリョーヴィンのプロポーズを受け入れます。
リョーヴィンは自分に恥をかかせた(ってのも逆恨みですが)キティを赦し、そして病気の兄を新婚ホヤホヤの自宅へ受け入れ、最後にはキティの影響で、元娼婦の兄の妻のことも、最初は「あの妻だけは別宅に住まわせる」と軽蔑の目で見ていたのが一緒に住むことを赦します。
つまり、キティはリョーヴィンの愛を受け入れリョーヴィンの兄や妻に対しても愛を与えましたし、リョーヴィンはそんなキティを見て、自分も兄やその妻へ愛情を向けることができるようになります。でも、アンナはどうでしょうか。
アンナはカレーニンとの退屈な生活を捨て、ヴロンスキーとの燃え上がるような愛を選びます。ここまでは良かったんじゃないかと(いや、夫のことを思うと全然良かないんですが)。この映画の中での彼女の失態は、登場人物の中でただ一人、愛も赦しも受け入れなかったことではないかと思います。アンナの思っていた「愛」はいつの間にか「執着」へと変わり、結局のところヴロンスキーとの愛を自分で選んだにも関わらず、ヴロンスキーの愛を信じられない。酷いことをした自分を赦してくれたカレーニンのことを赦せない。
ラストの方でほんのり「彼女もう頭おかしいですから~モルヒネやってますから~」という表現が出てきますが、精神的なストレス半端なかったんでしょうね。それにしたってヒステリック過ぎて付き合いたくないタイプNo.1ですが。
思うに、昔からこういう人種(?)は結構いて、願望はあるけど倫理に反するから我慢した人と、アンナやマリー・アントワネットみたいに奔放にやらかしちゃう人とがいて、そういう人達の犠牲のお陰で今こんなに緩くなってるんだなーと思うと、それはそれで感慨深いものがある…かも?
背景は、ロシアだからなのか(失礼か)、お話のせいなのか、屋敷の内装なんかもとても美しいですが、そこはかとなく暗い。
美術的なものに興味のある人向きの映画かなと思います。マリー・アントワネットなんかも美術的な観点で特に女性からの支持が高かったようですが、あちらよりもっと控えめというか…とにかく暗い。
個人的には、こんだけウダウダ書いておいて何ですが(笑)、ストーリーより美術や演出を楽しむ作品だったかなと思います。視覚的には忙しないと言って良いほど結構動きがあり、仄暗くも華やかなので、飽きずに最後まで見られました。
カメラワークが素晴らしくて、見る前は「絶対途中で嫌になるんだろうなー」と途中退場を覚悟してましたが、気付けば最後までスルッと見られてました。ただ、ストーリーは不倫で何やかんや騒いでるだけの話なので…
とはいえ脚本の出来が悪いとかではなく、好みの問題でしょうか。
馬鹿な女がトチ狂って人の足を引っ張ったり、人巻き込んでギャーギャー騒ぐだけ騒いで非業の最期を遂げたりする系の作品は見飽きたので、次はハッピーエンドを見たいです…が、舞台が昔だと、上にも書いた通り女性が活躍してなおかつハッピーエンドの作品ってのは難しそうですね。
すんごい長文のレビューを書いてしまいましたが…
カメラワーク、美術、演出に興味のある方はぜひ。評価はそれほどでもないですが、ストーリーがそこまで小難しい話じゃないからこそ生きる演出かもと考えると、かなり特殊で思い切った演出なので、ストーリーに興味がなくとも、一度くらいは見る価値あると思います。
とにもかくにも、ヴロンスキーが気持ちワリ~~~んじゃ!!!
