潔く柔く きよくやわくのレビュー・感想・評価
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お前のせいか?という印象。
メインの文脈が、どうしても「お前のせいか?」というレベルで何とも感情移入できず。 どっちも本当の加害者がいるわけで。 あと、高校時代のあの相方がどうなったのかも気になったかな。
ゆっくり受け入れていく
抱え切れないものも誰かと分かち合って、ゆっくり受け止めていく、そんな映画でした。抱え切れないと思っても、そこにあって、自分がどう捉えようが捉えなくても、そこあるってことを理解するのは、難しいものだなと。
イマイチ、、
この映画は最初にこの映画のメインの映像を写している。このシーンをメインに構成されて描かれていくと思いきや、話が未来に飛んで全くではやいがさりげなく伏線としてあるような感じで別のストーリーを見ているようだった。恐らく、失ってしまった大切な人の魂は残っていると伝えたいのだと自分は結論感じた。
この映画を見て、自分の身近な人をもっと大切にしないといけないなと感じた。人はいつ死ぬかわからない。このことをこの映画では教えてくれたような気がした。今こうしてレビューを書いている間にも周りでは何が起こっているのか全く分からない。一生後悔して引きずらないよう、一日一日を大切に生きようと思った。
原作のファンです
いくえみ綾さんのマンガ、結構持っていて、この原作は連載中から少しずつ買っていった思い出の作品。
映画化すると聞いた時は、キャストが心配でした。
瀬戸カンナの役はもう少し華奢なイメージでしたね。だからといって、誰が良かったとかは無いです。
長澤まさみさん、好きです。漫画に忠実なストーリーで全体的に良かったです。泣けました。
春田の死、マヤとの関係、最初の方はあっという間に終わって、大人カンナがメインのストーリー。
岡田将生さんも、原作のイメージとは少し違いましたが、カッコいいのでOK(笑)
亡くなった同級生の女の子、お姉ちゃん、お姉ちゃんの子供が話すシーンは、もう涙が止まらなくて、顔が濡れっぱなしでした。
ハッピーエンドで良かったです。
うーん
漫画原作の実写版とは知らずに鑑賞。
さすがは少女漫画が原作ということもあり、
禄ちゃん役の岡田将生の起用がズバリ最高の配役
でしたね。岡田くん、そんなに意識してイケメンだ
と思った事なかったのですが、本作で本領発揮。
なかなかのイケメンっぷりでした。
ただの優男ではない所に好感が持てた!
高良健吾くんはすぐに死んじゃうハルタ役。
こちらも、モテモテのモテ男くんなのに、本命には
全然アプローチできない、ヘタレくんを好演。
高良くんの可愛さをじっくり味わいました。
過去に他人の死を身近に経験した男女の物語。
自分の周りで、それも近しい存在の人を突然失うの
はとっても辛い経験になりますよね。
ただ、自分がいくら後悔しても、悔やんでも、悲し
んでいても、その人にはもう二度と会えない。
ただ、悲しみと共に生きていくしかないのだろうな。
劇中で、一番感情移入したのは、禄ちゃんが事故に
巻き込んでしまった女児のお姉さん(池脇千鶴)が、
明るい妹を失った彼女のご両親を元気付けるために
明るく振る舞った事でしかられ、どうすれば
よかったのかなと話すシーン。
自分が生きていていいのかと、禄に問うシーンは
とても観ていて辛かったですね。
カンナ(長澤まさみ)の方はイマイチ感情がのらず。
女優が違う人だともう少し泣かされていたかもしれ
ないけど、まぁ、しょうがないそれは。
生きてる人は死んでしまった人の分まで、しっかり
人生を楽しみ、生きていくしかないと日頃から思っ
ているので、最後の結末はよかった。
とにかくよいしょよいしょで、ツッコミやら、
気恥ずかしい感じは感じたけれど、これぞ漫画!
