花のれん

劇場公開日:

解説

直木賞を得、先頃芸術座の舞台でも上演された山崎豊子の同名小説を、「細雪(1959)」の八住利雄が脚色し、「駅前旅館」の豊田四郎が監督したもので、大阪女の強さと哀しさを描こうという作品。撮影は「駅前旅館」の安本淳。パースペクタ立体音響。

1959年製作/129分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1959年1月27日

ストーリー

大阪船場の河島屋呉服店は倒産したが、多加・吉三郎の夫婦は、天満天神の近くにある寄席を買い取り、天満亭と名づけ再起の第一歩を踏み出した。天満亭は順調に繁昌したが、生活が安定すると吉三郎の遊びぐせはまた頭をもたげ、おしのという妾の許へ足繁く通うようになった。そのおしのの家で、吉三郎は急死した。通夜の日、多加は婚礼の際に持参した白い喪服を着たが、それがいつしか、二夫にまみえずという心を彼女に持たせた。彼女は、幼い久雄を女中のお梅に託し商売一筋に駈け廻ったが、市会議員の伊藤と知り合った彼女の女心は燃えた。--法善寺の金沢亭も買い取った多加は、それを花菱亭と改名し入口に“花のれん”を掲げた。出雲の民謡である安来節が関西一円を風靡し始めると、多加は出雲に出かけ、そこで伊藤と再会した。が、彼女はこの愛情までも商売のためには吹き消したのである。やがて、多加は大阪に十三の寄席を持つ席元となり御津寺筋に事務所を構えた。世間では彼女を“女太閤”と呼んだ。が、中学生になった久雄には母は遠い存在だった。伊藤の自殺が多加の耳に伝った。他人の罪をかぶり選挙違反で投獄された彼は、獄中で服毒したというのだ。多加はいかに伊藤を愛していたかを知った。--大陸戦線は拡大し、久雄にも召集令状が来た。多加は、久雄から出発直前京子という愛人を紹介された。お梅にはすでに打ち開けていると聞かされ、多加は淋しかった。彼には多加が築いた土台を継ぐ意志が無かった。--戦争は多加の多年の努力をあざ笑うように一面を焼野原にした。放心したように立つ多加の側に、京子が寄り添った。京子は、久雄から自分がいないあとの母を頼むという言葉に従って多加を慰めに来たのである。多加は久雄と京子の仲を許し、自分もまたこの土地に“花のれん”を掲げようと誓った。

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映画レビュー

3.0心地よいノスタルジーに浸りながらも、人生、社会の普遍的な問題を再考させられる

2014年5月17日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

悲しい

昭和初期の大阪の街、下町がスクリーンいっぱいに広がり、なんとも懐かしい気持ちが湧いてくる。熱い情熱を持つものが日本を築き上げる中心にいた時代。コンピュータもスマホももちろんなく、ただ自分の頭と気持ちだけを頼りに生き抜く道を模索する。そんな中で、情熱のベクトルが異なるもの同士が愛し合う関係になった時のやり場のない深い悩み、苦しみ、無力感。
人間は小さなものだが、人生は壮大だ。

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MoriyaTaro

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