映像美!!!でも暗い!!!笑
演出がスゴイ。
こんなドロドロした話でも、ずっと見てられたのは、この映像美があるからだろう。
エキストラというのか、メインキャスト以外の周囲の動きとか、リズムとか、転換とか、
すごくこだわってあって、独特な感じ。
衣装もかなり良い。
常に舞台をセットにしてある感じが最初気づくまでは、あれ?って感じだったけど、
あれが独特な世界観を生み出してた感じがした。
普通に撮ってたら、なんか、違うんだろなー。
キャストもかなり美しい人たちをメインキャストに起用してて、高貴な感じが出てました。
ラストの方のアンナの落ちていく感じは見るに堪えない感じ。
嫉妬やストレスによる、感情的な責めは、ホントだめな行為だなーと感じた。
明るくてホッとできるような女でありたい、
そう思えた映画でした笑
とにかく美しい映画。
重いロシア文学との演出の相性問題
総合70点 ( ストーリー:75点|キャスト:80点|演出75点|ビジュアル:80点|音楽:70点 )
原作は未読。個人の自由と命懸けの愛対伝統的な社会制度と価値観との葛藤が主題になっているようだ。
ジョー・ライト監督とキーラ・ナイトレイは同様の純文学を基にした『プライドと偏見』で非常に良い作品を作っていたので期待していたが、今回はところどころでお芝居を観客席から観ているかのような演出を入れてひねりを加えている。これによって大概は重々しいし今作品も本来ならば重々しいであろうロシア文学作品が、さらりと流し見出来るようなあっさりとした味わいになっている。
それゆえか後半の社会制度に阻まれて潰されていく本気の愛の行方はまあそれなりだが、前半の2人が本気で愛し合い社会をはみ出してまで貫こうとする過程での真剣さが薄くなっているように思える。この流暢な演出に独特さと面白みがあったのだが、重々しいロシア文学には相性が悪かったのではないかと感じた。映像・衣装・美術・演技は全体に質が高いけど、その相性の悪さ分だけ満足度は低め。
「アンナ・カレーニナ」を観て・・
ロシア文学の文豪トルストイの長編小説を映画化。19世紀のロシアの社交界が舞台。アンナ・カレーニナは、政府高官カレーニンの一人息子がいる妻。彼女がモスクワで青年将校のヴロンスキーと出会い、やがて恋に落ちる。そしてカレーニンにも知られ、ヴロンスキーの子供を産む。アンナ・カレーニナは社交界にも後ろ指を指され、ヴロンスキーは心変わりしていく。最後は・・女性が結婚している身で、愛を貫こうとすると悲劇を招く。我慢すると物語にもならない。昔も今も、身分を問わず問題提起する永遠のテーマだ・・
泣ける
引き込まれる映画で映画館で見ればよかったなって作品!
愛に生きた主人公でこの時代で離婚するとかって大変なスキャンダルなんだね...。
最後、死ぬなんて!
悲しすぎる..
あと、音楽がすてき!
廻り舞台
廻り舞台を思わせる演出が楽しくて、テーマパークのアトラクションに乗ってるような気分になる映画。
トルストイもこんな風に軽やかに楽しめる時代なのねー、と目から鱗が落ちました。
アンナ演じるキーラ・ナイトレイ、良かった!
終始ソワソワ落ち着きなく貫禄も無いのだが、落ち着いてる女性だったら安寧な生活を捨てて駆落ちなんてしないよなーと、妙なリアリティあり。
ヴロンスキー演じるアーロンも良かった!
「アルバート氏の人生」の時も思ったが、この人、不思議と文芸系にマッチする。色悪演じて嫌みがない所もイイ!
そしてカレーニン演じたジュード・ロウ。
この作品で一番目立っていた。重厚で渋くて存在感があって、完全に主役を喰っていた。カレーニンに共感してしまうせいで、アンナの哀しさより愚かさの方が際立ってしまったような…。そんな演出も有りなのねと、目から鱗が落ちました。(トルストイの視点に逆に近い演出だったのかも…)
こんな「アンナ・カレーニナ」も悪くないと思える2時間でした!!
豪華な舞台設定。
いよいよJ・ロウも自毛で勝負するという暴挙に出たか…!
