偽りなき者のレビュー・感想・評価
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マッツの表情全てが素晴らしい
あらすじからして不幸なマッツしか想像できなかったけど、案の定不幸すぎる。観てて苦しい。けどそう感じさせる演技をしてるマッツがすごい。だから最後まで観てしまう。
クララの嘘の告白からクララの発言、行動がルーカスを苦しめる。
クララが大人になった時に自分のした事を過ちだと認識できるのか、それとも周りから影響受けて本当に被害を受けたと思い込んでしまうのか。
ついついそんな事まで考えてしまう。
良く出来てるストーリーだった。
人間の中にある悪意
デンマークの小さな村が舞台の、静かでとても恐ろしい物語。
小さな女の子の悪戯めいた嘘から始まった、終わりのない闇のような生活。
それは所謂「村八分」で、小さなコミューンの怖さがズシリと重く描かれています。
きっかけとなるクララがやばい、目がもう。それと嘘をつくときの癖、鼻の啜り方など
しかしこれはあくまできっかけ、本当に怖いのは大人達でしょう。
ミスリードのように引き出した言葉から、実質的に犯人に仕立てた園長の友人。それを鵜呑みにし拡散する園長。
そこから保育士、保護者、村人と感染するように広がる悪意。
間接証拠というよりもはや妄想の域で、完全に魔女狩りでした。
そうした中でも子ども達は無垢なものと位置し、それを示すようルーカスも子どもに矛先を向けることはしないのですね。
そして何より、ルーカスを演じきったマッツでしょう。
引き込まれるとはまさにこの事で、本当素晴らしい芝居が見れました。
物語はどんな展開になっても嫌な予感は続いたまま、そしてそのまま終わるんです。ラストなんて息が詰まるようでした。
このピンと張った緊張感がずっと持続しているので、観賞後は少し疲労を感じるほどでした。
人間の中にある悪意、本当に怖いと感じました。
重いテーマ・・・ミケルセン素晴らしい!
重い!でも誰も幼稚園の子どものことは責めないというか放っておく。ある意味正しい。だってまだ子どもだから。でもいいのか・・・と思いつつこれは大人の世界だと思い直す。
息子は父親を信じている。唯一の救い。そして女の子のおにいちゃんが実はわかっているが言えない、皆の気持ちがそれぞれわかるので余計辛かった。クリスマスミサの教会にきちんと服を着て彼が行ったのは立派。そして親友との眼差し。
最後まで、そしてこれからもわからない!怖い。
森、男の子が大人になる印の猟銃。うーん、いかにも北欧だ。映画の冒頭でも真ん中でもとにかくおじさん友達がつるんで楽しそう。それなのにああなってしまうんだ。辛い、怖い。
マッチョな北欧世界は自分の理解を超えます。でも映画としてはいろんなこと考えさせてくれてとても良かった。
結局一番怖いのは、生きた人間
この映画は2度と見返したくないほどに負の感情で溢れ、本来自分の求めているスカッと心が晴れるような、タランティーノのような終盤にドカーンとなるようなそんな映画の対極にいた。
それでも、この映画のストーリーの妙と、それに引き込まれ2時間が一瞬で過ぎ去った体感と、観賞後に妻とストーリーの解釈を巡って激論を交わした事実を考えると良作と呼ぶしかないのだろう。
鑑賞中は一切の余裕もなく、完全に世界に入り込み一喜一憂してしまった。
あそこでああしていれば、、という事はありつつも人の疑いが転がり出すと雪だるまのように大きくなり、そして最後は誰かが壊すまで止まらないのだろう。
ホラー映画よりも人間の方が怖いと思い知らされる。
憎しみの連鎖を断ち切るには、決して他者にその憎しみを向けてはならない。そんな考えを、あなたはこの映画を観た後に言えるだろうか?
果たして主人公のように耐え忍び振る舞えるだろうか?
