千羽鶴(1958)
劇場公開日:1958年
解説
昭和三十年秋原爆症で死んだ佐々木禎子という一少女の死を契機に、全国に起った「千羽鶴」の運動を主題とした映画。諸井条次の脚本を、「お母さんの幸福」の木村荘十二が監督、木塚誠一が撮影した。学校・病院など全部ほんものを使ってのオールロケーションで、その上広島の少年少女が映画のために臨時の学級を小学時代、中学時代と二組も編成し、撮影期間中全く同じ学校の仲間として暮すという製作方法がとられた。
1958年製作/67分/日本
配給:共同映画社
劇場公開日:1958年
ストーリー
貞子のクラスには、六年生になった時、北川先生という若い男教師が赴任して来た。先生は、卒業までに「団結」ということを目標にしようと提案した。貞子はかけ足が得意で、歌もうまかったので、いつもクラスの人気者であった。その貞子が、急に入院した。原爆症--。貞子は輸血を受けたが、白血球はふる一方だ。卒業の日がきた。子供たちの発案で「団結の会」が出来た。貞子は同室の佳代という高校生から折鶴を見せられた。鶴を千羽折ると病気が治るという。貞子も友だちも千羽を目標に鶴を折り出した。そのせいか、貞子は元気を取り戻した。八月六日の記念日には、外出さえ許された。だがその直後、病状が急変した。六百余羽の鶴を残して、貞子は死んだ。誰いうとなく、彼女のために記念の像を建てようという話が持ち上った。近く、全国の中学校長会議が開かれることを知った少年少女たちは、ビラを刷った。そして、校長会議の会場入口で懸命にビラをまいた。やがて彼らの中学校にはカンパが送られてくるようになった。デパートの前でも募金を呼びかけた。運動はだんだん拡がり、ついに「広島平和を築く児童・生徒の会」が生れた。記念像は今や原爆ドームを背に、五月の陽光をうけて輝いている--。