ゼロ・ダーク・サーティのレビュー・感想・評価
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硬直化した組織、欺瞞、稚拙なビューロクラシー、蝕まれる正気、そして...
硬直化した組織、欺瞞、稚拙なビューロクラシー、蝕まれる正気、そして…其れを包含するアメリカの独善。
長いのに最後まで緊迫感
気の遠くなるような長い期間をかけて、何度もハズレを引きながら反撃されながら、オサマの居場所を掴んでいく。 この監督さんはアメリカのプロパガンダ映画を作るという批判が多いからか、本作ではそう思われないように気を遣っている様子がうかがえる。 真実と演出の堺目はわからないけど、映画としては楽しめた。
プロパガンダ??
プロパガンダ映画と言われているが、CIAの拷問を描いていたりと見ている側にちゃんと余地を残している客観性はあるように見えた。 というか、シンプルに面白かった。迫りくる臨場感とリアリティーは一見の価値有りかと。
まるでドキュメンタリー
観ていてとても辛かったです。
最後のビンラディン射殺のときに子が目の前で人が死ぬのを目の当たりにしたのは大変ショックでした。そして最後の涙は何だったのか今でも気になります。
緊張感溢れる映画でした。
緊迫感・焦燥感がひしひしと
「苦い幕切れ」と言いたげな撤収・結末がなんだかなぁという感はあるし,ビグロー監督とは微妙に肌が合わないのも確認できたが,緊迫感・焦燥感がひしひしと伝わってくるのは間違いない.観て損はしない
情報が大事
9.11の犯人を見つけるまでを描いてます。 尋問シーンとかちょっと残酷な所もありますが、犯人を見つける為には必要な事だと認識しました。ジェシカ・チャスティンの迫真の演技には驚かされました。
出た!アメリカ特有の映画。
出ましたね~。偽善映画が。アメリカは好きだよね~。負け戦をあたかもかっこ良く終わらせる映画。もうベトナム戦争映画でもう飽きたよ。この映画あたかもドキュメンタリー風って唄ってたけどバリバリ、フィクションですし設定もお粗末。そもそも戦場も知らない高卒12年目のCIA女子職員に国の情勢を脅かす計画を任すだろうか?有能って設定だけど映画を観てると有能って場面は全く無かった。ただ自分の意見をだだっ子的に押し付けてるにしか観れなかった。挙げ句の果てにヴィンラディンの顔の承認も彼女だし(笑) で自分で押し付けといて最後泣くし。これには爆笑です。非人道的なプロジェクトを達成しておいてお涙頂戴は無いよな~。軍事や世界情勢に詳しい人から見るとこの映画はとりあえずヴィンラディン風の人を殺しちゃったけどアメリカ軍事は凄いでしょ映画でした。 もうアメリカ視点の戦争映画はベトナムだけにして欲しいものだ。唯一良かったのが今亡き名優ジェームスガンドルフィーニが出てる事かな。
怪物と戦う者は自分も怪物にならないよう注意せよ。 深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込む。
良かった。 ビン・ラディンの情報を得るため行われる捕虜への虐待。 虐待を繰り返すことによる加虐者側の心の疲弊。 誰のため、何のためにこんな事を続けなくてはいけないのか。 関係する人々は皆、暗黒面に引き込まれていく。 また本作で良かったのは終盤にある一連の突入~鎮圧のシーン。 CIA局員である主人公が場所を突き止めて…という話の場合、往々にしてあるのが連絡でミッション成功を知るパターン。 そこで雄大な音楽が流れ皆が手を握り肩を組む。 本作はそんな安っぽい展開にはなっていません。 特殊部隊の突入~鎮圧を丁寧に描いています。 その映像を見て思うこと。 訓練された組織の凄まじさ。 そして憎しみの連鎖は結局止まらないということ。 最後、主人公に対して投げられる或る質問も感慨深かったです。 主人公であるサラと米国という国全体が被る瞬間でした。 157分と比較的長時間の分類に位置付けられる本作。 中盤で中弛みが無いと言うと嘘にはなりますが、 終盤の戦闘シーンを観るだけでも元は取れると思います。 オススメです。