映画を通して考えてもらいたい。
辛マッツ〜😢
緊張の糸は張ったまま
とても良かった。
映画としてはめちゃくちゃ面白かった。
だけど、こんなにキツい2時間はそうない。
疲れました。
一つの子どもの嘘でここまで人って変われるのか。
変わるんだろうなぁ…
リアリティがあり過ぎて、自分も他人の子と二人きりに
なるのはやめようと思いました。
証拠がない、子どもの証言だけが頼り。
濃い霧の中を進んでいく物語に胸が苦しく、
眉間にはシワを寄せたまま。
男の友情が最後の砦。
熱いものも感じられたけど、
飼い犬の事を自分は忘れない。
主人公もきっとそうだったんだと思う。
そして、周りの人の中にも疑ってる人はいる。
もう元には戻れない、あんなに楽しそうだった男たちの
飲み会もラストでは嫌な雰囲気で、
最後の最後まで緊張の糸は張ったままで、
とても面白かったです。
白だと知っているのは観客だけ
ウディアレンの最盛期、ハンナとその姉妹あたりまでは、オシャレな映画監督の代表格で、文化人がよくその魅力を語っていたものです。
私は昔からウディアレンが苦手で、映画そのものにも感興できませんでしたが、とりわけ映画にまとわりつく山の手なスノビズムが嫌いでした。
今でこそ居ませんが、かつてはアレン映画の解釈をのたくる文化人が大勢いて、あれらのエスプリを解するのがオシャレと見なされていたわけです。
例えるなら、中野翠もどきがウジャウジャ居て、しきりにウディアレンを褒めそやしていたわけです。(むろん中野翠は立派な批評家です)
その雰囲気がじつにスノビズムでした。昭和の終わりごろの話です。
しかしアレン節も、時代を追うごと、徐々にありふれたペーソスになり、先年(2018)のディランファローの二度目の告発で、長年、年1でつくりつづけた監督業も、ほぼ休業状態に追い込まれてしまいました。
このセクハラ告発を、どう見るか、人それぞれですが、私にとっては残酷な美醜対決に見えます。
アレンと仕事をしない又は後悔していると公表した俳優はティモシーシャラメ、レベッカホール、エルファニング、エレンペイジ、ミラソルビノ、グレタガーウィグ、クロエセビニーetcといったそうそうたる美麗スターたちであり、対するのは、年老いたアレンとあの化粧っ気のないスンイーです。
何が真実なのかは解りませんが、MeTooの潮流にプラスしてスターたちの拒絶があってはアレンに分はありません。
マリオンコティヤールはこの一件を、
「私生活についてはよく知らなかったけど、養女と結婚したと聞いて、正直ちょっと気持ち悪いと思ったのを覚えているわ。撮影現場でもどこかギクシャクしていて、私にとってはあまり良い体験ではなかったし、彼と仕事をすることはもうないでしょうね。今回の報道が事実か否かは、当事者じゃないから何とも言えないけれど、ディランさんが苦しむ姿を見て胸が痛くなったということだけは確かね」
と語っていて、これは殆ど一般的な見地を代弁してしまっています。泣いて訴える女性にシンパシーを感じない人は圧倒的少数派ですし、じっさい彼は限りなく怪しいわけです。
真実は知る由もありませんが、個人的にはミア側もかなり過当な感じがします。
ハリウッド俳優が養子を引き取るのは知っていますし、その行為そのものは殊勝な心がけですが、いくらなんでも引き取りすぎです。それ(多人数の養子)に自分自身を母たらしめる目的はなかったか、そんな富者の驕りを感じずにはいられないのです。ディランの告発は信じられても、結局、ミアの養子乱受容に起因があるはずです。
とはいえ、おそらくアレンはやった、と思います。
しかし当人はもちろん否認したうえで、釈明しています。曰く「そもそもこれは何年も前に決着している問題であるし、何十人もの女性から訴えられている奴(もちろんワインスタインを指しています)と、ひとりの義娘から一回だけのことを訴えられ、その他にいかなる告発の来歴もない私を一緒に語らないでくれ、ほんとに迷惑しているんだ」というものでした。
この気持ちは解ります。50年以上に及んで映画業界に貢献し、多大な評価を浴びながら、一回の告発によってキャリアが破綻したわけです。事実A Rainy Day in New York(2017)もお蔵入りです。
この時、私たちはそれが一度だけの過ちであろうと社会の敵になる罪を痛感します。子供にやったことは許されてはならないのです。
それは、たとえシロでも、たんなる嫌疑であろうと、生涯の汚点になってしまうのです。この映画のラストの一発の銃声はそれをあらわしていました。疑いが晴れたかに見えた後だっただけに、より一層「ビクッ」となりました。
なにしろ彼はやっていないのです。そしてそれを痛いほど知っているのは観衆だけなのです。その物凄まじいジレンマ!