くすぐったい青春恋愛映画でした。
池脇千鶴のさすがの演技
原作見ていません。 過去と向き合い、大切な人の死を乗り越え成長する漫画原作特有のストーリー。 高良健吾さんに感情移入したため、ハルタの死が単なる"トラウマの踏み台"みたいに扱われていた感じがして嫌だった。 しかも長澤まさみさん演じるカンナが、ハルタへの過去と向き合い、前へ歩き出す重要なシーンも解りづらく不満。 しかし、それを救ったのは岡田さんと長澤さんの熱演。 さらに、そんな2人以上に、段違いに良かったのは池脇千鶴さんの演技だった。
ラブヒューマンストーリー
原作を半年前に途中まで読みました。カンナの高校時代までだったと思います。
感情移入しやすそうでしにくい、難しい映画だと思います。やっぱりカンナと録は特別な経験をしていると思います。
この映画の最大の失敗は、15歳の話を15歳の役者ではなく、本人らが演じたことだと思います。
やっぱり15歳ならではの甘酸っぱさがあって、それはどう頑張っても大人はもう出せません。
カンナの時は15歳で止まってるというのが、この映画の最大の重大なテーマなのに、どう見ても15歳じゃないのがだめです。
だから、カンナのした罪悪感が観客とずれていくように感じます。
大切な人を失った悲しみを抱く若者たちの成長や恋を描いた、いくえみ綾...
大切な人を失った悲しみを抱く若者たちの成長や恋を描いた、いくえみ綾の人気少女コミックを、長澤まさみと岡田将生の初共演で映画化した純愛ストーリー。この作品を観て女優「長澤まさみ」に感動しました。
難しい映画作りに挑んで失敗の作品
「罪悪感」 これを引きずった男女の物語。 しかし、これだけ偶然が重なり過ぎ、 話しを繋げると共感出来ないストーリー を延々と見る羽目になった。 そんなところでしょうか。 映画とはいえ、少しはリアリティを含めないと ダメでしょ。 多感な時期に友達を自分のせいで失った。 故郷は地方の隣町。 その二人が東京で出会う。 同じような境遇の持ち主。 こんな境遇を持つ者同士がいるか?? そして出会うか? ありきたりに二人の出会いは最悪で、 印象も悪い。 でもそこから右肩上がりに変わっていく。 どこでもある話し。 主人公長澤まさみさん。 彼女と幼馴染みの高良健吾さん。 映画後半に現れる岡田将生さん。 この切り替えがダメだ。 高良健吾さんの死が踏み台にしか 見られない。可哀想というより、 見てる側には「そんな〜⤵️」という 消化不良な想いしか残らない。 だから作品として評価出来ない。 つまりは伏線の張り方とその回収が 出来てない映画だったと言う事です。 ただね、キャストの演技は良かった〜😊
原作は知らないけれど良かった。 睦実の姉が登場した時はどうなるかと...
原作は知らないけれど良かった。 睦実の姉が登場した時はどうなるかと不安要素だったが嫌なキャラではなかった。バスの中で日記を読んで胸を締め付けられそうになる場面が良かった。学生パート25分しかないからかもしれないけれど、川口朝美が許さないみたいにブチギレたがハルタ死んだのカンナのせいじゃなくないかと思った。
キスが軽くなければ
『潔く柔く』(2013)
dTVにて。役名ではなく、役者名で書かせていただく。2018年に閲覧なので5年経過している。調べる余裕がないが、この頃は高良健吾や岡田将生は随分露出されていただろうか。波留はもっと最近ブレイクしたのだろうか。この映画はビデオでは語り口や花火の音などの強弱に差があって、音量を調節しないと不快だった。主人公は長澤まさみが演じているが、共演者よりもやや実際は年上だ。高校生の仲間や周囲との、はっきりしない恋愛以前から恋愛への過程が、幼馴染とはキスが、「野良猫のようなキス」として、恋愛以前としてしまっている。戦後から現代までの日本の恋愛への想定の不安定さから出ているものだろうと思う。戦前ならキスはそんな簡単な感覚ではなかったし、実際はそう簡単な感覚ではないだろう。だが、本音は幼馴染同士は恋愛したい関係だったのだが、長澤演じる女性のほうが曖昧なために、中村蒼演じる仲間からのアプローチでキスしてしまう。その頃に、高良健吾演ずる幼馴染はトラックにはねられ死ぬ。仲間の波留は長澤の曖昧さに怒り、友情が壊れる。このシーンだけ既視感があり、波留が怒るシーンだけ、部分的に何かで観たのだと思う。