なんてバカなことまで考えてしまった(ゴメンなさい)
文豪トルストイの長編ラブロマン…にして、しかしもう彼は
主演俳優(でもあるけど、老いた方だし)を退く歳になったかと、
複雑な想いを抱きながらボ~っと見つめてしまった私^^;
相変らず重苦しい演技に向いている風貌と、冷たい奴なのか
優しい奴なのか分からない微笑み方なんかにはゾクゾクする。
A・ジョンソンはなぜ彼が「キック・アス」なの?と過去を呪いたく
なるような顔と役柄の拓き方が気になって仕方ない俳優だけど、
まぁいいオトコなのは認めたくなる整合性と若さがある!うん。
私はオバサンだからこっちにはもう靡かないなぁ(ナニ言ってる)
と思いながら、でも実際の年上妻は靡いちゃったワケですから^^;
これからもバンバン売りだされるんでしょうねぇ。
K・ナイトレイの美しさは皆さんが絶賛しているんですけども、
確かにコスチュームプレイに於いては右に出るものがないほど
最近では絢爛な役どころが多い。演技力も申し分ないのだけど、
どうも私にはあの口がいつも半開きなのが気になって仕方なく、
彼女を見るとやたら口を閉じたくなってしまうのだ^^;貴婦人が
口を半開きはないだろう。アレ開いてるわけではないのかなぁ。
顎がああいう形なんだろうか(ゴメンなさい、しつこい性格でして)
今作でのアンナも美しさでは申し分ないのだけど、どう見ても
ロシア人の様には見えないんだよなぁ。線もグッと細いしねぇ。
まぁそれぞれの役者の個性はおいといて、
今作は面白い試みが為されており、舞台とロケを併用した光景を
楽しむことができる。アンナがよろめく社交界は舞台劇がメイン、
リョーヴィンが働く田舎ではロケがメイン、競馬までも舞台中で
やるという演出がエラく斬新!観ていてエッ?とは思うんだけど
なるほど、そういう構成にしてあるのか~と演出技に感服しまくり。
そもそもアンナとヴロンスキーの不倫劇にまったく同情の余地が
ないため^^;可哀想なリョービン!頑張れリョービン!!といった
妙な応援感覚で最後まで観ることになった。しかしリョービン君、
キティがアナタの本質に気付いて本当に良かった、報われたねぇ。
彼女が義兄の身体を拭くところなんか、よくぞここまでと思うほど
彼女の成長が見てとれて嬉しくなった。反面、アンナの悲劇が
より色を増すんだけどね…。身勝手にも程がある。のはやはり、
女として生きるか、母として生きるか、の選択を誤った時なのかな。
重苦しい文芸大作とはいえ、衣装をはじめ、見所は満載。
好き嫌いは大いに分かれそうな仕上がりだけど、豪華さはピカ一。
(リョービン演じたドーナルってB・グリーソンの息子!?似てない)
ダンス・シーンが魅惑的
描き方が演劇、バレエの舞台展開の様になっており、ハッとさせられました。
序盤のアンナとヴロンスキーが恋に落ちるダンスシーンが魅惑的でした。しっかりと組まない手の甲を触れさせるだけの踊り方はむしろ官能的に思えます。
「縛り付けるのでなく、感じる事」
「感じるだけでなく、離れられない事」
「触れるだけでなく、複雑に絡み合っていくこと」
その後の2人を予見させます。
また、アンナと対照的に描かれたリョーヴィンの2度目のプロポーズシーンは本当にロマンティックでした。暗号のなかに隠された「2人しか分からない世界」、これぞ恋愛の醍醐味だと思います。
このシナリオを書けたトルストイは凄い男だと思うのですが、実際は悪妻で苦労したのだと聞いて絶句です!ソクラテスと並んで悪妻が偉大な哲学者を産むということでしょうか。。思わず原作もチェックしたくなる「愛とは何か」「愛するとはどういうことか」を改めて考えたくなる作品でした。
破滅してもイイ恋?
思えば私、平凡に生きてきた。
主人公の女性に寄り添えないのは恋愛経験値低いせいなのかぁ〜
と自分を残念がっていたけど。。。
ちょっと待って!
この恋、そんなに羨ましいか?
身を滅ぼすのもかまわないほどに?
主人公のキーラが余りに自己チュー我が儘女なもんだから、
夫も子供も捨てて走った恋なのに、結局のところ身を滅ぼすとしても、
自業自得よねぇ〜これじゃ愛想も尽かされるワ、と醒めた気持ちになるんです。
恋に溺れて、だんだん壊れていくのなら、観てる女性を味方につけたらもう少し最期も涙を誘うのに。
ただ!!
場面転換が舞台劇のようで、役者の着る物も持ち物もインテリアの壁紙さえ、一点の曇りもない美しさ。
絵画のような美術館のようなそんな世界観にはもう脱帽でした。あの青い部屋!
ホン筋よりも小物チェックの為にDVDでたら必ず借りようッ!
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