パキスタンは
いきなり外国の軍が舞い降りてきてドンパチ。
主権侵害されまくりのパキスタンは
この作戦のあと慰謝料、迷惑料もらえたのでしょうか。
それ思うと夜も寝られなくなっちゃう。
生け捕りも可能かと思われた状況ですが
(足を撃ってとか)
でも殺してすぐ海に捨てるより生け捕りにして
裁判にかけるとより神扱いされてしまうだろうなあ。
冗長という意見もありましたが前に見たテレビ局作成の
ドキュメンタリーをBSで見てましてそれに比較しながら
半分ドキュメンタリーのつもりで退屈しませんでした。
終わりなき戦い
ビンラディン殺害という、まだ十分な冷却期間があったとは言えない事件を映像化するにあたっては、相当の批判も覚悟しただろうし、脚本執筆も神経を擦り減らす仕事だったであろうことは容易に想像がつく。 CIAをはじめとする各国の諜報機関が総出でその行方を追っていたビンラディン。 その映像化作品ということで、派手な活劇を期待した人も多かっただろうが、残念ながらそれを期待した人は肩透かしを食らっただろう。 捕虜への尋問、情報収集、情報分析、懐柔、買収、根回し、説得…。 ビンラディンとアルカイダナンバー3との連絡員“アブ・アフメド”を特定するまでの過程は忍耐に次ぐ忍耐。 正に、忍耐が執念を醸成したと言っても過言ではない。 二時間半超という尺は確かに短くはないが、この長尺やジリジリするような展開が、マヤをはじめとするCIA局員の焦燥感を観る側が共有すること容易にしている。 もしも、これをテンポのいい活劇に仕立てていたら、この焦燥感は到底共有出来なかったに違いない。 製作側の意図は、この事件を題材にしてエンターテイメント作品を作ることではなく、この作戦がどういうものだったかを伝える、ドキュメンタリーに近いものを作ることではなかっただろうか? 当時、ビンラディン殺害のニュースに沸くアメリカ国内の様子には、何とも言えない複雑な違和感を感じたが、すべてが終わった後にマヤが流す涙にもまた複雑な思いが感じられた。 アメリカにはビンラディンを野放しにするという選択肢はなかった。 しかし、ビンラディンがいなくなってもテロリストは存在し続け、テロ事件も起きる。 戦いは終わらないのだ。
あくまでもフィクション
マヤが置かれている状況や、彼女がすごくのめり込んでいく流れはわかる。もっと注文をつけると、もっと人格が壊れてしまいそうな感じで行き過ぎになっても良かったのでは。実際にいる人を描くのではなくて、あくまでもフィクションとしてみたい。というのも、戦争で一方の立場の視点から描く場合、フィクションの枠を出られないから。視点が偏るのをわかっていて、どうして映画にする必要がのか、それが伝わってこなかった。まかりとおっている拷問。上のものの許可が下りないなど、事情はわかってくるけど、マヤという女性の視点が中途半端に客観的にしようとして、マヤ個人が見えなかった。
常にそこには人間がいる
最初の拷問場面で、ちょっと気分悪くなりました。
でも、CIAの人も仕事だからやっている。
あの拷問部屋を離れれば、普通の人になる。
どちらの側にも憎しみがある。
同胞を殺される痛み、そこから生まれる憎しみ、
復讐のループができてしまう。
でも、そこから逃れる方法がみつからない。
テロを止めるには。悪いやつを殺さなければならない。
主人公はその信念だけを頼りに執拗にビンラディンを
追いつめていった。
拷問は倫理的に間違っている、
何も殺すことはないじゃないか
と非難することは簡単かもしれないけれど、
あそこで人を殺してでも目的を完遂しようとする人々は
そんなことわかった上でやっている。
その救いようのなさ、悲しさが画面から滲む。
目的を達した後も、結局は何も得られないのだと
最後のマヤの涙が語っている気がします。
これは、反戦だし、反暴力映画だと私は思いました。
秀逸です。
答えはないけれど
見て、自分が何を感じるか
噛みしめたい映画だな。
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