そうした過去のシーンから、社会人となった話に移る。中村蒼はテレビの『八重の桜』も観てはいたが、『東京難民』の印象が残っていながら観た。長澤と岡田は、映画の配給会社と出版社の社員という設定らしい。配給の映画の件で知り合うが、女の方は過去にそうした恋愛寸前の幼馴染との死別があって、大学時代も多くの言い寄る男を振ってきたそうだが、岡田のほうも過去があるらしく、これから説明があると思う。池脇千鶴が少し前に妹らしい人物の子供の頃の日記を渡すシーンがあった。実は男のほうも幼稚園かそこらの頃に、突き飛ばした女の子がその後はねられて死んでしまったという過去があり、池脇はその子の姉だった。岡田が長澤と再会したのも、長澤の友達がトラック事故で死んだ男の話をしたことが関連して何度も会うことになったのもあるらしい。似た者同士の過去のトラウマというか、悔いがある二人だったわけだ。それから急性アル中とかエピソードが入る。過去のシーンが思い出されたりする。赤い絵の具が血に思えてしまうシーンなどがある。それらの交錯から、だんだん惹かれあってくる二人。古川雄輝が、女の高校の同級生で、男の大学時代の後輩で偶然、再会してくる。男の高校時代のシーンに戻り、突き飛ばして死んだ子に線香をあげる。死んだ子の両親の片言が複雑に思われ、辛いシーンである。映画では死んだ女の子の日記などを通じて、もっと複雑な関係性が表現されるが、私の能力不足もあり書けない。物心ついてないときの過去である。戸惑うだろう。男の思いは、女への恋愛感情ではなく、似たような罪の意識から、女は悪くないという思いが、交際の続行とさせていた。この作品のテーマは男女の恋愛過程ドラマではあろうが、双方に、関係者を死なせてしまったかも知れない、死なせてしまったのに、そんな自分が幸福を得て良いのだろうかという、複雑な心理関係があるところが加味されているのだ。恋愛以前というのか、複雑なところのセリフに「ああ、もう、あんたほっとけないんだよ」という男のセリフがある。キスではなく、頭を瞬間、なでて別れる。兄貴のような、相手への尊さの表れ、援助というと援助交際のために汚いイメージに落とされてしまった言葉だが、援護的な気持ち。長澤のほかにも、池脇にせよ、漫画家役のMEGUMIにせよ、男の優しさのエピソードが垣間見られる。池脇が崖から落ちて倒れているシーンなどは、姉妹して関わると死なせてしまうのかというような危険なシーンである。その時に姉の
身体が妹に見えて、男は悔いて泣く。ごめんと姉妹の苗字を繰り返して泣く。姉は無事で助かったが、贖罪のシーンにも思える。姉との恋愛になってしまう構成もあったかも知れないが、それも複雑すぎる。この作品はそうはしなかった。姉が「私生きてていいのかな」と男に言うが、姉のほうも、妹が死んでしまったことを自分の罪というか、自分だけ良いのかという思いがあったようなのだ。人間心理の崇高な面だろう。ここで、最初のシーンもそうだが、自然の美しいシーンが取り入れられている。その後で、「俺に何かできることがありますか」と聞くと姉は、「あるよ。あなたはあなたの道を行って」というセリフがあるが、このセリフは高度だ。切なく辛い過去があるが、それでも暗いばかりの話ではなく、けっこう明るくコメディータッチの面もある。長澤岡田の関係は、いたわり合いのような、似た心理の傷を持つ、兄妹関係のようなところがあって、女が、「罪悪感ってどうやったらなくなるの」と男に聞く。男は、「そんなもの無くならない。一生抱えて生きていくんだ」と答えた。
そこで男は「つきあってみない。だめだったらだめでしょうがないから」という。女は考える。ここで田山涼成演ずるバーのマスターが脇役の渋さをみせる。こうした第三者的な人の存在が意義を持ってくるのはよくあることだし、そう言う世界なのかも知れない。世界はそれでも二人きりではない。死んだ女の子の姉は女の子があり、死なせた男とは連絡をとりあい、友達のようになっている。