ペドフィリアを許してはなりませんが、ゆめゆめ迂闊に判定してもいけません。
まったくもって見事な演出で描かれた、冷徹なドラマでした。
現代の魔女狩
SDGs達成率のナンバーワンってどこの国だかご存じですか?この映画の舞台となっているデンマークがそれ。日本はちなみに15位と予想どおり低迷しているのだが、子供たちの将来をもっとも大切にしている国のランキングと思っていただいてもよいのかもしれない。要するに現役世代が犠牲となっていかに次世代につなげる準備を国がしているかが問われている指標なのである。あのドイツでさえGDPの60%以内におさえている国債を乱発し続ける日銀の政策一つとっても、国が今現在のことしか考えていないのは明白。残念ながら日本の子供たちがむかえる将来はまちがいなく今よりももっと暗くなる、とだけここでは言っておこう。
じゃあそのSDGs達成率のナンバーワン国デンマークは天国なのかというと、そうでもないですよと警告を発している本作なのである。カンヌ映画祭で問題作を連発し続けるラース・フォン・トリアーと共にドグマ95を提唱した盟友トマス・ヴィンターベアだけに、福祉大国デンマークに向けられる眼差しはかなり批判的だ。ある少女がついた嘘をきっかけに、近隣の住民や仲のよい友達から村八分にされ、スーパーでは食料も売ってもらえず、窓ガラスには石を投げつけられ、ちょっとおバカな飼い犬まで殺されてしまうお話しである。現代の“魔女狩”の標的にされたのは、その高学歴には似つかわしくない幼稚園の先生をしている心優しいルーカス(マッツ・ミケルセン)。
元はといえば、兄貴の友達が悪ふざけで妹クララに見せたポルノ雑誌のグラビアや、酒に酔うとキスぐせのあるそのオヤジに原因があると思われるのだが、境界恐怖症のクララちゃんがついたたわいもない嘘をまともに信じ、街ぐるみでルーカスに嫌がらせを開始する近所のみなさんもどうかと思うのである。本作を見て、空気を読めない女に対する日本人の陰湿ないじめ体質が描かれていた小林政弘の『バッシング』という映画をふと思い出したのだが、自分たちの大切な子供にイタズラをしたと誤解した普段は温厚なデンマーク人のルーカスに対するバッシングはまさにバイオレンス。さすがのハンニバルも2m近い大男の前ににはなすすべもなくボコボコにされてしまうのだ。
結局少女クララの妄想であることが判明しルーカスの無実は証明され、近隣のみなさんもルーカスを表面上は受け入れるのだが、ヴィンターベア監督はその告発の手をけっしてゆるめようとはしない。隣人を愛せと説くキリスト教の欺瞞に怒りを爆発させるルーカス、そして息子マルクスの初ハントのお祝いに帯同したルーカスが森の中で遭遇するある“事故”によって、ヴィンターベアは人間の本質を赤裸々に描き出すのである。獲物に対する優しさが街の人々が心の中に隠し持っている悪意の象徴であるハンターに狙われたように、時として人間の寛容性が非情な暴力を招いてしまうことを、このラストシーンによって示そうとしたのではないだろうか。
人間の真の姿
くだらなさすぎて引きこまれない
タイトルなし
「正義」のうずに飲まれ少しずつ狂っていく主人公 子供のちょっとした...
普通の人々による惨劇を冷たい質感で描く怖い映画
本当に強い人だ
マッツ・ミケルセン
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