姉が「彼女できた?気になるよ。あなたには幸福になって欲しいもの」笑顔で会話する。波留と再会したり、映画だからかも知れないが、こうした偶然の再会は、意外に実際にもあるのかも知れないとふと察したくなった。波留は随分ひどい事を言って別れたが、23歳で再会すると、もう別に気にしていないとお互いににこやかに語り合える。これも人間関係は和解することを知らせる。むしろ、相手に死亡への配慮が、15歳頃にキスさえなんとも思わないような接触の感覚から、愛する人を選べるまでの慎重さ、深さへと成長させたのかも知れない。そういうことも無く、援助交際や乱交へとさまよってしまう人達が多いのが社会問題かも知れないし、そういう教育的な意味も、この作品には見られるだろうか。周囲の人は既に教えられなくなってしまっているから。これは賛否あるところだが女性の泥酔が男性との交際のきっかけとして幾つも採用されているが、それも照れ隠しなのか。死んだ男性の父親は再婚したと聞き、泣いた長澤に、岡田は高校生の墓参りに誘い、伴う。反対に、池脇の子供に会いに行こうと長澤が提案し、言葉を発しないという子供に会いに向かう。女の子が話した。このエピソードの挿入の意図はよくわからないが、感動的だろう。その後、女性の母校、高校へと二人は向かう。「魂はきっといろんなことを忘れないでくれるのかなって。今辛くて忘れたいことも、思い出せない大切なことも」女性が言う。二人夕焼けの海を並んでみているときに言う。男は死なせた子供の姪にあたる子供が初めてしゃべったことで泣く。二人はこの段階で恋人同士ではない。二人で似た罪の残りを見にいった。夕日と赤い車と海と二人の構図が美しい。その後、死に役の高良が長澤をとても真摯に思っていたエピソードを古川から長澤は聞く。そこでMEGUMIが狂言回しになるのだが、岡田と付き合ったと長澤にMGUMIが嘘をついたが、それでも岡田の誕生日をおめでとうと言って、去ろうとする長澤だが、岡田は追いかける。そして、最低だと岡田の頬を長澤がひっぱたく。付き合ってるけど打ち合わせでだよと言い、「それで何。俺に伝えたいことって」女はもじもじしていると、岡田は面倒くさいと言って、抱き寄せて、「ずっと一緒にいたいくらい好きだ」と言う。女は「私もあなたを一人にしたくないです。一人にしません」と返して、キスをした。誕生日プレゼントだという。ドタバタ劇のようだし、好ましいとは思えない一瞬だったが、逃げようとする女を男は名前を呼んで、今度はゆっくりとキスを返した。全体的に運命や死や再生や男女の関係を美しく描こうとしていたと思ったが、恋人としての始まりがキスだというのは、平成の終わりにかけて、現在の日本人が許容に向けていったからなのか、原作者たちのリードなのか、キスに対しての感覚を変化させようとした。映画でもキスシーンは電車の窓越しから疑似的に見せていた時代から今は遠いのか。だが、こうした二人の出逢いは、永遠を認め合ってはいるはずに思える。同じ長澤主演の『世界の中心で、愛をさけぶ』のほうが、キスシーンもたしか無かったし、死と永遠と再生の男女の出会いという似た感じの映画であるが、生き合っているのに別れてしまうのを繰り返すという現代の性的病理への問いかけではあるのだろう。こうした自由の行きすぎで幾つも別れを繰り返して平然としている人々の中で、こうした特殊なセカンドラブのような形で察するしかないのだろうか。これをどうみるかの裏表で5段階評価は2か4に分かれる。斉藤和義の「かげろう」が終わりを添える。
罪悪感を抱えて生きていくこと
私も過去に後悔している自分の言葉があり、罪悪感を抱えて生きています。 自分のせいで死んでしまったのではないか。私が悪いと自分で自分が許せませんでした。 碌もカンナも後悔と自責と罪悪感を抱えながら生きている。 禄はお姉さんに救われ、お姉さんは碌に救われ、カンナは碌に救われカンナも碌を救って自分を受け入れることができたのかな。 後半のシーンでハルタが帰る場所がない、私いまちょっとだけ泣いていいかな?って静かに泣き出したカンナを見つめる碌を演じる岡田将生さんの表情が秀逸で何度もこのシーンを繰り返し繰り返し見てしまいました。 悲しみと苦しみを自分のことのように受け止めて、苦しみを共有してくれていることが表情だけで伝わってきました。 まるで、このシーンを見ているだけで私自身も救われたように感じました。 この映画と、岡田将生さんにたくさんのありがとうをお伝えしたい。ありがとうございました。
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